今までのこと、これからのこと7
尻尾を巻いて逃げ帰ったあの日。九月二日。自分の無力さを痛感した。私の力じゃ、男の子一人救い出すこともできない。
ユーフォリア研究所。恐ろしい研究所だった。ガチガチに固められたセキュリティと、たった一人の侵入者である私を研究所全体で追いかけ回す恐怖感。片山さんと柊さん、そして壁の外まで運んでくれた男性。彼らの助けがなければ私一人逃げ出すこともままならなかった。
アルフ君はおそらく、あの研究所で恐ろしい実験を受けている。自分の身長の五倍はあった壁を軽々飛び越えたあの男性も、たぶん。彼らも本意ではないだろう。男性と柊さんの会話から察するに、生活の自由もなさそうだった。助け出してあげたい。特にアルフ君は。きっと彼は外の世界を何も知らないから。
「最近は恋愛相談ばっかり乗ってますね。何故か」
「雅美ちゃん話しやすそうだからなぁ」
「そうですかね?私自身全然恋愛経験ないのに、何故か相談されることが多くて」
「でも恋愛相談って難しいよね。自分も知ってる人同士だったらいいけど、相手の性格とか関係性とかわかんないとなかなかアドバイスってできないし」
「そうなんですよねぇ」
とは言ったものの、花音ちゃんの好きな店長のことも、独尊君の好きな花音ちゃんのことも私は知っている。知らないのはスフレちゃんの好きなキプツェルさんって人だけだ。まぁ私も知ってる人だからみんな私に相談するのかな?とも思うが。
「私自身も絶賛恋愛中とかだったらもっとノリノリで相談乗れるんですけど」
「あー、わかる。テンションに差があるのはしょうがないよね」
「特に花音ちゃんの相談乗るときは気持ちの違いが顕著すぎて」
「大変だなぁ雅美ちゃんも。その花音ちゃんの恋とか百パー成就しないでしょ」
「しないですよねぇ。もう私の数少ないレパートリーじゃアドバイスも限界で」
「別の人に相談してみたら新しい視点で何か閃くかもしれないのにね」
「そう言ってるんですけど、本人的になかなか話しにくいらしくて」
「まぁあそこまでゾッコンだと言いにくいわなぁ」
最近は本当に恋愛相談ラッシュで私もお疲れ気味だ。いやいや、そんなこと言ってちゃいけない。来週は独尊君イベントのネズミィーランドが控えてるんだから。頑張らなきゃね。
あとつい最近あったことといえば、神原さんと本部に行ったくらいか……。まぁこれは言わなくてもいいか。一応ルール違反を犯しているし、わざわざ誰かに話すようなことでもない。それに本部は何でも屋の機密でもあるし、もう退職した国見さんに教えることではないだろう。
本部の屋上で風を浴びていた神原さんの姿を思い出す。こうして考えると、なんだか寂しそうな人だな。心から信頼できる人とか、一緒にいて心が安らぐ人とかいないのだろうか。いないんだろうな、と思っているからこんなこと考えているわけだが。
駅前でされた猫の話を振り返る。猫は死んどるで、という声が耳の奥に蘇ってきた。どうして神原さんの猫は死んでいるんだろう。もう会わない気がするのは何故だろう。去っていく背中が寂しそうなのは?
私は心の中で首を振った。やめよう、あんな人のこと考えるのは。今はせっかく再会した国見さんと楽しくお話しているんだから。
「最近あったことはこのくらいですかねぇ。この前青龍店の副店長さんに会いましたよ。お子さんが小学生の兄弟なんですけど、自分達だけで勝手にうちまで来たらしくて、暴れて暴れて」
その対応で私は身体のあちこちに青痣を作ったのだ。あれで父親がいい加減な人だったらまとめてボコボコにしてるよ、ほんと。
「えー、それ業務外でしょ」
「ですよね。殴られるわファイル投げつけられるわで散々でしたよ」
「うわー、ご苦労様。私そういうクソガキって無理だわー。叱りつけたくなっちゃう」
「私も噴火寸前でした。店長が帰ってくるのがあと少し遅ければボコボコにしてましたよ、粛清ですよ」
ぷりぷり怒る私を、国見さんは「よく耐えた!偉い!」と讃えた。褒められてか、それとも人に愚痴ったからか、少しさっぱりした気分になって、もう少し楽しい話題を模索する。
「そういえば、来週ネズミィーランド行くんですけど、国見さんおすすめのアトラクションとかあります?」
「さっきちょっと言ってたね。グループで行くんだっけ?」
「そうなんですよ。できればみんなが楽しめるやつがいいんですけど」
「定番はジェットコースターだけど、乗れない人もいるしなぁ」
「あ、私まさに乗れない人です」
「ジャングルクルーズとかカヌー体験はどう?無難に。ていうか、女の子だけ?」
「まぜまぜで集団なんですよ。全部で七人」
「あー、女子だけならミニィーちゃんの家とかでもいいかなと思ったけど」
「しかも初めて一緒に遊びに行く人もいるので難しくて。でもまぁ行ったら行ったで何とかなりますかね」
「何とかはなりそう。混んでないといいね」
「日曜日なのでそれ怖いですね〜正直」
このあと三十分ほど近況報告をしあい、時刻は八時。そろそろ解散しようという話になった。きっかけは国見さんに届いた、仕事が終わったから今から帰るという花宮さんのメッセージだった。
お会計を済ませ、喫茶店の外に出る。お互いこの駅での乗り換えだが、電車は別の方向だった。改札まで並んで歩き、ホームの前で別れる。
「じゃ、今日はありがとうね、雅美ちゃん」
「こちらこそです。久しぶりに話せて楽しかったです」
「私も。バイト、頑張りすぎないようにね。学校もあって大変なんだから、ほどほどで」
「ありがとうございます。まぁ普段が暇なんで、たまにはやる気出しますよ」
私と国見さんは手を降って別れた。ホームに降りると、ちょうどよく電車がやって来る。座席には座れず、仕方なくドアの近くに立つ。向かい側のホームを探したが、国見さんの姿は見えなかった。
電車が発車して、足元が揺れ出す。私はスマートフォンを取り出すとメッセージアプリを開いた。国見さんと喫茶店に入った直後にメッセージを送ったので、店長のアカウントが一番上にきている。それをタップすると、トーク画面では店長が押した【了解】という猫のスタンプが踊っていた。
【明日の確認もあるので、ちょっと顔出します。三十分くらいでつきます】
メッセージを送信して、しばらく画面を見つめる。一分ほどで既読マークがついて、【疲れてるなら大丈夫だよ】と返信がくる。私はそれに【ついでに荷物も置きに行きたいので】と返した。明日の河川敷の掃除用に、汚れてもいい服を置いておこうと思っていたのだ。明日は授業内容的に帰り道荷物が増えそうなので、今日持ってきたのである。
店長から【お待ちしております】と言いながらお辞儀している猫のスタンプが返ってきた。さては最近この猫にハマっているな?何ていうキャラだろうと思ってスタンプ情報を見てみたら、「ゆるねこ」という個人が制作しているスタンプだった。そこそこ人気らしく、「ゆるねこ3」まで販売されている。
スマホを片付けて、細長い息を吐いた。喋り疲れたのだろうか。まぶたを閉じると、立ったままでもうとうとできた。
急に大きく揺れて、危うくドアに額をぶつけそうになる。後ろのお姉さんがよろめいて、私の背中にエルボーアタックをぶち込む。思わず振り返ると、申し訳なさそうに「すみません」と言われた。
私はそれに「いえ」と微笑みながら、次の駅で絶対座ってやると誓った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます