第82話 研究所とビアンキ
「私もそれは素晴らしい案だと思います!」
書棚からいつの間にか身を起こしたイライジャが、ランスの言葉に賛同した。情報を収集するのが得意なイライジャが、ディープウッズ家との繋がりがこの店にあると他店に分かるのは時間の問題だと言う。
「他店との取引が増えこの店にも様々な者が出入りするようになるでしょう。それに商業ギルドには既に各店のネズミがおります。どんなに隠そうとしてもほころびは必ずあるものです、でしたらララ様ではなく、エレノア様と取引があると思わせる方が宜しいかと私も思います」
お体が弱いお母様が屋敷の外へ出掛ける事はまずない為、外で狙われることも無いだろうし、私を危険な目から逸らすこともできて、一石二鳥では無いかと皆は言った。
でも私は自分の身を守る為にお母様を使う様で余り乗り気にはなれず、渋い顔になってしまった。
「ララは嫌なの?」
セオの言葉に私はこくんと頷いた。私が何をおいても守りたいのは家族だ。なのにお母様の名前で研究所を作っては、それに反してしまう気がする。
でもこの国の人々を、薬さえ有れば治せる病気から救いたい気持ちも本心なので、両方の気持の間で悩んでしまっているというのが今の状態だった。
「よし! 急ぐ話じゃ無いからな、ララはゆっくりと考えてみると良い……なっ!」
今度はリアムの言葉に頷く。結局私は子供なのだと再認識させられた。皆を守りたいのに守ってもらってばかりいる、セオやリアム、それにディープウッズの家族たちに……
この世界に来て大切な家族や仲間を神様から頂いたのに、小さな自分は皆の為に何も出来ていない様な気がして、気持ちが沈んでいくのが分かった。
セオと手をつないでスターベアーベーカリーに向かっていると、落ち込んでいる私に気が付いたセオが顔を覗き込んできた。
「ララ、大丈夫?」
セオの声を聞いたとたん何故か涙がポロポロと溢れ出してきた。体の中で魔力がうごめくのが分かった。セオはすぐに私をギュッと抱きしめると、優しく頭を撫でた。私はセオの体温と香りに少しずつ気持ちを落ち着かせていった。
「ねぇララ、ララが皆を守りたいと思っているように、俺やリアム達、それからディープウッズの家族もララを守りたいと思っているんだよ……」
「えっ……」
セオは私を抱きしめたまま優しい声で話し続けた。
「ララはさ、もっと皆に甘えて良いと思うよ、俺だってララにもっと甘えて貰いたいと思ってる……」
「セオ……」
「俺はさ……ララの事が誰よりも大切だし、それに俺はララの事が――」
「あー! ララ様とセオ様が抱き合ってる―!」
声に驚いた私は、セオを離して後ろを振り向くと、そこにタッドとゼンがいた。ゼンは私達を指差してニヤリと笑っている、タッドの方は少しムッとした表情をしていた。
どうやら二人は私たちと同じ様に、スターベアー・ベーカリーに向かう途中の様だった。体には既にエプロンを付けて準備万端にしていた。
「セオ様、恋人じゃないのに抱きしめたらダメなんだぞ。そういうのは破廉恥な奴って言うんだぞ!」
「はっ……破廉恥って……」
セオはゼンの言葉に真っ赤な顔になった。破廉恥人物扱いされてかなり恥ずかしい様だ。タッドはセオをジッと睨むように見ていたので、私は二人の勘違いを正そうとセオの前に身を乗り出した。
「二人とも違うのよ、セオと私は兄妹(きょうだい)なのよ」
「「えっ? 兄妹なの?」」
血のつながりは無いが、セオはお母様の養い子だ。私と兄妹と言っても嘘ではない。
兄弟と聞いて抱き合っていた事に二人とも納得してくれたようで、タッドのセオを見る目は少し優しくなっていた。
「それにね、セオは今、私を慰めてくれてただけなの」
セオの方に そうだよねっ と言って振り向くと何だか納得していない様な表情だったが、頷いてくれた。
「そっか、俺も兄ちゃんが良く抱きしめてくれるから、それと一緒か!」
ゼンの言葉に私は頷いて見せる。兄弟あるある話の様でゼンは分かってくれた様だった。私はゼンの手を取り一緒にスターベアー・ベーカリーの方へと向かいだした。ゼンは二つ年上だが蘭子時代の記憶がある私としては、息子の様で可愛くて仕方ない。結婚が早いこの世界なら私の孫でもおかしくはないだろう。
私達の後ろからは一つ違いのセオとタッドが、前を歩く私達を見つめながら何かを話していた。
「セオ様は、ララ様が好きなんだろ?」
「……ああ、そうだけど?」
「俺もララ様が大好きだ。セオ様には力では負けるかも知れないけど、俺、絶対にリアム様みたいになって、ララ様を助けられる人間になる!……だから負けないからな!」
2人がそんな話をしているとは気付かなかった私は、後ろを振り向くとセオとタッドが手を繋いでいたので、セオに歳の近い友達が出来て良かったと、ほっこりした気持ちになっていたのだった。
まさかそれがライバル同士の硬い握手だとは、まったく気付かない私であった。
それから二日もするとブロバニク領の商人のビアンキと、共である下僕のエルモの体調も完全に良くなり、商談を開くこととなった。
元々私はワイアット以外の商談には参加する予定では無かったのだが、ビアンキのたっての願いがあり一緒に参加することとなった。どうしてももう一度私に会って話をしたい事があると言うのだ。
断る理由も無いので商談に参加したが、元気になったビアンキはとても賑やかな人だった。
セオと転移部屋から出て商談をする応接室へと向かっていると、バッタリとビアンキ達と廊下で会った。
ビアンキは浅緑色の髪を一つにまとめ、少し日に焼けたような肌色でがっちりとした体型をしており、ジュリアンが抱えて居た時は顔色も悪かった為に気が付かなかったが、商人と言うよりは漁師のような風貌に見えた。元気そうにニッコリと笑うと、小麦色の肌が真っ白い歯をとても引き立てていた。
ビアンキは私の前に立ちお辞儀をすると、勢い良く私を抱え上げた。
「姫様、先日は助けて頂き有難うございました」
お礼を言うとビアンキはマトヴィルの様にガハハハッと笑い、私を抱えたまま商談をする応接室へと歩み出した。セオは私を助けた方がいいのか迷っていたようだが、害のない相手だと思ったのか、眉間にしわを寄せながらも黙って後を付いてきていた。下僕のエルモだけが主の行いに冷や汗をかいて居る様だった。
抱えられたままリアム達の待つ応接室へと入ると、私が抱っこされていたので皆一瞬驚いたようだったが、すぐに普段の表情に戻り挨拶を交わしていた。
「ウエルス様、いやー、今回は大変お世話になって申し訳なかったねー」
リアムに笑いながらお礼を言っているが、未だにビアンキは私を抱えたままである。いい加減降ろして貰わなければ商談に差し支えるだろう、そう思っているとビアンキは思い出したように私を優しく降ろしてくれた。
「姫様、抱えたままで申し訳なかった。つい自分の子のような気持になってしまいましたよ」
「ビアンキさんにはお子様が?」
「ええ、冬には6歳を迎える娘がおります」
「まあ! 同い年ですね!」
ビアンキは優しそうな目で私を見つめ微笑んだ。それだけで彼の娘への愛情が感じられた。
皆が席に着くと商談が始まった。ビアンキはリアムが見せるスター商会の品々に、とても興味を持ちワイアット同様にかなりの品を買いこんでくれる事になった。そしてこちらからはビアンキから小麦を仕入れる事になった。
ビアンキは助けて頂いたお礼に 今回の小麦は無料で降ろさせて頂きたい と言ってくれたのだが、それはお断りした。
こちらが勝手にやったことで恩を着せたかった訳ではないと、ワイアットの時の失敗を踏まえて今回は私ではなくリアムに言って貰ったのだった。
「命を救って頂いたのに……なんて欲のない方たちなのだ……」
ビアンキはいたく感激したようで、男泣きをしてリアム達を困らせていた。勿論後ろではビアンキの下僕であるエルモも同じように涙を流していたのであった。
「あの……ビアンキ様、それで我が会頭にお話とは何でしょうか?」
困ったリアムが別の話を振ると、ビアンキの涙は止まり急に真面目な顔になった。太くて凛々しい眉がキュッと額に寄せられ、顔の前で手を組むと呟くように話し出した。
それは先程までの大きな声のビアンキとは別人のようであった。
「ここだけの話ですが……今回私達が頂いた流行り病の薬は、市販の物とは違うものではありませんか?」
「……それはどうしてでしょうか?」
この流行り病の病名は薬効不病とも言われており、薬や癒し、ポーションなども効かない病気だと言われているそうだ。だからまず私の癒しが効いて体が楽になったこと、それから薬を投与されるとすぐに症状が改善されたことに、とても驚いたのだとビアンキは言った。
「薬師ギルドの……市販の薬は効かないのですか?」
私の言葉にビアンキはすぐに頷いた。今出回っている薬は特効薬ではなく、少し症状を軽くするだけの薬であり、今回のビアンキの様に重症化してしまうと、飲んでもあまり意味が無いそうだ。
ビアンキの甥っ子が薬の研究をしているために、そう言った事には詳しいのだと教えてくれた。
「神に祈れば奇跡の光が注がれるのではないかと、淡い期待もしていたのですが、それとは反対に、もう死ぬのだという覚悟もしておりました……」
「奇跡の光とは何ですか?」
セオ以外不思議なものでも見るような目で私を見てきた。皆の様子を見れば、その奇跡の光と言う物が一般常識の話なのだと分かった。
つまりこの場で常識が無いのは、私とセオだけと言う事だ。
「あー……ララは小さかったから知らないかも知れないが、三年前? 位にも、この流行り病がレチェンテの国中で流行ったんだよ……」
リアムが言うには国中で病が流行り、多くの人が無くなっていく中で、皆が希望を失っていたそうだ。そんな時、空に花火のような光が上がり、苦しんでいる人々に癒しが与えられたそうだ。
それもディープウッズの森の方から飛んできたこともあり、皆が口々に 女神の癒し 奇跡の光 と大騒ぎになり、またディープウッズの名が有名になったのだと教えてくれた。
その話を聞いて私は過去の自分の行いを思い出した。回復魔法の練習をしていて魔力が抑えられなくなり、空に魔法を放り投げた事が有ったのだ。
あの時確かに光が花火のようにはじけ飛んで、あちらこちらに光が散らばって行った事を思い出したのだった。
「私が投げた魔法が……」
小さい声で呟いたのだが静かな部屋では皆に聞こえたようで、驚いた顔をして皆んなが私を見てきた。
「ララ……まさかお前の魔法だったのか……?」
リアムの驚いた表情を見つめながら、私は小さく頷いた。まさかあの出来事がそんな有名になっているとは思わず、一番驚いたのは私だと思うのだが、皆言葉を失い只々私を見つめるだけだった。
「あの……内緒でお願いしますね……」
可愛く笑ってお願いしてみたのだが、セオ以外の皆が頭を抱え、黙り込んでしまう事となってしまった。聞いてはいけない秘密を聞いてしまったかのようになってしまい、暫く重い空気が流れたのだった。
「あの……ビアンキさん、それで薬の事なんですが……」
ビアンキは私の声でやっと我に返ったようで、ハッとするとこちらに目を向けてきた。
「姫様……私の甥を、こちらで雇って頂くことはできませんでしょうか?」
「「へっ?!」」
静かな部屋に私とリアムの間の抜けた声だけが響いたのだった。
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