決まりきったエピローグ




私達が食堂に足を踏み入れたのと時計の針が九時三十分を指したのはほぼ同時だった。食堂にはすでに全員が集まっていて、彼らの十六の目が一気にこちらに向いた。

部屋の真ん中辺りのテーブルに由香里さんが座っており、彼女に寄り添うように幸一さんが立っている。隣のテーブルに三千流さんと絵里香さんが座り、反対側のテーブルの側に二葉さんと拓海さんが並んで立っている。テーブル一つ分離れた場所で四乃さんが一人きりで座っており、全体から一歩引いたところに姿勢よく立っている執事長の條島さんがこちらにお辞儀をした。

八人共落ち着いた顔をしている。この中の数人には厳しく問い詰めた場面もあったのだが、彼らはすっかり普段の皮を被り直していた。

真っ先に口を開いたのは三千流さんだった。

「この集まりは何なんだぁ?今度は全員まとめて話聞こうってか?」

「いえ、今回は私達の話を聞いてもらおうと思って集まってもらいました」

店長も瀬川君も何も言わなかったので、代わりに私が答えた。全員が私に注目したのがわかって緊張した。店長の方を振り返ると、「そのまま話していいよ」と言われたので私は頭の中で言葉をまとめた。

「昨日の夕方、私達何でも屋はある人から三千院さんを殺害した犯人を見つけ出してくれと依頼を受けました」

三千流さん、絵里香さん、拓海さんが執事長の方を振り返った。執事長は動じずにこちらを見ていた。

「今回の依頼が完遂できたと判断しましたので、この場を借りて結果を報告したいと思います」

この部屋へ来る前、頭の中でこの事件について整理をした。雰囲気的にもこのまま私が話すのだろう。私は一度唾を飲み込むと、クッと顎を上げた。

「まず犯行時刻ですが、三千院さんがドレスを代えに部屋へ戻った三時から、死体が発見された五時四十分の二時間四十分になります。さらに、死体を確認した医者の話では死亡推定時刻は二時間程度前で、それより後では絶対にないとのことなので、結果犯行時刻は三時から四時の間に絞られます」

全員集中して私の話を聞いていた。私はその様子を確かめ、続きを口にした。

「私達はまず、一般のお客さんを容疑者から外しました。三千院さんは屋敷とはドアで区別された場所にある自分の部屋で、座ったまま亡くなっていました。その現場から、親しい人間と話をしている最中に殺されたのだと推理しました。さらに、三千院さんは背後から撲殺されています。何気なく後ろに回るのも親しい人間にしかできないことです」

部屋はとても静かだ。びっくりするくらい私の声がよく通る。

「誰が犯人かをお教えする前に、犯人の動機を話しておきたいと思います。犯人の動機は一言で言うとお金です。犯人は三千院さんの莫大な遺産が欲しかったのです。皆さんは三千院さんの親族の方ですから、普通に考えれば殺人なんてしなくてももちろん遺産が貰えるはずです。しかし、三千院さんは意地悪をするのが好きな人でした。そして皆さんもそれを知っていた。きっと前から、三千院さんは気に入った人に多く遺産を遺すだろうという空気はあったんだと思います。ですから皆さんはなるべく三千院さんに気に入られるように振る舞ってきた。三千院さんは心臓の病気だと聞いていましたし、あと数年の我慢だと思いながら……。しかし、昨日になって━━正確には一昨日の夜になって、話は大きく変わってきました。三千院さんがある一人にだけ全ての遺産を遺すと言い出したのです。中には知らなかった人もいるようですが、各々の情報網からほぼ全員がこのことを知っていました」

私達は遺産のことを知らないと思っていた幸一さんと二葉さんが目を丸くして驚いた。しかし三千流さんだけは別のところに驚いていた。彼は「おいおい、そんな話知らねーぞ」と言い、周りの人々の顔色を窺って「俺だけかよ……」と呟いた。

「三千院さんが遺産を遺す唯一の人物は末の四乃さんでした。四乃さんは誰がどう見ても三千院さんのお気に入りでしたし、三千院さん自身それを隠そうともしていませんでした。三千院さんは長男の幸一さんを呼び出して、パーティーが終わった午後九時、みんなを集めて目の前で新しい遺言書にサインをすると言いました。遺産は全て四乃さんに遺すという内容の遺言書です。幸一さんはこのことを誰にも打ち明けませんでしたが、先程も言った通り、三千流さん以外の人は何らかの方法でみんなそのことを知っていました。全員が何かしらの理由でお金を欲していましたし、皆どうするか内心考え込んだことでしょう。そして、あなた達は三千院さんに直談判しに行くことを選んだのです。三千院さんが着替えに行った一時間の間に、やけに彼女の部屋に行く人が多かった理由がそれです。皆、人に聞かれたくない今日中にしたい話をするため、次々と三千院さんの部屋を訪れたのです。そして、三千院さんもそれがわかっていたからすぐには着替えずあなた達を迎え撃とうと待っていたのです」

私はここで一息ついた。

「ここからは、犯行時刻の一番始めである三時から、三千院さんの部屋で起きた出来事を順を追って説明しましょう。三千院さんの着替えには由香里さんが付き添いました。しかし、彼女はコーヒーを淹れて来てくれと言われ、すぐに部屋から追い出されてしまいます。料理長の証言もとれていますし、三時五分には由香里さんが部屋を出たことは間違いありません。次に三千院さんの部屋へ行ったのは三千流さんです。彼はしばらく三千院さんと話しましたが、十分もかからずに部屋を出ました。部屋を出る時にコーヒーを持って来た由香里さんとぶつかりそうになっています。由香里さんは再び三千院さんの部屋へ入りましたが、またすぐに追い返されてしまいます。次に三千院さんの部屋へ行ったのは絵里香さんです。三時二十分のことでした。彼女が三千院さんの部屋へ向かう姿を四乃さんが目撃していますし、パーティー会場を出て行くところを私達も見ています。彼女は部屋に五分もいませんでした。その直後の三時三十分に部屋へ行った幸一さんと鉢合わせなかったことから、絵里香さんの証言は信用できるものと考えます。絵里香さんは部屋でコーヒーを飲んでいますし、五分での犯行は無理だと私達は判断しました。絵里香さんの後に部屋へ行った幸一さんが三千院さんが生きていたことを証言しているので、三時二十五分までは三千院さんは生きていたと言えます。幸一さんは三時三十分から三時四十分頃まで部屋にいました。実を言うと、この時の三千院さんと幸一さんの会話を立ち聞きしていた人物がいるのです。幸一さんの妻の由香里さんです」

この時、三千流さんがちらりと由香里さんに視線を向けた。

「どうやら幸一さんは家の問題をあまり妻に相談しないタイプの人だったようで、由香里さんは気になって幸一さんの後をつけ、二人の会話を聞いていたのです。彼女が立ち聞きする姿は庭師の大東さんが目撃しています」

由香里さんは一瞬苦々しげな顔をし、すぐに無感情を装った。後で大東さんが責められなければいいが。

「三時三十五分に由香里さんが部屋の前から立ち去ったことを大東さんが証言しています。この時の彼女は少し戸惑っていたようだと言っていました。彼女が立ち聞きを止めたのは、もちろん三千院さんと幸一さんの会話が終了したと思ったからです。ですが、幸一さんが退室したのは実際はもう少し後だったのです。彼は私達に"パーティー会場に戻ったのは三時四十五分にはなっていないくらいだった"と説明しました。彼は帰り際トイレに寄ったようですが、それを踏まえても三時三十五分に部屋を出たのでは、会場に戻った時間とタイミングが合わないのです」

不穏な空気を感じて、何人かが幸一さんの方を見た。私は構わずに先を続けた。

「幸一さんが会場に戻った時間とのズレを無くそうと思うと、幸一さんはもう少しだけ長い間部屋にいたことになります。彼はトイレの前や後に別の場所に寄ったとは証言していませんし寄るような所もなく、そう考えるのが自然です。では、三時三十五分に会話を終えて、その後数分間、三千院さんと幸一さんは何をしていたのでしょう。ずっと黙ってにらめっこでもしていたのでしょうか。会話もなく部屋に留まるなんてこの場合ではおかしいですよね。ですが、こう考えてみるのはどうでしょう。三時三十五分、三千院さんは会話ができない状態になっていたとしたら?頭を殴られて亡くなっていたのだとしたら……?」

部屋の空気が三度は下がったように感じた。食堂にいる全員が幸一さんを見つめていた。四乃さんは手を口にあてて、三千流さんはニヤッと口角を上げて、執事長は強く拳を握って、二葉さんは口をぽかんと開けて。

やがて幸一さんが声を出した。ぶるぶるとした声の震えが、静かな食堂ではよくわかった。

「私が母を殺したって言いたいのか?この私が自分の母親を?」

「……ええ、そうです」

幸一さんはバンッとテーブルを叩いた。由香里さんが少し椅子を下げる。

「人を馬鹿にするのもほどほどにしろ。探偵ごっこなら別の場所でやってくれ!」

「探偵ごっこではありませんし、私達は本気です。依頼人の為に、本気で仕事をしたんです」

「なら私が犯人だという証拠を見せてくれ。君が並べたのは所詮状況証拠じゃないか。私が犯人だという決定的な証拠は無いんだろう?」

私はゆっくりと瞬きをした。そうだ。幸一さんの言う通り、一目で犯人だとわかるような決定的な証拠はない。

「……そうです。私達が見つけたのは状況証拠ばかりです。だから、幸一さんに自ら罪を認めてもらうしかないんです」

「そう言われてはいそうですという奴がいると思うのか?私は認めない。証拠も無いのに殺人犯にされてたまるか」

「では、パーティー会場に戻る前にトイレに寄ったのは何故ですか?」

私の問いに、幸一さんは「は?」と言いたげな顔をする。幸一さんだけでなく、他の人達も不可解そうに私と幸一さんを見た。

「そんなの、用を足すために決まっているだろう。事実、君達にもそう証言したはずだよ」

幸一さんの物言いに小馬鹿にしたようなニュアンスが含まれる。私はそんな幸一さんを真っすぐ見据えて、真面目な顔で言った。

「トイレで三千流さんに会いましたね。三千流さんに聞きました、個室から出たら幸一さんが手を洗っていたって。この屋敷のトイレには便器は一つしかありません。用を足すには三千流さんが出るのを待つしかないはずです。なのに、何故あなたは用も足さないうちに手なんて洗ってたんですか?ただ会話をしただけの三千院さんの部屋から真っすぐトイレに向かったあなたが、どこで手を汚したと言うんですか?」

「そ、それは……チキンが……チキンのソースが手についていたから……」

「なら三千院さんの部屋に行く前にトイレに寄るのが普通です。あなたはティッシュで拭き取りきれなかった血を洗い流すためにトイレに寄ったんです。違いますか?」

幸一さんは私を見たまま一歩後ずさった。それを見て由香里さん、二葉さん、四乃さんが思わず椅子から立ち上がる。幸一さんはしばらく「ち……違う……」とうわごとのように繰り返したが、突然叫び声を上げると床に肘と膝をついて頭を抱えた。

「し、仕方なかったんだ!仕方なかったんだ!ああするしか!私は!」

由香里さんが幸一さんから一歩離れる。しかし、突然顔を上げた幸一さんがガッとその足首を掴んだ。由香里さんが短い悲鳴を上げる。

「由香里ぃ……私を見捨てないでくれ……。お前の為だったんだ……。遺産がないと、お前を幸せにしてやれない……。私はお前を愛しているんだ……」

由香里さんは足を思い切り振ってその手を振り払った。そして蔑んだ目で幸一さんを見下ろす。

「悪いけれど、私は元からあなたなんて愛していないの。お金も無い上に殺人だなんて……お願いだから私に近付かないでちょうだい」

「そんな……由香里……」

由香里さんは気持ちが悪い物を見るような目で幸一さんを一瞥すると、さっと身を翻して彼から離れた。幸一さんは喉が裂けそうな程の叫び声を上げながら、床にうずくまって涙を流した。その背中を見た三千流さんが面白そうにピューと口笛を吹く。

幸一さんの叫び声が低い嗚咽になった頃、けだるそうにテーブルに頬杖をついた絵里香さんが口を開いた。その言葉の相手は私だ。

「じゃああんたからしたら一発殴っときたい所なんじゃない?頭殴られて地下に監禁されたんでしょ?」

「それは……」

私は答えに迷った。由香里さんの証言では私を監禁するのは幸一さんには無理だったはずだ。彼女の証言が嘘でないことはその様子から感じ取れた。だが、幸一さんではないとしたら私を監禁した犯人は誰かわからない。

私が言い淀んでいると、一歩後ろにいた店長が代わりに答えた。長らく私が話していたからか、それとも話した内容のせいか、なんだか久しぶりに店長の声を聞いた気がした。

「それは僕から説明するよ」

「えっ、店長犯人がわかってたんですか?」

「何となくね」

私はそれなら早く教えてくださいよ、という言葉を飲み込んだ。みんなが説明を待ち侘びている。

「まず最初にその人が雅美ちゃんを監禁した理由だけど、それは捜査を混乱させたかったからだよ」

絵里香さんが「どういうことよ」と言ったので、私はどういうことですかという言葉をまたもや飲み込んだ。

「自分は犯人じゃないけど、犯人の正体を知っていて、犯人を庇うために雅美ちゃんを襲ったんだ。犯人にアリバイがある時に襲えば、犯人は容疑者から外れるからね」

店長のその説明で、人々は由香里さんの方を見た。しかし由香里さんはぶんぶんと首と両手を振って否定する。

「由香里さんの他に犯人を知っていた人がいたんですか?というか、その人はどうやって犯人を知ったんですか?」

由香里さんに犯人がわかったのは、盗み聞きをし、そのことからたまたま閃いたからだ。他の人に犯人を知る機会があったとは思えない。

「それは簡単だよ。単純に、犯人らしき行動をしている所を見たからだよ」

「犯人らしき行動ですか?」

「そう、例えば血のついたハンカチを捨てている所とかね」

「ハンカチ?……あっ」

血のついたハンカチと聞いてピンとくる人は私と瀬川君しかいないだろう。他の人々は、私が何に気づいたのかわからないままでいる。しかし、私の視線は自然と私を監禁した人物へと向いていた。

「その通り、雅美ちゃんを監禁した犯人は二葉さんだよ」

部屋にいた全員が二葉さんを見、二葉さんは顔を強張らせた。彼女は喘ぐように言葉を紡ぐ。

「わ、私が……?幸一さんを庇うためにそちらのお嬢さんを監禁したって言うんですか?」

二葉さんは震えた声で「馬鹿馬鹿しいですわ」と呟いた。この人はごまかすのが下手だなと思った。

「二葉さんが庇いたかったのは幸一さんじゃなくて拓海さんですよね……?いや、あなたは拓海さん以外の人は庇おうなんて思わないはずです」

「アホみたいに拓海さんのこと信仰してるしね」

拓海さんの名前を出すと、二葉さんはわかりやすく息を詰まらせた。反対に、拓海さんは全く動じず、表情一つ変えず腕を組んで立っていた。

「二葉さんは拓海さんが血のついたハンカチを捨てるのを見て、拓海さんが犯人だと勘違いしたんだよね。自分が三千院さんの部屋に行く少し前にわりと長い間拓海さんとはぐれていたみたいだし、そう思うのも無理はない。眠れないから話し相手を探しに行った帰りに、たまたまトイレに入る雅美ちゃんを見て監禁することを思い付いたんだ。今なら三千流さんと中村さんと一緒にいる拓海さんにはアリバイができるから」

ほとんどの人が「なるほど」という顔をする中、三千流さんが「なるほどじゃねぇだろ」と言わんばかりの顔で尋ねる。

「つうか、拓海は何で血のついたハンカチなんて持ってたんだよ。見たところ怪我もしてねぇみたいだし」

「それはまぁ……知りたい人は本人から聞いて」

店長が拓海さんの方を見ると、拓海さんは「言いませんよ」と小さな声で反論した。その隣では二葉さんがあたふたしながら拓海さんに謝罪している。

「ごめんなさい拓海、そんなはずないって思ったんだけど、あんな所を見てしまったら……。私の裁縫セットも使った形跡があったし、疑いたくなかったんだけど、よかれと思ってやっただけなの。本当にごめんなさい。拓海に捕まってほしくなかったから……」

拓海さんは欝陶しそうにため息をついたが、気を取り直すと優しい声を繕って「いいんだよ二葉、僕のためにそんなことをさせてしまってごめんね」と囁いた。三千院さんの遺言書が未完成だと思われている現状、二葉さんを手放すと遺産が手に入らないと思ったのだろう。

遺言書の内容は後々顧問弁護士の川端さんから正式に発表されるだろう。そうなったらみんなひっくり返るくらい驚くだろうな。九時予定の親族会議の前に三千院さんが死んで、四乃さん贔屓の遺言書は未完成だと思っているはずだから。

それにしても、二葉さんには一言くらい謝ってほしいものだ。頭を思い切り殴られたし、後でよく見てみたら手足に痣ができているのだ。おそらく地下に運び込む時にあの階段を転がされたのだろう。まぁ私自身は無事だったので、こんなことは私も忘れることにしよう。

空耳なのか、遠くでパトカーのサイレンが鳴った気がした。こういう時って、パトカーはサイレンを鳴らしてこちらへ来るのだろうか?だがどちらにしろ、もう少ししたら警察が到着するだろう。空はすっかり青色に戻っている。

「皆様、賎しい身分ではございますが、私から一つお願い事がございます」

その声に顔を向けると、いつの間にか幸一さんの側に執事長が立っていた。幸一さんは燃焼しきったのか、床に座り込んでぼーっとしている。

「ほんのしばらくの間、私と幸一様を二人きりにさせてはいただけないでしょうか。警察に引き渡す前に、幸一様とお話がしたいのです」

執事長はそう言って深々と頭を下げた。他の人々は戸惑うように顔を見合わせた。

「まあ……いいんじゃない?ちょっとくらい」

「ええ、私は構いません」

絵里香さんと二葉さんが許可を出したのを皮切りに、他の人達も頷き始めた。

「でも間違って逃がしたりすんなよ」

「もちろんでございます。ご安心くださいませ」

三千流さんのからかいにも丁寧に対応する執事長。彼の「皆様のお心づかい有り難き幸せにございます」という言葉と九十度のお辞儀を背に、私達はぞろぞろと部屋を後にした。ドアが閉められ、食堂には執事長と幸一さんだけが残される。

「執事長、何を話すつもりでしょうね」

「さあ。パンチの一発でもくれてやるつもりなんじゃない」

「そんな暴力に訴える人じゃありませんよあの人は」

玄関ホールに出ても使用人の姿は見当たらなかった。使用人の一人くらいは盗み聞きをしているかと思ったが、どうやらそんなこともなかったらしい。執事長に人払いも頼んだから、使用人達は彼の言うことをきちんと聞いているということだろうか。

親族の人々とは玄関ホールで解散となった。彼らは警察が到着するまで自分達の部屋にいると言って去って行った。私達もちょっぴりだけの荷物が置きっぱなしなので部屋に戻ることにする。

一〇六号室に戻ると、どっと疲れがわいてきた。やはり大勢に注目されながら話すというのは気疲れするものなのだろう。

「私達はいつになったら帰れるんですかね?」

「雅美ちゃんとリッ君が早く帰りたいなら、警察には僕だけで行くけど?」

「いやそんな……それに、殴られて監禁された当事者はいなくちゃダメなんじゃないですか?」

「雅美ちゃんさえいいなら二葉さんの罪はなかったことにできるけど。それなら警察に付き合わなくてもいいよ」

「それは……私の気が収ま……じゃあそれでお願いします」

一緒それじゃ私の気が収まらないと言おうとしたが、なんだかどうでもよくなった。きっと疲れているのだろう。何せ寝ずにずっと調査していたのだ。朝ごはんだって食べてないしお腹もペコペコだ。

「じゃあ僕他の人に話合わせてもらうように言ってくるよ」

店長はそう言うと部屋を出て行った。私より寝てないはずなのに元気だなぁ。

店長が出て行って部屋が静かになる。しんとし過ぎているのはやっぱり味気ないので、私は瀬川君と会話をすることにした。彼と向かい合わせになるようにベッドの端に座る。

「私達ってまた迎えの車が来てそれで帰るのかな?」

「たぶんね」

「車と運転手さんはここにはいないみたいだしね。でも電話も復旧したって言ってたし、迎えに来ることは伝わってるはずだよね?」

「たぶんね」

「運転手また嘉納さんだったらいいね」

「たぶんね」

「あの、瀬川君?」

瀬川君の返事が何を言っても変わらないことに気付き、恐る恐る声をかける。すると彼はぼーっと私を見ていたかと思うとこう言った。

「あのさ荒木さん、僕少し寝ていいかな」

「ど、どうぞ」

そう答えると瀬川君は乱雑に靴を脱ぎ、もぞもぞと布団に入ると動かなくなってしまった。しばらく私はそのまま瀬川君の後頭部を眺めていたが、動かないものを見ていても面白くない。私も少し休もうと肩からベッドに倒れ込む。眠気で痛い目を塞ぐと、いつの間にか眠ってしまっていた。

どのくらい眠っていたのだろうか。再び目を開いた時は、すでに店長が戻ってきていた。置きっぱなしにしていた一人掛けのソファーで瀬川君が読んでいた本を読んでいる。

「おはよう雅美ちゃん」

「おはようございます。瀬川君まだ寝てますね」

「そうだね。雑用を済ませて戻ってきたら二人共寝ていた時の僕の気持ちを四百字詰めの原稿用紙三枚以内にまとめて提出してほしい気分だよ」

「すいません、つい」

私が起きたからか、店長は本を閉じてサイドテーブルに戻した。私は寝癖がついていないか気になったが、どうせ寝る前から髪型は崩れてしまっていたのだ。あとは帰るだけだし、気にしないことにする。

「もう警察来てるよ」

「ほんとですか」

「うん。写真とか撮ってたけど幸一さんが自首したからね。一通り終わったらすぐ引き上げるって」

「私達帰れるんですか?」

「帰れるよ。親族達はそうもいかないみたいだけど、他のお客さんはすぐ帰れる。もうすぐ迎えの車が来るらしい」

店長は腕時計で時刻を確認しながらそう答えた。

「なら瀬川君起こした方がいいですよね」

私は立ち上がると、呼びかけながら瀬川君の肩を揺らした。彼はなかなか起きなかったが、店長が思い切り揺さぶるとようやく目を覚ました。意外に熟睡するタイプだったんだなあ。

「店長、私達も外に出てみません?もうすぐ迎えが来るなら外で待ってましょうよ」

晴れた空を見ていたら無性に外へ出てみたくなったのでそう提案してみたら、快くオーケーが出た。瀬川君も一度寝たら頭がすっきりしたのか、もうさっきのようにぼーっとしてはいない。

玄関ホールには二人の警察官と、興味津々な顔の何人かの使用人と、三千流さんと絵里香さんがいた。近くまで来たとき三千流さんに声をかけられる。

「よお名探偵さん方。まさか本当に犯人見つけちまうとはなあ」

「これで執事長が満足したかはわからないけどね」

「條島さんな、兄貴のこと一発殴ったみてぇだぜ。食堂から出てきた兄貴がダラダラ鼻血流してんだよ」

三千流さんはそう言って面白そうにニヤッっと笑った。この人にはなんでもかんでも面白く見えてしまうらしい。

「それにしても、まさか幸一さんが犯人だとはねぇ」

絵里香さんの一言に、三千流さんは少しテンションを上げて言った。してやったりという感じだ。

「だから俺言っただろ、犯人は兄貴だって。な?探偵さんよ」

「確かに言ってたね」

三千流さんに同意を求められ、店長はそれは正しと認めた。絵里香さんが呆れたようにこう返す。

「そんなのあてずっぽうが偶然当たっただけでしょ?たまたまよ」

「なら女の勘より男の勘の方が当たってたってことだな」

ニヤリと意地悪げに笑う三千流さんに、絵里香さんは「ふんっ」とそっぽを向けた。どうやら自らの女の勘にプライドがあるらしい。私は持ち合わせていない物なのでわからないが。

二人と別れて庭に出ると、少し離れた壁沿いを二葉さんと拓海さんが歩いていた。晴れたから散歩をしているのだろう。もしかしたら二葉さんが無理に誘ったのかもしれない。

缶詰にされていた身体をのばす為か、庭には他のお客さんもたくさん出てきていた。彼らも迎えの車を待っているのだろう。おそらくは自分の運転手を使って来た人が多いはずだ。

と、私達に気づいた二葉さんが駆け足でこちらに寄ってきた。けっこうたくさん人がいるのによく見つけたなと思ったが、自分が思っているより私達三人の組み合わせは目立つのかもしれない。

「探偵さん、もう帰るところですか」

「正しくは何でも屋です」

私は二葉さんの言葉を素早く訂正した。彼女は「そうでしたね、すみません」とその無機質な顔に小さな笑みを浮かべた。

「私、あなた方が帰ってしまう前に言っておきたかったことがあるんです」

二葉さんはそう前置きして私達の顔を順番に見た。

「本当の犯人を見つけてくださってありがとうございます。あなた方が正しい推理をしてくださらなければ、間違って拓海が捕まっていたかもしれません」

二葉さんはそう言って深々と頭を下げた。無事に犯人を見つけた私達への労いの言葉かと思ったが、やっぱり拓海さん中心なんだなと内心で苦笑した。

「二葉さんは拓海さんに何であんなハンカチ捨ててたのか聞いた?」

「いいえ。でも拓海のやったことですから、何か重大な理由があったはずです。彼が話したくなったら、その時は聞こうと思います」

「そう。まぁそれもいいと思うけどね」

それじゃあ一生理由がわからないままだなと私は思った。きっと店長と瀬川君も同じことを思ったことだろう。

「私、あなた方のこと勘違いしていました。あなた方は拓海を疑っているんだって。でも、そんなこと全然なかったんですね。私もっと人を見る目を養いたいと思います」

二葉さんはペコリと頭を下げると、駆け足で拓海さんの所へ戻って行った。店長はその背中に「一番近くを見直してみた方がいいと思うけどね」と呟いた。

玄関の近くは少なからず人の出入りがあるので少し歩こうということになったが、拓海さんが二葉さんを置いてこちらに近づいてくるのが見えて足を止めた。いったい何の用だろう。

「こんにちは探偵さん。迎えを待ってるんですってね」

「まぁね」

拓海さんは私達の前まで来るとにこやかにそう話し掛けた。どうやらこっちの顔で接することに決めたらしい。

「僕のこと黙っててくれるみたいで助かりますよ。ちょっとスカートに血を付けたくらいで世間から何か言われるなんてたまったものじゃありませんからね」

と思ったが、本性はちら見せするスタイルでいくらしい。どちらかに統一してほしいものだ。

「別に拓海さんの為じゃないけどね」

「まぁどっちでもいいですよ。幸一がサクッと殺してくれたおかげで遺産が手に入るんで、僕今機嫌がいいんです。ついでに四乃も削れればよかったんですけど、高望みはしません」

「それは良かったね。自分の手もきれいなままだし」

「あー、やっぱり僕お前のこと嫌いだなあ」

「そりゃどうも。僕は拓海さんのこと好きでも嫌いでもないけどね」

拓海さんは鼻をふんっと鳴らすと、「じゃあ僕もう行きますね。今後二度と会わないことを祈りますよ」と会釈して二葉さんの方へ戻って行った。私達は今度こそ玄関前から移動すべく歩き出した。

二葉さんと拓海さんがそうしていたように壁沿いに沿ってゆっくり歩く。長く延びた花壇には花の落ちたスズランスイセンが植えられていた。と、しばらく歩いたところで声がかかる。

「あなた達寝てないのに元気ね」

声をかけたのは由香里さんだった。彼女は廊下から窓枠にもたれかかり、タバコをふかしている。

「由香里さん。由香里さんはちゃんと寝れたんですか?」

「寝れるわけないでしょ。隣に殺人犯がいるのに」

その答えに私は苦笑いを返した。

「由香里さんは三千院の家を出たらどうするの?」

「とりあえず合コンかしらね。医者みたいな金持ち目当てに」

由香里さんはハァーとタバコの煙りを吐いた。

「バツイチで元旦那が殺人犯なんて最悪よね。こんないい家で起こった事件なんだから新聞にも載るだろうし……」

「っていうか三千院さんってエンゼルランプの社長でしょ?由香里さんが思ってるよりも大きく載ると思うよ」

それを聞いた由香里さんは今にも「げっ」と言いそうな苦々しげな顔をした。エンゼルランプって確か海外進出もしてる子供服の会社だったと思うけど、社長さんって三千院さんだったんだ……。

「まぁ頑張りなよ。むしろそれをネタにして悲劇のヒロインぶってみたら?」

「相変わらず前向きね」

「しょせん人事だからね」

私達は由香里さんと別れて散歩を続けた。屋敷の端まで歩いて、大東さんが言っていた桜の気を見上げた。幹は私が二人いても足りないくらい太い立派な木だ。台風のせいでほとんど全て花びらが散ってしまっているが、これが満開だったら圧巻だろう。

と、大東さんの声が聞こえた気がして振り返った。作業着を着た大東さんが由香里さんに何かを怒鳴っている。どうやら由香里さんが花壇に灰を落としたらしい。

大東さんの奥からぴょこぴょこ何かが近づいて来るのが見えた。黒を基調としたふんわりしたドレスを着ている。あれは四乃さんだ。彼女はすれ違いざま大東さんに挨拶をすると、真っすぐ私達の方へ駆けてきた。

「探偵さん達、こんな所にいたんですね」

「四乃さん、探偵じゃなくて何でも屋ですよ」

肩で息をする四乃さんに、私はいちいち訂正する。

「すみません、でも、さっきは本当に探偵さんみたいでした。格好よかったです」

「え、そうですか?そんなことないですよ」

私は頬を緩めながら謙虚な言葉を吐いた。説得力皆無である。

「もう帰ってしまうんですね」

「ええ、全然寝てないし、さすがに疲れました」

「そうですよね……。実を言うと、私はぐっすり寝てたんです。自分で思ってたより神経が図太いみたいで」

四乃さんはスカートのフリルを弄びながら控えめな笑顔を浮かべた。

「三千院さんは死んじゃったけど、四乃ちゃんはこれからどうするの?」

「えっと、私は、あの……」

四乃さんはしばらくもじもじしていたが、ぱっと店長を見上げるとその質問に答えた。

「あの、母の会社を一つ継ごうと思います。大学と両立できるかはわかりませんが……」

「へー、いいじゃん」

「何の仕事を継ぐんですか?」

「えっと、エンゼルランプという子供服の会社を……。拙いですが、子供服のデザインをしてみたくて。あの、流行りの可愛いお洋服を」

四乃さんは少し頬を染めてそう説明した。話している間にまた俯いてきた顔を上げて続ける。

「それに、たくさんの子供に自分の好きな服を着てほしい。そのお手伝いができたらきっととっても素敵だと思うので」

三千院さんのお人形状態だった四乃さんから出た言葉だと思うと、余計に私の心に響いた。

会社を継ぐということは、社長になるということだ。四乃さんは母親の死をきっかけに自分を変えようとしているのだろう。死者に向かってこんな言い方はどうかと思うが、三千院さんは呪いだったのだ。

「まぁ四乃ちゃんなら何だかんだ言ってできると思うよ。適当に頑張りなよ」

「はい、あの、ありがとうございます」

会社を一つ継ぐということは、残り三つの会社は他の兄弟達が継ぐのだろう。他の会社が何の仕事でどの程度の規模なのかわからないが、他の兄弟達も社長になれるわけだ。遺産は貰えないが、いい方に転んだ気がする。

「あの、私が社長になったら、私の店の服を買ってくれますか?」

「その前に結婚できるかが問題だよね」

「あっ、そうですよね、すみません……」

店長は苦笑いしながら答え、四乃さんはあわあわしながら謝った。私がすかさず「花音ちゃんとすればいいじゃないですか」と言うと、「冗談でも言わないで」と返された。

「まぁ知り合いに勧めとくよ」

「は、はい、そうしてくれると、その、嬉しいです」

やがて高級車が一台また一台と門をくぐり抜けてきた。私達の迎えも今に来るころだろう。

「あの、あなたは、母とは違う雰囲気なんですね」

四乃さんは店長を見上げるとそう言った。彼女は店長の何を見て、三千院さんの何を見てそう言ったのだろう。

「そう?……でも、惜しい人を亡くしたと思うよ」

「……寂しいのですか?」

店長はその言葉には何も答えず、大丈夫だとでも言うように四乃さんの頭を優しく撫でた。四乃さんは一瞬ビクッとしたが、おとなしく頭を撫でられていた。私には彼女はまるで兎のように見える。

一台のリムジンが停車し、見覚えのある顔が運転席から現れた。昨日の朝私達をここまで送ってくれた嘉納さんだ。やっぱり同じ人が来てくれたようだ。

私達は屋敷へ上がろうとする嘉納さんに駆け寄り、自分達はここにいることを知らせた。店長に「ドレスは適当な場所に置いといてくれればいい」ということと、「明日は仕事を休んでもいい」ということを聞いて車に乗り込んだ。瀬川君は私とは別にいろいろな指示を受けていたようだが、聞いてもよくわからなかった。

店長に別れを告げ、屋敷を出る。ピカピカに磨かれたリムジンは、あちこちに泥がこびりついている山道をどんどん下っていった。同時に屋敷の青い屋根が遠ざかってゆく。

丸一日いた三千院さんの屋敷。何だか何日も何週間もあそこで過ごした気分だ。離れがたいという妙な感情が沸き上がってくる。

隣を見ると、瀬川君がさっそく寝る体勢に入っていた。話し相手もいないし、自分も疲れている。私は瀬川君を見習ってそっと瞼を閉じた。



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