ハローハロー、届かない愛を今日もキミに送ります




九月十三日、日曜日。お昼の十二時。店のカウンターで課題のラストスパートをかけていると、突然目の前の引き戸がガラガラと開いて私は反射的に背筋を伸ばした。

「こんにちは雅美さん。今日は蓮太郎さんはいらっしゃいます?」

引き戸の向こう側から現れた顔を見て、私は払いのけた課題を拾い上げた。

「ううん、十分くらい前に出て行ったとこ。相変わらずどこに行くとも言われてないけど」

花音ちゃんは私の答えを聞いて「そうですの」とため息をついた。残念そうな顔をしているが、その表情の中には予想通りという色も混ざっていた。

「とりあえず座ってよ。お茶淹れてくるから」

私は課題をまとめてカウンターの隅に置き、台所にお茶を淹れに行った。花音ちゃんは礼儀正しく「お邪魔致しますわ」と言ってカウンターのイスに腰掛けた。

「二十日ぶりくらいですわね、雅美さん」

「そうだね。最近来なかったけど、仕事忙しかったの?」

「そういわけではなかったのですが……何となく来にくくて」

そういえば前回店長に会った時、告白スレスレの発言をしていたっけ。いやまぁ、毎回告白してるようなものだけど。でもそれで店長と顔を合わせにくいってことは、いつもの発言と前回の発言は花音ちゃんの中では全然違うんだろうなぁ。

「はぁ……そろそろ蓮太郎さんのお声が聞きたいですわ……」

「そこは顔が見たいとかじゃないんだ」

「毎日写真を眺めておりますもの」

「ああそう」

そりゃそうか、花音ちゃんだもんね。その写真の出所も気になるが……まさか店長が撮影を許可するとも思えないから、やはり隠し撮りか?そこで私はふと思いついた。

「声が聞きたいっていうなら電話は?電話は出ないの?」

「何回もしつこくかけたら出ていただけるんですが……」

「じゃあ出るまでかけてみれば?すぐ切られちゃうかもしれないけど」

「それはダメですわ。それをやると本当に用事がある時も出ていただけなくなってしまいますし、前に一度やった時に次やったら着信拒否すると言われてしまいましたから」

なるほどね、たぶん店長は何回もしつこくかかってきた場合は大事な用事だと判断しているのだろう。花音ちゃん的には「用はないけど声が聞きたくて」とかいう少女漫画的なことをやりたいのだろうけど、それって基本的にカップルの会話だしね。店長の立場から

してみるとやたら電話かけてきてうざいだけだよね。

「こうして留守番電話に繋げてみましても……」

花音ちゃんはスマートフォンを操作すると自分の耳に押し当てた。

「機械の声が返ってくるだけですし」

「留守電の案内を自分の声にしてる人なんてそうそういないよ……」

花音ちゃんはため息をつくとスマホをカウンターの上に置いた。何だか可哀想に思えてくる。店長も電話くらい出てあげたらいいのに。

「ああ~、蓮太郎さん欠乏症になってしまいますわ~。むしろもうなってますわ~」

「じゃあこういうのはどう?陸男さんのスマホからかけてみるとか」

「それはたまにやっておりますわ。私の声が聞こえた途端切ってしまわれますが」

花音ちゃんの声が聞こえたら通話終了ボタン押すの、もう反射になってるんだろうなぁ。しかし花音ちゃんは「でも蓮太郎さんの素のお声が聞けてキュンとするんですのよ」とニマニマしていた。うーん、ポジティブ。

「あ、そうだ。なら私のスマホからかけてみる?今」

私がエプロンのポケットからスマホを取り出すと、花音ちゃんは目を輝かせた。

「いいんですの!?」

「いいよ別に。減るもんじゃないし」

私はトーク一覧から店長のアイコンを探すと、そのままアプリ内の無料通話ボタンを表示させた。そのコールする一歩手前の状態でスマホを花音ちゃんに手渡す。彼女は恐る恐る発信ボタンを押すと、スマホを耳に当てた。

「…………」

「…………」

黙って見守っていると、店長が電話に出たのか花音ちゃんがビクッと小さく揺れた。たぶん今頃「どうしたの?」とか言われているはずだが、何故か花音ちゃんは何も言わない。

それでも黙って見守っていると、約一分程で花音ちゃんがスマホを離した。おそらく店長が通話を切ったのだろう。

「どうしたの花音ちゃん、何も言わなかったけど」

「だって、何か言うと切られてしまうではありませんの」

私はああそうかと納得しながらスマホを受け取った。それにしても、久々に店長の声が聞けたんだからもっと喜ぶかと思ったのに、花音ちゃんは思いの外大人しい。奇声を発しても私は驚かなかったのに。

「それにしましても、雅美さんはずいぶん優遇されてますのね。私羨ましいですわ」

「えっ、優遇?私お給料も普通だけど……」

私は自分の給料は六月から一円も上がっていないことを脳内で確認する。すると花音ちゃんは「そういうことではありませんわ!」と顔を近付けた。

「私電話で何も喋らなかった時あんなに親切な言葉をかけてもらったことありませんわ!」

「て、店長何て言ってたの?」

私は絶対そんなたいしたこと言ってないよ……と思いながらそう返す。ついでに花音ちゃんが近付けた顔もさり気なく押し返した。

「“何かあったの?”とか“何で何も言わないの?”とか仰っていましたわ。しかも切るときは!“もう切るよ?”と確認してからお切りになられたのですわよ!?」

「電話取って相手が無言だったら当然の反応だと思うけど……」

「私の時は何も言わずにお切りになられましたわ!この差はどういうことですの!?」

「落ち着いてよ花音ちゃん。ただ単に付き合いが短いだけだよ」

叫びと共に勢い良く立ち上がった花音ちゃんを必死で落ち着かせる。彼女は「どういうことですの?」と言いながら再び腰を下ろした。

「だって私と店長の付き合いの長さなんてたかが知れてるし、人って慣れ親しんだ人ほど礼儀を忘れるじゃん。花音ちゃんのは親しさの現れだよ」

特に最後の部分を強調して説明する。花音ちゃんは「うーん」とでも言いたげな表情を私に向けていた。

「ですが、蓮太郎さんとっても優しい声をしてらっしゃいましたわ。あんなお声、私には泣いた時くらいしかしてくださいませんわ」

「それもほら、親しさの現れだって。私とは花音ちゃんほど仲良くないから、店長も気を遣ってるんだよ」

そう言うと、花音ちゃんは納得したようで途端に笑顔になった。彼女は前に愛読書は少女漫画と言っていたし、もしかしたらお姫様になりたいんじゃないだろうか。それとも恋する乙女として当然の感情なのか?生憎私は恋する乙女じゃないからわからない。

「でもそういうことなら、私は瀬川君のスマホからかけたら何て言って出るのか気になるなぁ」

瀬川君と店長の付き合いは私より長くて花音ちゃんより短いだろう。仕事上でも信頼しているようだし、きっと私とは違う反応が返ってくるはずだ。

「なら瀬川さんにスマホを借りに行くのはどうでしょう」

「貸してくれるかなぁ?」

「やらないよりはマシですわ。もしかしたらミラクルが起きるかもしれませんし!」

そう言って花音ちゃんは立ち上がった。まぁ私も興味あるし、頼んでみるだけならタダだよね。私と花音ちゃんは連れ立って瀬川君の部屋へ向かった。

ということで瀬川君の部屋の前。私が代表してドアをノックする。キーボードを叩く音がやんでしばらくすると、すっとドアが開いて瀬川君が顔を出した。

「何?」

単刀直入かつ淡々と要件を尋ねる瀬川君。そんな態度はすでに慣れっこだ。私はさっそく交渉を始めた。

「ちょっと試したいことがあって、少しでいいんだけどスマホ貸してくれないかな……?」

「……ごめん無理」

想定内の答えが返ってきたところで、今度は花音ちゃんが応戦する。

「すぐにお返しいたしますわ!ちょっとでいいんですの!」

「無理」

「そこを何とかですわ!」

尚も食い下がる花音ちゃんに、瀬川君はため息を返した。

「用件はそれだけ?」

「うん、邪魔しちゃってごめんね」

まだ何か言いたげな花音ちゃんの腕を引いて瀬川君に別れを告げる。花音ちゃんが余計なことを言って瀬川君の機嫌が悪くなる前に引き下がった方がいいだろう。

店に戻ってカウンターに座ると、さっそく花音ちゃんがブツブツ言い出した。

「ケチ臭い方ですわね。それに何なんですのあの態度」

「まぁまぁ。他人にスマホいじられたくない人って多いじゃん」

「それにしたって心の狭い方ですわ。別に中身なんて覗きやしないのに」

文句を言い続ける花音ちゃん私は苦笑いを返した。とりあえず花音ちゃんが興味のありそうな話題に変えなければ。

「そ、そういえば、花音ちゃんってここ以外の場所で店長に会ったりしないの?例えば黄龍でとか、あとは店長が玄武店に行ったりとかは」

花音ちゃんが興味を持つ話といったら、店長の話しか思い付かなかった。というか、花音ちゃんが来たら基本的に店長の話しかしない。

「蓮太郎さんが仕事の関係でうちに来ることはたまにありますけれど……いつも私が学校へ行っている時にいらっしゃるんですわ。来るとわかっていれば学校なんてサボるのですけれど……」

花音ちゃんが学校へ行っている時間ということは、私と瀬川君も学校に行っているはずだ。店長やっぱり店を無人にして出かけてるんだな。仕事関係だから仕方ないとは思うが、いくらなんでも無用心すぎる。泥棒が入ったらどうするんだ。

「そうなんだ……。陸男さんがうちに来ることもあるみたいだね」

「たまにですけれどね。私も一緒に行きたいとお願いするのですが、お兄様ったらいつも平日の午前中に行ってしまわれますのよ。私が休みの日にしていただきたいですわ」

「あはは……、ねー」

陸男さんがわざとその時間を選んでいるということに、花音ちゃんは気付いているだろうか。もし気付いていなかった時のために私は黙っていた方が賢明だろう。

「あっ!そういえばですわ!」

そう言って花音ちゃんはカウンターの上のスマホを手に取って、慣れた様子で操作し始めた。

「私ついに入手しましたのよ!」

「入手?何を?どこから?」

「空さんからですわ!雅美さんにだけ特別にお見せしますわね。超貴重な画像ですから、目を大きく開いてご覧になっていただけますこと!」

空さんという名前を聞いて若干嫌な予感がしたが、そんな私には構わず花音ちゃんはスマホを見せた。バーンという効果音がつきそうな動作でディスプレイを私に突きつける。

「ああ、これが……」

「苦労しましたのよ!何かよくわからないアニメのコスプレを何着もして、ようやく譲っていただけましたの!」

花音ちゃんのスマホに写っていたのは、猫耳をつけた店長の写真だった。そういえば空さんと初めて会った日に神原さんや陸男さんがこの写真のことを言っていた。空さんは自分のコレクションは誰にも譲らないと言っていたが、今の花音ちゃんの言葉を聞く限り、花音ちゃんのコスプレ数着と引き換えにしたのだろう。花音ちゃんも上手く釣られたものだ。

「へー、よく撮れてるね。でもこれ見たら私店長に殺されないかな?」

「大丈夫ですわ!黙っていれば!」

それってばれたら大丈夫じゃないってことじゃ……?それにしても。私は改めて写真をよく見てみる。空さんは一体どんな手を使ってあの店長に猫耳なんてつけたのかと不思議に思っていたが、この写真を見て謎は解けた。店長が寝ている間につけたのだ。見たところ自分の部屋ではなくどこか広い部屋のソファーで居眠りをしているみたいだし、これはこんな所で寝ている店長が悪い。少しでも空さんのことを知っていればこんな無防備な姿は晒せないはずだ。

「でも店長って喋ってなければかっこいいよね」

「何を言っておりますの雅美さん!」

何も考えずつい発した言葉に花音ちゃんが反応する。彼女は再び私にズイッと顔を近付けた。

「蓮太郎さんは黙ってても喋っていてもかっこいいですわ!世界一!」

「ああそうだったねごめんごめん」

先程と同じようにさり気なく花音ちゃんを押し戻す。危ない危ない、うっかり発言に気を付けないと。

花音ちゃんはニマニマしながらしばらくスマホを眺めていたが、そのスマホが突然鳴り出した。流行りのJ-POPはどうやら電話の着信音らしく、花音ちゃんは今にも舌打ちをしそうな顔でそれを耳にあてた。

「もしもしですわ。……ええ、……ええ、……わかっておりますわ……仕方ないですわね」

そんなに長くはない通話を終えて、花音ちゃんはスマホを鞄にしまった。

「お兄様からですわ。そろそろ帰って来いと言われましたの」

「まぁもう二時間経ってるしね」

壁の時計を見ると二時前だった。そろそろ帰ってくれないとお昼ごはんが食べれない。

「仕方ありませんわね。蓮太郎さんも帰って来られませんし、私も帰ることにいたしますわ」

花音ちゃんが立ち上がったので、私は一足先にカウンターを出て引き戸を開けてあげた。

「それでは雅美さん、また近いうちに来ますわね」

「うん。気を付けて帰ってね」

「それでは」と言って帰ってゆく花音ちゃんを手を振って送り出した。店長が店に帰って来たのはそれからわずか十五分後だった。



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