迷子の子猫の探し方4
さて。店までいつもの道をテクテク歩いてきたわけだが。私は店の引き戸に手をかけて「店長いませんように」と願った。意を決してガラガラと横に滑らせる。
「……あ、店長、おはようございます……」
「おはよう雅美ちゃん。今日は雅美ちゃんに言ってやりたいことがあるんだけど」
「あははははは、何でしょうか……」
引き戸を開くとカウンターのイスに座っていた店長がニッコリと笑いながらそう言った。反対に私の笑顔は引きつっている。
「何で最初に教えてくれなかったの?」
「いやー、タイミングを逃したら言いにくかったというか……」
「ふーん、それで雅美ちゃんは陰で僕のことを笑い者にしていたわけだ」
「してませんしてません」
「昨日笑ってたじゃん」
「き、気のせいですよ」
必死に作り笑いで応戦するが、店長は恨みがましいジロッとした目を向け続けていた。
「で、でも、言わなかったのは私だけじゃなくて瀬川君もじゃないですか?」
「リッ君は昨日散々問い詰めました。更に罰としてここ最近で一番面倒臭い仕事を科したので今日はいないし帰ってこれません」
ひえぇ~、ごめん瀬川君。でも瀬川君だって言わなかったんだから、罪の重さはフィフティーフィフティー。
「さて雅美ちゃん。今日は雅美ちゃんにも仕事があります。嬉しいね雅美ちゃん」
「えへへ、どんな仕事でしょうかね〜キツいのは私ちょっと嫌だったり……」
「五丁目に笹塚っておじいさんが独り暮らししてる家があるんだけど、そこ掃除してきて。六時に役所の人が来るからそれまでに」
「えっ?役所?えっ!?」
「掃除用具そこにあるから。あ、車使う?」
「ひ、一人でですか……」
「誰か友達誘う?」
「いえ何でもないですすみません」
店長がカウンターから出てソファーの方へ歩いていった。私もそれについて行って、そこでようやく店の奥が見渡せる。何度も言うが、カウンターの後ろに壁があるので引き戸を入ってすぐの場所からでは店の奥は見えないのだ。そして現在そこには、大量のゴミ袋と雑巾、トングや軍手などの様々な掃除用具が無造作に置かれていた。中には掃除機などもある。いったい笹塚さんの家というのはどういう状態なのだろうか……。
店長はソファーには座らずにそのまま店の裏へ向かった。私はとりあえず部屋に荷物を置きに行かなければならないので、仕方なくそれについて行く。
「あのー……店長ー……?」
「何?」
店の裏への短い廊下を通る間に店長に声をかけるが、彼は振り返らずにそう短く返しただけだった。
「やっぱり私一人で行かなきゃだめですか?」
「雅美ちゃん掃除好きでしょ」
「でもさすがに私一人じゃキツいと思うんですよね~」
「僕は行かないから」
役所が見に来るレベルの家って、たぶんいわゆる「ごみ屋敷」ってやつだと思うんだよね。それを私一人で片付けるって……。何とか店長を説得しようと試みるも、どうやらあまり機嫌がよろしくないらしい。
「店長すごく似合ってましたよ」
「あ?」
店長はようやく振り返ったが、私は逃げるように廊下を左に曲がった。そのまま自分の部屋へ飛び込む。もー、ちょっとー、ガチ怒りじゃないですかー。いいじゃん似合ってたんだから。というか、そもそもの原因は空さんなんだから私に怒らないで~。
部屋に荷物を置き、いつもの腰下のエプロンではなく、胸から覆える一般的な形のエプロンを取り出す。さらに、汚れてもいいようにジャージに着替えた。
店内にあった掃除用具をわっせわっせと店長の車に運び入れ、自分で運転して五丁目の笹塚さん宅へ向かう。生活の中でほとんど車の運転をしない私は、店長の車に傷をつけないように細心の注意を払って住宅街の細い道を抜けた。
以前にも何度かごみ屋敷の掃除の仕事をしたが、この笹塚さん宅は今までで一番マシな汚さだった。というか、家自体がそんなに広くない。家の中はもちろん、公道ギリギリまでゴミが溢れ返っているが、この大きさの家なら本気を出せば一日で片が付くだろう。
この家に独り暮らしの笹塚さんは、近所の住民の通報で何度か市役所の人に注意を受けているらしい。しかしゴミを片付ける意思を全く見せないとのことだ。そして今日の六時に市役所の人が調査に来て、片付いていないと判断されたらこの土地を追い出されてしまうらしい。時計を見ると現在午前十一時三十分。間にあうだろうか。
家の玄関……と思われる場所でゴミ山の隙間からインターホンを探し出しボタンを押す。すると家の中にぎっしり詰まったゴミ袋の間を掘り進めるようにして、小柄なおじいさんが出てきた。この人が依頼人の笹塚さんだ。私が名乗ると笹塚さんは「勝手に進めてくれ」とだけ言い、さっさと部屋の奥へ姿を消した。その態度に私は憤りを感じたが、これは仕事だと必死に自分を宥めた。
このままでは家の中にさえ入れないので、とりあえず玄関周りのゴミから片付けていくことにする。見た目はごみ屋敷だが、ゴミはきちんとゴミ袋に入れてあるので助かった。とくに食べ物関係は汚いので手袋をしていても触りたくない。ゴミ袋に入れておいてくれれば、劣化した袋が破れないように上から新しい袋を被せて、袋に笹塚さんの名前を書いて終わりだ。
笹塚さんの「何のろのろしてんだ!」とか「若いんだからもっとキビキビ動け!」などの罵声を浴びながら、家の中のゴミをどんどん運び出してゆく。ちなみに私が汗だくで動き回っている間、笹塚さんはソファーに寛いで私に怒鳴り散らしていた。正直殺意が湧いたが、きっとここはスルースキル検定所なのだと思って込み上げてくる怒りを懸命に抑えた。
部屋中のゴミ袋を全て出し終わると、もう夕方の四時だった。部屋にはテレビやソファー、タンスなどの最低限の家具だけが残った。この地域のゴミステーションは十五メートル程の距離と、すぐ側にある。しかし大きなゴミ袋を抱えて何往復もするのはさすがに腰が痛くなった。笹塚さんの家はたった十畳程しかないが、あとニ時間と十数分で細かいゴミ集めと拭き掃除に台所とトイレの掃除……間に合うだろうか。
兎にも角にも、まずは玄関前に山盛りのこの燃えるゴミの袋だ。この地域のゴミステーションは百五十メートル程先の角にある。こんな数のゴミ袋をゴミステーションに入れてもいいのかはわからないが、他にどうしようもない。
私は両手にゴミ袋を引っ掴むと、勢い良く歩き出した。いくら近いといえども、全て捨てるのに何往復もしなければならないのだ。キビキビ動かなければ時間が足りなくなる。
三往復目のゴミ袋を両手に掴んだとき、背後から声をかけられた。少し低めの男性の声に振り返る。声優さんでもやってそうな艷のあるかっこいい声だった。
「君、役所の人じゃないよね?何してんの?」
振り返って、私はほんの少しだけ驚いた。声からは、彫りが深くて男らしい顔立ちの、いうならば「ハンサム!」って感じの男性をイメージしていた。しかし、実際に私をのぞき込んでいたのは、ダークブラウンの髪にゆるいパーマをあてた、軽薄そうな雰囲気の男性だった。いや、顔立ちは整っている部類だと思う。その垂れ目も大半の人は魅力的だと評価するだろう。しかし、声とのギャップがだな。
「あ、仕事で。この家を片付ける依頼を受けたんです。私、向こうにある何でも屋って店の従業員でして、この家の笹塚さんから依頼されて」
私は両手をゴミ袋から離し、前かがみのままだった腰を伸ばして、正面を男性に向けた。彼も、私を覗き込むように曲げていた背を伸ばす。背はかなり高かった。店長くらいありそうだ。上下黒のスーツに、おしゃれな模様の青朽葉色のネクタイをつけている。
「へー、そうだったんだ。大変そうだね。一人でやってんの?」
「ええ、まあ」
「他の従業員とかいないんだ」
「他の人は別の仕事で忙しくて……」
実際に店長が忙しいかどうかなんて知らないが、とりあえずはそう答えておく。何者かわからない人に話しかけられて、私の中の警報アラートが鳴りそうだ。何なんだこの男性は。こんな汗だくで汚れ塗れの女の子に話しかけて。
しかし、警報アラートはあと一歩のところで鳴らなかった。理由は彼の発した次の言葉だった。
「なら俺手伝おうか?ちょうど仕事も片付いて手空いてるし」
「え!!」
私は驚いて男性の目をまじまじと見た。ちなみに彼が掛けてる太い黒縁メガネは伊達である。自分がガチ眼鏡だからなのか、なんとなくわかった。
「いやでも悪いですよ。うちが受けた依頼ですし」
「いいよいいよ、この家のゴミは見るたびうんざりしてたし。それに、俺今日もうやることないし」
「え〜いや〜でも〜」
「とりあえずこれゴミ捨て場に運べばいいの?」
男性はスーツのそでをサッと腕まで捲くると、私の足元にあったゴミ袋を両手に掴んだ。
「ほんとにいいんですか?手伝ってもらって」
「いいのいいの。たまたま見かけたのも何かの縁だよきっと」
男性は適当なことを言って笑うと、ゴミステーションの方へ歩き出した。私もゴミ袋を持ってそれに着いていく。
「お兄さんはこの辺の人なんですか?笹塚さん家を知ってるってことは」
「まぁね。駅への行き帰りでこの道通るんだ」
「なるほど……。あの、今日の六時に役所の人が見に来る予定で、それまでに片付けろって依頼なんです」
「えっ、六時?けっこうギリギリだね」
なんとなく会話をしながら私達はゴミ袋を運びきった。男性が片手に二つずつ、両手で四つを一気に運んでくれたので、ゴミ捨てはすぐに終わった。
お礼を言おうと思ったら、なんと部屋の中の掃除まで手伝うと申し出てくれた。さすがに遠慮して断ったが、あのチャラそうなヘラヘラとした顔で「いいのいいの」と言われると、結局お願いしてしまった。
男性と笹塚さん宅へ上がる。見たところ彼は二十代後半か、もしかしたら若く見える三十代前半かもしれない。年齢というか、雰囲気が若い気がする。彼は軍手とビニール袋で細かいゴミを拾い、私は箒で床の上を掃いていった。
笹塚さんがふんぞり返るソファーを避けながら畳の上を箒で掃いてゆく。それが終わったら固く絞った雑巾で水拭き。さらに乾拭き。その後急いで台所をピカピカにし、最後の気力を振り絞ってトイレを磨いた。
全ての作業を終えて時計を見たら午後五時四十六分。何とか間に合った。庭と呼んでもよいのかわからない僅かなスペースには雑草が生い茂っているが、さすがにそこまでは手が回らない。ヒットポイントもマジックポイントもスッカラカンだ。
依頼人の笹塚さんに帰宅の許可をもらい、よろよろと家を出る。男性もさすがに疲れたらしく、肩を回していた。
「本っっっ当にありがとうございました!こんなに手伝っていただいて」
玄関前で、私は勢い良く頭を下げた。男性のヘラっとした声に顔を上げる。
「いいって。思ってたより早く終わったし」
「私一人では心が折れそうだったので、本当に助かりました……」
「そりゃこれを一人ではダルいよ普通は」
男性は手にしていた軍手を含め、サッと掃除用具をまとめると、捲くっていた袖を戻しながら言った。
「じゃ、俺も帰るわ。お疲れ」
「あ、はい、ありがとうございました!」
あまりにもあっさりすぎる別れの言葉に、私は慌てて再度お礼を言う。男性はヒラヒラと軽い調子で手を振りながら、さっさと帰ってしまった。
突然声をかけられてびっくりしたが、とても良い人だった。まぁ、あの状況を見て手伝いを申し出るのだから、良い人だが変な人でもあるのかもしれないが。
掃除用具を抱えて歩き出す。近くに停めておいた車に乗り込んだところで、市役所の人であろう数人の男性が歩いて来るのが見えた。六時五分前だ。
疲れ果てて店に帰ると、カウンターに座っている店長がスマートフォンから顔も上げずに「お疲れ」と言った。笹塚さんの横柄な態度にイライラが溜まっていた私は、つい店長に食ってかかる。
「疲れましたよ本当に!あんなの私一人でやる量じゃないですよ!」
「でもちゃんと終わったじゃん」
「ギリギリでしたから!」
「雅美ちゃんならできると思った」
「というか私身体ボロボロですから!腰、腰がもう……」
私の訴えに店長は何も答えず、代わりにこう言いやがった。
「っていうか汚いからさっさと着替えてきてよ」
その言葉に私は思い切り不機嫌な顔を返す。しかし店長はスマホから目線を外さず、私の表情なんて一ミリも見ていなかった。
「じゃあお風呂入りたいんで着替えたら帰っていいですか」
「いいよ。今回のは報告書もいいや。ただの掃除だし」
私は「そうですか」とだけ言って自分の部屋へ向かった。瀬川君の部屋の前を通った時、いつも聞こえてくるキーボードの音がないことに気が付いた。たったこれだけでも、静かだな、と思った。
汚れたジャージを袋に詰め、鞄を持って店に向かう。いつものソファーに店長がいないなと思ったら、彼はまだカウンターに座っていた。私は鞄を肩にかけ直すと、そっとそちらに近付いた。
「店長お疲れ様です」
「うんお疲れ。気を付けてね」
引き戸の取っ手に手をかけ、少し考えてから振り返る。
「店長やっぱり怒ってますよね」
ここで店長はようやくスマホから顔を上げた。
「もう怒ってないよ」
「嘘つかないでください。めちゃくちゃ不機嫌じゃないですか」
「今日二時間しか寝てないからテンション低いだけ」
私は引き戸にかけた手に視線を落とし、もう一度顔を上げた。
「本当ですか」
「何で嘘つかなきゃいけないの」
「……それならいいんですけど」
私は今度こそ引き戸を開けた。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
外に出て引き戸を閉める。空を見上げるともうだいぶ暗くなっていた。私は唐突に掃除の汗と汚れの不快感を思い出し、家までの道を早足で歩き出した。
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