やさしい罰をください




十月三十一日、土曜日。時刻はいつもよりちょっと遅めの午前十一時三十分。私は何でも屋朱雀店の引き戸を開け放った。

「おはようございまーす」

目の前のカウンターは無人。店の奥に進むと、来客用のソファーに座っている店長が「おはよう」と挨拶を返した。普段ならここで店の裏の自室に荷物を置きに向かうところだが、今日はそのままソファーに腰掛けた。

「店長、これどうぞ」

私はサブバッグから取り出した包みを店長に差し出した。オレンジを基調とした袋にパープルのリボンでラッピングしてある。

「何これ?」

「何って今日ハロウィンですよ」

さっそくラッピングを解きにかかる店長。ちなみに中身はただのクッキーだ。なんの捻りもない型抜きクッキー。

「実は夜中それ作ってて今日寝坊しちゃったんですけど。あ、今日遅れてすみません」

「いいよどうせお客さん来ないし」

店長は私が作ったクッキーを眺めて、裏面を見て、もう一度表を見て、パクリと口に入れた。味も普通の一言に尽きるので、感想なんて言えないかもしれない。

「そういえば今日瀬川君来てないんですね。表に自転車なかったですけど」

「用事あるからちょっと遅れるんだって。昼頃来るって言ってたから、あと三十分もしたら来るんじゃない?」

「そうなんですか」

瀬川君の分のクッキーも作ってきたから渡そうと思ったのだが、まだ来ていないのなら仕方ない。私はちらっと壁の時計を見上げた。時刻は十一時三十七分。

「瀬川君の用事なんでしょうね。店長聞いてます?」

「家族会議だって。空ちゃんもこっちに戻ってきてると思うと寒気がするよね」

私は先月末の事件を思い出して、乾いた笑いを返した。

それにしても、家族会議とは。わざわざ仕事に遅れてまでするんだから、すごく大事な話なんだろうな。それとも、空さんの都合のつく時間が今日の朝しかなかったのかな?空さんと海ちゃんは普段滋賀県にいないから。

私は荷物を持って立ち上がった。部屋に行ってエプロンを取ってこよう。ついでに台所でお茶を淹れて。

部屋に荷物を置き、エプロンを身につけ、台所でお茶を淹れて店に戻る。店長にお茶を出し、私はカウンターに座った。

カウンターでお茶を一口の飲み、サブバッグを引き寄せる。バッグの中身を確認すると、ラッピングされたクッキーが三つ入っていた。

三つのうち一つは瀬川君のだ。ここに置いておけば、彼が出勤してきた時に渡せる。二つ目はにっしーのだ。彼女のバイトの終了時刻は九時。私のも九時。バイトの後適当な場所で落ち合ってお菓子を交換する予定だ。三つ目は予備だ。今年のバレンタインでは、朱雀店に向かう深夜さんと出くわしてにっしーの分のチョコを渡してしまった。もし予定にない知り合いに会った場合のために一つ余分に持ってきたのだ。

サブバッグの中身がちゃんと揃っているのを確認して、私はそれを脇に寄せる。立ち上がって本棚から適当なファイルを一冊取り、またカウンターに座った。来るかどうかもわからないお客さんを待ちながら、今日もファイル整理だ。

二十分程経っただろうか。文章がなかなかまとまらなくて紙の上にペン先をトントンと打ち付けていると、目の前の引き戸が勢い良く開いた。瀬川君が出勤してきたのかと思って顔を上げる。

「あ、おはよ……」

「ハッピーハロウィーーン!アーンド、トリックオアトリーーィト!お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞぉっ!」

空気が凍りついたのがわかった。私は何も言えなかった。魔女のコスプレ衣装でバッチリ決めている冴さんは、青くなった顔を一瞬で真っ赤にして、そっと私から目を逸らした。

「……あ、お、お菓子、お菓子ね。こんなものしかないけど……いる?」

私は慌ててサブバッグからクッキーを取り出して、そっと冴さんに差し出した。

「……ありがとう」

冴さんは真っ赤な顔で俯向いたまま私手からクッキーを受け取った。二人の間を妙な沈黙が流れる。

ここでようやく店の奥から店長が様子を見に来た。店長は冴さんの格好を上から下まで眺めて、怪訝そうな顔をする。

「なにやってんのお前」

「だだだだだ、だってくぁwせdrftgyふじこlp;」

「ごめんよく聞き取れない」

「まさか他に人がいるなんて思わなかったんだよぉ!」

「そりゃいるでしょ。今日土曜日だよ?」

冴さんはますます赤くなった顔を両手で覆った。私は横から「私気にしてないよ?」と声をかけたが、傷に塩を塗っただけだったようだ。

数分後、すっかり落ち着いた冴さんに紅茶を出す。冴さんは尖った魔女の帽子をソファーの端に置いて、私があげたクッキーを開封し始めた。そんなところに帽子を置いて、間違ってお尻で潰してしまわないかと心配しながら、私は向かいのソファーに腰掛けた。

「そういえばちゃんと紹介してなかったよね。冴ちゃんだよ」

「あ、私は荒木雅美です。改めてよろしくね」

店長に冴さんを紹介されたので、私も自己紹介をする。冴さんはクッキーを食べる手を休めて、私に「よろしく」と言った。

「このクッキーすごく美味しいね」

「そうかな?ありがとう」

クッキーを余分に持ってきておいてよかった。こうして冴さんと仲良くなるきっかけになった。

「そういえば冴ちゃんさ、まさかその格好でここまで来たの?」

「そうだよ。何か文句あるのかい?」

「いや、恥ずかしい奴だなぁと思って」

「何言ってるんだよ蓮太郎君。だってハロウィンだぜ?仮装をする以外の選択肢があるかい?」

冴さんは店長に指を突きつけると、「なんで君は普段と同じ格好をしているんだ!?」と叫んだ。店長は「誰がそんな恥ずかしい格好するんだよ」と一蹴する。なんだか私、冴さんの性格を取り違えていたような気がする。

「そうだ蓮太郎君。トリックオアトリートだぜ?君も何かお菓子をくれよ」

冴さんは満面の笑みで右手を突き出した。

「お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうからな」

「できるもんならしてみろよ」

「ぐ、圧力には負けないぞ。すでにあのアパートを売り払った今、君に媚びる必要はない!」

「そっかー、残念だなぁ……生活費」

冴さんは素早く右手を膝の上に戻すと、引きつった笑みで私に向き直った。

「そういえば、雅美ちゃんは玲那ちゃんと知り合いなんだってね。ボクも少し君のことを聞いているよ」

「あ、ああ、うん。冴さんは北野さんと仲良いんだってね」

「マブダチだぜ。カップルと言っても過言ではないよ」

「そっか、よかったね。北野さんって意外と優しいとこあるよね」

よかった、冴さんとまともに話すのはこれが初めてだが、そんなにギクシャクしてない。と思っていたのだが。

北野さんという共通の知り合いの話題になり、私がにこやかにそう返事をすると、彼女は途端に険しい顔になって私に右手の平を突きつけた。突然の変わりように私はギョッとする。

「悪いけど、玲那ちゃんのこと知ったように言わないでくれないかな。玲那ちゃんの一番の友人はボクだからさ」

「え?あ、うん、ごめん……」

地雷だったか……。冴さんの前では北野さんの話はしない方がいいか?なんか、北野さんのことを褒めても貶しても怒られそうな気がする。

「あ、玲那ちゃんと言えばさ」

今まで黙って私達の話を聞いていた店長は、思い出したかのように口を開いた。

「あの子意外に優しいとこあったりするよね」

したり顔で冴さんを見下ろす店長。冴さんは眉を吊り上げて応戦した。

「今蓮太郎君と喋ってないからさ、話に入らないでくれるかな」

「文句があるなら出てけば?目の前で話してなきゃわざわざ間に入ったりしないよ」

「ああいいとも、出てってやるよ。ボクがいなくて寂しがったりすんなよ」

「誰がするかよ金食い虫め」

「いつか返すって言ってるだろ!」

「そのいつかより寿命が来る方が早そうだけどね」

「若い才能をナメちゃいけないぜ!今に君をぎゃふんと言わす発明をしてやるからな!」

冴さんが立ち上がって店長を見下ろしたところで、店の引き戸がガラガラと開いた。お客さんだと思って立ち上がるが、すぐに瀬川君だろうと思い直す。私がソファーに腰を下ろしたのと同時に、カウンターの真後ろの壁から瀬川君が現れた。

「おはよう瀬川君」

「おはよう」

瀬川君は私に挨拶を返して、視線を横にスライドさせ、店長に目を留めた。正確に言うと、店長の陰で小さくなっている冴さんに目を留めたのだが。

「あ、リッ君にも一応紹介しとくね。これ冴ちゃん」

店長は冴さんの首根っこを掴むと、無理矢理瀬川君の前に引きずり出した。冴さんは瀬川君の興味がなさそうな視線を受け止めると、しどろもどろになりながら言った。

「あ、あのさ、この前は悪かったね。その、大怪我させちゃってさ。ほんとはすぐに謝りに来る気だったんだけど……いやほんとに」

そこまで言うと、ちらっと瀬川君の様子を伺う。瀬川君の表情は先程と何一つ変わっていなかった。

「いいよ別に。僕も思い切りぶん投げたし」

「そ、そうかい?いや、悪いね。ははははは……」

冴さんは顔に強張った笑みを貼り付けながら、少しずつ右に移動した。瀬川君の視界から消えようとしているのだろう。私は瀬川君が自分の部屋へ行ってしまわないうちに声をかけた。

「瀬川君、これ。クッキー焼いてきたからよかったら食べて」

例のオレンジとパープルの包みを差し出すと、瀬川君は素直に受け取った。

「ほら、今日ハロウィンだからさ」

そう補足すると、瀬川君は納得したように「ああ」と呟いて冴さんの方を振り返った。

「だから魔女」

「そうだよ!他にどんな理由があるんだい!?」

「いや、変な格好してるなぁと思って」

店長に隠れたまま物申していた冴さんは、完全にその陰に姿を消した。瀬川君は自分の手の中のクッキーを見て私にお礼を言うと、さっさと自分の部屋へ去っていった。冴さんがひょっこり顔を出してソファーに戻る。

「瀬川君怒ってなくてよかったね」

「これそんなに変なのか……?」

冴さんは真っ黒のマントを広げて自分の格好を見下ろした。そして視線で私に意見を求める。

「ハロウィン的に見れば何もおかしくないんじゃないかな……?」

私の答えに満足したようで、彼女はマントをバサッと翻してみせた。その際舞った埃に眉を寄せる店長に私は声をかける。

「でも、瀬川君全然怒ってませんでしたね。入院するほどだったのに」

「怪我したことあんまり気にしてないらしいよ。それより仕事できなかったことの方が重大らしい」

「瀬川君らしいと言えばらしいですけど……。でも親とか心配するでしょうに」

「リッ君のところ出張多いからさ。運良くバレなかったんじゃない?」

私はその答えになるほどと頷いた。だから瀬川君は毎日あんなに夜遅くまで仕事をしていても怒られないのか。瀬川君が家に帰る時間って、たぶん高校生は深夜徘徊に当たると思う。きっと親御さん自身も帰宅が遅くて、息子が何時に家に帰っているかを知らないのだ。

私がいろいろ合点させていると、店の裏に通じる入り口を振り返りながら冴さんが言った。

「しかし、雅美ちゃんが言ったとおりだよ。次に顔を合わせた時は間違いなくボコられると思ってたぜ」

「大丈夫だよ。リッ君言葉に棘は仕込むけど暴力には訴えないから」

「そうか、安心したよ。ボクはリッ君とも仲良くなれそうな気がする」

冴さんは満面の笑みでそう言った。待って、「リッ君とも」ってことは、私とも仲良くなったつもりでいたの?私ってもう仲良し認定されてたの?

「そういえば冴ちゃん、いつまでここにいるの?」

「何だよ、ボクがいたら邪魔かい?安心しな、夕方には帰るからさ」

「いや、いてもいいんだけど、僕もう少ししたら出かけるから」

「どこに行くって言うんだよ。ボクを置いていくのか?」

店長は冴さんの言葉には答えずに、私を見て言った。

「雅美ちゃんがいいなら冴ちゃん追い出さないけど」

「私は大丈夫ですよ。冴さんが嫌じゃなければ」

例え嫌でも本人の前で言えるものか。だが、冴さんと二人きりになって会話が続くだろうか。心配だ。

「店長何時に出てくんですか」

「あと十分したら。何かあったらリッ君に丸投げすればいいから」

「はぁ……。まぁそうさせてもらいますけど」

一体どこに何をしに行くのだろう。冴さんのさっきの質問に答えなかったということは、私が聞いても教えてくれないだろうから聞かないが。




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