今までのこと、これからのこと8




「おはようございま〜す」

ガラガラと引き戸を開けながら、普段よりやる気のない声で挨拶する。壁の向こうから店長の声が返ってきた。店の中を進むと、来客用のソファーで何やら紙を捲っている店長が顔を上げた。

「あれ、お客さん来たんですか?」

テーブルの上にコーヒーカップが二つ置かれている。私は自室へは向かわずに、鞄と掃除用の服が入ったトートバッグを足元に置くと、空いているソファーに腰掛けた。今日は仕事をする気はない。どうせ一時間もしないうちに帰るのだ。少しまったりしたら部屋に服を置きに行こう、くらいの気持ちだった。

「うん。ちょうど二十分くらい前に帰ったよ」

「へぇ〜。最近よく依頼来ますね。また私ですか?」

「ううん、今回は雅美ちゃんとリッ君はお留守番」

「えっ、瀬川君もですか」

「ちょっと危なそうな依頼だし。リッ君も情報収集だけ手伝ってもらって、あとはこっちだけでやろうかなって」

私はまだしも、瀬川君まで留守番とはけっこうハードな仕事なのだろうか?どうせまたペット探しか何かかと思っていたが。

「どんな依頼なんですか?それ」

「なんと、豪華客船に乗れます」

そう言って店長は空いている右手でピースサインを作った。

「豪華客船?」

「スターシンフォニーっていうクルーズ客船知ってる?めちゃくちゃ豪華なやつ」

「聞いたことないです」

「ほんと?たぶん日本で一番有名」

「縁がないもので……」

「その船がさ、一月にお正月ツアーみたいなのをやるの。まぁ秋の連休とかクリスマスとかいつもやってるんだけど。それが横浜発で三日間の旅に出るんだけど」

「ふむふむ」

「依頼人はちょ〜っと法的にギリギリな仕事してる人で、ちょ〜っと法的にギリギリな人達から命を狙われてるらしくて」

「え?それ、ヤクザですか?」

「うーん、言っちゃうと銃の密輸してる人達。それで、旅の間の身辺警護を依頼されたの」

「命狙われてるなら行かなきゃいいのに……」

「そうも言ってられないんだってさ。元気アピールも社交の場も大事らしい」

なるほど、それは相当危険な仕事だ。さすがの店長もそんな仕事に私や瀬川君を連れては行かないらしい。さっきの口振り的に誰かと一緒に行くみたいだけど、誰と行くつもりなのだろう?それを聞こうとしたところに、店の裏から瀬川君がやって来るのが見えて、思わず口を閉じた。

「荒木さん、おはよう」

「おはよう瀬川君。ごめんね急に休んじゃって」

「結果的に休んでないけどね」

瀬川君はそう言いながら店長に紙を渡した。店長が紙面を眺めたのを確認して、「とりあえずの情報ですが」と補足する。おそらく依頼人の個人情報なのだろうが、さすがの瀬川君も裏社会の人間相手では情報収集に時間がかかるのだろう。

「うん、ありがと。欲しい情報後で言っていい?」

店長が空いているソファーを指差すと、瀬川君は黙ってそこに座った。店長はさっきまで自分が見ていた紙を瀬川君に差し出す。そこには先程説明してもらった依頼内容が書かれているのだろう。

「さっき雅美ちゃんにも伝えたんだけど、リッ君も情報収集だけしてもらったらあとはお休みね」

「はい」

瀬川君は紙を捲りながら答える。それからほとんど間を空けずに質問をした。

「他店舗に応援を頼むんですか?」

「そうなるね。喧嘩強い人集めないとね」

「もう候補はいるんですか」

「うーん、まぁ相手のスケジュールもあるしまだ決めてないけど、欅君と薮中さんには声掛けようかなぁって」

「薮中さんって玄武店のあの人ですか」

「うん。今はもう本部勤務だけど」

本部勤務という単語を聞いて、瀬川君は「なるほど」と呟いた。

「もう一人の欅さんって人は瀬川君も聞いたことない人?」

「そうだね」

「欅君はリッ君会ったことないかもねぇ。青龍店でアルバイトで入ったけどあっと言う間に本部に行って正社員になっちゃった人」

「何かやらかしたんですか」

「閻魔コースじゃないよ」

店長はそう苦笑してから、「真面目だし喧嘩バカ強いから引き抜かれたの。オツムはちょっと足りない」

その説明に瀬川君は「ふーん」とだけ返した。

「喧嘩が強いと本部に引き抜かれるんですか?」

私の質問に店長は「んー……」と悩み、そのうちに瀬川君が「有事の際にどこにでも派遣しやすいようにじゃないの。今回みたいに」と考えを口にした。

「リッ君のそれで正解だね。何でも屋の中の便利屋さんみたいな」

「へぇ〜。でもたしかに、青龍店にいる時だと応援頼みにくいかも」

「そうそう、本部勤務になってよかったね。本部から推薦があったんだよ」

「すごいですね、推薦なんて」

「素直だから言う事聞くし便利なんだよ」

「ガチ目の便利屋さんですね……」

最後まで資料に目を通したらしく、瀬川君は顔を上げた。

「何人くらいで行きます?これ」

「七、八人かなぁ。あんまりたくさんは潜入できなさそう。少数精鋭になるかな」

「戦力足ります?」

「深夜にも来てもらうつもり。あと何人か人借りようかなって」

「それならまぁ、なんとかなりますかね」

「深夜さんのところってそんなに強いんですか?」

「あそこは近畿で一番の殺し屋集団だからね。そもそもあれだけの大所帯が管理されてることもすごいし、個々の力も高いよ」

「へぇ〜。持つべきものは友ですね」

私の言葉に店長は大きく頷いた。それから、テレビのリモコンに手を伸ばす。

「それに、いざとなったら頼めば来てくれそうな最強のアテがあるから」

「えっ、誰ですか?」

何でも屋の従業員の顔を思い浮かべたが、私程度の顔の広さじゃヒットする人はいない。瀬川君の表情を確認してみたが、残念なことに彼も結果は同じだったらしい。店長は「秘密〜」というとテレビのスイッチを入れた。バラエティー番組の笑い声で途端に店内は騒がしくなる。仕事の話は終わりという合図だろう。

「えー、また秘密ですか。どうせそんな隠すようなことでもないくせに」

「雅美ちゃんに言ったらブーイング飛んできそうだから言わなーい」

「えっ!?どういうことですか!?私の知り合いですか!?ちょっと!」

「言いませーん。それより雅美ちゃんもう帰る時間でしょ?明日の確認だけしとこう」

店長はそう言うと、テレビのボリュームを落としてニュース番組に変えた。ニュースキャスターが怪盗アザレアの話をしていたので思わずそちらを見そうになったが、意識して店長の方に顔を向ける。もう九時十分。たしかにそろそろ帰る時間だ。

「わかりましたよ。でも忘れませんからね」

「じゃあ雅美ちゃんが忘れた頃にしれっと教えるね」

瀬川君が小さくため息をついた。私達三人は真面目に明日の流れの確認を始めた。



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