迷子の子猫の探し方
九月二十四日木曜日。ようやく夏の暑さが和らいできて、ついこの間に比べればだいぶ過ごしやすくなってきた。季節が変われど私のやることは変わらず、今日も飽きもせず朱雀店までの道のりを歩いている。
夏休みに入ってからは毎日朝からバイトへ行っていたが、今日はもう授業がある。しかも制作グループのメンバーとファミレスで会議をしていていつもよりだいぶ遅れてしまった。まぁどうせ仕事もないだろうし、私がちょっと遅れたって誰も困らないだろうが。そう考えながら店の引き戸をガラガラと開けた。
「おはようございま~……」
私の言葉はそこで途切れた。一度瞼を閉じ、また開く。目の前の光景に何一つ変化はなかった。試しにごしごし目を擦ってみたが、やはり何も変わらない。目の前のカウンターで店長が突っ伏して寝ている。
店長がカウンターで居眠りをしているのは稀にあることだし、引き戸が開く音や私の挨拶の声で目を覚まさないのはほとんどいつものことだ。私が言いたいのはそうじゃなくて……。
「…………」
ついその場に突っ立って店長を観察してしまったが、いつまでもこうしているわけにはいかない。私は店長の肩を揺すると声をかけた。
「店長、こんなところで寝てお客さん来たらどうするんですか。起きてください」
しばらくゆすっているとようやく店長が目を覚した。いつもいつ寝てるんだろうとは思っているが、やはり寝不足の時が多いんじゃないかな。どんな人でも人間ならちゃんと寝ないと体調が悪くなるだろう。目を覚ました店長はゆっくりと上体を起こして目を擦ったた。
「おはよう雅美ちゃん、早かったね」
「早くないですもう六時です」
さて、言うか言うまいか。いや、はやり止めておこう。言って店長の 機嫌が悪くなったら迷惑だ。犯人はたぶんあの人だし、それなら大変申し訳無いけれど瀬川君に丸投げしてしまおう。
店長がカウンターから来客用のソファーに移動したので、私は半ばその後を追うように店の奥へ進んだ。裏の自室に荷物を置きに行こうかと思ったのだが、裏へ踏み込む一歩前で足を止め店長を振り返った。
「店長、もしかして今日空さん来ました?」
「よくわかったね。何でわかったの?」
「なんて言うか……勘です」
「雅美ちゃんの第六感もいよいよ化け物じみてきたね」
本当は確かな情報に基づいて推理しただけなのだが、私は当たり障りのない一言を返して自分の部屋へ向かった。部屋に荷物を置き、腰にエプロンを巻く。ほぼ毎日していることなので慣れた動きだ。準備が整うと店に出る前に台所に寄ってお茶を淹れた。
お盆にお茶を二人分乗せて店に戻ると、店長はそのままの格好でソファーに座っていた。起動させたノートパソコンのディスプレイをぼーっと眺めている。私はテーブルにお茶を置き、自分もソファーに腰を下ろした。
「店長今日寝不足ですか?」
「うんまぁ。忙しくて」
「ちゃんと寝ないと身体に悪いですよ」
「大丈夫大丈夫」
全然大丈夫じゃないから言っているのだが。視線をテレビに戻す。この時間のバラエティーはちっとも面白くないな。この番組が六時半で終わったとして、その後はたぶんニュースだろうし……って、私はここに何をしに来ているんだ。
私はソファーから立ち上がると本棚の前に立ってファイルの背表紙を見上げた。昨日途中まで整理したファイルをすぐに見つけ出し棚から抜き取る。いつもならカウンターに座るところだが、今日はあえてソファーに戻った。
ソファーで寛ぎつつさっそくファイル整理を始める。私がカウンターではなくソファーに座ったことを店長は不思議がっただろうか。それとも気にも留めていないのだろうか。眠そうだし後者かもな。
「そういえば空さん今日何しに来たんですか?」
「近くまで来たから寄ったんだって」
「滋賀には年に一回くらいしか戻らないって聞いてたんですけど、結構戻ってくるんですね」
「最近はね。リッ君の様子見に来てるんでしょ」
そう言って「ふあ……」と声を出しながら、店長はあくびを一つ溢した。空さんは確か五月の下旬にも一度店に来ていたはずだ。あの時も瀬川君に用があったらしいが……。瀬川君は両親と暮らしているから心配ってことはないと思うんだけど……。
でも今日私は夕方出勤でよかった。空さんは会うたびにコスプレを要求してくるから。さすがにそろそろ「気が向いたら」で断るのも限度を感じてくる。「その気いつ向くの?」って言われそうだ。始めに「興味がない」とは言っておいたはずなのだが、空さんにとって「コスプレに興味がない人」は絶滅危惧種らしい。この世の全ての人がコスプレイヤーだと思わないでほしいものだ。
「はぁ」と重量感のある息を吐きながら、ファイルから顔を上げる。ダメだ、集中できない。やっぱりカウンターでやるべきか…。全然文章がまとまらない。
「店長」
「何?」
「猫の鳴き声ってどんなのでしたっけ」
「……どうしたの急に」
突然飛び出した私のアホみたいな質問に、店長は当然眉をひそめる。しかし私は構わずとぼけ通した。
「いえ、猫の鳴き声ってワンワンでしたっけ。それともコケコッコーでしたっけ」
「普通ににゃーじゃないの」
「すみませんもう一回言ってもらえます?」
「だから、にゃー」
「ああそうでした。思い出してスッキリしましたありがとうございます」
店長はまだ訝しげな顔をしているが、私は淡々とお礼を言ってまたファイルに顔を落とした。が、堪えきれなくなりファイルをテーブルに投げ出して立ち上がると、そのままダッシュで店の裏に向かった。
「瀬川君!瀬川君!!」
瀬川君の部屋に直行し、名前を連呼しながらドアを開け放つ。部屋の中は相変わらず資料や本が山積みになっていた。パソコンの前に座っていた瀬川君はイスを回転させてゆっくりと振り返る。
「荒木さん、用があるときはまずノックを……」
「瀬川君あれ気付いてる!?気付いてるよね!?」
瀬川君の言葉を遮り詰め寄る。彼は「あれ」が指すものがすぐにわかったらしく、「もちろん気付いてるけど」と答えた。
「だったら何で言ってあげないの!」
「何で僕が言わなきゃいけないの」
「だって私もう今更言えない!」
「僕だって言いたくないよ。十中八九姉さんの仕業だし、何で僕が姉さんの代わりに怒られなきゃいけないのか……」
「お願い瀬川君から言ってよ~!」
「今言っても荒木さんが黙ってたことに変わりはないと思うけど……」
そこで瀬川君はひとつ息つき、こう仰られた。
「それに、別に言わなくてもいいんじゃない?」
「こ、このまま今日を終えろというの!?」
「そのうち自分で気付くよ」
「いや気付かないよあの人絶対気付かない」
「大丈夫。お風呂に入ったらさすがに気が付くから」
「ぐ………。そりゃそうだけど」
でももしよりによって今日お客さんが来たら?私達はいいにせよ、お客さんは赤の他人だよ?いや、それよりも店長がコンビニとかに出かけちゃったら……。
「わ、私店長が外に出ないように見張っとかなきゃ……」
突如使命感に燃えてきた。私がやらずに誰がやる!私がこの店の未来を守るんだ!
「もし言えるタイミングがあればそれとなく言ってみるよ」
前向きな発言をしたつもりだが、瀬川君はそれをあっさりと切り捨てた。
「いや、あのままでいいよ」
瀬川君には何か策があるのだろうかと言葉の続きを待っていると、彼はこう付け足した。
「その方が面白そうだから」
廊下に出て、瀬川君の部屋のドアを閉めてこっそり思った。瀬川君ってたまーにドS精神に溢れた発言するよね。やっぱりこの店のラスボスは瀬川君かもしれない。
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