誰も知らないハッピーエンド2
壁の時計をちらっと確認して私はファイルを閉じた。時刻は一時四十五分。もうすぐお昼の時間だ。店長は風邪気味でお昼は作らないだろうから、しかたなく私がお弁当を買いに行こうと思う。
私は立ち上がってファイルを本棚に片付けると、そのまま店長の方へ寄って行った。
「店長、お昼買って来ようと思うんですけど、何がいいですか?」
「んー……何でもいい」
「何でもいいって一番困るんですよねぇ」
私は一言文句を言うと、瀬川君の希望を聞くべく彼の部屋へ向かった。ドアをノックしてしばらく待つと、いつも通り何の返事もなくドアが開く。これにもだいぶ慣れてきた気がする。
「瀬川君、お昼買いに行こうと思うんだけど何がいい?」
「何でもいいよ」
「何でもいいって言われるとけっこう困るんだよね……」
「じゃあ辛いおかずが入ってないやつ」
甘いもの好きから何となく想像していたけれど、やっぱり辛い食べ物は苦手なんだな。私は瀬川君のリクエストに「了解」と答えた。本当はもっと具体的に言ってくれた方が助かるのだが。
「そういえば、ついでに薬局行って店長に薬買ってあげた方がいいかな?」
「熱がどれくらいあるかにもよるんじゃない。微熱なら明日には治ってるでしょ」
「そっか。でもこの店って体温計あるのかな?見たことないよね」
これには瀬川君も同意した。四年勤めているが彼も見たことはないという。
「やっぱり薬局寄ってから帰るよ。お弁当ちょっと遅くなるけど
いいかな?」
「いいよ別に」
「それにしても、店長ももう大人なんだから体調管理くらいしっかりしてほしいよね」
やれやれという感じでそう言うと、瀬川君はその無表情にクエスチョンマークを浮かべた。
「あれ?わ、私何か変なこと言ったかな」
その反応を見て、私は先程の自分の言葉をもう一度脳内で呟いてみる。別段おかしなところは無いと思うのだが。
「いや……だって店長が風邪ひいたのって昨日荒木さんを探した時に雨に濡れたせいでしょ?」
私は一瞬何のことだろうと思ったが、すぐに瀬川君が言っていることを理解してピシャッと雷が落ちたような衝撃を受けた。と同時に猛烈に罪悪感が芽生える。
十中八九瀬川君は私が二葉さんに監禁された時の話をしているのだ。なかなかトイレから戻らない私を心配して様子を見に行く。トイレの前に落ちている私のハンカチで私の危機を悟る。そしてあの状況から察するに、瀬川君は建物の中を、店長は建物の外を探したのだろう。あの大雨の中探し回ったのなら、そりゃあ風邪の一つや二つひくはずだ。
「わわわわわ私店長に謝罪を……謝罪をしてくる……」
「うん……。そうしてあげて」
というか、何故私は昨日の時点でそれに気付かなかったのだろう。そりゃあ地下に閉じ込められてそこから自力で脱出して、脳が興奮状態だったのはわかる。でも目の前にびしょ濡れの人が現れたら、その人が何故濡れているのかくらい考えれただろうに。あろうことか私は何でも屋としてのプライド云々言っていたのだ。馬鹿か!
ダッシュで店に戻り、店長に駆け寄る。
「あの……、店長、すみませんでした……」
「何?雅美ちゃん何かしたの?」
ぼそぼそっと謝ると、店長が毛布に包まったまま顔をこちらに向けた。
「いや、私のせいで風邪ひいたんです……よね……?」
「えー、今更ー?」
「いやだって言ってくれないとわからないじゃないですか」
「普通わざわざ言わないでしょそんなこと。それともお前のせいだって怒ってほしかったの?」
「いえそんなことはないですけど……」
言われてみれば、私だって誰かのせいで風邪ひいたとしてもねちねち問い詰めたりしないや。そんなに性格悪い覚えはない。
「私薬局行って薬買ってきますね。熱何度でした?」
「さあ?計ってないから何とも……」
「何で計らないんですか。まさか体温計も無いとか言いませんよね?」
普段風邪を引かないから風邪薬が無いというのなら、同じ理由で体温計が無くてもおかしくはない。
「いや、探せばあると思うよ。探す気力がないだけで」
「体温計は部屋ですか?」
私の質問に店長は頷いた。それなら代わりに私が探すこともできない。
「体感的には何度くらいですか?」
「んー……三十七度五分くらいかな?」
何だろう、ものすごく当てにならない気がする。
「もういいです、ついでに体温計も買って来ます。店の救急箱に入れときましょう」
「雅美ちゃんの好きにしたらいいよ」
体温計っていくらくらいするんだろう。私が財布の中身を確認していると、店長がクレジットカードを投げて寄越した。どうやらお金は出してくれるらしい。よかった、私今日二千円しか持って来てなかったんだよね。
そうこうしている間に時刻は二時。普段ならお昼ご飯を食べ始めている時間だ。早く行って帰ってこないと、お弁当を待っている瀬川君にも悪い。
私が「行ってきます」と行って店を出ると、力無い「行ってらっしゃい」が返ってきた。ここから一番近い薬局まで徒歩三十分。ちょっと遠い気がするので、本人に許可はもらってないが瀬川君の自転車を借りて行こう。カギつけっぱなしだし、事後報告でも問題ないだろう。
自転車を漕ぎ出すと風を感じて少し涼しくなった。しかし今日はよく晴れているので、信号待ちなどで止まると一気に暑くなる。十分程で薬局に到着した。
店内はクーラーが効いていて涼しかった。この薬局はけっこう大きな店で品数も豊富だ。ただ、お値段はそんなにお買い得ではないが。
私は天井から吊されている案内板を頼りに風邪薬のコーナーにたどり着く。たくさん種類があったが、一流メーカーのやつがいいだろう。一番小さいサイズでも千二百九十六円する。まぁ「全ての風邪にララが効く♪」ってCMでもやってるしね。これを買おう。
次は体温計だが、風邪薬コーナーの近くにあったのであまり探さずに済んだ。体温計は安いものでも千五百円程した。当たり前に家にあるものだと思っていたが、けっこう高いんだな。
どれがいいかと右へ左へ動いていた私の視線がある一カ所で止まった。耳式体温計だ。一般的な体温計だと、服によっては腋に挟みにくいこともあるだろう。しかし耳式体温計なら服装に左右されることはない。しかも最短一秒で計ってくれるそうだ。私はさっそく値札を見てみた。
「にせんはっぴゃくえん……」
思ったより高いんだなぁ。この値札税抜き価格だし。うーんどうしよう。滅多に使わないものに約三千円出すのかぁ。
ちょっぴり悩んだが、私はその耳式体温計を手に取るとレジへ向かった。ま、いっか。私今、何でも買える魔法のカード持ってるし。
レジでクレジットカードを出すと、何故か店員さんは私の顔を二度見した。クレジットでの支払いはそんなにおかしいだろうか?今時クレジットカードを持っている大学生なんて珍しくないと思うけれど。
何はともあれ、無事に薬と体温計をゲットした。次は店の近くのいつものコンビニでお弁当を買って、さっさと帰ろう。私は買ったばかりの商品を自転車のカゴに放り込むと、ペダルに乗せた足に力を込めた。
コンビニに入ると、クーラーの効き過ぎた店内でよく見かける店員さんが品出しをしていた。この店員さんは若いし夕方によく見かけるから、おそらく学生アルバイトだろう。よく行く店で顔を覚えた店員さんって、赤の他人なのに何故か知り合いみたいな気分になるよね。不思議。
私は慣れた足取りでお弁当コーナーへ向かう。とりあえず自分用にスパイシーチキンが乗ったご飯を手に取る。瀬川君は辛いおかずが入っていないやつって言ってたから、このしっかりバランス弁当でいいかな。家ではカップ麺ばっかり食べてるって言ってたし。店長はどれにしよう。チキンカツ弁当でいいかな?
私はチキンカツ弁当を手にして少しの間考え込んだ。いや待てよ?もし私が想像している以上に店長に食欲がなかったらどうしよう。食欲ないのにチキンカツ弁当ってこれ軽くイジメじゃないか?私はチキンカツ弁当を棚に戻すと、黒酢風味中華麺を手に取った。
いや、待てよ?私は黒酢風味中華麺を手にして少しの間考え込んだ。むしろお粥とかの方がいいんじゃないか?普通風邪にはお粥じゃないか?お粥って消化に良さそうだし。
私は黒酢風味中華麺を棚に戻しかけて、思い止まった。いやいや、でも店長が意外に元気でわりと食欲はあるって可能性もあるし。中華麺も買ってお粥も作れる状況を作るのが正解ルートなのではないか?もし店長がお粥を選択しても中華麺は夕飯にでもすればいいし、何なら私が持って帰って家で食べてもいいし。
私は棚に延ばしかけた手を引っ込めて、中華麺をカゴに入れた。そう、どちらがいいのかわからなければどちらも選べる状況を作ればいいのだ。私はカゴの中の商品を満足げに眺めた。
「……いや、待てよ?」
そもそも、今店にお粥が作れる材料はあるのか?炊けたご飯がなければお粥は作れない。そして炊飯器の中身なんて確認していない。どうなんだろう。でも風邪気味なのにがっつりご飯なんか食べないよね。いや、でも昨日の夕飯の時のが残ってるかも……。
「…………」
私は考え抜いた末、レトルトご飯をカゴに入れるとレジへ向かった。レトルトご飯なら日持ちするから、中華麺が選択されても別の日に白ご飯として食べられる。私って頭いいー。
レジで何の迷いもなくクレジットカードを出す。今回は店員さんに不審そうな顔はされなかった。誕生日にマフラーを買った時のことを踏まえると、どうやら若い店員さんは何の反応もせず、大人の店員さんは私の顔をじろじろ見るようだ。最近の大人は大学生でもクレジットカードを持っていることを知らないってことだろうか。
店に帰ると店長が完全にソファーに沈んでいた。寝てるのかと思って顔を覗き込んだが、そういうわけではないらしい。私はまず瀬川君にお弁当をわたすべく彼の部屋へ向かった。
「瀬川君、遅くなってごめん。お弁当買ってきたよ」
部屋のドアをノックすると、瀬川君はすぐに顔を出した。彼は礼を言ってお弁当を受け取る。
「あと、勝手に自転車借りちゃった。ごめんね」
「いいよ別に」
自転車を無断で借りたことを彼は全く気にしていないようだった。たまに自分の物を勝手に使われると割と本気で怒る人っているけど、瀬川君はそっちのタイプじゃなくてよかった。
店に戻って店長の肩を揺さぶる。
「店長、生きてますか」
声をかけると店長はのそのそと起き上がった。私はテーブルに中華麺とレトルトご飯を並べると、ビシッと手で指した。
「店長の食欲がどれくらいあるかわからなかったので、中華麺とお粥選べるようにしました!どっちがいいですか?」
「食欲はあんまりないかなぁ」
店長は中華麺を見ると気分の悪そうな顔をした。
「じゃあ私お粥作ります!」
「いいよそこまでしてくれなくても」
「いえ、作ります!作らせてください!」
食い気味に申し出ると、店長は苦笑いをしながら「そこまで言うなら……」と答えた。私のせいで風邪をひかせてしまったのだから、これくらいしないとね!
私は薬局の袋から体温計を取り出すと、パッケージから出して店長に手渡した。
「宣言通り体温計買ってきたので熱計ってください。そこの青いボタン押して耳に入れるみたいですよ。音が鳴ったら測定終了らしいです」
「知ってるよ、うちにあるやつこれと同じだもん」
店長が体温計を耳に入れてしばらくすると、体温計がピピピピッと鳴って熱を計り終わった。出た数字を見た店長が「うわあ」と呟く。私もその小さな画面を覗き込んだ。
「三十八度七分もあるじゃないですか!」
「思ってたよりも高かったね」
「……上で寝てきた方がいいんじゃないですか?」
店長は「大丈夫大丈夫」と言ってへらっと笑った。まぁ本人がそう言うならいいけども……。
私は体温計を救急箱にしまうと、中華麺とレトルトご飯を持って台所へ向かった。中華麺は今は食べないので冷蔵庫へ入れる。ついでに冷蔵庫から卵を取り出した。
炊飯器はやっぱり空だったので、レトルトご飯を電子レンジに入れ三分温めた。ほかほかになったご飯を小鍋に入れ、水と一緒に火にかける。ご飯が柔らかくなったら溶き卵を回し入れ、皿によそった。
「お待たせしました。量わからなかったんですけどこれくらいでいいですよね?」
私は店長の前にお粥を置き、自分の前にはスパイシーチキンご飯を置く。
「雅美ちゃんお粥なんて作れたんだ。すごいね」
「馬鹿にしないでくださいよ」
「冗談冗談」
こいつ風邪ひいても口だけは元気だな。私は手を合わせて割り箸を割った。と、お粥を一口食べた店長が固まる。
「……雅美ちゃん、これ味しないんだけど」
「え゛っ!嘘!」
そう言うのと同時に、私はその原因にすぐ気が付く。
「あ!塩入れるの忘れてました……。でも大丈夫です、今から入れてもたいして変わりませんから!」
私は箸を置いて立ち上がり、ダッシュで台所に行くと、塩の容器を引っ付かんで戻ってきた。塩をお粥の上に適量振りかける。
「混ぜて食べれば同じです」
「いや、確かにそうなんだけどね」
「足りなかったら使ってください」と言って塩の瓶をテーブルに置くと、店長は黙ってお粥をかき交ぜた。よしよし、それでいいのだ。
食事の最中はどうしても口数が減る。あんまり静かだと寂しいので、私はテレビをつけた。推理物の二時間ドラマがやっているが、既に殺人事件が起きた後なのでイマイチ話についていけなかった。ドラマにはあまり集中できず、結局私達はテレビを垂れ流したまま会話をしていた。
「お粥おいしいですか?」
「うん、普通」
「どうせわかってましたけどね。でも消化にいいんできちんと食べてくださいね」
「そうだね。水分と塩分も摂れるしね」
「いちいち補足しないでくださいよ。嫌なら無理に食べなくてもいいです」
「大丈夫、ちゃんとおいしいよ」
「最初からそう言えばいいんですよもう……」
皿洗いをして店に戻ると店長はぐっすり寝ていた。結局寝るんだったら二階に行けばいいのに。まぁちゃんと食後に薬は飲んだようだから良しとする。
私はリモコンに手を延ばすとつけっぱなしだったテレビを消した。どうやら犯人は鑑定師の女性だったようだが、そもそもストーリーが頭に入っていなかった。
昼ご飯を食べたら店の掃除をする予定だったが、寝ている人の周りで動き回るのは迷惑だろう。おとなしくファイル整理でもして時間を潰すことにする。
本棚から朝と同じファイルを取り出し、カウンターに座る。やりかけのページを開いて、自分が作ったメモを元に文章をまとめ始めた。
目の前の引き戸の窓からは真っ青な空が見えていて、私は「何でこんな天気のいい日にファイル整理してるんだろう」というこの仕事を始めてからすでに何十回も思ったことを考えた。まぁ、ファイル整理だって好きでやってるからいいんだけどね。
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