子どもたちのいろいろ
「ドリームランド?」
「やはり無理でしょうか。東京ですし……」
「ああ、それは大丈夫。任せといて」
店長の言葉に、依頼人の四十代の男性はホッと息を吐いた。
五月十七日、日曜日。「それではお願いします」と軽く頭を下げる依頼人をお見送りして、私は店長の方を振り返る。来客用のソファーに座ったままの店長は、お茶を一口飲んだところだった。
「大丈夫なんですか店長。東京なんて」
「何のために県外派遣員がいると思ってるの」
「あ、なるほど」
県外派遣員と聞いて、私は空さんと海ちゃんの顔を思い出す。二人は黄龍の県外派遣員という業務にあたっていて、主に滋賀県内で仕事をしている何でも屋に舞い込んで来た、県外での仕事をするために日夜飛び回っている。
ちなみに、この空さんと海ちゃんは瀬川君のお姉さんと弟さんだったりする。
「あれ、僕雅美ちゃんに県外派遣員の説明したっけ」
「そ、それは……。ほら、風の噂で何となく……」
「さては空が喋ったな」
店長の推察に私はビクッと反応する。何でも屋には、アルバイトの身分では本部である黄龍の情報を知ってはいけないという風潮があるので、私は少し決まりが悪かった。と言っても、勝手に情報を漏らしてきたのは空さんの方なのだが。
「それにしても、じゃあ私達はドリームランド行けないんですね。ちょっと残念です」
「たぶん日帰りすっごいキツいよ」
「一泊すればいいじゃないですか」
「なら雅美ちゃんだけ泊まれば?」
店長の素っ気ない言葉に私はあからさまに不満げな顔をしてみせた。
東京ドリームランドといえば、日本国内で一番大きく、一番賑わっているテーマパークだ。そこは、その名の通り夢の国。子供はもちろん、大人も楽しめる仕掛けでいっぱいだ。
今日依頼人が東京ドリームランドの名前を出した時、私は正直、ドリームランドに遊びに行けるのではないかと期待した。なにせ東京だ。私は生まれてこのかた、高校の修学旅行の時の一回しかドリームランドに行ったことがない。
まぁ遊びで行くわけではないし、そもそも店長や瀬川君と行って何が楽しいんだという感じだが、やっぱり行きたいものは行きたいのである。少し期待してしまったせいもあり、行けないとわかって結構がっかりしている。
「店長、新しいお茶淹れて来ましょうか」
「ありがと」
店長からコップを受け取って、私は店の裏の台所へ向かった。台所でお茶を三つ淹れると、私は一つだけお盆に乗せて、瀬川君の部屋のドアをノックした。
ドアをノックすると、部屋の中から聞こえてきていたキーボードを叩く音が止み、目の前のドアがすっと開いた。いつも思うのだが、何か一言返事をしてから開ければいいのに。
「瀬川君、お茶淹れて来たんだけど」
「ありがとう」
瀬川君はお盆の上のコップを受け取ると、再び部屋の中に引っ込んだ。はい、本日の私と瀬川君の会話、これにて終了。
私はお盆を持ったまま台所へ行き、今度は二つのコップを乗せて店に戻った。一つは店長の前に置き、もう一つは自分で口をつける。
「こう言ったらあれですけど、さっきの依頼人のおじさん、甥っ子の言いなりなんでしょうね」
「たかが甥のわがままでドリームランドまで行けっていうんだからね」
「あんなことにお金使うのもったいないと思わないんですかね?」
「独身って言ってたし、お金に余裕があるんじゃないの」
なるほど、自分に子供がいないから甥っ子が可愛くて仕方がないのか。あの依頼人のおじさんは、仕事に打ち込みすぎて気が付いた時には婚期を逃していたんだろうなぁ。私も自分が結婚して家庭を持っている姿は想像できないが、一生独身の寂しさを想像すると少し怖くなった。
そういえば、結婚といえば。
「で、店長はいつ花音ちゃんと結婚するんですか?」
私が笑顔で尋ねると、店長が持っていたお茶の水面が揺れた。最近ようやく臆さずにこの冗談が言えるようになったが、今日の店長は普段より動揺が大きかったように思う。
「あのね雅美ちゃん。そういうこと言わないでって前にも……」
「だって店長がぎゃふんと言うのって花音ちゃんネタくらいしかないんですもん」
「ぎゃふんくらいなら何度でも言ってあげるから」
「それただ"ぎゃふん"って言ってるだけじゃないですか」
花音ちゃんの名前を出した時の店長の動揺が普段より大きかったということは、もしかして最近花音ちゃんと何かあったのかな?もしそうだったら、ちょっと申し訳ないことをしたと思う。
「わかりましたよ、もう言いませんから」
「雅美ちゃんの言葉がこんなに信じられないものだったなんて知らなかったよ」
「じゃあ訂正します。しばらくはもう言いません」
私は空になったコップを持って立ち上がると、再び台所へ向かった。ちゃっちゃとコップを洗ってしまって、店の掃除でもしよう。先程の依頼はどうやら私達の出る幕はないらしいし、一日に二人も客が来るような店ではない。今日の仕事は掃除とファイル整理の恒例コンボで終わりだな。私は布巾で拭いたコップを戸棚に片付けると、ほうきとチリトリを持って店へ戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます