子どもたちのいろいろ7
たしか店長は三十分で終わると言っていたはずだが、私の聞き間違いだっただろうか。
私はたっぷり一時間かけて資料の整理を終え、出来上がった資料を店長に提出する頃には三時を回っていた。三十分っていうのは、もしかして店長がやった場合の予測なんじゃないだろうか。店長と私の能力が一緒だと思わないでほしい。
店長が資料をざっとチェックし、私にオーケーを出した。私はホッと一息ついてそのまま自室へ荷物を取りに向かう。エプロンの代わりにバックを持って店に戻り、店長の後ろを通りながら挨拶をした。
「それじゃあ店長、お疲れ様です」
「お疲れ。明日家に迎えに行くからここには来なくていいからね」
店長との挨拶を済まして店を出る。ボロボロの引き戸をガラガラと鳴らしながら閉め顔を上げると、目の前に中学生くらいの女の子が立っていた。その女の子は私と目が合うと、パッと背を向け右手の方へ駆けて行く。
「お姉ちゃん!雅美お姉ちゃんが出て来たよ!」
私は女の子が私の名前を知っていたことに驚いたが、女の子が駆けて行った方を見て納得がいった。店から四、五メートル離れた花壇の縁に、瀬川空さんが腰掛けていたのだ。申し訳ないことにすっかり顔を忘れていたが、さっきの女の子は空さんの弟の海ちゃんだ。
空さんが私に片手を上げて挨拶する。海ちゃんは空さんに引っ付くように花壇に座った。空さんのすぐ隣には女性が乗るにしては大きなバイクが停めてある。空さんは普段、このバイクの後ろに海ちゃんを乗せて、県外を飛び回っているのだ。
私は空さんに近づきながら声をかけた。
「お久しぶりです。今日はどうしたんですか?」
私がそう言うと、空さんは黙ったまま私を頭から足の先まで眺め、ようやく口を開いた。
「やっぱ雅美ちゃんってさ、サーキュレーション・クライシスのヒロインのリッカちゃんに似てるよな。知ってる?今水曜深夜に二期がやってんの」
「いえ……。存じ上げないです……」
「魔法物のバトルアニメなんだけどさ、面白いから一回見てみるといいよ。リッカちゃんのコスチュームがカッコ可愛くてさ。ちょっと露出多いんだけど。気が向いたら雅美ちゃん着てみない?」
「あはは……。気が向いたら……」
おそらく気が向くことなど一生ないと思うが。空さんが話している最中、隣の海ちゃんが何やら呪文らしき言葉をノリノリで呟いていた。そのサーキュレーションなんたらとかいうアニメのセリフなのだろうか。
「空さんはまた滋賀の近くで仕事だったんですか?」
このままアニメの話をされたら、本当にコスプレ衣装を着せられかねない。私は早々に話題を変えることにした。
四ヶ月前空さん達が朱雀店にやって来たのはたまたま近くで仕事があったからだと言っていたが、今回はどうなのだろう。前回会った時は「一年に一回くらいしか滋賀に帰ってこない」とかなんとか言っていたが。
「いや、実は一昨日まで岡山にいてさ。バイクかっ飛ばして慌てて帰ってきたんだ」
「何か用事があったんですか?」
「んー、まぁ、家の事情でちょっとな。そういや、陸は今仕事中か?」
空さんの質問に、私は「はい。裏にいると思いますけど、呼んで来ましょうか?」と答えた。空さんは少し悩んだようだが、腕時計を確認すると「そうだな」と頷いた。
「あんま遅くなりたくないし……。悪いけど頼むわ」
私が店に戻ろうと振り返ると、それを空さんが慌てて呼び止めた。
「あ、ごめん、ちょっと待って。店長にバレないように裏口からそーっと行ってくれないか?」
なぜ店長にバレたくないのかそれも疑問だったのだが、私はそれよりも、空さんが「店長」と呼んだことに少し驚いた。たしかこの前私と話した時は「蓮太郎」と名前を呼び捨てにしていたはずだ。私の前だからってわざわざ呼び方を変えたわけではないだろう。
私は「ちょっと待っててください」と告げると、店の裏口へ向かった。なるべく静かに上がり、瀬川君の部屋のドアを叩く。事情を説明すると、瀬川君は私について裏口から外へ出た。
「空さん、瀬川君連れて来ましたよ」
「ありがとな。恩に着るわ」
空さんと海ちゃんの前に立たされた瀬川君は、相変わらず無表情だがどこか微妙な顔をしていた。なんて説明したらいいかわからないけど。
店長からも隠れているし、これからする話は私が聞いてはいけない物だろう。私は空気を読んでさっさと退散することにする。
「それじゃあ私帰ります。瀬川君もお疲れ様」
私の挨拶に瀬川君は「お疲れ」と簡潔に返し、空さんは「コスプレ興味わいたら連絡くれよ!」と言い、海ちゃんは「雅美お姉ちゃんバイバ~イ」と大きく手を振った。私は自転車のペダルに乗せた足に力をこめ、家路につく。
瀬川姉弟がいったい何の話をしているのか気になる所だが、私には関係ないことだ。家についた私はさっさとご飯を食べ、風呂に入り、明日の荷物の最終チェックをすると、早々に布団に入った。まだ夕方の五時なので、こんな時間に夕飯を食べたり風呂に入ったりした私を見て、お母さんはびっくりしていた。
店長は午前一時に迎えに来ると言った。車で行くので長旅になるだろう。行きだけで体力がすっからかんになってしまわないよう、しっかり寝て身体を休ませなければ。
さすがにこの時間に布団に入ってもなかなか寝付けなかったが、それでもいつの間にか眠れたようで、目を覚ますとちょうど日付が五月二十一日に変わったところだった。
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