知らない方が幸せ
青い空、白い雲、キラキラと輝く広大な海━━いや、湖。七月二十六日、日曜日。私達朱雀店の三人はベストカップルコンテストを見守るため琵琶湖に来ていた。
「すごい晴れましたね。コンテストもきっと盛り上がりますよ」
駐車場に車を停めしばらく歩くと、浜辺にたくさんのビーチパラソルと水着姿が見えてきた。もう少し先にはコンテストの舞台であろうステージと、並んだビーチバレーのネットが見える。
現在私達はまだ浜辺には下りておらず、少し高い位置にあるコンクリート製の道を歩いている。コンテストが始まるとコートの周りやステージの前に観客が集まるのだろうが、私達は少し離れたこの場所から観戦する予定だ。人混みは瀬川君も嫌がるだろうし、遠巻きに眺めるくらいが気楽でいい。
幸い今日は快晴。空は真っ青だ。空気もカラッとしていて清々しい暑さだった。私はTシャツと短パンにサンダルという格好で暑さ対策をしている。
「店長、青龍店の人達とどこで合流するんですか?」
私は店長に近づくとコソッと尋ねた。おそらく瀬川君はまだ青龍店の人達が来ることは知らないはずだから、あまり大きい声で話さない方がいいだろう。まぁここまで来てしまったら、今言ってしまっても引き返すことはできないだろうが。
「あ、今ついたって。こっちの場所伝えたからもうすぐ来るんじゃない?」
店長がスマホを操作していた手を止めて答える。彼はそのままそれをポケットにしまってしまった。
今日ここに来る青龍店の人は副店長補佐とパーマ頭の怖いお姉さんだと聞いていたが、店長はいったいどちらと連絡を取っているんだろう。私がそんな疑問を抱いていたのと同時に、店長がその答えを教えてくれた。
「そういえば、今日来るの副店長補佐じゃなくて勇人になったらしいから」
「はぁ!?」
私の素っ頓狂な声に、数歩前を歩いていた瀬川君が振り返る。私が「何でもないよ」という顔をすると、瀬川君はまた前を向いた。
「何で勇人さんが来るんですか!何しに来るんですか!」
「何か昨日の夜突然来たいって言い出したらしくてさ……」
「意味わからないです」
私は思い切り苦々しげな顔をして不満を表す。だが店長もきっと同じ気持ちだろう。勇人さんが来ていったい誰が喜ぶというんだ。
だが今日来るのが勇人さんならちょうどいい、この間の再戦を申し込もう。先日唯我さんが穴戸市の病院に運び込まれた時勇人さんと口論をしたのだが、店長に乱入されて勝敗はうやむやになってしまった。その時の決着を今日つけてやろう。一発ガツンと言ってやる!
私が背負った炎をメラメラと燃やしながら拳を握りしめたその時、背後から声をかけられた。女性の静かな声だ。
「三人とも、待って」
その声に私と店長は振り返る。私達が振り返ったのを気配で感じ取ったのか、数歩前にいた瀬川君も振り返った。
「待たせてしまったかしら」
その前髪を上げておでこを全開にした髪型の涼しげな顔の女性は、目の前の私と店長を交互に見ながら表情を変えずにそう言った。この人は勇人さんの取り巻きの一人なのに、いつも勇人さんを諌めているあの女性だ。彼女は大きなパラソルとカバンを持って立っている。今日もクールな雰囲気だが、この暑さの中涼しそうな顔ができる秘訣って何だろう。
「先ついてると思ってた」
「出る時いろいろあって」
パーマ頭のお姉さんではなくてこちらのお姉さんが来てくれたことは嬉しい限りだが、与えられていた情報との違いに私は驚きを隠せないでいた。しかし聞いていないのは私だけではなかったらしい。店長がお姉さんの顔を見て少しびっくりしている。
「とりあえず店長があそこに居るのだけど」
そう言ってお姉さんは振り向いて後方を指差した。そちらを見てみると、十メートルくらい離れた場所に勇人さんが腕を組んで立っているのが見えた。
「何であんな遠くにいるの?」
「わざわざ朱雀店に付き合ってやっているんだから呼んでこい、と」
「コンテストの会場向こうだし悪いけどあの馬鹿呼んできてくれる?」
店長はそう言ってお姉さんに手を差し出した。
勇人さんが居るところと真逆の位置にどう見てもベストカップルコンテスト用のステージやコートが準備されているのだが、勇人さんは何を考えているのだろうか。いや、きっと何も考えていないのだろう。
お姉さんは店長の言葉にひとつ頷くと、差し出された手にパラソルを預けると、勇人さんの方へ近付いていった。私達は先に歩き出そうと青龍店の二人に背を向ける。と、すぐ背後まで近付いていた瀬川君が店長に不満気な顔で言った。
「聞いてないんですけど」
「だって言ってないもん」
そんな答えで瀬川君が納得するはずもないが、ここまで来たら引き返せないと彼も諦めたようだ。私達は三人並んで歩き出した。
私達がさっさとコンテスト会場の辺りを目指して歩いていると、後ろからようやく勇人さんがやって来た。勇人さんの一歩後ろにはさっきのお姉さんが無表情でついている。
「団体行動というものを出来ないのかお前らは!自分勝手な奴らめ!」
「輪を乱してるのは勇人の方でしょ。もっと客観的に自分を見てみたら?」
勇人さんが人差し指を突き付けて叫ぶが、店長は眉をひそめながらそう返した。
「いいか、この依頼は青龍店の依頼なんだ。今日は私の指示に従ってもらう!」
「そう言わなきゃ従ってもらえないのって勇人の人望の無さを表してるよね」
店長の小馬鹿にしたような返しに勇人さんは顔を真っ赤にして声を荒げた。
「どうしてお前はそう口だけはでかいんだ!もっと年上を敬ったらどうなんだ!?」
「だったら年上らしいことしてみせてよ。勇人って小学生の頃から進歩ないよね」
「何を!?お前だって小学生の頃からグータラしているじゃないか!」
「じゃあ小学生の頃からグータラしてる僕に勝てない勇人って何?」
「ぐ……それは……ッ」
勇人さんが言葉に詰まる。だが彼はすぐに何か言い返そうと口を開いた。が、しかし勇人さんより一瞬早くお姉さんが声を発する。
「店長」
お姉さんの冷えきった声に勇人さんが口を閉じて振り向いた。お姉さんは無表情のまま次の言葉を発した。
「そろそろコンテストが始まるようですが」
口論に気を取られていたが、私達はいつの間にかステージがよく見える場所まで来ていた。ステージの前にはエントリーを済ませたカップル達がたむろしている。
「あ、ああ、そのようだな」
勇人さんは腕時計を見た。私も時刻を確認したが、現在十時五十五分だった。開始時刻は十一時の予定だ。
「店長は飲み物を買ってきてください。私達はここにシートを引いておきますから」
そう言うとお姉さんは持っていた大きなカバンを地面に置いた。勇人さんは素直に「わかった」と返事をし、海の家の方へ歩いて行く。
お姉さんはしばらく勇人さんの背中を見送っていたが、くるりと店長に向き直るとほんの少しだけ眉を寄せて言った。
「あの人と同じレベルで話をしないで」
「そうやってまた僕にだけ怒るー」
お姉さんの言葉に店長は唇を尖らせる。お姉さんはまるで弟を諭すような顔をした━━あくまで無表情の中にだが。
「君まで子供になってどうするの」
「はいはいすみませんでした」
店長は投げやりに返事をし、ビーチパラソルを立てた。お姉さんが持ってきたパラソルは白の無地で、ビニールシートもよく見るような銀色の物だった。店の備品だろうか?それともお姉さんに好きな色がないだけ?
「あ、そうだ雅美ちゃん。何か飲み物買ってきてよ」
店長に差し出された一万円札を反射的に受け取る。しかし受け取ったと同時に私の口は疑問符を吐き出していた。
「でもさっき勇人さんが買いに行ったんじゃないですか?」
「あいつが僕達の分まで買ってくると思う?」
私はそれもそうかと納得して、さっそく海の家へ向かった。
海の家の売店には冷たい飲み物やフランクフルトや焼きそば、アイスクリームやかき氷などが売っていた。思いの外種類が豊富だ。隣には浮輪やビニールシートなども売られている。
キョロキョロと辺りを見回したが勇人さんの姿はなかった。来る時にすれ違わなかったからまだこの辺にいると思うのだが。まぁ海の家はいくつかあるみたいだし、ここではない店で飲み物を買っているのかもしれない。
私は店長と瀬川君ならきっと何でもいいだろうと判断して、ペットボトルのお茶を三本買った。三百円くらい店長なら怒らないだろうと、自分用にかき氷も購入する。店のおじさんがペットボトルを袋に入れてくれたので、何とか持って帰れそうだ。
お金を払い商品を貰い、みんなのところに帰ろうとくるりと振り返る。すると目の前には二人の男性が立っていた。
「君一人?よかったら俺らと遊ばない?」
「……いえ結構です。連れがいるんで」
浜辺でナンパは最早文化なのだろうか。みんな浜辺に立つとナンパをしなければならないという強迫観念に駆られるのだろうか。
「友達?ならその子も一緒に遊ぼうよ」
「仕事先の人と来てるので」
「どこにいるの?俺らあの辺にいるんだけど、シート移動させようか」
くそ、しつこいな。早く戻らないとかき氷が溶けてしまう。私は顔を逸すように何となく横を見てみた。するとペットボトルを二本持って歩いていた勇人さんと目が合った。
「…………」
「…………」
状況見たらわかるだろ助けろよ、という気持ちを視線に込めてみたのだが、勇人さんはスッと目を逸らすと何も見なかったかのように再び歩き出した。
「あ、ちょっと!」
「え?何?どうしたの?」
どつくようにしてうるさいナンパ男達の間を通りぬけ、勇人さんを追いかける。すると信じられないことに、勇人さんは走り出した。
「ちょっと待てこの人で無しっ!」
私がそう叫ぶも、勇人さんは一度も振り返らず無言で走って行ってしまった。かき氷を持っている私が追い付けるはずもなく、私は歩みを緩めると呼吸を整えた。
「くそ、あの七三メガネめ!」
思わず悪態をつくが、ついたところでどうしようもない。私はふぅっと息を吐いて気分をリセットさせると、みんなのところへ向かって歩き出した。
白いパラソルの下に到着すると、すでにみんな座り込んでコンテストが始まるのを待っていた。並び順はステージに近い方から瀬川君、店長、少し空いてお姉さん、勇人さんだ。私は二本のお茶を手渡して店長にお釣りを返した。
この状況で自分はどこに座ろうかと迷ったが、結局店長とお姉さんの間に座ることにした。青龍店側に座るのは嫌だったが、普段朱雀店の三人でいる時は私と瀬川君で店長を挟むように並んでいるし、それに隣りは勇人さんではなくお姉さんなので大丈夫だろうと思った。私の選択に四人は特に何も言わなかった。
私が腰を下ろしてすぐにハイテンションな音楽が鳴り出した。ベストカップルコンテストが始まったのだ。時計を見ると十一時五分だった。
司会の女性が高い声で開始の挨拶をする。水着に番号をつけたカップル達はその挨拶に盛り上がった。見た感じカップル達は二十代前半が多いようだ。自分だってまだ十九なのに、私は「みんな若いな~」と思いながらその様子を眺めていた。
司会の女性がルールの説明に入る。昨日にっしーに聞いた通り、まずビーチバレーでアピールをするらしい。ステージに上がれるのはビーチバレーの上位十組。カップルは二十組くらいいそうなので、半分はビーチバレーで脱落するようだ。
「それでは今からビーチバレーを始めまーす!カップルの皆さんは係員の指示に従ってコートに入ってくださーい!」
司会の声がマイクを通ってキンキンと響いた。いつの間にか浜辺や私達の周りにもコンテストを観戦する人々で溢れている。しかしこの場所は少し高くなっているので、座っていても悠々とコンテストの様子が見渡せた。いい場所をゲットできたと思う。
コートは浜辺に紐で線を引き、ネットを立てた物が八つ用意されていた。ビーチバレーのルールも簡単で、サーブ権などの小難しいものはなくボールを落としたら相手チームに一点という方式らしい。簡単でわかりやすいルールだ。
司会の合図で試合が始まって、ビーチボールが一斉に宙を舞った。私は隣でぼーっと試合を眺めている店長に尋ねる。
「店長、何でも屋の従業員はどのカップルですか?」
瀬川君は青龍店の従業員の顔を知っているのかもしれないが、私は青龍店にさえ行ったことがない。どのカップルが従業員なのか教えておいてもらわないと見守ることもできないのだ。
「えーとね、手前の右から三番目のこっち側のコートの二人と、奥の左端で順番待ちしてる二人」
「あ、やっぱり二組出したんですか」
「話のわかる副店長がいてよかったよ」
店長の一言に勇人さんが反応したが、お姉さんが目だけで諌めると結局何も言わなかった。
事前に名前を聞いていた色摩さんと贄里さんのペアはどちらのペアだろうか。今試合をしている方のペアをしばらく観察していたが、女性がふわっとトスを上げ男性が強烈な一撃を決めている。相手のカップルは手も足も出ていなかった。あの二人は元バレー部なのかもしれない。
ビーチバレーは一ゲーム十分で終わり、八つのコートからは喜びの声と悲しみの声が半々くらいで上がっている。しかしビーチバレーの得点は何試合かの合計なので、今の試合で点が低くても次の試合でたくさん点を取ればそれでいいのだ。
手前側のコートにいた青龍店のペアが抜け、代わりに左端のコートに順番待ちをしていたペアが入った。司会のお姉さんの合図で次の試合が開始する。
もう片方の青龍店のペアもビーチバレーがとても強かった。ボールは絶対落とさないし、男女共スパイクが強烈だ。軽いはずのビーチボールがあんな速度で砂にめり込んでいる。
「やはり色摩と贄里にして正解だったな」
「二人は小学生の頃からバレーをやっていますから」
勇人さんが「自分の人選は完璧だ」という顔でそう言い、お姉さんが「誰に選ばせてもあの二人になったでしょうけどね」という含みを込めて返事をした。
勇人さん達の会話で、今試合をしている方のペアが、事前に名前を聞いていた色摩さんと贄里さんだということがわかった。二人共そこそこ顔が良くスタイルもいい。身体つきは小学生の頃からスポーツを続けているだけあって、二人共少し筋肉質だった。
結局相手ペアは色摩さんと贄里さんから一点も取ることができないまま試合が終わった。相手の運動神経も結構よかったように見えたが、やはり経験者には勝てないようだ。
色摩贄里ペアが勝ったのを見て勇人さんが小さくガッツポーズをしたが、私達四人はそれをスルーする。勇人さんは恥ずかしそうに右腕を引っ込めた。
第三試合では色摩贄里ペアも、もう片方のペアもコートに入っていた。両ペアとも一回の試合ですでに七点以上取っており、その数は他のペアの約二倍だ。まだアピールタイムがあるので今後どうなるかはわからないが、確実にステージには上がれるだろう。
そろそろ名前がわからない方のペアの名前が知りたくなってきた。おそらく私以外の四人は彼らの名前を知っているのだろうが、誰も教えてくれる気配がない。また店長に聞こうかと思ったが、私はちょっと考えて左隣に顔を向けた。
「あの、手前側のコートに入ってる二人は何ていう名前なんですか?」
私がそう尋ねると、青龍店のお姉さんは表情を変えずに答えた。
「男性の方が比叡野要(ひえのかなめ)で女性の方が麻沼澄架(あさぬますみか)」
「ありがとうございます……」
お姉さんの答えは表情も変えず、声に抑揚がなかったので、私は一瞬怒っているのかと思った。だがきっと普段からこういう話し方をする人なんだろうと考え直す。
このお姉さんは青龍店の従業員なのに朱雀店を差別しない。初めは唯我さんや独尊君のような店同士のいざこざをあまり気にしないタイプなのかと思っていたが、彼女はどう見ても勇人さんの取り巻きだ。朱雀店に肩入れするような人を勇人さんが自分の側に置くだろうか?
私は今日の機会にこのお姉さんと仲良くなれたらいいなと思っていた。勇人さんに対抗する戦力の一つになるのももちろんだが、単純に何でも屋関係の知り合いが増えるのはいいことだ。将来正社員になる気なら今のうちからパイプを広げておかないと。特に正社員の知り合いは大切だ。このお姉さんは雰囲気からしておそらく正社員だろう。
お姉さんの会話とも呼べないような短いやり取りを終え、私は再び前を向いた。どちらのペアも相手ペアを圧倒している。この調子なら、ステージでのアピールタイムまでぼーっと見てても大丈夫だろう。私は横に置いておいたペットボトルの封を切るとお茶を一口飲んだ。
どんどん試合は進み、ついに最終試合。この時点で色摩贄里ペアは三十二点、比叡野麻沼ペアは二十八点でツートップを独占している。ちなみに三位のペアは二十二点だ。これなら確実に両ペアともステージに上がれるだろう。
最後の試合も終わり、最終的な点数は色摩贄里ペアが四十三点、比叡野麻沼ペアは三十七点となった。三位のペアの点数は二十七点で、トップスリーは最終試合前と変わらない並びだった。他のペアの点数はざっと見た限り平均二十点といったところだろうか。とにかく、このままいけば優勝も準優勝も何でも屋の従業員が独占できる。
「いい調子ですね。このままいけば鱒之助ゲットできますよ」
「アピールタイムでひっくり返る可能性もなくはないけどね。二位だけ一般の人とか」
アピールタイムの審査員は五人で、一人五点ずつ持っている。つまり満点だと二十五点入るわけだ。ここで高得点を出せば、今三位以降でも逆転できる可能性がある。優勝はくれてやってもいいが、準優勝だけは何としてでも死守しなければ。
「でもあのペア達なら大丈夫ですよね?普通に美人とイケメンですし」
「色摩達は大丈夫だと思うけど、比叡野達は偽カップルだからなー。恥じらいが勝ったら審査員の点数も低いかも」
それは色摩さんと贄里さんが実際に付き合っているということだろうか?ならこの二人は問題ないな。というか、問題ないことが問題だ。色摩贄里ペアは現在の点数でトップ、さらにアピールタイムでも高得点を出せば確実に優勝だ。でももし比叡野麻沼ペアがアピール失敗して、現在三位のペアが準優勝してしまったら……。何度も言うが、私達が欲しいのは準優勝。優勝なんていらないのだ。
「じゃあ色摩さん達に手を抜いてもらって保険をかけるとか」
「それもいいかもね。でもどうやって本人達に伝えるの?」
「それはスマホに電話して……あ、スマホ持ってないのか」
ステージ前で順位発表を待っているカップル達は、どう見ても水着一丁だ。あとはタオルを持っているくらいか。きっと貴重品はどこか別の場所に預けてあるのだろう。
私と店長の会話を聞いていた勇人さんは「ふんっ」と鼻を鳴らして自分の存在をアピールすると、私達の会話に割り込んできた。
「誰かが走って直接言いに行けばいいだろう。どうやらステージに上がるにはまだ時間がかかるようだからな」
「そう思ったなら勇人が行けばいいじゃん」
「何故私が行かなければならないんだ。お前が行けばいいだろう」
「僕はやだよ。暑いからこの影から出たくない」
「それはただお前のわがままじゃないか!」
「あれ?なら勇人には行きたくない尤もな理由があるの?」
ここにいる全員にわがまま以外の理由などない。相手は他店舗の話したこともない人達だけど、こうなったら仕方ない。私が自分が行きますと立候補する直前で、隣のお姉さんが立ち上がった。
「仕方ないので私が行ってきます」
お姉さんが勇人さんを見下ろしつつそう言うと、勇人さんは途端に慌て出した。
「いや、私が行ってくるからお前はここにいなさい」
「どうしたんですか店長。さっきまであんなに嫌だと……」
「いいから、お前はここにいるんだ。いいな」
お姉さんの言葉を遮って、立ち上がる勇人さん。お姉さんは相変わらずの無表情で「わかりました」と答えて、すっと腰を下ろした。
「ほら勇人、早くしないと色摩達ステージに上がっちゃうよ?」
「うるさい!お前は黙っていろ!」
ステージでは司会の女性が順位発表をしている。このあとすぐ上位十組がステージへ上がるだろう。勇人さんは小走りで色摩さんのところへ向かって行った。
勇人さんが消えて、私達は一瞬だけシンとなる。何だか寂しいから何か喋った方がいいかと考えた時、店長が口を開いた。
「それにしても、どういう心境の変化?こんな人が多くて暑い場所にわざわざ来るなんて」
一瞬瀬川君に言っているのかと思ったが、青龍店のお姉さんに言っているのだとすぐに理解した。
「久しぶりに君の顔が見たかったから」
「なら店に来ればいいじゃん」
「毎日店長のお守で忙しいの」
会話をする二人に挟まれて何だか居心地が悪い。私が混ざれるような内容でもないし。店長もお姉さんも前を見たまま話しているのが唯一の救いか。
それにしても、今日ずっと感じていたのだが、この二人は結構知り合いなのだろうか?会話のテンションは低いが、わりと仲良さそうに話しているように見える。いくら朱雀店を差別しないといっても、お姉さんは青龍店の人間だから店長がこんなに仲良さ気に話しているのは意外だった。
「勇人の世話なんてよくやるよね。さっさとあんな店出ればいいのに」
「……それはどういう意味?」
「さっさと黄龍に移動すればいいのにって意味」
「そうね」
それきり二人は黙ってしまって、先程の静寂よりも居心地が悪くなってしまった。今度こそ何か話題を出そうかと考えたところで、ステージの方から勇人さんが戻って来るのが見えた。
「伝えてきてやったぞ。全員私に感謝しろ」
戻って来るなり勇人さんがまた鬱陶しいことを言い始めるが、私達朱雀店の三人はそれを完全にスルーし、青龍店のお姉さんがお座なりな礼を言っただけだった。
勇人さんが戻って来てすぐにベストカップルコンテストの第二回戦が始まる。アピールタイムだ。カップル達は今から五人の審査員に自分達がどれほどラブラブかをアピールする。
ビーチバレーで勝ち残った十組のカップルがステージの後ろの方に並んでいた。このステージは結構広く、十組のカップルが並んでも尚前方に大きなスペースがある。今しがた行われている司会の女性の説明によると、カップル達は一組ずつその空いているスペースでアピールをするらしい。
司会が審査員の紹介に入った。ステージの右端に五つテーブルが並んでいて、五人の老若男女が座っている。司会は一番端の三十代前半くらいの男性のテーブルの前に立った。
「こちらは滋賀県出身の俳優、高見秋仁さんです。現在水曜十時に放送中のドラマ“夏は夢を知らない”に出演中の人気俳優さんです!」
観客がパチパチと拍手をした。紹介された俳優は「皆さんがどんなアピールをするのか楽しみです」と一言挨拶をした。
「あの俳優さん滋賀県出身だったんですね」
「みたいだね。審査員はみんな滋賀県出身の人らしいよ」
「夏は夢を知らない」というドラマは、確か大人気ではないが大失敗という程でもない、まずまずのドラマだったと思う。しかもあの高見秋仁という俳優は主演ではなかったはずだ。つまり何が言いたいかというと、高見秋仁はそんなに有名な俳優ではない。
「こちらは滋賀県出身の少女マンガ家、きら星うらら先生です!現在“月刊少女ドリーム”で“スカイガール”を絶賛連載中です!」
司会は隣の女性の紹介に移り、少女マンガ家は「マンガみたいにキュンキュンさせちゃってくださ~い」と四十歳過ぎの笑顔で手を振った。このマンガ家も紹介された雑誌も「スカイガール」も聞いたことがない名前だ。私があまりマンガを読まないという理由もあるだろうが、このマンガ家の知名度もイマイチなのだろう。観客の拍手もなんとなく盛り上がりに欠けていた。
「こちらは滋賀県出身の小説家、蟹又蛯丸先生です!代表作の“僕は幼なじみと転校生の間で揺れているのに……揺れているだけのはずだったのにどうしてこうなった”が全三巻絶賛発売中です!」
まさかまさかの作品名を間違えてしまった司会は苦笑いをし、小説家は愛想笑いを返した。だがこんなに長い作品名なのだから司会が間違えるのも無理はない。私はライトノベルはほとんど読まないが、代表作が全三巻と聞いただけでこの小説家の知名度は今ひとつだとわかった。小説家は何か適当な一言を言い、司会は次の審査員の紹介に移る。
こうして五人全ての紹介が終わり、いよいよカップル達のアピールタイムが始まった。カップルは十位から順にアピールしていく。まずはビーチバレー十位のカップルが前に出た。
「植木市から来ました。池上基、二十一歳と」
「牧野恵美、二十一歳です!大学の学部が同じなのがきっかけで付き合いました!」
十位のカップルの声がマイクによって大きく広がる。二人は少し恥ずかしそうに立っていた。一番目という緊張もあるのだろう。
「今日は普段二人で道を歩く時にやっているステップで僕達のラブラブっぷりをアピールしたいと思います!」
その言葉に私達だけだなく、観客も全員ポカンと口を開けた。「え……ステップ……?」という声がちらほらと上がっている。
「ステップとはつまり足取りのことだな。つまりあの二人は歩く時の足の運び方で観客にアピールを……」
「それはみんなわかっています」
お姉さんはピシャリと勇人さんの言葉を遮った。勇人さんは少ししゅんとする。
観客の戸惑いを置き去りにして、十位のカップルは手を繋ぐと頷き合って、妙なステップを踏みながらその場でぐるぐる回りだした。気の済むまで回転すると、二人はステージの真ん中でペコリと頭を下げ、「ありがとうございました」と言った。観客からは苦笑とお座なりな拍手が上がった。
審査員達は微妙な顔をしながらも、合計十一点の点数をつける。最初なので審査員達も隣の点数を窺っているように見えた。ちなみに最高点は俳優の五点で、最低点は少女マンガ家のゼロ点だった。
中にはこのような不思議なことをするカップルが現れながらも、着々とアピールタイムは進んでいった。なんと観客の目の前でキスをするカップルもいたが、観客や審査員達は「これぞベストカップルコンテストだ!」というように盛り上がった。最大のライバルである三位のカップルは高得点の二十三点を叩き出し、合計五十点で終わった。次はいよいよ二位の比叡野麻沼ペアの出番だ。二人は手を繋いで前に出てきた。
「青倉市から来ました。比叡野要です。二十二歳です」
「麻沼澄架です。二十歳です」
そこでいったん言葉が止まり、比叡野さんが少し慌てたように「今のバイト先で知り合いました」と付け足した。やはり台本を用意しているのだろう。
「僕達はまだ付き合って日が浅いので、その初々しさを評価してほしいです!」
そう言うと、二人は向かい合いおそるおそる抱き合った。抱き合う直前に何やら目で言い争っていたように見えたのは、私が偽カップルだと知っているからだろうか。
「す、澄架、愛してるぞー」
「わ、私もー」
少し棒読み気味だが、初々しさと言われればそう取れなくもない……気がする。しかし勇人さんは微妙な顔をしていた。不満があるなら自分が出ればいいのに。
と、突然比叡野さんが尻餅をついた。状況から察するに、耐え切れなくなった麻沼さんが突き飛ばしてしまったらしい。二人は偽カップルがバレたのではないかとあわあわしている。この状況をどう誤魔化すのかと私も冷や冷やしながら見ていたが、比叡野さんは尻餅をついたまま麻沼さんを指差すとこう言った。
「か、彼女はツンデレなんです!ははは……」
その言葉に麻沼さんが「はあ!?」という顔をしたが、比叡野さんが「耐えるんだ!」と目で説得すると、「そ、そうなんですぅ。だからつい……」と取り繕った。比叡野さんは素早く立ち上がると「これで僕達のアピールタイムを終わります!」と言った。
観客からは怪しんでいるような空気を感じるが、さて審査員の評価は?比叡野さん達のビーチバレーの点数は三十七点。ここで十四点以上出さなければ準優勝が危うい。司会の合図で審査員は一斉に札を出した。端から順に一点、五点、三点、二点、三点。
「よしっ」
比叡野さんが思わずガッツポーズをした。麻沼さんが安心した表情で比叡野さんの背中をバシッと叩いた。
「比叡野麻沼ペアは十四点です!ということは……合計五十一点で現在一位ですね!おめでとうございます!」
司会の言葉に私達五人はホッと息を吐いた。これで色摩贄里ペアに一位を取ってもらったら、準優勝賞品の鱒之助限定グッズは何でも屋の物だ。この結果なら色摩さん達には手を抜かずに全力で一位を取りに行ってもらった方がいいだろう。手を抜いて三位になったら全てオジャンだ。
司会に名前を呼ばれて、色摩さんと贄里さんが前に出た。一体どんなアピールを見せてくれるのかと期待して見ていたら、まずお互いの好きなところを十個ずつ上げ、熱い抱擁をかまし、そのままお姫様抱っこをしダンスを踊るように流れる動きで着地し、熱烈なキスを見せつけた。観客からは盛大な拍手が湧き上がった。
「全部盛り……」
あれだけのことをこれだけの人数の前でやってのけたのに、二人は赤面ひとつしていなかった。むしろニコニコと満面の笑みで観客に手を振っている。審査員の出した点数は文句なしの二十五点満点だった。
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