第78話 病魔

「あー、疲れた……」


 リアムは自室の執務室に帰って来ると、仕事用デスクでは無く、中央にあるソファの三人掛けの方へとドカッと座り、そのままだらしなくソファへと寝転んだ。

 ランスがリアムが脱ぎ捨てたジャケットを拾い上げながら、大きなため息をついた。


「リアム様……お行儀が悪うございますよ……」

「いいんだよ、ここは身内だけだからな……」


 リアムはワイシャツのボタンも外しかなりだらけて居る。ランスがまたため息をつくと私の方へと目配せをして来た。どうやらこのだらしない主に、会頭の私から何か言って貰いたいようだ。私はランスに苦笑いで頷くと、今までの2人のやり取りを見て思ったことを素直に口にして見た。


「ランスはリアムの乳母みたいだね……」


 リアムはそれを聞くと少し姿勢を正し、私の方をギロリと睨んできた。私はそれをにっこりと笑い受け止める。


「リアム、あまり乳母様の手を煩わせてはなりませんよ」

「なっ!」

「ララ様の言う通りでございますね。わたしが乳母でしたら、昔のようにリアムお坊ちゃまとでもお呼びいたしましょうか……」


 部屋にいる皆がクスリと笑うと、リアムはゴホンっと一つ咳払いをしてソファにちゃんと座り直した。その頬は少し赤くなっていて恥ずかしそうにしていた。


 私はそんなリアムに近づきおでこを当ててみた、もし顔が赤いのが熱があるからだったらと、少し心配になったからだ。

 するとリアムは私の肩を掴み勢い良く自分から離させた、今度こそ顔が真っ赤である。


「ララ! お前急に何やってるんだよ!」

「えっ? リアムの顔が赤いから、熱が無いか調べようかと思って……?」


 6歳児に心配されたのが恥ずかしかったのだろう、リアムの顔は真っ赤だ。仕方なく私は手でリアムの額を触り自分の体温と比べてみた。


 うん、顔は赤いけど熱は無い様だ……


「リアム疲れてるって言ってたし、流行り病が移ったかと心配になっちゃったけど大丈夫そうだね。良かった、大事なリアムに何かあったら困るもの……」


 リアムは大きく目を見開いた後、自分の手の中に顔を埋めた。隠しきれていない耳や首まで真っ赤である。相当子供に心配されたのが恥ずかしかった様だ。

 その様子を見てランスは満足そうな笑みを浮かべているが、他のセオやイライジャ、ジョンやジュリアン達は何故か気の毒そうにリアムを見ていた。


「ランス……済まなかった。仕事に戻る……」


 ランスは嬉しそうに頷くと、リアムが座った執務席に書類を置いた。

 私は魔法鞄からリアムが好きそうなおやつを出して、疲れを労う事にした。今日はシフォンケーキだ。


「これは、見たことないお菓子だな!」


 リアムは早速フォークを持つと、シフォンケーキを見ながら目を輝かせている。私は他の皆にもシフォンケーキを出し、午前のおやつタイムにした。


 皆、朝が早かったからお腹が空いているだろう……


 ジョンが入れてくれたお茶を頂きながらケーキを味わっていると、二つ目のケーキに手を出し始めたリアムがワイアットの様子を聞いてきた。おやつを食べた事でやっと機嫌も良くなり、いつものリアムに戻ったようだ。


 私は朝ワイアットと話した事をリアムに伝える。ワイアットの体調の事やブロバニク領の商人ビアンキの事、それから下僕のチャドの事もだ。


 リアムは少し考えてから、チャドの事をジョンに頼んでいた。同じ下僕同士なら仕事を割り振れると思ったのかも知れない。ジョンは返事をすると部屋から出てチャドの所へと向かっていった。


「ブロバニク領の商人ビアンキって言ってたか?」

「うん……知ってる人?」

「ああ……うちに来る予定の商人だ。明日商談予定だが、早めにブロバニク領を出たようだな……」

「ブロバニク領からの道は余りよくないですからね。盗賊もおりますし、早めに出立するのは頷けますね」


 リアムとランスの話だと、どうやらスター商会に訪ねて来るようだ。ワイアットに手紙を出して貰ったが必要が無かったかも知れない、だがリアムはその考えに首を振った。


「病気かも知れないんだろ? だったら待っているよりこっちから行った方がいいだろう……」


 リアムはワイアットの元にビアンキから返事が来て、宿泊先が分かったら迎えに行く気の様だ。仕事は大丈夫なのかと心配になる……


「あのなぁ……別に俺が行かなくても、使いを出せば済むだろうが……」

「あっ! そうか、私が行けばいいのか!」

「「却下!」」


 リアムとセオの声が揃った。私が迎えに行くなどあり得ない事の様だ……


「お前はもっと自分の事を自覚しろ! 何のために俺が表立って仕事してるんだ! とにかく目立つな!」

「ララ、リアムの言う通りだ。ララは自分が狙われてもおかしくないって、もっと気を付けないと……」


 二人に怒られて渋々受け入れたが、やっぱり私が行くのが病気を治すにしても手っ取り早い気がするのだが……

 そう言っても裏ギルドの件があるからか、二人には頑として受け入れては貰えなかった。


 私は唇を尖らせながら午前中の商談の事をリアムに聞いてみることにした。リアムは相手の事を思いだしたのか、とても嫌な顔をして話しだした――


「こちらから挨拶状を出した店なんだがな……」


 ブルージェ領のあるリアムの知り合いの店の様だったが、代替わりしたらしく、新しい店主は感じの悪い男だったそうだ。

 とにかく商品そのものよりも、製作者を知りたい様で、根掘り葉掘り聞き出そうとしてきたようだ。何とか誤魔化してやり過ごした様だが、帰りに盗聴魔道具を仕掛けようとしたらしい……


「盗聴魔道具?」

「ああ、オリーが忘れ物だって言って、客に届けたら真っ青な顔してたぜ。あそことは商談は無しだな……」


 リアムはイライジャにその店の情報が書いてある紙を渡し、調べて欲しいとお願いしていた。イライジャは嬉しそうにニヤリと笑ってそれを受け取っていた。


「盗聴魔道具か……」


 私もその言葉に惹かれてしまった。作ってみたら面白いのではないだろうか……別に他店や個人を盗聴するのではなく、自分を守るために使える物が出来ないだろうか……


「【録音機能】も付いていた方がいいよね……」


 私が自分の世界に入っていると、ふと皆の視線を感じた。どうやら口に出してブツブツ呟いていたようだ。


「ララ、悪い顔になってるよ……」

「おまえ……頼むからこれ以上厄介事を持ってくるなよ……」

「えー……アハハハハ……」


 笑って誤魔化してみたが、二人の視線がただ怖くなっただけだった。

 そんな話をしているとアリーとオリーが部屋へとやって来た。アリーは手に手紙を持っているようでリアムに近づいて行き、オリーは私に ワイアット様がお呼びです と伝えに来た様だった。


「ビアンキ殿からだ……」


 その言葉を聞いて、オリーとセオと共に部屋を出ようとしていた私は立ち止まった。何かあったのかも知れないと、手紙の内容を聞こうと思ったからだ。

 リアムは手紙をサッとペーパーナイフで開けると、すぐに読みだした。


「体調が悪いから商談を延期したいそうだ……」


 どうやら体調が悪く宿で寝込んでいる様だ。手紙には宿の場所までは書いていなかったが、ブルージェ領のアズレブの街には来ていると書いてあった。

 私はすぐにワイアットの部屋に向かうことにした。きっとワイアットにもビアンキから手紙が届いたのだろう。そうでなければ他に私を呼び出しそうな事柄が無い。


 すると、リアムも先程脱ぎ捨てたジャケットを着て出かける準備をしだした。どうやらリアムもワイアットに私達と一緒に会いに行くようだ。


「俺も行って話を聞く。ランス、次の商談まではまだ時間があるな?」

「はい、大丈夫でございます」

「ララ、セオ行くぞ!」

「「うん!」」


 オリーの後にリアム、ジュリアンそして私とセオが付いて行く。客間は同じ三階にあるので、ワイアットの部屋まではあっという間に着いた。


 オリーがノックをし部屋へと入ると、ワイアットは先程までの寝間着姿ではなく、着替えてどこかへ行こうと準備をしていたようだった。

 まだ菌を持っている彼を外に出したくは無いのだが、何か有ったのだろうか……


「ああ、良かった。リアム様も一緒に来て下さったのですね……」


 ワイアットはホッとした様子で私達にソファを進めると、ビアンキから届いたと思われる手紙をこちへと渡してよこした。

 リアムが受け取り目を通すと、力の無い文字で返事が書かれてあった――


『ブルージェ領のアズレブの街、木漏れ日の宿にいるが、体調不良の為動けそうにない ビアンキ』


「リアムに届いた手紙も力の無い字で書かれてたの?」

「いいや、きちんとした文字だった……」


 これは、かなり病状が悪化してるのではないか……


 皆がそう思ったのだろう、眉間に皺が寄っている。それでワイアットは着替えて宿まで自分が迎えに行こうとでも思っていたのだろう……


「ワイアットさん、ビアンキさんをお迎えに行く気ですか?」

「ええ……知り合いをこのまま放って置くわけには行きませんから、こちらへ連れてくる許可を頂きたくてお呼びしたのですが、よろしいでしょうか?」

「こちらへ来てもらいたいとお願いしたのは私ですので、それは構わないのですが、ワイアットさんが今動くのは許可できません」

「しかしこのままでは……」


 私はワイアットの体内にまだ菌があり、それが【空気感染】や【飛沫感染】してしまう恐れがあることを伝える。聞きなれない言葉に皆が首を傾げていたが、要は他の人に移ってしまうのだと伝えると、渋々納得してくれた様だった。


「私が迎えに行きます」

「「ララ! それはダメだ!」」


 焦るリアムとセオに首を振る。これは私が行かなければならないだろう。宿全体に洗浄魔法を掛けなければならないのだ。それに他にも移っている人がいるかもしれない……


「これは私が行って一気に片を付けなければ、病気が街中に広がってしまう恐れがあります……」


 私は梃子でも動かない意思を持って二人を見つめて、理由を伝えた。

 するとリアムとセオは顔を見合わせたあと、大きくため息をついた。どうやら受け入れてくれたようだ。


「リアム、ジュリアンを貸して下さい、体調の悪い成人男性を私が運ぶのは無理なので……」


 本当は身体強化をすれば、そんなことはなんでもなく出来るが、目立って人だかりを作るわけには行かないだろう。


「後はセオ……申し訳ないけど一緒に来てくれる?」

「当たり前だろ、俺はいつもララのそばにいるよ」

「待て! 俺は?」

「リアムには仕事が有るでしょ……」


 これから商談のあるリアムを連れていく意味はないだろう。それに男性を馬車で運ぶのだ、人数は出来るだけ少ない方が良い。


「オリー、アリー客間の準備をお願いね」

((畏まりました))


 こうして私とセオとジュリアンは、渋顔で拗ねているリアムを残して、ブロバニク領の商人ビアンキが宿泊している 木漏れ日の宿 という名の宿屋に急いで向かったのだった。

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