無力と無気力5




店の前に自転車を停め、スマートフォンで時刻を確認する。お昼の二時前だった。ファミレスでにっしーと別れて真っ直ぐ店まで来たが、無意識のうちにゆっくり自転車を漕いでいたのか結構時間がかかっている。まぁ、こう暑くちゃ一生懸命ペダルを漕ぐ気にはなれないが。

「おはようございまーす」

自転車のカゴからカバンを取り、流れるような動きで店の引き戸を開ける。店の中に入ると、来客用のソファーで店長がスマホを耳に当て電話をしているのが見えた。

「だから二組用意すればいいって言ってるじゃん。なんで素直に聞けないの?お前じゃ話にならないから副店長に代わって」

店長は私が来たことに気付くとソファーから立ち上がり、通話をしたまま店の裏へと消えていった。私も荷物を置きに店の裏へ行きたかったのだが、盗み聞きするために後をつけてきたと思われたら嫌なので、ソファーの足元に荷物を置くと腰掛けた。

「…………」

うん、暇だ。ソファーじゃなくてカウンターに座るべきだったかな。カウンターならファイル整理できるし、学校の課題をやるのもいいし。私がカウンターに移動しようと立ち上がったところで、電話を終えた店長が戻って来た。私は上げた腰をストンとおろす。

「雅美ちゃん今日昼ご飯いる?」

「あ、大丈夫です。お腹いっぱいですから」

ついさっき朝っぱらからハンバーグを食べ、ポテトをつまみ、ドリンクバーでたらふく飲み、おまけにデザートまで食べてきたのだ。私の胃袋にはもう余分なスペースはない。

店長は私の答えを予想していたらしく、「了解」とだけ言うと再び店の裏へ消えていった。現在の時刻は二時だ。おそらく昼ご飯を作るために台所へ行ったのだろう。私は荷物を持つと立ち上がり、今度こそ店長を追いかけた。

店の裏を通る廊下を進んですぐの所にある台所を覗くと、こちらに背を向けている店長が冷蔵庫の中身を確認しているところだった。私はその背中に声をかける。

「店長、さっきの電話青龍店ですか?」

私と声に店長は振り向き、「よくわかったね」と言った。“副店長”という単語が出てきたから何でも屋関係だと思ったし、現在依頼で関係している他店舗は青龍店しかないのでそう予想したのだが、どうやら当たっていたらしい。

「もしかしてまた何か言ってきたんですか?」

「ううん、今日は僕の方から聞いたの。準優勝するのにどんな対策立ててるのって」

「それで、どんな対策を立ててたんです?」

冷蔵庫から野菜類と卵を数個取り出した店長は、ドアをパタンと閉めるとこちらを振り返ってこう言った。

「どんな対策立ててたと思う?」

「え……?さあ……?」

店長の表情から察するに、勇人さんはまた酷い案を出していたらしい。そういえば店長会議の時もとんちんかんなことを言っていたな。私には勇人さんが立てた対策の予想が全く付かなかった。

「今日聞いたら対策なんて立ててないんだって。だから助言したらキレられた」

店長はため息混じりに正解を発表した。私は勇人さんのあまりのガキっぷりに何も言葉が出てこなかった。私の想像を上回る子供っぽさだ。

「でも何の対策も無しにどうやって依頼をやり切るんですか?もし準優勝できなかったら……」

「とりあえず副店長には言っといたけど。副店長は話わかる人だから」

私は頭の中のノートを開くと、「青龍店」と書かれたページに「副店長、味方」と書き込んだ。ちなみに他には「勇人さん(店長)、諸悪の根源」や「副店長補佐、勇人さん信者」などが書かれている。

「そういえば店長が考えた対策はどんなのですか?」

水道でニンジンを洗い始めた店長に尋ねる。彼は手を止めずに、私に横顔だけ見せたまま返事をした。

「結局ビーチバレーの得点が高ければ勝てるんでしょ?ならバレー上手い人で二組出せばいいんじゃないのって。準優勝だけ狙わずにとりあえず優勝狙っとけば、二組いれば準優勝も取れるでしょ」

「なるほど、トップツーまで独占しようってことですね」

「そういうこと」

野菜を洗い終わった店長は今度はニンジンの皮を剥き始めた。私はとりあえず話を打ち切って自分の部屋へ向かう。店長も料理に集中したいだろう。

自分の部屋に荷物を置いてエプロンを巻き店に戻る。私は普段店長が座っている二人がけのソファーに座りテレビをつけると、テーブルに課題を広げた。ソファーはふかふかだしテレビは大きいし快適だ。課題をする気力が湧くかは置いておくとして。

「いくら芸大って言っても、普通の勉強もちゃんとしなきゃね」

大学生になってからは芸術的な勉強が中心で普通の勉強をあまりしていないので、高校生の頃より学力が下がっている気がする。数学なんかは確実に高校生の頃の方が出来ただろう。

お昼の二時間ドラマに集中力を持っていかれながらも課題にシャーペンを走らせていると、皿とコップを持った店長がやって来た。しまった、どかなきゃと思ったが、店長は何も言わずに一番近いソファー━━普段瀬川君が使っている席に座った。

「あ、ビビンバ作ったんですか。いいなー。ちょっとくださいよ」

「雅美ちゃんさっきいらないって言ったじゃん」

店長は二つ持っていたコップを一つ私の前に置き、もう一つは自分の近くに置いた。

「さっきまではお腹いっぱいだったんですよ……」

実際店に来た時はお腹がいっぱいで苦しいくらいだったのだが、いざビビンバを見てみると途端にお腹が空いてきた。結局少しわけてもらい、店長が来たことによって集中力が完全に切れた私は二時間の推理ドラマをぼーっと眺めていた。

「やっぱり怪しいのはこの社長ですかねぇ」

「僕は奥さんの方が怪しいと思うけど」

「じゃあどっちの予想が当たってるか賭けましょう」

「僕さっき来たばっかりなのにそれズルくない?雅美ちゃん初めから見てるじゃん」

「わ、私だって課題してたからたいして見てませんよ」

「そのわりに課題進んでないような気がするんだけど」

「気のせいですよ……」

結局社長秘書を殺した犯人は友人で、冴えない警察官の名探偵のトンチの利いた一言で幕が下りた。ここに瀬川君がいれば、彼は犯人を秘書の友人だと予想しただろうか。

「そういえば店長、明日って何か持ってく物あります?」

「特にないけど。別に泳いだりもしないし」

「せっかく琵琶湖に行くのに泳げないなんて残念ですよね……」

「なら雅美ちゃんだけ泳げばいいじゃん」

「一人で泳いで何が楽しいんですか」

「ひたすら遠泳とか」

この日も夜九時まで仕事をし、店長に「お疲れ様です」と言って私は店を出た。家のクローゼットから浮き輪やビニールシートなどを引っ張り出した方がいいかとも思ったが、どうやら杞憂に終わったようだ。

家について風呂と夕飯を済ませ、ビニール製のカバンにタオルや日焼け止めを放り込み、さっさと布団に入った。明日の琵琶湖はきっと体力を使うだろうから、今日はぐっすり眠りたい。私はアラームを八時にセットするとそっと瞼を閉じた。



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