好きも愛してるも重すぎた2
二日後。七月三日、金曜日。夜の十一時二十分。私と店長は植木市にある焼き肉屋「福の神」の駐車場にいた。店長の黒い車はすっかりと闇に溶け込んでいる。
「今仕事終わったって。着替えるのに五分ちょっとかかるってさ」
暗い車内の運転席で、店長の顔がスマートフォンの画面に照らされる。助手席に座っている私はその報告に適当な返事をした。
この焼き肉屋の周りは建物がぎゅうぎゅうに敷き詰められているわけではない。どちらかというと飲食店やスーパーが多いこの辺りは、店の駐車場のスペースの関係で建物同士にかなりの間隔がある。この焼き肉屋はその飲食店群の端の方に店を構えている。ここから三百メートルも歩けば住宅街の中だ。志水さんのアパートはその住宅街にある。
「雅美ちゃん、あれ気付いてた?」
「どれですか?」
店長の指差す先に視線を向けると、道路を挟んで真向かいの飲食店の駐車場に一人の男性が立っていた。黒い服を着て飲食店の看板に隠れるように立っているので、目を凝らさなければ見えない。男性は三十代半ばくらいで、体型は身長百六十センチ程の小太りだ。まぁ、この情報もこの視界の悪さでは当てにならないが。
「あれストーカーですかね?」
「たぶんね。依頼人の言ってた特徴とも合ってるし」
「いつからいたんでしょう?」
「僕達が来たすぐ後」
「じゃあもう三十分も前からいるんですね」
「もしも志水さんがいつもより早く店を出たらストーキングできないしね」
ストーカーは早めに来て志水さんが出てくるのを待っているようだ。いつもこんなに早く来ているのだろうか。毎日ご苦労なことで。
「今から出るって。僕らも行こうか」
どうやら着替え終わった志水さんから連絡が来たらしい。時刻は十一時二十八分。私と店長はそっと車から降りて、隣に停車してあったおそらく従業員の物であろうワンボックスカーの陰に身を潜めた。すぐに店の裏口から志水さんが出て来る。
「あ、志水さん来ましたね」
志水さんは私達の方は見ずに、住宅街の方へ道を歩いて行った。ストーカーが間隔を開けて彼女について行く。その後を私達もそっと追った。
私も店長も目立たないように黒い服を着ている。店長の人目を引く銀髪には無理矢理帽子を被せた。今の私達は完全に闇と同化しているはずだ。だがそれはストーカーも同じ。ストーカーの小太りの男は頭から爪先まで真っ黒の服を身に着けて、早足で歩く志水さんの後をつけていた。
「うわー、ほんとに後つけてる。気持ち悪いですね」
「ああいうのって本人的には見守ってるつもりらしいよ」
「有難迷惑どころじゃないですね」
志水さんが住宅街に差し掛かった。ストーカーもそれに続く。いよいよ作戦決行だ。まぁ作戦と呼ぶほどの計画ではないが。
「そろそろ行こうか」
「はいっ」
「志水さんお願いね」
店長が足を速めて私から離れ、ストーカーのすぐ背後に立つ。どうやら声をかけたらしく、ストーカーはものすごい勢いで振り返った。私は二人の脇をサッとすり抜けて先を歩く志水さんに駆け寄った。そのまま一緒に近くの角を曲がる。ちなみにこの角を曲がるのは、志水さんのアパートへの帰り道の道順にちゃんと合っている。
「志水さん、お待たせしました」
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫です、安心してください」
怖がる志水さんの肩に手を置き落ち着かせる。住宅の塀で店長とストーカーの姿は見えないが、ストーカーが何か喚いているような声が聞こえてきた。ストーカーの声が聞こえるたびに志水さんはビクビクしていた。
十分程経っただろうか。ストーカーの声はピタリと止んだ。塀の向こうはいったいどうなっているのだろう。気になるが怖くて覗くことができない。
志水さんと身を寄せ合うようにして動きがあるのを待つ。するとこちらに近づいて来る足音が聞こえた。さらに身を寄せ合って固まっていると、塀の向こうから店長が顔を出した。
「店長!ストーカーはどうなったんですか?」
「何か説得できそうになかったからとりあえず気絶してもらった」
店長の言葉に塀の向こうを覗くと、ストーカーがアスファルトの上に倒れているのが見えた。
「説得できなかったって、どうするんですか?」
オロオロしている志水さんに代わって私が尋ねる。店長はどちらかというと志水さんに向けて答えた。
「どこか遠くに飛ばすとかじゃダメ?北海道とか」
「わ、私はあの人がストーカーをやめてくれたら何でもいいです……」
私と店長は依頼人のその言葉を了承の意として受け取った。あのストーカーはすぐにでも北海道に飛ばされるだろう。どうやるのかは知らないが、おそらくあのストーカーの務めている会社に圧力をかけて異動命令を出したりするのだろう。
今後の細かな話と料金支払いの為に、志水さんには後日また店に来てもらうことになった。店長はストーカーを別の場所に移動させるからと離れたので、私が彼女をアパートまで送ることにする。隣を歩く志水さんは先程よりずいぶんと落ち着いたようだった。
「よく思い出してみたんですけど、あの人もしかしたら前に店に来たお客さんかもしれないです」
「あの焼き肉屋さんですか?」
「はい。一ヶ月くらい前に来たお客さんで、接客した時に“かわいいね”と言われたと思います。たまにそういうことを言ってくださるお客さんはいますし、あの日あのお客さんはビールを何杯も飲んでいたので酔っていたみたいですし……」
「きっと志水さんの接客が丁寧だったから勘違いしたんですよ」
「私的には愛想笑いを返したつもりなんですけど……」
先程の場所から志水さんの家までは三分も歩けば到着した。アパートの階段の前で志水さんは足を止めて、私の正面に立った。
「本当にどこでどんな人がストーカーになるかわからないですね。私なんてたいして美人でもないのに」
「いえ、志水さんは十分美人ですよ。それに顔だけじゃなくて態度も良かったから狙われたんじゃないですかね?」
志水さんの容姿は十分美人と呼べる部類だし、何より性格が良さそうだ。少し話しただけでもいい子なのがわかる。きっと大学でもモテるだろう。
「接客業は顔が見えるので困りますね。でも毎日店に食べに来られたりされなくて良かったです」
「焼き肉屋さんですからね。一人では来にくいでしょうし……。もう少し手頃な価格のお店なら毎日押し掛けてきたかもしれませんね」
「あなたも気を付けてください。夜道とか危ないので」
「私は大丈夫ですよ。モテたことありませんから」
私は志水さんの忠告を笑い飛ばした。こんな場所で立ち話をするのも良くないということになり、私と志水さんはこの場で別れた。志水さんがちゃんと部屋に入ったのを確認してから、私はポケットからスマホを取り出す。
「もしもし店長?志水さん帰りましたけど、私どうすればいいですか?」
《戻るまでもうちょっとかかりそうだからどっかその辺のコンビニで時間潰してて》
「もうちょっとかかるって……店長今どこにいるんですか?」
《ストーカー放置してたら危ないからさ。明日いっぱい見張りつけとこうと思って。今白虎店に引き渡してるとこ》
そういう理由なら納得するしかない。確かにストーカーを彼の自宅に帰したとしても、目を覚ましたらまた志水さんのアパートに行くかもしれない。ストーカーをどこか遠くへやるまでは見張っておくのが賢明だろう。
《あと二十分くらいで戻るから》
「わかりました。じゃあ焼き肉屋の近くにコーソンあったんでそこに居ときます」
《了解。気をつけてね》
店長との会話を終え、私は大人しくコンビニへ向かった。人々が布団に入るこの時間、辺りは暗くて静かだ。少し怖い。普段私が家に帰る時間より三時間も遅いのだ。周りの雰囲気が全然違う。
ここが野洲市か南鳥市だったらこのまま歩いて帰るところだが、植木市から歩くにはさすがに遠い。
しばらく歩くとちらほらと車が通るようになり、居酒屋などの明かりも見えてきて安心した。私は一直線にコンビニを目指し、店内に入った。深夜バイトの店員が「いらっしゃいませ」とやる気のない挨拶をする。
しばらく雑誌を立ち読みしていたら、目の前の駐車場に黒い車が停まったのが見えた。店の時計を見ると私が来店してから十分が経っている。私はレジ前の棚からガムを一つ取るとお会計をしてコンビニを出た。黒い車の主はやはり店長で、私は助手席に乗り込んだ。
「けっこう早かったですね。あ、ガムいります?」
「何でガムなんて持ってんの?」
「立ち読みだけだと店員さんに申し訳ないと思ってわざわざ買ったんですよ」
ストーカー退治の直後に家に帰れるよう、荷物は車に積んである。私は後部座席に置いておいたカバンに手を延ばした。
「さすがに眠いですね」
「もう十二時半だからね」
「またお母さんに怒られちゃいますよ……」
「今日は何て言い訳してきたの?」
「友達とカラオケ行くけど夜中のうちに帰るって言っておきました。泊まりじゃないから友達の家の連絡先はセーフです」
本当はこの言い訳でも友人の連絡先を教えろと言われたのだが、すぐに帰るからの一点張りで何とか説得してきた。遅くまでかかる仕事が本当にやりにくくなったと思う。親は━━というかお母さんは、私にこの仕事を辞めてもらいたいのだろう。
たしかに、この仕事のことを詳しく話していない私に非がある。どんな仕事なのかどころか店の場所まで秘密にしている。こんなの親が不審に思うに決まっている。だが普通の仕事ではないから言えないのだ。もし理解がある親だったら話すのだが……。
「雅美ちゃんついたよ」
考え事をしているうちに家についたようだ。店長の声で意識が現実に戻ってくる。
車の窓越しに自分の家を見上げてみると、どの部屋にも明かりが点いていなかった。家族はみんな寝たのだろう。普段夜更ししている兄も明日は仕事が朝早いと言っていた。
「では店長、お疲れ様です」
「お疲れ。一応明日報告書書いてね。依頼人と二人でいたとこだけでいいから」
外に出てドアを閉めると、走り出した黒い車はすぐに暗闇に混ざってしまった。私はなるべく静かに玄関のドアを開け、足音を立てないように家に上がる。家の中もシンとしている。やはり家族は寝ているようだ。私はさっさと入浴を済ませると布団に潜り込んだ。眠りにつくまでのしばらくの間も、依然として家は静かだった。
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