迷子の子猫の探し方3
翌日金曜日、午前十一時。今日は平日なのに珍しく丸一日授業がないので朝から出勤だ。
足取りは重たいがバイト先へ向かっていると、駅の近くで突然声をかけられた。少し離れた場所にいた男性が、私を見るなり小走りで駆け寄ってきたのだ。
「あの、荒木さんだよな?」
「そうですけど……すみませんが、どちら様でしょうか」
男性は二十代前半くらいで、短い黒髪がさっぱりと爽やかな印象だ。しかし私はこの人に見覚えがない。彼の馴れ馴れしさも相まって少し突き放し気味に何者かを尋ねる。すると男性は自分を指差して嬉しそうに名乗った。
「俺だよ、村田亮平だよ。引きこもりの」
「えっ、亮平さん!?嘘!」
そう名乗られて、私は失礼にも「嘘!」と叫んで驚いてしまった。それほどに変わっていたのだ。引きこもりの時に説得をした亮平さんとは。
第一、私が亮平さんを見たのは、汚い部屋着で髪と髭がぼーぼーな姿のたった一度きりだ。それでわかれと言う方が無理な話だ。しかし、私と同様に亮平さんも私の顔を一度しか見たことがないのに、よく覚えていたものだ。
「どうしたんですか!見違えましたね!」
「ちゃんと仕事もしてるんだぜ。まぁパートだけど……。でも、頑張れば正社員への昇格制度もある」
亮平さんはそう言って少し得意そうに笑った。今日は小奇麗な服装をしているし、髪も短くして髭もきちんと剃っている。何よりちゃんと背筋を伸ばして前を向いて歩いているのだ。引きこもっていた頃とはまるで別人だ。
「今日は仕事は休みなんだ。サービス業だから土日に休みが少ない分、平日に多くて。平日はいいな、人少なめで」
「じゃあ、今日はお休みを利用してお買い物ですか?」
亮平さんの両手の大きな荷物を見てそう予想したのだが、亮平さんは「待ってました」と言う顔で、先程までよりも楽しそうに話し出した。
「実は、今日は友達と遊ぶんだ!友達と!」
「へー、いいですね!どこまで行くんですか?」
「杵淵の沿岸市民ホールまで。そこで今日コスプレのイベントがあるんだ。ほら、俺アニメ好きって言ってただろ」
「コスプレですか」
「職場の先輩にアニメ好きな人がいてさ。誘ってくれて、俺が参加するのも今日で三回目。同じ趣味の知り合いもどんどん増えてきたし、人生楽しいよ」
そう言って亮平さんは嬉しそうに両手の大きな袋を揺らしてみせた。彼の人生がいい方向に変わっていって本当によかった。私も頑張って説得したかいがあるというものだ。
「本番ももちろん楽しいけどさ、準備期間もすげー楽しいんだ。衣装はネットで買うことが多いけど、マイナー作品はやっぱ自分で作らなきゃ売ってないし、剣とかの装備品は先輩の家に泊まったりしてみんなで作るんだ。衣装もいいやつはけっこう高いし、なるべく節約したいしな」
自分が変わったことを聞いてほしいのか、今が楽しいことを伝えたいのか。それともそんなこと何も考えてなくて、楽しい嬉しいって気持ちが勝手に口を動かしているのか。亮平さんがいい職場に出会えてよかった。彼がここまで明るくなれたのは、きっとその先輩の存在が大きいだろう。同じ趣味を持つ人と出会えると嬉しいよね。
「ついでに荒木さんもコスプレどう?荒木さんサーキュレーション・クライシスの空音リッカに似てると思うんだよな」
「いやー……私はちょっと遠慮しときます。友達に見られたら恥ずかしいんで」
「そっかぁー……。じゃあ店長さん誘うの無理かな?あの人絶対映えると思うんだよね。デフォ×デフォの魔王とかさざホラの海神様とか、素材がいいからなんでも似合いそう」
「店長はたぶん絶対無理だと思いますよ」
何で候補が全部人外なんだと心の中でツッコミを入れながら答えると、亮平さんは「そうか、それは残念」と呟いた。空さんみたいにしつこい人じゃなくてよかった。
「あ、俺もう電車来るわ。それじゃあな、荒木さん。また会った時はよろしく」
「はい。楽しんできてください」
亮平さんは腕時計を見ると、大きな荷物を揺らしながら駅の方へ去って行った。私はその背中に手を振って見送る。亮平さんと別れると、私は気を取り直してバイトへと向かった。
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