やさしい罰をください2




十分後、店長は本当にソファーから立ち上がると、私達に一言言って店の裏に消えた。おそらく裏口から出ていくのだろう。もしかしたら自室に寄って何か荷物を取ってくるのかもしれない。

店長が消えて、私と冴さんの間にビミョーな沈黙が流れた。心なしか……いや、明らかに冴さんは先程よりも小さくなっている。あんなに生き生きとしていた表情は、今は俯いていて窺うことができない。

「あ、あの、冴さん?」

「なんだい?」

返事はあるが目を合わせてくれないのは何故なのだろうか。

「いや、お茶のおかわりいるかなぁ…と思って」

「ああ、そうだね、お願いするよ」

名前を呼んだあとの言葉を何も考えていないのは失敗だった。しかし私は冴さんのコップが空になっているのを目ざとく発見すると、かろうじてそう続けた。冴さんはコップを差し出しながら返事をする。

私は冴さんからコップを受け取ると、自分のコップも持って台所へ消えた。二つのコップにティーバッグを投げ込みながら脳みそをフル回転させる。今のうちに何か話題を考えなければ。

なるべく時間をかけて紅茶を淹れると、私はゆっくりと店へ戻った。冴さんは先程と同じ姿勢でソファーに座っている。私はテーブルにコップを置くとソファーに腰掛けた。

「そういえば、」

「あのさ、」

再び、静寂。私と冴さんの声は見事に被った。私は座ったら話し始めようと思っていたのだが、おそらく彼女も同じことを考えていたのだろう。そんなに仲良くない人とこれをやると、気まずい。

しかしどちらかが声を出さないことには会話は始まらない。私は相手の口元を見ながら慎重に口を開いた。

「何かあった?私のはどうでもいい話だったから、先に話して?」

「いや、ボクの方がくだらない話だよ。雅美ちゃんが先に話すといい」

「いやいや、私のほんとにどうでもいい話だったからさ。冴さん先に話してよ」

「わかったよ。だが先に言っておくけれど、ボクの話は本当に価値のないものだからね」

私は更に先を促した。

「ボクはハンバーガーが好きなんだけど、雅美ちゃんは何が好き?あ、答えなくないんならもちろん答えなくてもいいんだけど、ほら、ボクなんかに好きな食べ物教えてもねぇ」

「いやいや、隠す理由もないから答えるよ。私はチーズケーキが好きかな。甘すぎるケーキは苦手なんだけど、チーズケーキはちょうどよくて」

「あ、そうなんだ、ははは……」

「うん、ね。えへへ……」

「…………」

「…………」

またしても訪れる沈黙。何か話を繋がなくては。私は先程仕掛けようとした話題で挑むことに決めた。冴さんに喋る様子がないのをしっかりと確認してから口を開く。

「そういえばさ、確か冴さんって今野洲高校に通ってるんだよね?」

この話題は台所でお茶を淹れている間に苦労して考えたものだ。冴さんが野洲高校に通っていることはにっしーに聞いて知っている。学校はネタの宝庫だ。冴さんに学校のことを喋らせて、彼女がネタ切れしたら私の学校の話を永遠すればいい。

「うん、そうだよ。本当は一年生からやるべきなんだろうけど、玲奈ちゃんと同じクラスになりたかったから」

「そうなんだ。じゃあ今二年生なんだね」

私は彼女が現在二年生であるということも、にっしーと同じ二年二組であることも知っていた。しかし、どうやら冴さんは私が知っていることを知らないようなので、あまり深く説明しないことにする。

「実は瀬川君も野洲高校なんだけどさ、校内で会ったことない?」

「そうなのかい!?全然気付かなかったよ。彼は何年生なんだ?」

「三年だよ。やっぱり学年違うと会わないのかな」

「ボクらのクラスは二階にあるし、三年生の教室がある三階にはほとんど上がらないからね。夏休み明けに全校集会があったけど、全然気付かなかったよ」

会話がノッてきたのか、冴さんはだんだん声を大きくした。顔も上がっている。

「冴さんって学校に行き始めてまだそんなに経ってないんだっけ。ならまだ会ったことないのも当たり前かもね」

「今度こっそり三年生の教室に行ってみるよ」

「瀬川君驚くだろうね。でも通ってるうちに廊下ですれ違ったりするんじゃない?移動教室とかで」

この話題を出したのは私だが、冴さんが本当に瀬川君の教室に押しかけたら彼は困るだろう。私は「わざわざ行かなくてもそのうち会えるよ」という意味を込めてそう言った。

「でも教室に現れた方がリッ君は驚くんじゃないかな!?」

「そ、そうだね……」

だから教室には行かないであげてほしいんだけど……。とは面と向かっては言えず、私は苦笑いを返した。

「そういえば、高校の授業はどう?にっしーでも入れたくらいだから、学校のレベル自体は高くなさそうだけど」

「正直言うと全くついていけてないよ。ボクは中学校もほとんど行ってなかったからね」

「そうだったんだ。じゃあ北野さんに勉強教えてもらってるの?」

「まぁね!現文と数学しか教えてくれないけど」

「じゃあさ、冴さんが数学わかったらにっしーに教えてあげてよ。あの子かなりおバカだからさ」

地雷を避けながら会話するのは大変だ。冴さんのテンションを上げるために北野さんの名前を出したが、間違って爆発されると困るのですぐに退場させる。にっしーには悪いが彼女を下に見ることによって冴さんをおだて上げた。まぁ、にっしーが馬鹿なのは事実ではあるが。

「テストとかってもうやった?前日にみんなでテスト勉強したりするの、楽しいよね」

「ついこの間終わったばかりだよ。西村が言うから近くのファミレスで勉強会したんだ」

「そうやってみんなでワイワイ勉強するのも、学生のうちしか味わえないことだよ。青春ってやつだね」

「青春かー。青春っていいね」

冴さんは「青春」という単語に目を輝かせた。だが彼女の過去を考えれば、青春を実感するのは初めてのことなのだのう。もしかしたら憧れであったかもしれない。

「そうだ、いつか冴さんに紹介したい人達がいるんだけど」

「誰だい?紹介したい人達って」

「何でも屋の人達だよ。私の知り合いと、冴さんも仲良くなってもらいたいなと思って」

冴さんは学校にも通っておらず、きっと今まで一人だっただろう。高校に通い始めて、メルキオール研究所で生活して、今は毎日が楽しいはずだ。そこにもっと友達を増やしてあげたい。外の世界を知って、もっと幸せになってもらいたい。そして、できることなら何でも屋を赦してもらいたい。

鳥山さんはああ見えて面倒みがいいからすぐに打ち解けることができるだろう。花音ちゃんとお兄さんにも紹介したい。この二人は店長関係でだいぶ心配していたから。蚊帳の外が辛い気持ちはよくわかる。

「何でも屋の人達かぁ……」

「みんないい人なんだ。アルバイトもいっぱいいてね、私達と同じ年くらいの子も多いの」

私は少しあたふたしながら言った。冴さんは呟くような言い方をしたので、やはり何でも屋に良い感情を持っていないのだと思ったのだ。だが、彼女ははにかみながらこう言った。

「雅美ちゃんの知り合いなら会ってみたいかな」

「ほんと!?一人はこの前の金髪の子でね、私が冴さんを助けたいって言ったときに協力してくれた子なんだ。まぁ私達が何も出来ないまま片付いちゃったけど……」

私は嬉しくなってグイグイ話した。すぐにハッとして気を落ち着かせる。勢い良くいきすぎると冴さんがびっくりしてしまうかもしれない。

「その子はなんて名前なんだい?」

「鳥山さんだよ。鳥山麗雷さん」

私がそう答えたところで、店の引き戸が勢い良く開いた。お客さんが来たんだと思い、私は反射的に立ち上がる。「いらっしゃいませ」と言いながら引き戸の方へ駆け寄ると、そこには意外な人物が立っていた。

「独尊君!どうしたの!?」

「あ、あんたが店に来ればいいのにっていったんだろ!」

「ああ……」

それで勇気を出してここに来てみたわけか。だが今日は店長がいない。残念だ。ここで私はあることに気が付き、独尊君を店の外に押しやって後ろ手で引き戸を閉める。

「な、何だよ!」

「ごめんごめん、実は今お客さんが来てて」

私は誤魔化すように無理矢理笑顔を作った。独尊君はその無理矢理感を怪しむどころか、現状を心配しだす。

「タイミング悪かったみたいだな……。その、なんならその客が帰るまで待ってるけど」

「大丈夫!大丈夫だよ瀬川君が暇そうにしてたから! 」

私はエプロンのポケットからスマートフォンを取り出すと、素早く瀬川君の番号を呼び出した。彼はすぐに通話に出た。

「あ、もしもし瀬川君?ちょっと知り合いが来ちゃってさ、サ……お客さんの相手お願いしていい?」

私はそれだけ言うと、瀬川君の返事も待たず通話を切った。独尊君の背中を押して店からどんどん離れる。

「ど、どこ行くんだよ」

「こんなところで立ち話もなんだから、そこのカフェ行こうよ!」

「俺達今まで立ち話しかしたことないだろ……」

「いいからいいから。今日ハロウィンだしケーキ奢るよ!」

「俺甘い物そんな得意じゃねぇんだけど。つーかいい加減離せ!自分で歩く!」

独尊君は私の手を振り払うと、道なりに歩き出した。カフェの場所は知らなくても、私の進行方向からどの辺りにあるかくらいはわかるだろう。



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