生傷まみれの世迷い事2




「とりあえず一番上から見よか」

「一番上って何があるんですか?」

「社長室やな。関係者以外立ち入り禁止や」

「え!?私入ってもいいんですか!?」

「あかんに決まっとるやん。ボクかて入ったあかんのに」

神原さんは近くのエレベーターのボタンを押した。しばらく待つとエレベーターが降りてきて、私達はそれに乗り込んだ。神原さんは三十三階のボタンを押す。

「あれ?最上階は四十階じゃないんですか?」

ボタンは四十階まであるのに神原さんは三十三階のボタンを押したので、私は思わず尋ねた。確か一番上の階に行くと言っていたはずだ。

「あぁ、上の階は全部住居になっとんねん。相楽家の皆さんの」

「みんなここに住んでるんですか?」

「たいがいはな」

「へー、仕事行くとき近くて便利ですね」

ということは、店長やお兄さんも昔はここで生活していたのかな。でも同じ建物に親族全員住んでるのって、ちょっと面倒臭いかも。

エレベーターが三十三階に到着し、扉が両側に開いた。と思ったら神原さんがエレベーターの隅に私を押し付けて閉めるボタンを連打し始めた。

「あっ、神原、お前こんなところに何しに……」

「すんません間違えました」

相手の言葉も聞き終わらないうちに神原さんはにこやかに答えた。だが閉めるボタンを連打している人差し指で焦っているのがわかる。閉まるエレベーターの扉の隙間から、扉の前にいたであろう男性の「ちょっと待て!私も乗るんだよ!」という声が聞こえてきた。扉が完全に閉まると、神原さんは素早く二十五階のボタンを押した。

「いやぁ、まさかあの人がこんな所にいるとは思わんたわ。今日は出張て聞いてたんやけどなぁ」

エレベーターが下降を始めると、神原さんは額の汗を拭う動きを交えてそう言った。私は死角から出て服のシワを伸ばす。

「あの人誰なんですか?」

「社長の秘書さんや。あの人に見つかるとボクの将来が危険やねん……」

顔は見ていないが、声を聞く限り二十代……多めに見積っても三十五歳より下だろうが、まだ若いのに重大な仕事を任されているんだなぁ。せっかくだから顔も拝見しておきたかったが、あそこで死角から出ると私の数時間後の将来も危ない。

「堪忍な雅美ちゃん。二十五階からでもええ?」

「もともと社長室に入れると思ってなかったんで」

エレベーターは二十五階に到着し、扉が左右に開いた。そこにはエレベーター前特有の小さなスペースが空いていて、ニ、三人の男女がエレベーターが来るのを待っていた。

「あ、神原。日比谷さんが探してたぞ」

「さいですか。また連絡しときます」

エレベーター待ちをしていた一人の男性が、神原さんに一声かけると他の数人と一緒にエレベーターに乗り込んでいった。この人達は神原さんの後ろに私がくっついていることに触れなかった。神原さんも今度は隠す素振りもないし、どうやらこの人達には見つかってもいいらしい。

「とりあえず情報管理室行こか」

「えっ!そんな部屋入っちゃってもいいんですか!?」

「みんなパソコンいじってるだけでおもろないで?」

「面白くない場所にわざわざ連れて行かないでくださいよ」

そう言いつつもついて行くと、神原さんは一つのドアを開いた。プレートを見上げると、【情報管理室C】と書かれている。神原さんの脇から部屋の中を覗くと、何人かがこちらを振り返っていた。一番近くに座っていた女性が口を開く。

「どうしたの?茶菓子ならないわよ」

「ちゃうやん。今日はこの子に本部ん中案内したってんねん」

「へー、何したのこの子?そんな悪い子には見えないけど」

「違法薬物で逮捕されること五十回や」

「ち、違いますよ!」

神原さんの大法螺に、私はつい前に出てその言葉を否定した。人を勝手に犯罪者にしないでほしい。

「ごめんごめん。神原と一緒にいるからさ、こいつと同じ事情かと思って」

そう言って女性は笑ったが、私はその言葉によくわからない部分があった。詳しく聞こうと思ったが、直後神原さんが口を開いたのでそれは叶わなかった。

「今日は何してるん?何か見せれるもんある?」

「うーん、ちょっと待っててねー」

そう言ってパソコンに向き直ると、女性はキーボードを叩き始めた。画面が次々に切り替わる。女性はすぐに作業をやめ、また半分だけイスを回転させてこちらを向いた。

「ほい、サクラ食品のメインコンピューターに侵入成功。売上金が報告とちゃんと合ってるか確認する依頼なんだよ」

「す、すごいですね……。何やってるか全然わかんなかったです」

というか、それって普通にクラッキング……。まぁ、今さら何が出てきても驚きはしないけど。

「神原さんもこういうことできるんですか?」

「ボク?でけへんでけへん。何でボクができなあかんの」

「だったら神原さんは一体何ができるんですか……」

私は疑いの眼差しを向けるが、彼はただ笑っただけだった。代わりに女性がパソコンを見たまま答える。

「そいつはなーんもできないのよ。ふらふらするのが仕事なの」

神原さんは笑ったまま「よくわかってはるなぁ星野さんは」と言った。私はつい「うちの店長みたいな仕事ですね」と言いそうになったが、すんでのところで飲み込んだ。危ない、そんなこと言ったら私が朱雀店の人間だとバレてしまう。朱雀店はアルバイトしか雇っていないのだ。

その時、背後のドアが突然開いた。二十代くらいの男性が入って来て、目の前の神原さんに「あっ」という顔を向けた。

「神原、日比谷がお前のこと探してたぞ」

「さいですか。また連絡しときますわ」

「早く行ってやらないとまたケツから血噴くぞあの人」

男性はそれだけ言うと、ファイルの束を脇に抱え直して部屋の奥へ去った。神原さんはもう完全に仕事に戻った女性の背中に向き直る。

「ほなボクは行くわ。次は煎餅用意しといてや」

「食いたきゃ自分で買ってこーい」

女性はパソコン画面を見たままひらひらと片手を振った。部屋を出るなり、神原さんは私に尋ねる。

「ほな、次はどこ行きたい?まぁ本部のメインはここなんやけどなぁ」

「そんなことより、日比谷さんって人に連絡しなくていいんですか?神原さんのこと探し回ってるらしいじゃないですか」

「ええねんええねん、あの人ボクに雑用押し付けたいだけやさかい」

「雑用だって立派な仕事ですよ……」

顔の前でぱたぱたと手を振る神原さんに、私は呆れ顔を返した。

「次どこ行く?会議室とか無駄にぎょうさんあんで。それとも顧客情報見せよか?」

「顧客情報はダメなんじゃ……。それより、ちょっとお腹空いてきちゃったんですけど……。今日寝坊して朝ごはん食べてきてないんで」

「食堂あんで」

「それ私でも食べれるんですか?」

「普通は社員証をかざして買うんやけど、来客用に券売機もあんねん。券買うて食堂のおばちゃんに渡したらええわ」

なるほど、何も特別なことなどない、ごくごく普通の一般的な方法だ。私の身元が疑われる心配もなさそうだし、私は食堂に行くよう神原さんにお願いした。

エレベーターで一気に一階まで降りる。エレベーターから出た所は、先日花音ちゃんと来た時のロビーではなく、目の前に真っ直ぐ廊下が延びている場所だった。どうやら建物の裏側、ロビーと正反対の位置らしい。

少し廊下を進むとガラス製のドアがついている明るい部屋についた。ここが本部の食堂のようだ。お昼時だから人でごった返しているかと思ったらそうでもない。全ての長机に三人ずつ座っている程度だ。

「意外に人少ないんですね」

「弁当作ってきたりコンビニで買うてくる人もいはるし……なにより、みんないろんな時間に仕事してはるから食事もいろんな時間やねん」

「そういうものですか」

私は適当な返事をしながら、券売機を眺めた。親子丼、ハンバーグ定食、ラーメン、和食洋食中華一通り揃っている。私は五百円玉を入れてハンバーグ定食のボタンを押した。百二十円返ってくる。値段も安い。

「神原さんは食べないんですか?」

「ボクはええわ。ちゃんと朝食べてきたさかい」

神原さんに説明された通り、厨房のおばちゃんに食券を差し出す。お皿を拭いていたおばちゃんは笑顔で券を受け取ると調理を開始した。

ハンバーグは冷凍かと思いきや、ちゃんと手作りだった。簡単に説明すると、三分クッキングの「一時間置いた状態のものをここにご用意しております」方式だ。あらかじめ作って成形しておいた生地をフライパンで焼くだけ。あっという間にふっくらジューシーなハンバーグが出てきた。

いつの間にか隣に神原さんがいなくて、仕方なく私は一人で近くのテーブルに座った。店長といい、ちょっと目を離すとどっか行くんだから。一人で「いただきます」をし、熱々のハンバーグを頬張る。すると湯呑みを持った神原さんが隣に座った。

「見てみ雅美ちゃん、茶柱が立ったで」

「ああそうですか。勝手にいなくならないでくださいよ」

「そこのポット使こてただけやん」

ハンバーグの付け合せのマッシュポテトも美味しかった。私は黙々と箸を進めた。神原さんも黙って緑茶を飲んでいる。お互いに一言も喋らず、静かすぎる空気が逆に不気味だった。

「ちょっと神原さん、何か喋ってくださいよ」

お腹がいっぱいになってきて完食までもう少しという所で、左隣の神原さんを見上げた。神原さんの前髪、やっぱり鬱陶しいな。

「あんな雅美ちゃん」

「何ですか?」

「ちょい待っててくれへん?ボク便所行きたいわ」

「え!?ちょっと待ってくださいよ!私は置いていくんですか!?」

神原さんはイスから立ち上がると私を見下ろした。

「雅美ちゃんもついて来るん?」

「行きませんよ何言ってるんですか!」

「どもないどもない、雅美ちゃんがそれ食べてまう前に戻って来るさかい」

神原さんはそう言うとさっさと食堂を出ていってしまった。思わず立ち上がってしまった私は、周りの視線に気付いて萎むようにイスに座った。

なんて勝手な人なんだ。知らない場所に一人だと途端に不安になる。しかしトイレについて行くのはどうなのか……。私はすでに冷めてしまったハンバーグに箸をぶっ刺すと、心の中で思い切り神原さんの愚痴を叫んだ。



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