これがガールズトーク?
八月二十四日、月曜日。相も変わらず夏休みな私は、今日も朝からバイトをするべく店へ向かっていた。現在、少し遅刻気味の十時四十二分。あと五分も自転車を漕げば店というこの場所で、私は見覚えのある後ろ姿を見つけた。
パーマをあてたふわふわの茶髪、スラリと高い身長、夏らしいビタミンカラーの中にも大人っぽさを取り入れた服装、あの後ろ姿は間違いなく花音ちゃんだ。また店長に会いに朱雀店へ向かっているのだろう。
「花音ちゃん!」
自転車のスピードを少しだけ上げてその後ろ姿に追い付く。名前を呼ぶと、彼女は振り返って笑顔を浮かべた。店長のことでも考えていたのだろうか、頬をポッと赤く染めている。私は花音ちゃんの横に並んで自転車を押して歩いた。
「雅美さん。これから仕事ですの?」
「うん。花音ちゃんもうちに来る途中?」
「ええ、そうですわ。癒やしを求めて書類から逃げてまいりましたの」
なら店に行っても店長はいないな、というのは口には出さず、私は適当な相槌を返した。店長は花音ちゃんが店に来るという情報を事前に入手しているらしく、花音ちゃんが来るときはいつも店にいない。情報を流しているのは陸男さんだと私は勝手に予想しているのだが。
「そういえば先日の花火大会に興味を持たれていたようですが、結局行かれましたの?」
「あー、実は直前で約束してた子にバイトが入っちゃって」
「そうですの……それは残念でしたわね。私も蓮太郎さんと行きたかったのですけれど……。そういえばあの梅ヶ沢のプリン、雅美さんもお食べになりました?」
「うん、すっごく美味しかったよ。ありがとう」
「どういたしましてですわ。ですが、あんなお菓子で掴めるほど蓮太郎さんの心は安くありませんわね」
そう言って花音ちゃんは湿っぽいため息をついた。よく考えてみれば、花音ちゃんって琵琶湖の反対側からはるばる店長に会いに来てるんだよね。電車で来るにしても相応の時間がかかるだろうし、それなのに店長は逃げちゃうから結局会わずに帰る……。普段の言動の影に隠れてわかりにくいけれど、花音ちゃんって頑張り屋さんだよなぁ。
「この前みたいに大きな花火大会じゃないけどさ、夏休みのうちならまだ花火大会とか夏祭りとかやってるよ」
「そうですわよね、まだチャンスはありますわよね。せっかく新しい浴衣も買ったことですし、蓮太郎さんの前で一度着てみたいですわ」
励ますためにそう言ったら、花音ちゃんも前向きな言葉で答えてくれた。本当にひたむきで素直ないい子だと思う。ただもう少し愛情表現を控えめにできれば。
「花音ちゃんも浴衣買ったんだね。私も今年新しいの買ったんだ」
「この間の花火大会に合わせてですの?でしたら、本当に残念でしたわね。そのご友人と今後のご予定は?」
「夏祭りはまだないけど、とりあえずお詫びにパフェ奢ってくれる約束してる」
「素敵ですわね。夏祭りもまた行けるように願っておりますわ」
「ありがとう。花音ちゃんもね」
話が一段落ついて、私が次の話題を探していると、花音ちゃんが再び花火大会の話題を振ってきた。やはり店長と行けなかったのがショックだったのか。先日の花火大会は、この辺で一番大きな花火大会でカップル達の聖地みたいなものらしいから、一緒に行けなくて悔しいのも仕方ない。
「この間の花火もすごく綺麗だったようですわね。雅美さんの家からなら少し見えたのではありません?」
「うん、店のベランダから見たんだけど、けっこうよく見えて綺麗だったよ。大きい花火が多くて……ぎゃっ」
先日見た花火を思い出しながら答えると、突然花音ちゃんが私の襟元を掴み上げた。花音ちゃんの馬鹿力で掴まれたら私にはどうしようもない。ギリギリと締まってゆく首に死を覚悟しながら、私は必死に花音ちゃんの腕をタップした。
「ちょっと花音ちゃん、ギブギブギブギブ!」
「今、何とおっしゃいました……?」
「そんなっ、ことより、首が締まっ……」
「今何とおっしゃいました雅美さん!」
目をカッと見開き詰め寄ってくる花音ちゃん。掴んだ襟元をガクガクと揺さぶられ、私はもう思考停止状態だった。ようやく開放されたのは私の意識が飛ぶ直前だった。危ない、三途の川が見えたよ。
「それで、いきなりどうしたの花音ちゃん」
酸欠気味の肺に思う存分酸素を取り込みながら尋ねる。ああ、呼吸ができるって素晴らしい。
「さっき店のベランダで花火を見たと言いましたわね」
「そうだっけ」
「蓮太郎さんと並んで立ち入り厳禁のはずの二階に上がり込んで花火を見たと言いましたわね!」
「そ、それは……っ。間違いではないけれど」
しまった、完全に口を滑らせた。店長と花火を見たことが知れただけでなく、一緒に店の二階に忍び込もうとした過去を持つ花音ちゃんに、二階に上げてもらったことまで暴露してしまった。別に隠そうと思っていたわけではないが、花音ちゃんには知られない方が良かっただろう。
「酷いですわ雅美さん!蓮太郎さんと一緒に花火を見た上に部屋にまで上げてもらっただなんて!」
「瀬川君もいたから!瀬川君もいたから!」
「私が必死で仕事をしているときに!」
「うぅ……ごめんなさい……」
「この書類を片付けたら蓮太郎さんを説得してくれるってお兄様がおっしゃるから、私、絶対に終わらない量だとわかっていましたけれど、頑張って終わらせて……。その時にはもう日付も変わってて……。お兄様がごめんなっておっしゃるのが虚しくって……」
花音ちゃんの声が震えてきたので、私は何か言わなければと必死に言葉を探した。でも今の花音ちゃんに私が何を言っても無駄だと思った。きっと余計に悲しく、悔しくなるだけだろう。あの日私がいた場所は、花音ちゃんがいたかった場所だから。
おそらく、花火大会当日花音ちゃんを店から出さないように店長が陸男さんに頼んておいたのだ。陸男さんも悪いと思いながら仕事を理由に花音ちゃんを店に縛り付けた。花音ちゃんは花火が上がるまでに終わる量じゃないとわかっていながらも、わずかな望みをかけて一生懸命仕事をした。そしてやっぱり間に合わなかった。
花音ちゃんは泣きはしなかった。ただ珍しく弱音を吐いていたので、私は彼女の気が済むまで側にいることにした。私じゃ何もしてあげられないけれど。
しかしここで事件は起こった。いったい何が悪かったのか。いや、悪いといえば全てのタイミングが悪かったのだ。花音ちゃんの調子も戻って、じゃあ行こうかと歩き出した私達の後方からその人はやって来たのだ。やって来てしまったのだ。
「お、雅美じゃねーか。久しぶりだな!」
ニカッと笑いながら片手を上げたのは、店長の幼馴染みである寿等華深夜(すらかみや)その人だった。いつも通り高い位置で一つにまとめた長髪に、ピッタリとしたタンクトップとショートパンツを身に着けている。こういう格好をしていると、深夜さんのスタイルの良さがよくわかった。
「深夜さん!今日は仕事はお休みですか?」
「まぁな。休み欲しいって言ったら貰えた。言ってみるもんだよな」
いつもの大きな着物を羽織っていないためにそう推測してみたのだが、どうやら本当に休日らしい。最近は休みが少なかったのだろうか、何だか少し嬉しそうだ。
そこで私はハッとして隣を見た。花音ちゃんがまるで品定めするような目で深夜さんを見ている。そういえば、前に深夜さんの存在を気にしていたっけ。
「せっかく休みもらえたしな、久々にレンの顔でも拝みに行ってやろうかと思って……って、どうした?雅美」
意気揚々と話していた深夜さんは、あわあわと顔と手を動かす私を見て不思議そうな顔をした。私はこれ以上花音ちゃんを刺激するようなことは言わないでと祈りながら、花音ちゃんの表情を覗き見る。すると驚くことに、花音ちゃんは薄い笑みを浮かべていた。
明らかによそ行き用の笑顔を貼り付けた花音ちゃんは、一歩前へ出ると深夜さんに右手を差し出した。
「寿等華深夜さんですわね?お噂は兼々。初めまして、私相楽花音という者ですわ」
「相楽ってことはレンの親戚か何かか?」
花音ちゃんの右手を握り返し問う深夜さん。好意も敵意もない深夜さんに、花音ちゃんはキッパリハッキリとこう答えた。
「ええ、私蓮太郎さんの彼女ですわ」
ニコッと笑う花音ちゃん。その花音ちゃんの顔をまじまじと見て、深夜さんは私に言った。
「あいつ彼女なんていたのか?」
驚きを隠せないでいる深夜さんに、私は小声で「自称です」と教えてあげた。前に深夜さんと店長はそういのじゃないって言ったはずなのに、花音ちゃんったら敵意をむき出しにして……。
花音ちゃんが深夜さんの右手を粉砕する前に、それとなく二人の手を解きほぐす。いくら深夜さんといえども、握力では花音ちゃんに敵わない。花音ちゃんが本気を出したら人間の手の骨なんて粉々だ。
「そ、それにしても深夜さん、店長に会いに行くなら別に今日じゃなくてもいいんじゃないですか」
「何でだよ」
「いや、今日だとちょっと都合が悪いというか……。ほら、店長も店にいないかもしれませんし!」
とにかく花音ちゃんと深夜さんを同じ場所に固めておくのは避けたい。花音ちゃんがまるで導火線に火がついた爆弾みたいだ。というかもうダイナマイトだ。私の精神がもたない。
深夜さんには申し訳ないが、今日のところは帰ってもらおう。どうせ店長は店にいないだろうし。そう思って言ったのだが、深夜さんは「そんなわけないだろ」という顔で私を見た。
「いや、レンなら店にいるぞ?」
「何でわかるんですか?」
「さっき電話して確認したから」
花音ちゃんの目が光ったのが、振り返らなくてもわかった。さすがに花音ちゃんも勘付いていたのだろう。自分は避けられていると。そりゃそうだ。いつ行っても店長はいないんだから。そんなことくらい馬鹿でもわかる。
「雅美さん、すぐに店に行きましょう。こんなところでグズグズしている暇はありませんわ!」
花音ちゃんが私の手を引いて走りだす。転ばないように自転車を支えながらついて行く私に、「なんだなんだ」という顔で深夜さんもついて来た。結局三人で朱雀店に到着する。
「蓮太郎さ━━ん!愛しの彼女が会いに来ましたわよ━━!」
朱雀店のボロい引き戸を勢い良く開け放って叫ぶ花音ちゃん。カウンターで頬杖をついていた店長は「げっ、花音お前なんでいんだよ」と呟いて、それからようやく後ろの私達に気が付いたようだ。深夜さんが私を押しのけて前に出ようとする。
「よっ!久しぶりだなレン!闇鴉様がわざわざ足を運んで来てやったぞ」
一歩店に入ろうとした深夜さんを、まだ戸口に立っていた花音ちゃんが右腕を伸ばして制止する。
「ちょっとお待ちになって。私まだあなたのことを認めたわけではございませんわ。十年来の友情がなんですの、たった一年長いくらいで……」
「まぁ正確にはまだ九年だけどな」
また深夜さんは余計なことを……。私は思わずため息を吐きそうになった。花音ちゃんが唯一自分が劣ると感じていた部分である店長との付き合いの長さを、自分から本当のことを言ってバラしてしまうだなんて。
「ま!それじゃあ私と同じじゃありませんの!よくもまぁ今まで大きな顔を……」
「お前こそ親戚なら赤ん坊の頃からの付き合いだと思ってたぜ。案外短いんだな」
「こ、の、メス猫がぁ~~……。その余裕ぶった顔が気に入りませんわ!」
花音ちゃんが暴れ出しそうだったので、私は小さな身体を最大限に利用して二人の間をくぐり抜けた。ようやく店に一歩入ったところで、店長に無言で手を引かれる。
「ちょっとあれどうなってるの?」
「えーと……、来る途中でバッタリと……」
「何で雅美ちゃん何とかしてくれなかったのさ」
「無茶言わないでくださいよ」
引き戸から数歩離れたところから花音ちゃんと深夜さんを眺める私達。相変わらず花音ちゃんが食ってかかっていて、深夜さんは「何で自分は怒られているんだ?」という顔をしながらもいちいち反論している。
「僕今のうちに逃げた方がいいかな……」
「私にだけは迷惑がかからないようにしてくださいね」
私と店長がこそこそと話をしている間に、ようやく花音ちゃんは深夜さんに突っかかるのを止めたようだ。もう深夜さんのことなど視界に入っていないらしく、真っ直ぐに店長に向かって突っ込んでくる。
「蓮太郎さん!そろそろ結婚してくださいまし!」
「だからしないって」
花音ちゃんのタックルを一歩横にずれて躱す店長。花音ちゃんの後から深夜さんも店内に入ってきた。ニヤニヤしながら店長に声をかける。
「おいおいレン~。その子が可哀想だろぉ~。結婚してやれよ~」
「うざ。きもい。死ね」
「そこまで言うか!?」
じゃれ合う三人を放っておいて、私はひとまず部屋に荷物を置きに行くことにした。あの三人に真面目に付き合っていたら体力がいくらあっても足りないよ。
荷物を置いて腰にエプロンを巻き部屋から出ると、ちょうど店長が廊下を歩いて来るところだった。私は店長に駆け寄る。
「あの二人はどうしたんですか?」
「花音が深夜に絡んでる隙に抜け出してきた。花音が帰ったら連絡して」
「わかりました……」
それだけ言うと店長は裏口から出て行ってしまった。結局あの二人の世話は私がしなくちゃならないのか……。必要かどうかはわからないが、私は三人分のお茶を淹れて店に戻った。
私が店に戻ると、腰に手を当てた花音ちゃんが右手をバンとテーブルに叩きつけたところだった。
「月に二、三回ですって!?私より多いじゃありませんの!」
ソファーに背を預けている深夜さんが、ダラダラしながらそれに答える。
「つっても、仲がいいから友達っつーんだろ?」
「私あなたのこと気に入りませんわ!蓮太郎さんとどういう関係なのか、正直に白状なさい!」
「だから友達だって。何回言やわかるんだよ。友達。友人。フ、レ、ン、ド!」
「あなた報われない私を馬鹿にしてますのね!キーッ!その余裕へし折ってやりたいですわ!」
私はため息をひとつつくと、二人の間に割って入るようにしてテーブルにお茶を置く。まぁ、今にも掴みかかりそうなのは花音ちゃんだけだが。
「二人共その辺にして。ほら、店長もう行っちゃったよ?」
「嘘っ!?どこにですの!?」
花音ちゃんは勢い良く立ち上がって思わず辺りを見回すが、すぐに力無くソファーに腰を下ろした。
「私としたことが、私としたことが……!……でもまぁ今日は久しぶりに蓮太郎さんのお顔を拝見できたので良しとしますわ。ふふふ」
俯いて一人でニヤつく花音ちゃんを見て、深夜さんが私に「こいつ大丈夫か?」という顔をしたが、私はそれにそっと首を横に振るだけだった。
「でもよー、どのくらいの頻度でレンに会ってるかって話だったら、アタシより雅美の方が多いじゃねーか。毎日会ってるし」
「だって私はここの従業員ですもん」
普段私が座っているソファーは深夜さんが座っているので、私はぐるりと回り込んで瀬川君の席に腰を下ろす。その間、花音ちゃんが私の動きを目で追っていた。
「ずるいですわ……」
「ずるいって?」
「雅美さんばかり毎日毎日ずるいですわ!私ももっと頻繁に蓮太郎さんに会いたい!イチャイチャしたい!」
「別にイチャイチャはしてないんだけど……」
お茶を一口飲んで、その間に深夜さんに意見を求める。このままでは私が標的にされかねない。深夜さんはというと、ジッと花音ちゃんの顔を見ていたと思ったら唐突に口を開いた。
「お前マジでレンのこと好きなのか?ネタじゃなくて?」
「大マジですわよ。さっきからそう言っているじゃありませんの」
どうやら深夜さんはまだ半信半疑だったようだ。花音ちゃんの答えに純粋に驚いている……というか感心している?
「まさかレンのこと九年も好きていられる奴がいるとはな……。お前のこと尊敬するぜ」
深夜さんは突然立ち上がって言葉を続けた。
「わかった。色恋沙汰は正直得意じゃねーが、アタシがお前の恋のキューピッドになってやろう!」
「本当ですの?」
「ほんとにですか!?」
疑わしげな目を向ける花音ちゃんとまさかの展開に驚く私。深夜さんは胸をドンと叩いて「任せとけ!」と言った。
「もちろん雅美も手伝ってくれるだろ?」
「そりゃあ出来ることはしてあげたいですけど……」
けど、私だって今まで何も手伝ってこなかったわけではないのだ。それでも何も進展しなかったのたから、深夜さんが手伝ったくらいで何か変わるとは正直思えない。
しかし花音ちゃんはやる気になったようだ。深夜さんの手をガシッと握りしめている。その眼差しは熱がこもって少しうるんでいた。
「是非、お願い致しますわ」
「安心しろ、アタシがいれば百人力だ」
使えるものは使っとけ思考だろうか。それとも深夜さんという脅威を自分の目で監視できると思ったのか……。花音ちゃんの思惑はどうであれ、私に拒否権は無いのだろう。
「その前に一つよろしいですか?」
花音ちゃんは顔をクルッとこちらに向けて言った。
「深夜さん、あなたが蓮太郎さんとただのお友達というのには、とりあえず納得することに致しましたわ。ですが雅美さん、再度お聞きしますが、あなた本当にその気はないのですわね?」
「ないないないない」
私は首と両手をこれでもかという程激しく左右に振った。
「それを聞いて安心しましたわ。今のところ恋敵になって一番困る方は雅美さんですもの。何せ毎日アタックするチャンスがあるのですから」
花音ちゃんはホッと肩の力を抜いてそう説明した。
「心配しなくても私は大丈夫だよ。店長に限らず、そもそも私今恋愛とか興味ないから」
「雅美さん、先のことなど誰にもわからないのですわよ。ある日突然恋に落ちるかもしれませんもの」
花音ちゃんを安心させようと思って言ったのだが、どうやら信じてもらえていないようだ。実際今の私は学校と仕事で充実しているので恋愛は二の次三の次なのだが、それを彼女にわかってもらうには、時間をかけて行動で示すしかないと思うと少し疲れが押し寄せてきたような気がした。
「よし、じゃあここで作戦会議だ!」
「作戦……っていっても、どんな作戦立てるんですか?花音ちゃんの愛情表現をちょっとでも緩和させる方法ですか?」
高らかに宣言する深夜さんに、私は乗り気のなさを一応隠して問う。深夜さんはしばらく「う~……ん」と唸っていたが、パッと顔を上げるとニカッと笑って言った。
「吊橋作戦とかどうだ?」
「無理ですよ。相手が店長なのを踏まえて考えてください」
神経の図太いあの人に吊橋作戦など効くわけないだろう。恐怖感を与えられるような舞台を用意するのだって面倒臭い。深夜さんの案を一蹴すると、今度は花音ちゃんが口を開いた。
「やっぱり浴衣で色仕掛けしかないですわ!それか水着で!」
「それは……花音ちゃんがいいならやればいいんじゃない……?」
たぶん相手にされないと思うけど、という言葉はかろうじて飲み込んだ。花音ちゃんは「やってやりますわー!」と言いながら目にメラメラと炎を浮かべている。
その後も二人の口からは似たような愚案がいくつも出てきたが、光の速さで私がはねつけ続けた。
「じゃあ周りを変えるのは後回しにして、まずは自分を変えようぜ」
「失礼ですが、私自分磨きは毎日怠ることなく続けておりますわ。お肌のケアから体の歪みを治すヨガまで、それはもう幅広く」
確か前にもそんなこと言っていたな……。花音ちゃん努力は人一倍できるんだけど……。見た目もそのへんの子より全然かわいいと思うし、やっぱり愛が重すぎるのだろうか。店長ももうちょっとちゃんと花音ちゃんを見てみればいいのに。
「それでも私に足りないものがあるとおっしゃいますの!?」
腰に手を当て若干ふんぞり返りながら堂々と言う花音ちゃん。肘をついてテーブルに広がったポテトチップスを頬張っている深夜さんは、そんな花音ちゃんを上から下までじっくり眺める。そして一言こう言った。
「乳が無いからじゃねーか?」
ばっちり花音ちゃんの胸元を見ながら言い放つ深夜さん。その言葉に花音ちゃんは当然深夜さんに掴みかかる。
「それは私が貧乳だと言いたいんですの!?」
「いやだって実際そうじゃ……」
「キ━━ッ!誰にでもあたなみたいなデカい脂肪がついていると思わないでいただけますこと!」
深夜さんの胸倉を掴んでガクガク揺すっていた花音ちゃんは、パッと手を離したかと思うと立ち上がって拳を握りしめた。
「確かに私はBカップですわよ!上げて寄せる脂肪も無いですわよ!だからってそれがなんなのです!?」
「お落ち着いて花音ちゃん!胸なんて関係ないよ!大事なのは愛だよ!」
「そうですわよね!安心しましたわ雅美さん!」
「良かった!私も安心した!」
花音ちゃんが落ち着いてくれて!何事もなかったかのように澄ました顔でソファーに座り直す花音ちゃん。騒ぎ出した彼女を宥めるのはなかなか大変なのだ。深夜さんも余計なことを言わないでいただきたい。
「とにかく、今更胸を増量するのは無理ですわ。それに、女の価値は胸ではありませんの。中身ですわ!内面を磨けばよいのですわ!」
「でもどうやって?」
「それを今考えているのではありませんの」
私は目の前のコップに手を伸ばした。しかし中身はカラだった。台所へお茶を淹れに行きたいが、席を立つのはタイミングを見てからだろう。
「まぁぶっちゃけたことを言うとね?花音ちゃんはもうちょっと愛情表現を控えめにすれば、店長も少しは花音ちゃんを気にすると思うんだ」
今まで花音ちゃんの愛情表現の方法については彼女本人には言ってこなかったが、いい機会だ。私は思い切ってそれについて言ってみた。
「ですがアピールするのを止めたら蓮太郎さんはもっと相手にしてくださらなくなるのではありません?」
「うん……と、そうじゃなくて、もっと控えめにアピールしようって意味だよ」
「控えめに……ですか」
何やら考え込み始めた花音ちゃん。控えめな愛情表現でアピールする自分を想像しているのか、それとも控えめにするメリットを考えているのか。
花音ちゃんが黙り込むと、先程まで私と花音ちゃんの会話を聞いていた深夜さんが口を開いた。
「言いだしっぺのアタシがこんなんで何だけどよ、アタシ男と付き合ったことねーんだ」
「へー、なんか意外なようなそうでないような」
深夜さんの突然のカミングアウトに私はあやふやな返事をする。深夜さんって見た目美人だけど中身がガサツだから、一目見ただけではモテそうに見えるけど、内面を知ればモテなさそうに見えるんだよね。
「だから悪いけどアタシあんま頼りになんねーんだわ」
「さっき百人力とか言ってたじゃないですか」
「それは忘れてくれ。で、だ。九年の片想いという情報からアタシはあんたも年齢イコール彼氏いない歴だと判断した」
深夜さんの視線の先で花音ちゃんがこくりと小さく頷いた。ちょっと待て、何か嫌な流れになってきたぞ。
「つまりここに役立たずが二人いるわけだが、雅美はどうなんだ?付き合ったことあるのか?」
「わ、私ですか。いやー、私もないですねー、はは」
乾いた笑いを浮べる私に、二人はジト目を向けた。頬に冷や汗が流れる。
「嘘ですわね。いるならちゃんと言ってくださいまし、雅美さん」
「そうだぞ!別に隠すことじゃねぇだろ。っていうか、むしろこの中じゃ誇れることだろ」
「さあ、さあ!」と言いながら圧力をかけてくる二人に、私はついに観念して口を開いた。
「高校生の時に告白されて一度いたことありますが、相手が突然引っ越したのですぐに別れました。これだけですホントに」
全て白状して二人の顔を見てみると、彼女らは目をキラキラさせて私を見ていた。私は反射的に一歩後ずさる。
「どんな、どんな風に告白されたんですの!?」
「いや、普通に好きです付き合ってください的な……」
「何でそいつと付き合ってみようと思ったんだ!?」
「誠実そうな人だったので……」
「チューは!?チューはしましたの!?」
「一ヶ月しか付き合わなかったからそこまでしてないよ」
「遠距離恋愛には発展しなかったのか!?」
「別れたくない程まだその人のこと好きになれてなかったので……」
ああもう、だから言うのが嫌だったのだ。言ったら根掘り葉掘り聞かれるのが目に見えている。交際期間はたった一ヶ月だし、友達との間でこういう話題になっても今までは「まだ彼氏とかできたことないよ~」で逃げてきていたのだ。それがまさかこの二人に打ち明けることになるだなんて。
「じゃあ雅美が一番大人ってことで、お前がリーダーな!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。リーダーは深夜さんでしょ!?」
「いいえ、やはり経験豊富な方が取り仕切るべきですわ!」
「経験豊富って……花音ちゃん私の話聞いてた?」
でもまぁ、と私は考える。この中で一番まともな思考回路をしているのはおそらく私だろうし、私がリーダーになった方が話が脱線しなくていいのかもしれない。深夜さんをリーダーにすると、また二人がしょうもない案を誇らしげに言いそうだから。
「わかりましたよ。もう私がリーダーでいいです。それより、花音ちゃんのアピールの仕方に話を戻しましょうよ」
私の言葉を聞いて花音ちゃんがギクリとする。そういえばさっきも考え込んでいたな。
「もう一度言うけど、私花音ちゃんのアピールはちょっと行き過ぎだと思うんだ。普通好きな人にすぐ“結婚して”とか言わないと思うよ?」
「そ、そうかもしれませんが……」
花音ちゃんは急にモジモジし始めた。顔も少し赤くなっている。
「私、今までこの方法でしかやってきませんでしたし、控えめというのはわからないといいますか……。それに、その、今更普通の方法でアタックするのは少し恥ずかしいですわ」
「結婚してって言う方がよっぽど恥ずかしいと思うんだけど……」
花音ちゃんはモジモジして「面目ない」という顔をしているので、私は深夜さんに話を振った。
「深夜さんはどうすれば花音ちゃんが普通の方法でアタックできるようになると思います?」
そう尋ねると、深夜さんは頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「いやー、実はアタシ好きな奴ができたこともなくて……。そもそもアプローチの仕方がわかんねーや」
「本当に言いだしっぺのくせにって感じですね……」
「とりあえず少女漫画でも読んどきゃいいんじゃねーか?」
その言葉に花音ちゃんが顔を上げる。
「私の愛読書は少女漫画ですわよ……」
深夜さんの苦笑いが二割増しで引きつった。
「花音ちゃん少女漫画読んでるならさ、普通のアタックの仕方知ってるんでしょ?漫画の主人公の真似するだけだよ」
「ですからそれが難しいのですわ……。つい恥ずかしくてオーバーな表現で誤魔化してしまいますの」
「えっ、あれってそうだったの?」
花音ちゃんの愛情表現の仕方は彼女の素だと思っていたのだが、どうやら羞恥心を誤魔化すためにわざと度を超えたやり方をしているらしい。面と向かって「好き」と言うのが恥ずかしいからって、好きな人に抱きつきに突撃するなんて、私には無理だなと思った。そっちの方が恥ずかしい。
「でもわかってんならもうちょっと勇気出してみろよ。ちょっとだけでいいんだぞ?」
「む、無理ですわよ……。もう九年もこの調子でやってきたのですもの」
「でもここを少し直すだけで店長の反応絶対変わると思うんだ。だからさ、ちょっと頑張ってみよ?」
「私に出来ますでしょうか……?根性無しの私に」
深夜さんがドンと胸を叩いた。
「大丈夫だ、安心しろ。セリフと行動はアタシらが考えてやるから!」
「アタシらというか、私ですよね、考えるの」
私の冷静なツッコミに深夜さんは「そうとも言う」と呟いた。いや、そうとしか言わないでしょうに。
私は「はぁ」とひとつため息をつくと、深夜さんを見て、それから花音ちゃんを見た。まぁ花音ちゃんは今じゃ立派な私の友達だ。その友達のために一肌脱いでやりますか!
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