理性や衝動は全て一つの意思




「いらっしゃいませ!」

引き戸が開くガラガラという音に私は顔を上げた。目の前には四十代半ばくらいの細身の女性が立っている。髪は軽く染めるくらいで、服装は足首まであるロングスカート。一目見た印象では、普通の主婦といった感じだ。

私は慌てて学校の課題をカウンターの下にしまい、笑顔を作った。

「本日はどのようなご用件ですか?」

「あの……。このお店は何でもしてくださると聞いたんですけど……」

怖ず怖ずと一歩前に出た女性に、私は笑顔のまま答える。

「はい、ここは何でも屋ですからっ」

「本当に何でもしてくれるんですか?ちょっと変わった依頼なんですけど……」

まだ不安そうな顔の女性に、私は再び大丈夫だと答えた。この質問は今までに何度もされている。ほとんどのお客さんは店に入ってまずこの質問をするのだ。そうでなかったら「いなくなったペットを探してほしいんですけど」のどちらかだ。

私は女性を来客用のソファーに案内すると、台所で淹れたお茶をテーブルに置いた。今日は……というか、今日も店長が店にいないので、お話だけは私が聞いておこうと思う。

「本日はどのようなご依頼ですか?」

「あの……本当に変なお願いなんですけど……。他に頼める人がいなくて……」

「大丈夫ですよ、ここのお客さんはたいていみんな変わった依頼をしていくので、気にせず話してください。きっとお役に立てますから」

私はまだ口ごもる女性に話の先を促す。どのお客さんもたいてい最初は話にくそうにするが、この女性は特に時間がかかっている。そんなに変な依頼なのだろうか?そんなに気にしなくても、こんな店に来るお客さんの依頼なんて変なものばかりなのだが。

「実は……息子の説得をしていただきたいのです」

「説得ですか。……ちなみに息子さんは現在おいくつですか?」

「二十三です」

わお、年上だった。なら正直私はやりにくいなぁ……。年上の説得なんて。このタイプの依頼は初めてだが、受けたら私がやることになるのだろうか?屁理屈で押し通しそうな店長や冷静に言葉を選んで話をしそうな瀬川君の方が向いていると思うのだが。

「二十三ということは、もしかして将来についてですか?」

「ええ……まぁ……。将来についてと言われればそうなんですが……」

二十三ということは、四大を卒業してすぐだ。もしかしたら就

活が上手く行かなくてニートになるとか言っている息子さんの説得かもしれない。私はそう考えて尋ねてみたのだが、女性は肯定したにしては浮かない表情だった。

「あの、はっきりと申し上げてしまいますが、実は息子は……。その……引きこもりなんです」

女性はそう言って少し吹っ切れた顔をした。あまり印象のいいワードではないから、どうりで言いにくそうにしていたわけだ。ちなみに私は「引きこもり」というワードを聞いて何と返したらいいか分からずにいた。

「息子は中学一年生の時にイジメを受けて、それ以来自分の部屋から出ないようになりました」

「…………」

「息子が引きこもってもう十年です。夫とも話し合って、息子の為にもどうにかしなければと」

「……つまり、ご依頼は息子さんを社会復帰させるための説得ですね?」

「はい」

「わかりました。詳しい話はこれからするとして、とりあえずここにお名前と電話番号をお願いします」

引きこもりやらイジメやらというワードにたいしてどんな反応を返したらいいかわからず、つい用紙記入に逃げてしまった。まだこの依頼を受けるかどうかも決まっていないのに「詳しい話はこれから」だなんて。まぁ、店長が依頼を断るところを見たことがないのでおそらくこの依頼も受けることになるだろうが。

その後三十分間みっちりと息子さんの事情を聞き、「また連絡します」と伝えて今日のところは帰ってもらった。しかし女性が帰った五分後に店長が帰って来て、あと三十分早く帰ってきたら良かったのにと私は小さく悪態をついた。

とりあえず店長が帰ってきたなら先程の依頼について報告しなければならない。私は「お客さん来ましたよ」と言いながら、数枚の紙を店長に差し出した。ソファーに座ったばかりの店長は手に取ったリモコンをテーブルの上に戻すと、代わりに紙を受け取った。

「やけにびっしり書いてあるね」

「受けるかどうかわからないから詳細は後日、とか言えなくて……」

店長はぺらぺらと紙をめくり、すぐにテーブルの上に置いた。相変わらず読むのが早い。

「やっぱりこれも受けるんですか?」

「うん。うちは基本的に断らないからね」

「もしかして説得に行くの私じゃないですよね……?」

「何言ってるの。雅美ちゃんしか適任な人いないじゃん」

かすかな希望を抱いて聞いてみたが、店長はその希望を呆気なく握り潰した。

「適任ってどういうことですか?むしろ私じゃない方がいいような気がするんですけど」

私みたいな年下で何の取り柄もないような人間に説得なんてされて、その息子さんは怒ったりしないだろうか。「舐めんじゃねー!」とか言われそう。

「適任だよ、雅美ちゃんが一番」

「私は店長が行った方がいいような気がするんですけど」

「僕が行ったら逆効果」

「じゃあ瀬川君」

「リッ君が行ってどんな名言を吐くのか聞いてみたいね」

まぁ確かに瀬川君はどっちかというと冷めたタイプの人間なので、「引きこもりの説得」には向かないかもしれない。親身になって語りかけたりもしないだろうし。そう考えたところで、店の裏から瀬川君が出てきた。

「これさっきの依頼人のです」

瀬川君が持っていた紙を店長に手渡した。店長は代わりに私が書いた紙を瀬川君に渡す。瀬川君はその場に立ったままぺらぺらと紙をめくった。

「引きこもりの説得ですか」

「雅美ちゃんに行ってもらおうと思うんだけど」

「そうですね。店長が行ったら余計に引きこもりそうですもんね」

瀬川君の返答に、店長は瀬川君をちらっと見上げ、瀬川君はそれを見下ろした。

「別にリッ君に行ってもらってもいいんだけど」

「遠慮しておきます。永遠に片付きそうにないので」

瀬川君は私が書いた方の紙を持ってまた自分の部屋へ帰ってしまった。あれは依頼人の長々とした話を、聞いた端からメモしていったものだ。私はそんなに字が綺麗な方ではない上に、支離滅裂な文章では読むのに苦労するだろう。

「とりあえず身元も問題ないみたいだし、依頼人に電話するね」

店長がテーブルに置いた紙をさりげなく見てみたが、依頼人の住所や家族構成、勤め先などが書かれていた。先程私が依頼人本人から聞いた内容と全く同じものだ。こんな短時間で、瀬川君はいったいどうやって調べているんだろう。

店長が耳に当てていたスマホをテーブルの上に置いた。依頼人に依頼に応じる旨を伝えたのだろう。私なんかが引きこもりの人を説得できるのだろうか。この依頼を完遂できる自信が全くわいて来なかった。




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