融解、そして凍結2
「何で着いてくるんですか。さっさとスマホ返して本部に帰ってくださいよ」
「ボクも南鳥駅に用があんねん。行き先同じなんやから一緒に行ったらええやん」
私はため息をつきながら、ICカードをかばんにしまった。まぁまだスマホも返してもらってないし、仕方ないから一緒に電車に乗ろう。
今度はホームに降りてからしばらく待った。五分ほどで電車が来たので乗り込む。車内はそんなに混んでいなかった。空いている席がすぐに見つかる。来る時は神原さんが私に窓側を勧めたが、今回はこだわらないらしく、先に乗り込んで彼が窓際に座った。
「神原さん、南鳥駅に何しに行くんですか?」
「何しに行く思う?」
「別に気にならないんで教えてくれないんならそれでいいです」
電車が進み出した。長い間知らない場所にいたせいで気を張っていたのか、こうして見慣れた車内のイスにもたれると、どっと疲れた気がする。
「なぁ雅美ちゃん、本部来る気にならはった?」
「ああそういえばそんな話してましたね。なってないですよ」
「こんなに気張って案内したんに?」
「神原さん全然案内してくれなかったじゃないですか。日比谷さんと神原さん探してる時の方がよっぽど楽しかったですよ」
「したやん色々。ボクこんなに一生懸命やったんに、雅美ちゃん酷いわぁ……」
「疲れてるんで静かにしててください。あとスマホ返してください」
「スマホは駅着いたら返すわ。駅に着くまでが本部見学やからな」
「はいはいわかりましたよもう」
私は少し俯いて目を閉じた。疲れたから南鳥駅に着くまでうとうとしよう。この距離なら熟睡するということはないだろう。
「なぁ雅美ちゃん、あれ見てみぃ」
「なんですかもう」
仕方がないので顔を上げる。神原さんは窓の外を指差していた。私もそちらを見てみるが、特に何もない。
「何もないじゃないですか」
「もう流れてもうたわ」
「くだらないことで起こさないでくださいよ」
私は再び俯き、目を閉じる。するとすぐにまた神原さんが声をかけてきた。
「雅美ちゃん。なぁ、雅美ちゃん」
しかし今度はそれを無視する。どうせしょうもないことで呼んでいるに決まってる。
私が無視を決め込んでいると、神原さんは私の肩を揺らし始めた。
「なぁ雅美ちゃん、寝とんの?なぁて」
「ああもううるさいですね。何ですか!?」
「雅美ちゃん寝てもうたらボク暇やし」
「知りませんよそんなことは!」
また寝たとしても、おそらく神原さんは私を起こしにかかるだろう。私は仕方なく姿勢を正して座り直した。
「で、どうしたんですか?」
「別にどうもしてへんで。話し相手おらんと暇やねん」
「そんなことで起こさないでくださいよ。なんで私が神原さんなんかの話し相手にならなくちゃいけないんですか」
「せやかて今雅美ちゃんしかおらへんやん」
「日比谷さんにでも電話したらどうですか」
「電車内での携帯電話のご使用はお控えせなあかんのやで」
私はため息混じりの息を吐いた。仕方ないから何か話題を提供してあげよう。ああ、私って何て心が広いの。
「神原さんは休みの日って何して過ごしてるんですか?」
「一日寝とるで。あとは日向ぼっこしとるわ」
「一日中ダラダラしてるんですか?どっか出掛けたりとかは?」
「晴れてる日は散歩してんで」
「そうじゃなくて、ショッピングしたりとか、映画観に行ったりとかは……。あ、神原さんって彼女とかいないんですか?」
「おったら今こんな所に雅美ちゃんなんかと居らへんやろな」
「寂しい人ですね」
「恋人のいるいいひんが全てじゃないんよ」
「そりゃそうですが、何か神原さんに言われるとイラッとしますね」
まぁ恋人がいないのは私も同じ。自分で振ったのだがこの話題はもうやめておこう。墓穴を掘る可能性がある。
「神原さんも何か一つくらい話題出してくださいよ。なんで私ばっかりこんなに話してるんですか」
「ほな、雅美ちゃんそろそろ本部来る気にならはった?」
「その話はもういいですよなりませんから」
「何でそないに朱雀店がええん?本部の方が人もぎょうさんおっておもろいで」
「いいんですよ。人なんて少なくても」
神原さんはフッと短いため息を吐いて、窓枠に頬杖をついた。
「何でそないに朱雀店がええんか雅美ちゃんもリッ君もようわからんわ」
私には神原さんの考えていることはよくわからないし、その言葉が本心かどうかなんて検討もつかないが、何となく今の言葉は彼の本音のような気がした。
「神原さんは前は白虎店にいたんですよね?その時、白虎を離れたくなくなったりはしませんでしたか?」
「白虎店はつまらんかったで」
「じゃあ、本部を離れるってなったら、やっぱり寂しいと思いません?」
「どやろなぁ。別に思わへんのとちゃう?」
今度は私がため息をつく番だった。私のため息に反応して神原さんがこちらを振り返る。
「何となくその場所が好きだから離れたくない気持ちってわかりません?居心地がいいからそこに居たいんですよ」
「雅美ちゃんにとって朱雀店は居心地ええの?」
「そうですよ」
「せや言うてもいつかは朱雀店を出なあかん時が来るやん。そん時はどないすんの」
「その時がきたらその時考えます。でも今はまだその時じゃありませんから」
本部への誘いはこれできっぱりと断ったつもりだった。私に朱雀店を離れる気はない。
神原さんがしばらく黙っていたのでこの話はもう終わりかと思ったが、二、三分して彼はまた口を開いた。
「なぁ雅美ちゃん、もし店長はんが朱雀店の店長辞める言うても、雅美ちゃんは朱雀店に残るん?」
「それは……どうでしょう。店の雰囲気がガラッと変わってしまうなら、できれば店長に着いていきたいですけど」
それからこう付け足す。
「でも瀬川君がいるなら店自体はそんなに変わらないのかもしれませんね。店長とも今生の別れってわけでもないでしょうし」
「リッ君は店長はんに着いて行くんとちゃう?」
「どうしてそう思うんですか?」
「前にリッ君に本部来んかて言うたことあるけど、僕はあの人以外に着いていくつもりはありませんて言われてもうたもん」
「そうなんですか……」
瀬川君がそんなことを。まぁ瀬川君は朱雀店に務めて長いし、それだけ店長といる時間も長かったんだから、離れがたい気持ちはわかる。でも、瀬川君って店長のことちゃんと上司として尊敬してたんだなぁ。
電車がちょうど南鳥駅についた。この駅で降りる数人が立ち上がって、ドアの向こうに吸い込まれてゆく。私はぼーっとしてしまっていたが、気を持ち直すと、他の人々より一歩遅れて車両を出た。神原さんもそれに着いてくる。
改札を出るでは出ていく人と入ってくる人で込み合っていて、私も神原さんも無言だった。駅から出る階段辺りまで来ると、人が分散されてようやく声が通るようになる。
「神原さん、さっきの話の続きですけど」
私は斜め後ろに神原さんがちゃんといることを確認してから声をかけた。
「その瀬川君の言葉、私も同じにしといてくれませんか?」
「店長はん以外にはついていく気ないてやつ?」
「そうです。私も他の人に従う気はないので、本部には行けません。納得してくれましたか?」
神原さんは数秒黙っていたが、また狐みたいな顔で笑うと「そら納得するしかあらへんな」と言った。
これで納得してもらえたのだとしたら、もう神原さんは来ないかもしれないなと思った。別に来てほしくないわけではない。ただ本部への勧誘にうんざりしていただけなのだ。でも、勧誘という目的がなくなった今、神原さんは私のところに遊びに来たりはしないだろう。
鬱陶しい人だけど、来ないなら来ないで寂しくなる……気がする。いや、滅多に顔を合わさないくらいがちょうどいいのかな。最後までよくわからない人だった。
階段を降りきって駅の外に出る。バス停では疲れた顔の人々がバスに乗り込んでいて、タクシーの運転手は皆暇そうに人の流れを眺めている。
神原さんは懐からスマホを取り出すと私に差し出した。オレンジ色のカバーがかかった、正真正銘私のスマートフォンだ。
「なぁ雅美ちゃん、最後に一つええ?」
「何ですか?」
私ははそのスマホを受け取ると、そのまま肩にかけている鞄の中にしまった。
「雅美ちゃんは箱に入っとる猫は生きとると思う?それとも死んどると思う?」
唐突に何を言い出すんだろうと思ったが、この人が何を考えているかわかったことなんてなかったな。私も深く考えずに答えよう。
「シュレディンガーの猫ってやつですよね?なら箱を開けないとわからないんじゃ……」
「いや、猫は死んどるで」
「なんでですか?」
きっぱりと言い切る神原さんに、私は首を傾げる。神原さんは軽く微笑んだ。
「せやかて鳴き声がせぇへんのはおかしいやろ?猫だって箱から出たいはずやねんから」
「それは、そうですけど……。でも猫が生きてる世界も死んでる世界もあるって話なんじゃ」
「何考えたって世界は一つやで。猫は死んだし、死んだ時点で生きとる世界も消えてん。箱なんて開けんでももう一つの可能性なんてはじめからあらへんねん」
私が釈然としていないのが伝わったのか、神原さんは今度はカラカラと声を出して笑って、「まぁ考え方は人それぞれや」と言った。そりゃそうだけど、うーん、やっぱりスッキリしない。だって猫は生きてる未来もあるって考えた方が希望があるじゃん。
「ほなボクはこれで。また本部に来はったら声かけてな」
神原さんはそれだけ言うと、あっさりと去っていった。彼が歩いて行った方向は朱雀店とは真逆だ。私にその背中を追う理由はない。
だんだん小さくなってゆく揺れる着流しを眺めながら、なんだかちょっと寂しいなと思った。
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