理性や衝動は全て一つの意思2




二日後。四月二十一日、火曜日。私はとある一軒家の前に来ていた。ここは朱雀店がある南鳥市の隣の市にある村田家。ごくごく一般的な一軒家だ。郵便ポストのネームプレートを見ると両親と息子の三人家族だということがわかる。

私は深呼吸をひとつすると、インターホンを鳴らした。これからこの家の一人息子である亮平さんを説得して、引きこもりから社会復帰させなければならない。正直、私なんかに手に負えるのかわからない大任だ。

家の中で呼び鈴が鳴り響くのが聞こえ、しばらくすると玄関のドアがガチャリと開いた。先日会ったばかりの依頼人、亮平さんの母親である夏子さんが顔を現した。彼女は普段は朝から夕方までパートに出ていて、今日の来訪は彼女の休みの日に合わせたのだ。

「こんにちは、何でも屋朱雀店の荒木雅美です。今日からよろしくお願いします」

「よく来てくださいました。どうぞ、片付いてない家ですが、上がってください」

夏子さんはスリッパを取り出して私の前に置いた。私はペコリとお辞儀をして家に上がる。

「ごめんなさいね、こんなことをお願いして」

「いえ、そんな……」

「本当は私達親が解決してあげるべきなんでしょうけど、もう私達の話も聞いてくれなくて……」

そう言って夏子さんは、玄関の目の前にある階段を見上げた。先日の夏子さんの話と瀬川君が調べた情報によれば、この上に亮平さんの部屋があるらしい。

「すぐにあの子を説得できるとは思っていません。時間がかかるとは思いますが……どうかお願いします」

夏子さんが頭を下げるので、私は慌てた。もしかしたら夏子さんは、息子さんの説得を他人に頼んでしまったことを恥ずかしく、また悔しく思っているのかもしれない。

夏子さんの案内で私は階段を上った。階段を上がってこちらから二番目の部屋。ここが亮平さんの部屋だ。夏子さんは部屋のドアを小さくコンコンとノックした。

「亮平、今日はお客さんが来ているの。何でも屋っていうお店の方。ちょっとお話してみて?」

返事は返って来なかった。夏子さんは表情で「お願いします」と言うと、階段を下りて行った。

私はまず部屋の中に耳を澄ましてみる。静かだ。おそらくこちらの様子を伺っているに違いない。私は勇気を出して声をかけてみた。

「こんにちは、亮平さん。私は何でも屋の荒木という者です。良かったら少しお話しませんか?」

これにも返事はない。しかし、部屋の中から小さくガタッと音がした気がした。椅子の上で身じろぎでもしたのだろう。

そこに夏子さんがやって来て、私に冷たいお茶を出すとすぐに一階に戻って行った。夏子さんには私の判断で居座ったり切り上げたりしていいと言われている。説得の仕方も優しく語りかけてもいいし説教をしてもいい、喧嘩をしてもいい、私のやり方で自由にやっていいと。

「亮平さん、私あなたと仲良くなりたいので、いろいろ聞いてもいいですか?そうですね……では、亮平さんの趣味はなんですか?」

無言。おそらく相手は部屋の中でじっとすることに努めているのだろう。私はしばらく間を空けてから、再び話しかける。

「私の趣味は絵を描くことなんです。実は芸大に通っていて。亮平さんは絵は好きですか?」

やはり無言。屁理屈を言い返してきたり罵声が返ってきたり、様々なパターンを想定してから来たが、そもそも相手には返事をする気がないらしい。ならば初日から長居するのは逆効果か。私は三十分程粘ったが、かばんを持つと階段を下った。

私が階段を下りる音を聞いて、夏子さんがリビングから出てきた。おそらく私が説得している間気が気でなかっただろう。

「今日は一言も喋ってくれませんでした。まずは息子さんの信頼を得ることから始めようと思います」

「そうですよね……」

「ちょっとずつ時間を延ばしていって、とりあえず返事をしてくれるようになろうと思います。明日もこの時間に来る予定なんですけど……」

「あ、そうでした。これを渡しておきますね」

夏子さんはエプロンのポケットから鍵を一つ取り出した。この家の鍵だ。夏子さんは普段は夕方までパートに出ているので、この家の合い鍵をお借りする約束になっていたのだ。そして私は平日は毎日ここに来る。

「明日からは冷蔵庫に入っている飲み物を勝手に飲んでください。ホットがよかったら、戸棚を見ればすぐに場所がわかると思うので」

「いえ、そんな。勝手にそんなところまで上がり込むわけにはいきませんから」

亮平さんは全く返事をしてくれないので、ずっと私が一人で喋っていることになる。今日も喋り続けて喉が渇いたので、明日は自分で飲み物を持って来ようと思った。

「それでは、また明日来ますね」

「ありがとうございます、気をつけて帰ってください」

夏子さんに見送られ、玄関から外に出る。振り返って家を見上げてみたが、ここからでは亮平さんの部屋の窓は見えない。私はかばんを肩にかけ直すと、駅に向かって歩き出した。



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