好きも愛してるも重すぎた




「おはようございまーす……って、誰もいないのか」

七月一日水曜日。学校を終え夕方バイトに来たが、店内には店長はおろか瀬川君の姿もなかった。店先に自転車が無いので、瀬川君はまだ仕事に来ていないのだろう。私より遅いとは珍しい。店長は言わずもがなだ。

いったいどれくらいの時間店は無人だったのだろう。まったく不用心な。だいたい、店長は二階に住居があるんじゃないのか?これじゃ泥棒が入りたい放題だ。

私は自分の部屋に荷物を置くと、腰にエプロンを巻きつつ店に戻った。途中で掃除用具用のロッカーからホウキとチリトリを持ってくるのも忘れない。今日は店の掃除をしながら、退勤時間までファイル整理をする予定だ。今日はというかも最早今日「も」だけど。

もう三十分程掃除をしているが、瀬川君が出勤する気配はない。時計を見てみると六時半だ。学校が長引いてるにしても遅すぎる気がする。

そう考えた矢先、引き戸が開くガラガラという音が聞こえた。

「お……あ、いらっしゃいませ!」

「遅かったね瀬川君」と言おうとして、カウンターの前にいるのが瀬川君でないことに気付いて慌てて言い換えた。来客は二十歳くらいの女性で、茶髪に流行りの服を身にまとっていて、今時の若者といった雰囲気だ。

「何かご依頼ですか?」

私は気を取り直すと、営業スマイルを貼り付けてお客さんに近付いた。

「はい、夜道の護衛をお願いしたいんですけど……」

「詳しくお話聞きますね。あちらのソファーに座ってお待ちください」

私は女性を来客用のソファーに案内すると、手早く床のゴミを集めて裏へ向かった。裏のごみ箱にゴミを捨て、ホウキとチリトリをロッカーに片付ける。台所でお茶を淹れると、なるべく急いで店に戻った。

「お待たせしました」

テーブルにお茶を置いて、自分もソファーに座る。女性は「ありがとうございます」と小さく呟いてお茶を一口飲んだ。喉が渇いていたというよりは緊張しているのだろう。こんな店に来る機会なんてほとんど無いだろうから。

「ご依頼は身辺警護とのことですが」

「はい、実は……最近誰かに後をつけられていて……。家に変な手紙が届いたり」

「ストーカーの被害を受けているということですか?」

「はい……。そうなんです」

女性はハンドバッグから手紙の束を取り出した。白い封筒が十枚程輪ゴムで束ねられている。

「これが送られてきた手紙です」

「読んでもいいんですか?」

女性が頷いたので、私は一番上にあった封筒を開け、中の紙を開いた。そこには【世界で一番かわいいね】とか【いつも見守っているよ】とか【昨日はどこどこに行っていたんだね】とか、いかにもストーカーが送りそうな内容の文章が並んでいた。念の為もう二、三通中を確認してみたが、どれも同じような内容だった。

「ちなみにですが、警察には行きましたか?」

「一昨日相談したんですけど、何も被害が無いうちは動けないと言われて……」

それを聞いて私は警察への怒りを覚えた。後をつけられたり気持ち悪い手紙を送られたりするのは立派な被害だと思うが。それに、何かあってからでは遅いのだ。

「そのストーカーに心当たりはありますか?」

私の質問に女性は首を横に振った。

「顔はほとんど確認できてないんですが……見た感じ私の知ってる人ではないと思います」

女性の説明によると、夜道後をつけられている時は怖くて後ろを確認できないらしい。しかし家に帰って窓の外を見てみると、ストーカーらしき男性が物陰に隠れて彼女の方を見ているのだそうだ。隠れていることと辺りが暗いせいで顔はよく確認できないが、おそらく知り合いではないとのことだ。ちなみに依頼人の名前は志水遥(しみずはるか)さんといい、アパートに一人暮らしらしい。

「わかりました。志水さんの依頼はお受けします。今日は店長がいないので後でまたお電話させていただきますね。ここに必要事項の記入をお願いします」

そう言って私は志水さんの前に紙とペンを差し出した。志水さんは必要事項を記入すると、「お願いします」と言って帰っていった。私は「今日の夜にでも連絡します」と彼女を安心させてから送り出した。

志水さんが帰ると、私は店の裏へ行き、ホウキとチリトリを手にして戻ってきた。店の掃除続行だ。それにしても、店長と瀬川君は一体何をしているんだろう。時計を見るともう七時十五分だった。瀬川君はともかく、先程の依頼の件もあるし店長には帰って来てもらわないと困る。ついでに言うと今日給料日だし。

店の床をホウキできれいに掃き、水で濡らした雑巾で隅々まで拭く。水拭きは定期的にやっているのでだいぶ慣れてきたが、やはり普段の簡単な掃除より時間がかかる。腰を叩きながら顔を上げると、外はもう薄暗くなっていた。時刻は八時をちょっと過ぎたところだった。

いくらなんでも二人共遅すぎる。私はエプロンのポケットからスマホを取り出すと、店長の番号に電話をかけた。数回のコール音の後、耳元から店長の《もしもし?》という声が聞こえた。

「ちょっと店長、何してるんですか。今日お客さん来たんですよ?今どこにいるんですか?」

《どこっていうか今店についたとこ》

店長のその返事と同時に店の引き戸がガラガラと音を立てて開いた。私はスマホを耳に当てたままそちらに駆け寄る。

「店長!遅すぎですよ!もう!」

「ごめんごめん。お客さん来たんだって?」

「そうですけど……。瀬川君は一緒じゃないんですか?」

「リッ君は学校のあと直で大阪行ってもらった。そのまま家に帰っていいって言ってあるけど、リッ君のことだから一回店寄ってくんじゃない?」

それから店長は壁の時計を見て「あと三十分くらいで帰ってくると思う」と言った。どうやら瀬川君は別の仕事を任されているようだ。私なんてほとんど店の外の用事を任されたことがないのに、瀬川君にはそんな大役を任せるのか。

店長はそのまま店の奥に進むと、テーブルの上に置いておいた依頼人が記入したあの紙を持って、店の裏へと姿を消してしまった。

私はちょっと唇を尖らせると、手に持ったままだった雑巾をバケツにぶち込んだ。するとバケツの水が跳ねて盛大に飛び散り、私はますます虚しくなった。

それから三十分くらいで店長が再び店にやって来た。手には先程持って行った依頼内容の紙がある。店長がソファーに座ったのを確認して、私もカウンターからそちらに移動する。先程の依頼の話をするためだ。

「店長、さっきの依頼受けますよね?」

「うん。今電話してきたよ」

店長の返事に私は安心した。警察が役に立たない今、依頼人の志水さんが頼れるのは私達だけなのだ。何としてでも彼女をストーカーから守らねば。

「あ、あと、依頼内容ちょっと変わったから」

「どう変わったんですか?」

「身辺警護だったけど、ストーカーを捕まえてもう自分に関わらないようにしてくれって」

そう答えて店長は紙を私に差し出した。私は受け取った紙にさっそく目を通してみる。確かに依頼内容は【ストーカーの撃退と再発の防止】に書き換えられていた。身辺警護だけではいつになったらストーカーが諦めるのかわからない。こっちの方が志水さん的にもいいだろうし、毎日毎日ちまちまと送り迎えをするより手っ取り早く終わるだろう。

「でもどうやってストーカーを退治するんですか?」

変更事項に一通り目を通すと、私は紙から顔を上げて尋ねた。

「頑張って説得するしかないんじゃない?」

「説得でどうにかなりますかね?」

「どうにかするしかないし、たぶんどうにかなるでしょ」

「また適当な……」

しかしストーカーと直接対峙するなら、そのメンバーに私を加えるのは勘弁してほしい。何せ相手は歪んだ愛を持つストーカー様だ。突然刃物を取り出して切りかかってくるかもしれない。とにかく、暴力沙汰になったら私は足手まといなのだ。相手は本物のストーカーだ。独尊君のようにかわいらしいレベルではないのだ。

店長がやる気の感じられない適当な返事をしたところで、店の引き戸がガラガラと開いた。まさかこの店に一日に二度も来客があるわけがないし、十中八九瀬川君だろう。カウンター側の壁の死角から顔を出したのは案の定瀬川君で、彼は普段より多い荷物を抱えていて、更に言うなら普段より疲れているように見えた。

「リッ君おかえり。どうだった?」

「これといって問題はありませんでした」

「うん、上出来上出来」

「ただ」

「ただ?」

「すごく疲れました」

「だからそのまま帰っていいって言ったのに」

店長との会話も途切れたようなので、私は瀬川君に「おはよう瀬川君」と挨拶する。瀬川君もそれに一言返した。私達との会話もそこそこに自分の部屋へ行こうとする瀬川君に、店長が声をかける。

「あ、リッ君、今日依頼来たから確認しといて」

「店長まさか……」

「リッ君は僕を何だと思ってるの?ちゃんとやっといたじゃん」

「すみません、どんなに些細な仕事も平気で部下に押し付けるような上司だと思っていたものですから」

「もうリッ君が終わらなかった仕事手伝ってあげない」

「僕が終えれないのは完全に店長の配分ミスだと思いますけど」

店長が「そんなことないですー。ギリギリで終わる量しか頼んでないですー」と言うのを「はいはい」と聞き流して、今度こそ瀬川君は店の裏へ消えてしまった。帰っていいと言われたのだから今日の仕事はないはずなのに、何をしに行くつもりだろう。溜まっている仕事でもあるのだろうか?

「そうだ雅美ちゃん、さっきの続き」

「ストーカーの話ですか?」

「うんそう。依頼人は明後日バイトらしいからさ、帰りつけてきた所を叩こうと思うんだけど」

私は夕方の志水さんの話を思い出した。たしか彼女は近くの焼肉屋でアルバイトをしており、帰宅するのは深夜十二時前と言っていた。その帰り道、バイトの日は毎日ストーカーが後をつけてくるらしい。バイト先から自宅のアパートまでは徒歩七、八分程度だが、知らない男に後をつけられる恐怖は計り知れないだろう。

「じゃあ金曜日志水さんのバイト先で待機しとけばいいんですか?」

「そうだね。相手を説得するとき雅美ちゃんは依頼人と一緒に離れた所にいてね」

「店長が戦ってくれるんですか?」

「他に誰が行くの?そもそも依頼人一人で放っとくわけにはいかないし、リッ君はたぶん不参加だろうし」

ストーカーの相手は店長がしてくれると聞いて私は一安心した。もし取っ組み合いになったら私や瀬川君では勝てないだろう。どう考えてもこの店のメンバーだと店長が行くしかないのだ。

その後もしばらく話して、明後日の金曜日のストーカー退治について細かい部分を決めた。

志水さんがバイト先を出る十一時半頃にスタンバっておいて、彼女の後をつけるストーカーの後をつけるのだ。帰り道、住宅街に差し掛かった辺りでストーカーの説得を開始する。その時私は前を歩く志水さんに追いつき、彼女を安全な場所まで移動させる。後のことは店長が何とかしてくれるだろう。




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