今宵の喜劇にカーテンフォールなど必要なかったのです




私は最近買ったばかりのカバンにハンカチと化粧ポーチを入れた。夏らしいデザインのカバンは購入してからずっとお気に入りだ。カバンとは逆に長年使用している財布を開いて、中に一万円札が入っていることを確認する。これだけあれば足りるだろう。最後に、テーブルの上のスマートフォンで時刻を確認して、それもカバンに入れる。

「よし、行くかっ」

私はカバンを肩にかけて立ち上がった。リビングを横切る時に、お母さんに「行ってきます」と挨拶する。キャミソールにかぎ編みのカーディガンを羽織り、ショーパンに合わせて白いエナメルのサンダルを履き、玄関のドアを開ける。一歩外に出ると真夏の強い日差しが肌に突き刺さった。

こんなに日差しが強いと日焼け止め塗ってても焼けちゃうな、と思いつつ自転車にまたがる。目指すは待ち合わせ場所である駅。私はペダルに乗せた足に力を込めた。

この気温の中自転車を十分も漕ぐとさすがに少し汗をかく。駅の時計を見ると時刻は十二時二十分。待ち合わせ時間の十分前だった。早めに来て良かったと思いながら、私は首筋の汗をハンカチで拭った。

駅に設置してあるイスに座って待っていると、時間ぴったりくらいに待ち合わせの相手がやって来た。白地にピンクのストライプ柄のワンピースを着たにっしーが手を振りながらこちらに近づいて来る。

「お待たせしました~」

「にっしーにしては珍しく時間ぴったりだよ」

「電車の時間が私を急き立ててくれまして」

私の「じゃ、行こっか」を合図に、ホームへ向かって二人並んで歩き出した。今日は隣町へ久しぶりに二人でお買い物だ。私達はワクワクしながらホームにやって来た電車に乗り込んだ。

それを教えてくれたのは花音ちゃんだった。陸男さんの目を上手くかい潜り朱雀店に押しかけてきた花音ちゃんは、「蓮太郎さんと二人で行きたいんですの」と言いながら【琵琶湖花火大会】という見出しのチラシを見せてくれたのだ。花音ちゃんが店長と行けるかというとまぁ普通に考えて行けないと思うが、せっかく花火大会の存在を知ったのだから私も友達と行きたい、ということでチラシを一枚貰っておいたというわけだ。

その花火大会に友人であるにっしーを誘うと、彼女は喜んでオーケーした。仕事バカの彼女のことだから、夏休みもバイト三昧でほとんど遊びに行っていないのだろう。高校生の夏休みは人生で三回しか来ないのに、見ている方がもったいないと心配になる。

二人で花火大会に行くことになったのはいいものの、一つ問題があった。何とにっしーは浴衣を持っていないと言うのだ。せっかくの花火大会なんだからやっぱり浴衣で行きたい。ということで、今日は二人で浴衣を買いに行くことになったのだ。

私の持っている浴衣も高校生の時に着ていたピンクの子供っぽいやつなので、ついでに自分の物も買うつもりである。ピンクみたいな子供っぽい色は卒業して、大人っぽい渋めの和柄なんかが欲しいなと思う。

地元の店では品数も少なく気に入った浴衣が見つからなかったので、今日は二人で隣町の大きなショッピングモールまで買い物に行くことにした。この時期なら種類も豊富に用意されているだろう。

「二人でここに来るのも久々ですね」

「そういえばそうだね。もう一年ぶりくらいだっけ?」

「最近はファミレスでグダグダトークが多かったですからね」

「そっちの方が私達に合ってるしね」

昔はよく映画やらウィンドウショッピングやら、遠出して遊んだものだが、実は二人とも活発に出歩くのは性に合ってないんじゃないかと気付いてからは、近所のファミレスにこもってグダグダ長話をすることが多くなった。まぁこういう大きなお店って、人混みで疲れるし、店内を歩き回るのも大変だしね。

「とりあえず浴衣の置いてそうな店、片っ端から入ってこうか」

「はい!」

一番最初に入った店には、私の気になる浴衣はなかった。にっしーの反応もまずまずだったので早々に店を出る。そうして二店目三店目と巡っていくうちに、二人の手には浴衣の入った袋が握られていた。

「いい浴衣見つかって良かったですね」

「うん。でもにっしーがヘナモン星人の浴衣を選んだ時はどうしようと思ったよ」

「日本ではまだまだマイナーなキャラクターであるヘナモン星人の浴衣を見つけてテンションが上がってしまって……」

マイナーというか、ほんなキャラクター知ってるのにっしーくらいだと思うけど。とりあえずヘナモン星人購入は阻止することに成功し、にっしーの選んだ浴衣は白地に薄紫の花柄に濃い紫の帯がついたものだった。同色系の髪飾りも購入済みである。そして私の浴衣は紺地に赤い牡丹柄のものだ。黒字に桜柄のものと迷ったのだが、紺色の方が自分に似合っているような気がしてこちらを購入した。

一時間程で今日の目的である浴衣を購入する

ことが出来たので、フードコートで少しおしゃべりしてから帰ろうということになった。にっしーは今日は夕方からバイトらしいので、ならそれから暇になると思って店長には夕方から店に顔を出すと言ってある。

「花火大会は確か二十二日ですよね。私その日四時上がりで良かった」

「職場の更衣室で浴衣に着替えてそのまま来るんだよね?」

「はい、飾り帯のやつにしたんで一人でも着れると思うんで」

「なら駅集合にしよっか。にっしーの職場って確か駅と近かったよね?」

「歩いて十分くらいですね。帰りに職場で着替えたら自転車で家まで帰れますね。あっらーはどうします?」

「私も職場で着替えて行こうと思う。夕方まで仕事するって店長に言っとくよ」

「でもあっらーが買った浴衣って半幅帯ですよね?一人で大丈夫ですか?」

「うーん……。まぁ、家で練習しておくよ」

どうせ自分で出来なくても、店長に頼めばやってくれるだろうしね。

「一応駅についたらメッセージ送るね。たぶん花火大会行く人達で溢れ返ってると思うから」

「大きな花火大会なんですよね。あっらーに貰ったチラシ見ましたけど、花火一万発上がるって」

「ね、すごいよね。私この近所の小さい花火大会しか行ったことなくてさ」

「私なんて子供の頃近所の神社の夏祭りに行ったきりですよ。あとはお店で買った花火とか」

「楽しみだよね。屋台もいっぱい出るらしいし」

「私リンゴ飴食べたいです!一回も食べたことなくて」

「私はやっぱりかき氷かなー。ご飯はうどんにするか焼きそばにするか……」

「二つ買って半分こしましょうよ!」

「いいねそれ!あ~、余計楽しみになってきた!」

花火大会への期待と近況報告でしばらく盛り上がり、仕事の時間も近付いてきたのでそろそろ帰ろうということになった。改札を抜け、ホームで電車が来るのを待つ。

「あと三分で電車つくらしいですよ」

「私達ちょうどいい時に店出たね」

さすがは我らが日本国ということで、それからきっかり三分後に電車がやって来て、私達はそれに乗り込んだ。

「席、ビミョーに空いてないね」

「一駅か二駅ですし、このまま立ってましょうか」

車内はそれほど混んではいなかったが、二人がけの席を一人で占領している者が多く、私達の他にも立っている乗客が多数いた。

にっしーは次の野洲駅で降り、簡単な別れを済ませて私は次の南鳥駅を目指した。暇を持て余して、ついつい何度もスマホで時刻を確認してしまう。電車が南鳥駅についたのは午後四時半だった。

駅を出てしばらく歩くと、私は道端に座り込む人影を見つけた。周りには特に何もなく、その人物は木陰で俯いてじっとしている。気になって側を通り過ぎる時よく観察してみたが、どうも様子がおかしい。

まさか、熱中症……?たしかにここ数日猛暑が続いている。もしかすると体調が悪くなってここで休んでいるのかもしれない。そう考えると、深く被ったフードも日よけだと推測できる。私は一度歩いた数歩を引き返して、しゃがみ込むその人物に声をかけた。

「あの……大丈夫ですか?」

隣にしゃがんでそっと声をかけると、その人物はゆっくりと顔を上げた。長い髪と華奢な身体から女性だと思っていたのだが、どうやら男性らしい。年は高校生くらいだろうか。フードの間から出た長髪は、きれいな白色をしていた。

「体調が悪いんですか?」

そう尋ねると、相手は無言で小さく首を振った。そして口を開きぽつりと一言こぼす。

「ヒトを待ってる……」

「あ、そうだったんですか……。でも顔真っ青ですよ?大丈夫ですか?」

「ちょっとだけ頭が痛い」

それを聞いて私はやっぱり!と思った。

「それ熱中症ですよ!他に悪いところはないですか!?」

「ねっちゅうしょう……?」

「とりあえず、私水買ってくるんでここでじっとしててください!」

それだけ言うと、私は返事を待たずに駆け出した。幸いここは駅前、すぐ目の前にはコンビニがある。私はコンビニで冷たいミネラルウォーターを買ってさっきの木陰へと戻った。

「水買ってきたんで、これ飲んでください!」

「でも外の人間に物を貰ってはいけないって言われてる……」

「大丈夫ですよ今そこで買ってきた物だから!このままじゃぶっ倒れますよ!」

この状況で見知らぬ他人から貰ったものを口にする事を躊躇っているというのか。別に毒なんて入ってないのに。何度勧めても同じ理由で断るので、ついに私はペットボトルのキャップを開けて中身をグビグビと二、三口飲んだ。

「ほら、毒なんて入ってませんから。いい加減飲まないと殴りますよ」

男の子の顔色は明らかに先程より悪くなっており、汗もかいている。今にも倒れそうだ。もちろん殴るなんて嘘っぱちだが、「殴りますよ」と言うと何故か男の子は素直に水を受け取った。男の子はまずペットボトルの中を覗き込み、それから恐る恐ると口をつけた。

何とか水は飲んでくれたが、水を飲んでくれたからといって熱中症が治るわけではない。彼を病院へ連れて行った方がいいだろうか。熱中症になった場合の処置の仕方、昔学校で習ったはずだがそんな場面に出くわした事がないので忘れてしまった。これからどうしよう。

男の子は水を半分ほど飲んで動かなくなった。さっき頭が痛いと言っていたし、こんなに汗もかいていてきっと辛いはずだ。言わないだけで吐き気とかもしているのかもしれない。私はカバンからスマホを取り出して電話をかけた。

《もしもし雅美ちゃん?どうしたの?》

電話をかけると店長はわずか二コールで出た。きっと目の前にスマホを置いて、来客用のソファーで仕事をしていたに違いない。

この状況で私が助けを求めたのは店長だった。前に北野さんが怪我をした時に応急措置で止血する方法を知っていたから、もしかしたら熱中症の処置の仕方も知っているのではと思ったのだ。いや、これは期待というかほぼ確信していた。

「熱中症っぽい症状で道にうずくまっている人がいるんですけど、どうすればいいでしょうか……」

《今どういう状態?肌の色は普通?体温は?》

「えっと、木陰でうずくまってて……。肌はちょっと青白いです。体温は……」

私は「失礼します」と小さく呟いて、男の子の額に手をあてた。彼は無抵抗でぼーっとしている。

「体温は普通だと思います。とくに熱もないし……」

《なら仰向けに寝かせてあげて。足の下に何か荷物置いて足が心臓より高くなるようにして。それからとりあえず身体冷やして。タオルを水で濡らすとか、風を送るとか》

「ちょ、ちょっと待ってください……っ」

一度にそんなに言われても処理しきれない。私が待ってと言うと、電話の向こうの店長は黙った。

とにかくまずは男の子を仰向けに寝かすことにする。男の子は荷物を持っていなかったので、仕方なく私のカバンを足の下に置くことにした。半分残っていたミネラルウォーターでハンカチを濡らし、男の子の額に置く。男の子は終始力無く手足をだらりとさせていたが、私が額にハンカチを置こうとした時だけフードを押さえて離さなかった。

「店長、とりあえず寝かせておでこにハンカチ置きました!」

《早かったね。じゃあ近くにコンビニとかあったらスポーツドリンク買ってきて。水分はとれそう?》

「はいっ」

私は財布を手に取り立ち上がった。先程のコンビニに、今度はスポーツドリンクを買いに行く。さっきのミネラルウォーターはハンカチを濡らすのに使ってしまったから、どうせもう一度コンビニへ行こうとは思っていたのだ。しかし、よく考えてみれば汗で塩分が失われているんだから、水じゃなくてスポーツドリンクの方が良かったのか。

《で、最後に》

「最後に……?」

《救急車を呼ぼうか。再発する可能性もあるし》

「わかりました。じゃあ一回切りますね。ありがとうございました!」

店長との通話を切り、すぐに救急車を呼ぶことにする。一、一、九、と。慣れない番号なので確実にボタンを選ぶ。ちょうどコンビニを出た時、通話ボタンを押そうとしたその直前、私は木陰に寝かせたままの男の子の周りに数人の人がいることに気が付いた。

一瞬、ようやく他の通行人達が気を留めだしたのかと思ったが、どうもそうではないっぽい。男の子の両腕を掴んで、無理矢理立たせようとしているのだ。私は救急車を呼ぶことも忘れてそちらへ駆け寄った。

「ちょ、ちょっと何してるんですか!この人病人なんですよ!?熱中症なんです!」

男の子を囲む数人の中に割って入る。男の子を助けてあげたかったが、腕を掴んでいる二人の男性はどう見ても私より力が強そうだったので、私は諦めて代わりに一番偉そうな人を睨みつけた。

「熱中症?違いますよお嬢さん、これは熱中症じゃありません」

嫌味な笑顔を浮かべてそう言う男性は、二十代後半くらいの年齢、髪をオールバックにして眼鏡をかけ、このクソ暑いのに長袖の白衣を着ている。それと……男性にしては背が小さい。それでも私よりは高いので私は男性を見上げて睨みつけているのだが。

「熱中症じゃないってどういうことですか?こんなに苦しそうなのに。とりあえずこの子を離してあげてくださいよ!」

できる限り怖い顔を作って言ってみるが、男性は私の話などまるで聞いていないという様子で、男の子を掴む二人の男性に指示を飛ばしていた。

「おい、運べ」

男性の一言で二人は近くに停めてあるバンへ男の子を担いでいった。バンの荷台の扉が開いて私は驚いた。中には大きな檻が設置されていたのだ。まるで動物園のライオンを入れておくような。私があまりにも非日常な檻に釘付けになっていると、目の前にオールバックの男性が移動して私の視界を塞いだ。どうやら見られたら困るものらしい。

「そういえばこれは君の物かな?」

そう言った男性の右手では、握られた私のカバンがブラブラと揺れていた。私はそれを引ったくるように受け取る。

「あれは何なんですか!?何であの子を檻に入れる必要があるんですか!?」

「それ以上聞くのは止めておいた方がいい。もちろん見るのもな」

ガチャリと南京錠が閉まる音と、二人のうちの一人が「室長!終わりました!」と言う声が聞こえた。オールバックチビがどいて再び私の視界が開けた時には、もう男の子の姿はなく、二人の男性もバンに乗り込んだ後だった。

オールバックチビは私などまるでいないかのように無視して、バンの後ろに停めてあった白い車に乗り込む。店長が乗っているのと同じくらい高そうな車だ。バンが発車したかと思うと、チビの車もそれに続いて走り出した。二つの車はあっという間に見えなくなってしまう。

「な、なんだったんだろう」

何やら危ない組織のような気がする。だって普通は人間を檻に入れたりなんかしない。それもあんなに苦しそうにしている人を。

チビだけでなく、男の子を掴んでいた二人も白衣を着ていた気がする。何かの研究所の人間だろうか。この辺で研究所といったら、メルキオール研究所……?

そうだ、この辺で研究所といったら野洲市の外れにあるメルキオール研究所しかない。北野さんか……それか冴さんに聞いたら何かわかるだろうか。いや、もしメルキオール研究所が何か危険なことをしているのなら、二人だって加担している可能性もある。

「…………」

とにかく、店に帰って店長と瀬川君に話してみよう。私は木陰に落ちていたペットボトルを拾い上げ、浴衣の入った袋を引っ掴んで駐輪場へと向かった。




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