理性や衝動は全て一つの意思3
亮平さんの説得を初めて一週間が経ったが、未だに亮平さんは一言も喋ってくれない。毎日毎日、約一時間も一人で喋り続けていて、私はさすがに疲れていた。
「はぁ~~、疲れたぁ」
「雅美ちゃんおかえり」
私は学校から直接村田家に行っているので、「おかえり」という挨拶もおかしいと思うのだが。
私は自室まで荷物を起きに行くのも面倒臭さくて、来客用のソファーにどっかり腰を下ろした。店長が「何かすごい疲れてるね」と苦笑した。
「だって聞いてくださいよ。亮平さんまだ一言も喋ってくれないんですよ?もう五日目なのに」
「いつもどんな話してるの?」
「趣味の話とか……。あと好きな食べ物とか、好きなテレビ番組とか映画とか……。正直、もうネタ切れですよ」
「当たり障りのない話だね」
「本当にそうなんですよ!当たり障りのない話題を見つけるの本っ当に苦労するんですからっ!」
店長はこうして毎日テレビを眺めているだけでいいだろうが、私は授業中にだって話題を考えているんだ。店長もせめて話題の提供くらいしてほしい。
「でもまぁ仕方ないよ。亮平さんはもう十年も母親以外の異性と話していないらしいし、緊張してるんじゃない?」
「だったら尚更店長が行ってくださいよ~」
「うーん……。僕が行くとしたらもうちょっと後」
とか言って絶対行く気ないよこの人。私ははぁとため息をついた。せめて何か喋ってくれるようにならなくては説得にならない。私は亮平さんの性格もまだ全然知らないんだから。
しかしこの翌日、私は初めて亮平さんの声を聞くことになる。四月二十八日、火曜日。私はいつものように合い鍵を使って村田家に上がり、亮平さんの部屋のドアをノックした。
「亮平さん、こんにちは。荒木です。今日は雨が降りそうですね」
返事はない。しかしこれももう六日間も繰り返したこと。私は気にせず話し続けた。
「亮平さんは雨は好きですか?私はあんまり。気分が暗くなりますからね」
部屋の中から物音はしないが、人がいるのは気配でわかる。私が来ると、亮平さんはいつも静かにじっとしているのだ。
「今夜は雨って天気予報で言ってましたけど、もう降るかもしれませんね。今日は傘を持ってきていないので、降ると私は困ってしまうんですが」
駅から歩きながら考えた文面をここまで話した時、私の耳が何かの音を捉えた。人の声だ。
「……れよ」
「えっ?」
慌ててドアに耳をつける。亮平さんが何か喋っているのだ。しかし声が小さくてよく聞き取れない。
「亮平さん?何か言いましたか?」
「帰れって言ってんだよ!」
そしてドアに衝撃が走る。私は反射的にドアから耳を離した。おそらく亮平さんがドアに物を投げ付けたのだろう。床に落ちた時の音からして、投げた物は漫画かもしれない。
「そ、そういうわけにはいきません。私には亮平さんをここから出す義務があります」
「どうせあのババァに言われて来てるだけだろ!何を言われても俺はここから出ない!」
「な、何でですか!ご両親は亮平さんのことを心配してるんですよ!」
亮平さんの声が大きくなった。私も大声で叫び返す。毎日毎日やって来る私がさすがに欝陶しくなって、追い返そうとしているのだろう。
「外に出るとロクなことがない!俺はここで好きなように生きる!他人と会話ならネットでもできる!俺に関わるな!」
「この部屋でずっと生きられるわけないでしょう!ネットで文字で会話しても意味ありません!ちゃんと人の顔を見て話さないと!」
「外に出たらお前ら俺を馬鹿にするんだろ!男は俺を弱っちいってイジメるし、女は俺をブサイクだと笑う!」
「全ての人がそうじゃありません!亮平さんと気が合う男の人も、亮平さんのこと素敵だと言ってくれる女の人もきっといます!」
「うるせー!だったらそいつら連れて来いよ!それともお前が俺と付き合ってくれんのか!?」
「う……っ、それは……」
「ほらな!見たことか!きれいごと並べんじゃねぇ虫ずが走る!」
それからドン、ドンとドアに衝撃が走る。亮平さんがまた物を投げたのだろう。
「帰れ!二度と来るな!」
「きょ、今日は帰りますけど、明日も来ますからね!」
ドンドン鳴るドアと「うるせー二度と来るな!」という声に背を向け、私は階段を下った。一度だけ二階を振り返り、村田家を出る。
村田家を出た途端ため息が出た。どうして私があんな人の説得をしなければならないのだろう。私の話になんてまるで耳を貸さない。
しかし、たとえ罵詈雑言でも喋ってくれたことは立派な進歩だ。昨日までは一言も言葉を発さなかったのだから。明日も喋ってくれるかどうかはわからないが、依頼解決に一歩近づいた気がする。
店についた私は意気揚々と亮平さんが喋ったことを店長に報告した。しかし店長は、亮平さんにどんなことを言われたか私に説明させたあと、「ふーん。明日からも頑張って」と言っただけだった。
翌日、水曜日。私は今日も村田家に来ていた。階段を上がって亮平さんの部屋のドアをノックする。ここまでの流れに私はすでに慣れつつあった。
「亮平さん、こんにちは。荒木です」
しばらく待ってみたが返事がない。昨日は喋ってくれたが、今日はまただんまりかな?とがっかりしたが、よく耳を澄ませてみるとかすかに声が聞こえた。
「もう来るなって言っただろ」
「そういうわけにはいきませんって言ったじゃないですか」
そう言い返すと亮平さんはまた黙った。しかし黙ったのはほんの少しの間で、すぐにまた喋り出す。
「俺は何を言われてもこの部屋から出ない。これも昨日言ったはずだ」
「ご両親は亮平さんのこと心配してます。これも昨日言いました」
亮平さんはまた黙った。しかし私がじっと次の言葉を待っていると、また声が返ってくる。
「ここにいれば俺は安全なんだ。わざわざ危険なところに出る馬鹿がいるか?」
「たしかに部屋の中なら自分に害はないかもしれません。でもそれだけじゃないですか。外にはもっといろんな事があるのに……辛いことも含めていろんな事があるのに、こんな小さな場所に閉じこもっていたら人生がもったいないとは思いませんか」
「思わない」
「なら思ってください」
「思わない」
「本当は思いたくないだけなんじゃないですか」
これには無言。私は構わず先を進めた。
「一回閉じこもってみたら周りが騒ぎ立てたから今更出るのが恥ずかしくなっちゃっただけなんじゃないですか。何かきっかけさえあれば……」
「うるさいっ!」
ドンッとドアに固い物が当たる音がした。漫画より固くて重たい物を投げ付けたのだろう。
「帰れ!お前の話を聞いてると気分が悪くなる!」
「そうやって物を投げて、私が帰った後片付けるの虚しくならないんですか」
「うるせー!どっかいけ!」
再びドアに物が当たる音がする。物が当たるたびに、ドアは衝撃で揺れた。
「昨日からうるせーしか言わないんですね。他に何か言えないんですか。頭の中も中学一年生のままですか」
「二度来るな!クソババァ!」
クソババァだと!?私の方が四つも年下じゃこのクソジジィ!
私はまだドンドン鳴っているドアに蹴りを一発入れると怒鳴り返した。
「そんな子供みたいな性格してるから一人ぼっちなんですよ!あなたもう二十三なんですよ!?いつまでこんなしょうもないことやってるんですか!たった六畳の部屋で王様気取りですか!」
私はさらにドアに拳をたたき付け、続ける。
「いつまでもこの生活が続くと思わないでくださいよ!?明日お父さんが車に轢かれるかもしれない、一ヶ月後お母さんが過労で倒れるかもしれない!そうなったらあなたが働いてお金を稼ぐんですよ!?出来るんですか!?聞いてるんですか、このクソジジィ!」
私は言いたいことをぶちまけると、いったん落ち着いて亮平さんの返事を待った。しかし今度こそ返事はない。私はかばんを持つと、黙って村田家を後にした。
電車に揺られている間に、私は冷静になって考えることができた。亮平さんの説得が上手くいかなくて、最近の私はイライラしていたと思う。すぐには説得出来ないとわかってはいたが、いたずらに過ぎていく日々に焦りを感じていた。
いくら朱雀店に来るお客さんが少ないといえども、亮平さんの説得以外にも仕事はある。この十日間のうちに、部屋いっぱいのゴミの処理と夜逃げの手伝いの依頼がきた。いつまでも亮平さんに構っている暇はないのだ。
それに二十三歳にもなってあの子供っぽい口ぶり。まるで中学生と喋っている気分だった。夏子さんの話によれば亮平さんは毎日毎日食ってはネットして寝て、また食っては漫画読んで寝ての繰り返しらしい。いくらなんでも親に甘えすぎだ。亮平さんが働かないから夏子さんは週に五日もパートに出ているのではないのか!?
一度は冷静になったものの、感情を整理しようと今日のことを思い出すと、逆にイライラしてきた。私はいつもより少し乱暴に店の引き戸を開ける。
「おはようございま……」
店の奥に進みながら、普段店にいる私の代わりにカウンターで店番をしているであろう店長に挨拶を言いかける。しかし来客用のソファーにお客さんが座っているのを見て慌てて口を閉じた。店長が少し苦笑いをする。
「い、いらっしゃいませ……」
完全に素で店に入ったので、恥ずかしさで俯きながらそそくさと店の裏へ逃げた。まさかお客さんがいるとは思わなかったのだ。今日の私は引き戸も乱暴に開けたし挨拶も気怠げだった。普段はこんなふうにはしないのに、あのお客さんに私は普段からこんな人間なのだと思われたら悔しい。
途中で振り返って店の方に耳を傾けてみるが、お客さんは気にしていないようで普通に店長と話していた。
お客さんが帰る頃を見計らって店に戻る。しかし店に出る直前の廊下で、コップを持った店長と出くわした。おそらくお客さんが使ったコップを台所に片付けに行くところだったのだろう。
「あ、店長。お客さん来たんですね」
「まぁね。ネットで個人情報を曝されて困ってるんだって。心配しなくてもリッ君が解決してくれるよ」
「そうですか……」
どうやら先程のお客さんの依頼は瀬川君の仕事になるようだ。もし私の仕事だったら最近のイライラを紛らわすことができるのに、そう思って少しがっかりした。
「店長、私コップ洗っておきます」
「気が利くね雅美ちゃん」
私は店長の手からコップを受け取ると台所に立った。流しでコップを洗い、ついでにお茶を三つ淹れる。一つは瀬川君の部屋に持って行き、残りの二つを持って店に戻った。
「店長、私やっぱり亮平さんの説得下りてもいいですか?」
「何で?」
「実は今日大喧嘩してしまって……」
「仲直りすればいいじゃん」
私と亮平さんはもともと友達でも何でもないので、仲直りという言い方は少しおかしい気がするのだが。
「というか、亮平さんの説得が上手くいかなくて最近イライラしてしまって」
「それでこの頃テンション低かったんだ」
「だから店長説得係代わってくれません?」
「それはダメ」
「何でですか」
もともと不機嫌だった顔を更に不機嫌にして尋ねる。私がこんなに説得の大変さを語っているのに、ちょっとくらい代わってくれたっていいではないか。どうせ面倒臭いから私に押し付けてるだけなんでしょう?
「雅美ちゃんが適任だから」
「適任だったら喧嘩なんてしませんよ。私はカウンセラーじゃないんです」
「喋り始めたんならもうちょっとだから頑張って。で、今日は何話したの?」
どうやら店長に代わってくれる気はさらさら無いらしい。私はわざと聞こえるようにため息をつくと、今日亮平さんとした会話を説明し始めた。
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