犯人




客室にいたのは三千流さんだけではなかった。メイドの浜松さんも一緒だった。二人はワインを飲んでいるのだが、確か浜松さんは三時間前も厨房で酒を飲んでいたはずだ。こんな状況でよく酒なんて飲んでいられるなと私は呆れた。

「ようどうした探偵さんよ。俺らに何か用か?」

部屋に入ってくる私達に気づいた三千流さんは片手を上げて挨拶した。浜松さんも一応会釈をするが、その動きにはお金持ちの家の使用人らしき気品さは感じられなかった。

「最後にもう一回だけ話聞いて回ってるんだ。何か思い出したこととかない?」

「って言われてもな。実際に殺してるとこ見たわけじゃねぇし、知ってることなんて何もねぇよ」

店長は三千流さんの正面のソファーに座ったが、この部屋にソファーは四つしかない。私は残り一つの席を瀬川君に譲った。しかし彼も遠慮したので、壮絶な譲り合いの末私がその席に腰を下ろした。

「三千流さんって三千院さんが殺されてぶっちゃけどう思ってる?」

「正直言うとな、遺産が入ってラッキーだと思ってるよ。まぁお袋も残り数年の命らしかったが、金は早く貰えるに越したことはねぇからな」

三千流さんはそう笑って、グラスのワインを一気に飲み干した。すぐにまたワインを注ぐ。浜松さんはそんな三千流さんを見て微妙な微笑みを浮かべた。

「そんなにお金に困ってるならもっと慎ましい生活すればいいのに」

「そんなの俺に似合わないだろ。俺は派手なのが好きなんだよ。連れて歩く女にも金をかけてやりたい」

そこで私は浜松さんがメイドらしくない理由に気が付いた。彼女の言動ももちろんそうだが、何よりの理由は化粧が濃いのだ。他のメイド達はほとんどすっぴんなのに、浜松さんはバッチリ化粧をしている。

「まぁ確かに、そんなスーツじゃ撲殺なんてできないね」

「これいいだろ。目立って。お気に入りなんだ」

そう言って三千流さんは得意げに白いスーツの衿を正した。今日のパーティーでもこんな真っ白なスーツを着ている人はほとんどいなかったから、三千流さんの言う通り目立ちすぎるくらい目立っていた。

「このスーツに血の一つでもついてたら俺で決まりだったんだけどなあ」

「心配しなくても三千流さんは疑わないよ。いかにも小物って感じだもん。殺人なんて大それたことできないでしょ」

「言うねぇ兄ちゃん。確かに俺はちまちま小金をせびる小悪党だけどな」

そう言って三千流さんは愉快そうに笑った。小物と言われても機嫌を悪くしないところを見ると、器はでかい人なのかもしれない。

「だって盗んだのがバレたからって指輪返しちゃうくらいだもんね。隠し場所なんて他にもあっただろうに」

「おいおい、何で知ってんだよそんなこと。探偵っつーのはエスパーなのか?」

「そんなことしそうなの三千流さんくらいしかいないもん。ちょっと考えればすぐわかるよ」

三千流さんは「あちゃー」という表情をしながら片手で顔を覆った。隣で浜松さんが「それ七窪さんが可哀相すぎない?」と非難の言葉を浴びせるが、どうやら本気で言っているわけではないようだ。

「そりゃあのオバハンには悪いと思ってるけどよぉ、お袋の部屋掃除してるとこ見て知ってたからよ。指輪が戻ればお袋も騒がないと思ったし……」

「ま、呆れた!それじゃホントに七窪さん濡れ衣だったんじゃない」

「でもまぁ、あのオバハンもともとお袋に好かれてなかったし、別にいいだろ?」

「ガサツなのよ。掃除も給仕も。あと洗濯も客への態度もね!」

それから浜松さんは、「そのおかげで私達の失敗が目立たなくて助かってるんだけどね」と付け足した。厨房で執事の藤さんに詰め寄っていた時からあまり好感が持てなかったが、私の彼女にたいする好感度はガンガン降下していった。

「そういえば、三時半頃トイレで幸一さんに会ったの覚えてる?」

指輪と七窪さんの話が一段階して、店長が三千流さんに問い掛けた。三千流さんは記憶を辿るようにしばらく唸っていたが、思い出せたのかハッと顔を上げた。

「ああ、思い出したぜ。確かに会ったな。俺が個室から出ると、兄貴が手洗ってたんだ。今年は特に客が多いな、みたいなことを一言二言話したよ」

「なるほどね、ありがとう。すっきりしたよ」

「天気見る限りそろそろ警察もこっち来そうだが、犯人は捕まりそうかい?」

「もうちょっとって感じかな。とりあえず他の人の話も聞いてくるよ」

店長が立ち上がったので、ソファーに体重を預けていた瀬川君は姿勢を正した。三千流さんと浜松さんに簡単にお礼と別れの言葉を告げ、私達は客室を後にした。

「七窪さんって本当に冤罪だったんですね。みんな七窪さんがやったって思ってたのに」

「どんな馬鹿でも盗んだ指輪を自分の部屋の引き出しに入れとくなんてことしないしね」

「そっか……。言われてみれば、屋敷だって広いんだから他に隠すところいっぱいあるはずですもんね。家の中を隅から隅まで探されても、指輪なんて小さいもの庭にでも隠せば絶対見つからないのに」

「そういうこと」

こうして濡れ衣だったとわかれば、事情聴取の時の七窪さんの必死さが突然真実味を帯びてきた。そういえば料理長が騒動のあった日は日曜日だと言っていたし、七窪さんも三千流さんがいたと言っていた。藤さんの証言から、三千院さんが指輪がないことに気づいてから七窪さんの部屋に行くまで、指輪を引き出しに入れる十分な時間があったこともわかる。表面を見ているだけじゃ見えるものも見えてこないってことか。

「次は誰のところに行くんですか?」

この進路だとおそらくお客さん達が泊まっている客室に戻るつもりなのだろう。

「正直誰からでもいいんだけど、誰がいい?」

「行き先決まってないのに歩いてたんですか?」

「途中で見つけた人でもいいかなと思って」

「そんな適当な。……でもまぁ、ここまで来たんですから次は絵里香さんにしましょう」

現在厨房へ続く階段室の前。階段室の使用人用の階段を上れば、絵里香さんの部屋まですぐだ。ちなみに四乃さんの部屋もすぐだが、ここは順番で行くことにしよう。

店長と瀬川君も私の意見に同意し、さっそく二〇五号室を目指した。ドアをノックする直前、絵里香さんは部屋にいるだろうかという不安が過ぎったが、ちゃんと返事があって安心した。

「絵里香さん?最後にもう一回話聞きたいんだけど」

店長がそう言うと、すぐにドアが開いた。ドアを開けることをまるで警戒していない。他のお客さんなんて怖くて一歩も部屋から出て来ないのに。

「また話?話すことなんて無いんだけど」

「話してる最中に何か見つかるかもしれないじゃん」

「まぁ別に、暇だったからいいけど」

絵里香さんは私達を部屋に招き入れた。私達三人はベッドの端に座り、絵里香さんは窓際のソファーに腰掛け足を組んだ。彼女は手慣れた様子でタバコに火をつける。どうやらお茶を出すなどの気遣いをするつもりは無いようだ。まぁ出されても飲まないが。

「で、何の話をするのかしら?それとも誰が怪しいかって四人で考える?」

「とりあえず、遺産が全部四乃ちゃんのものになるって話を誰から聞いたのか教えてくれる?」

店長の質問に、絵里香さんは口元を押さえて目を丸くした。

「まっ、それ誰に聞いたの?」

「たぶん絵里香さんと同じ人だと思う」

「料理長ね。あの人ほんとにお喋りなんだから」

それから絵里香さんは「ま、景子さんが死んじゃった以上もうどうでもいいけどね」と付け足した。

「とりあえず、すぐに由香里さんと拓海君に話したわ。あの二人、目的が私と同じだって見た瞬間わかったのよ」

「二人の反応はどうだった?」

「やばい!って感じだったわよ。まぁ私もやばいって思ったんだけど」

ここで絵里香さんはフーッとタバコの煙りを吐いた。私は眼前を漂う煙りを避けるために少し身体を反らす。

「だって由香里さんに話した時が一時半くらいで……拓海君なんて二時よ?九時の親族会議まで七時間しかないじゃない。九時になったらみんなの前で遺言書にサインするって聞いてたし……」

「じゃあ九時までに三千院さんが死ねば遺言書は未完成のままだったわけだね」

「そうね。でも私はやらないわ。そんなことより次の男を探すことを考えたわよ。もっと金持ちの男をね」

「由香里さんか拓海さんが何とかしてくれたらいいなーって気持ちは正直あった?」

「というか、あの二人のどっちかが景子さんをやっつけてくれないかなって期待して話したのよ。まぁでも、拓海君はダメそうね。あれは絶対自分は安全な場所にいたいタイプよ。由香里さんはちょっと期待したんだけど。あの人ホントに、お金しか見てないから」

絵里香さんは短くなったタバコを灰皿に押し付けた。細めの紙巻きの、女性らしいタバコだ。

「じゃあ次の質問。絵里香さんって雅美ちゃんが殴られた時厨房にいたんだよね?その時誰か見なかった?」

私の名前が出た時に絵里香さんは一瞬こちらを見たが、すぐに視線を店長に戻した。別に気遣う言葉が欲しかったわけではないが、表面上だけでも心配するものではないのだろうか。ま、この人は上っ面とか考えないか。お金が絡まないとね。

「それって厨房に行くまでの間にってこと?」

「いつでもいいよ。四時四十分頃、誰でもいいから見なかった?」

「そうね……とりあえず料理長と浜松さんとは一緒にいたでしょ?それから、二葉さんがメイドの明石さんはいないかって厨房に顔を出したし、あと由香里さんも来たわね。眠れないから温かいスープかなんかが欲しいって。厨房に行く途中では誰も会わなかったわ。ま、そもそも使用人用の階段を使ったしね」

使用人用の階段を使ったなら、階段室へ下りてすぐ厨房に入れる。二〇五号室から階段は近いし、誰にも会うことはなかっただろう。その時間は、使用人もほとんど宿で休んでいたと聞いている。

「結局明石さんはいたの?」

「浜松さんが宿で寝てるって言ってたわ。それを聞いて二葉さんはすぐ帰っちゃった。一緒にお酒どう?って誘おうかとも思ったんだけど、あの人混ざったら場がしけそうで」

「由香里さんはスープをその場で飲んだの?」

「いいえ?スープが出来るまでは厨房にいたけど、部屋で飲むって帰ってったわ。まぁ私達はお酒飲んでたし、一人スープ飲む空気じゃなかっただろうしね。由香里さんが帰った後で、一人分だけスープ作らされた料理長が文句言ってたわ。洗い物も出るし」

「じゃあ最後に、その二人が来たのが何時だったか覚えてる?」

「さあ、そこまでは……」

絵里香さんは首を振りかけたが、思い出せたらしく言い直した。

「あ、でも二葉さんの方ならわかるわ。あの人が帰った後、浜松さんが時計見ながら言ったのよ。こんな時間にまで話し相手に駆り出されるなんて明石さんも可哀相って。あれは四時三十五分だったわ。絶対よ」

「なるほどね。ありがとう、十分だよ」

店長は立ち上がると、私と瀬川君に「そろそろ次の人のとこに行こう」と言った。私達はそれに頷く。絵里香さんにお礼を言って部屋を出た。彼女は「まぁせいぜい頑張りなさいな」と気持ちのこもってないエールと共に手を振った。

「これといった情報は得られませんでしたね。次はどこ行きます?」

「隣だし四乃ちゃんのとこにしようか」

店長はそう言うと、隣の二〇三号室のドアをノックした。中から返事は無かったが、私が「四乃さん、起きてますか?」と声をかけると、トテトテとした足音がしてドアが開いた。

「あの、すみません。誰だかわからなかったものですから……」

「そうするのが普通ですよ。犯人だったら危ないですから」

四乃さんはもう一度「すみません」と謝って、私達を部屋へ招き入れた。私達は絵里香さんの時と同じようにベッドに腰を下ろした。瀬川君が増えたので、ドレッサーの椅子を合わせても数が足りないのだ。

四乃さんは人数分の紅茶を淹れ、ソファーに収まった。俯き気味に私達の顔を見回す。目を合わさない辺りが小動物っぽい。

「あの、今回はどのようなご用件で……?」

「四乃ちゃんに聞きたいことが一つだけあるんだ。もし三千院さんより早く四乃ちゃんが死んだ時、三千院さんは遺産をどうしたと思う?」

「え……っ?あの……」

四乃さんは店長の質問に戸惑いを見せた。それに、彼女は先程話を聞きに来た時にはいなかった瀬川君の存在も気になっているようだ。四乃さんはいろいろなことをどう対処したら良いのか迷っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「あの……私の勝手な想像ですが……」

「それでいいよ」

「母に言われたことがあるわけではありませんが……、私の想像では、全部慈善団体に寄付したと思います。使用人の方達には少しばかり遺したかもしれませんが」

「自分の子供達にはあげなかったと思う?」

「……そうですね……はい……。母はその……、いじわるなんです」

つまり、大金が貰えると期待した我が子達を裏切って楽しみたかったということだ。自分が死んだ後に子供達がどんな顔をして悔しむか想像したりしていたのだろうか?

「僕らはこれで失礼するよ。まだ話聞きたい人いるから」

出された紅茶も冷めぬうちに、私達はさっさと四乃さんの部屋を後にする。一応親族全員に話を聞いたが、次は誰のところに行くのだろう。

何となく道なりに歩き、階段室を使って一階の廊下に出た。その時何かを見つけたらしく店長が「あ」と声を上げた。

「大東さんだ」

「えっ、どこですか?」

私はキョロキョロと辺りを見回す。店長が指を指すまで、私はどこに大東さんがいるのかわからなかった。

大東さんは窓の外にいた。雨合羽を着て花壇の前にしゃがみ込んでいる。おそらく、雨が弱まってきたので台風にやられた花壇のチェックをしているのだろう。

「ちょっと話聞きに行こうか」

店長が一歩足を踏み出したのを、私は慌てて制止した。

「ちょ、ちょっと待ってください。さっき怒られたのもう忘れたんですか!?」

「さっきってけっこう前じゃん。もう機嫌直ってるよ」

「今行っても同じことを繰り返すだけですよ」

「じゃあいつ行くの」

店長の言葉に、私は少しだけ考えてから答えた。確かに、もし大東さんが何か知っているのであれば、それを聞くのは早いに越したことはない。

「わかりました。なら私が行きます」

「えー?雅美ちゃん大丈夫?」

「店長が行くよりはマシです」

ここで私達のやり取りを見ていた瀬川君が口を開く。

「荒木さん、僕もついて行こうか」

「いいえ結構」

しかし瀬川君その申し出を、私は手の平を突き出して断った。

「だってあなた達二人下手に出るなんてできないでしょ」

私の言葉に二人は何も言わなかった。肯定の意と受け取ろう。大東さんは確かに気難しそうな人だけれど、礼儀と誠意を持って接すればきっと取り合ってくれるはずだ。

「わかったよ、じゃあ大東さんの相手は雅美ちゃんに任せる」

「任せてください。で、何を聞いてこればいいんですか?」

「何か知ってることないか聞いてくれればそれでいいよ。あの人が何を知ってるか僕にもわからないし」

「わかりました、では行ってきます」

軽く意気込んで、玄関へ向けて一歩踏み出した。しかし、店長から「待って」という声がかかって足を止める。

「何ですか?」

「これ、傘代わり」

そう言うと、店長は脱いだ上着を私の頭に被せた。同時に「まだ湿ってるけど」と付け足す。確かにマシになったとはいえ外は雨が降っている。有り難く借りて行こう。

外に出てみると、思っていたより強く雨が降っていた。こんな中花壇を見て回っているなんて、大東さんは大変だなと思った。雇い主であるはずの三千院さんはもういないのに……。

駆け足で近寄り、中腰のまま花壇の状態をチェックしている大東さんに声をかける。足音で私の接近には気づいているはずだが、彼は顔を上げようともしなかった。

「おはようございます、大東さん」

私の挨拶に、大東さんは花壇を見たまま「おはようさん」と返した。返事があっただけでも勇気が出るというものだ。

「朝ごはんは食べましたか?」

「何でそんなこと聞くんだ?」

「せ、世間話をしようと思いまして……」

大東さんが花壇に沿って横にずれる度、私はその後を追った。

「……朝は茶漬けを食った」

「そうなんですか。皆さんはパンを食べたみたいですね」

答えが返ってきたことが嬉しくなって、私は声を少し大きくした。

「日本人の食事は米が一番だ。パンだの何だの洋風かぶれが得意げになりやがって」

「私もお米が一番好きです。おかずに合うのはやっぱり白いご飯ですよね」

そう返すと、大東さんはようやくこちらに顔を向けた。他人に好いてもらうには、やはりその人の意見に賛同するのが一番だ。ちなみに私は、ご飯もパンも麺も同じくらい好きである。

「昨日の台風で花が全部やられちまってなあ……」

大東さんは庭を見渡して呟いた。独り言のように聞こえるが、私に向けた言葉だということが感じ取れた。

「でも、来る時少し見れました。晴れてたらもっと綺麗なんだろうなって思ったんです」

「そりゃあ良かった。丹精込めて育てたんだ。あこら一体に出てるのはアイスチューリップっつってな、昨日まで綺麗に咲いてたんだ。一面黄色とオレンジでな。あっちの壁沿いにあるのはスズランスイセンだ。四乃お嬢さんが好きな花なんだがな、雨で花が全部落ちちまった」

大東さんは庭のあちこちを指さしては、悲しげな声で花の説明をした。

「すごく広いお庭ですもんね。これだけのお庭を保っておくのには、本当にたくさんの時間と愛情を費やしたんだと想像できます」

「昨日の日のために何度もここに足を運んだよ。事実一昨日まではみんな顔上げて咲いててなあ……。きれいだったんだがなあ……」

大東さんは目の前の花壇で潰れる花に視線を落としながら、こう続けた。

「お客さんに見てほしかったなあ。自慢してやりたかった」

「大東さんに大事に育ててもらえて、きっと花達も幸せでしたよ」

私達の間に少しの沈黙が流れた。嫌な雰囲気の沈黙ではなかった。昨日の朝までは素晴らしかった庭を思い出して、大東さんが花達に追悼しているのだろう。

しばらく二人並んで花壇を眺めていたが、勇気を出して私は口を開いた。

「……大東さん、実は一つ聞きたいことがあって声をかけたんです」

「事件に関係あること見てないかってやつだろう。関係あるかどうかはそっちで判断してくれ」 

「話してくれるんですか?」

「こんなオッサンの長話に付き合わせちまったからな。ちったあ俺もあんたの役に立たんとな」

私は心の中で思い切りガッツポーズをした。やっぱり真摯に向き合えば人の心は開けるってものだ。

大東さんは私達が泊まっている客室の建物の方を真っすぐ指さした。

「あの建物の裏にな、でかい桜の木があるんだよ。毎年この時期に綺麗に満開になるんだけどな。昨日の三時半頃、でかい雷が鳴ったもんだから、木に落ちたんじゃないかと心配になって見に行ったんだ」

私はふむふむと頷いた。大東さんの次の言葉を待つ。

「結局木は無事だったから良かったんだけどよ、何せ風も雨ももんの凄くて。俺ぁ急いで宿に向かってたんだが、幸一様の奥さんの由香里様が景子様の部屋の前にいるのを見付けてな。いつまで経っても中に入らんから何してるんだと見てたら、どうやら盗み聞きしてるようで」

「三時半頃に由香里さんが部屋の中の様子を聞いてたんですか?」

「ありゃ帰り際だったから三時三十五分頃だろうな。宿出た時は三時半に少し足りないくらいだったから、三十五分でほぼ間違いないだろう」

大東さんはここで一息ついてから続けた。

「俺が見つけてすぐ、不思議そうな顔をしながら帰って行ったよ。いや、実際に顔が見えたわけじゃあねぇんだが、帰り際何度もドアに耳をあて直しててな。何だか知らねぇが戸惑ってるような様子だったから」

「由香里さん、その時何か持ってませんでした?」

「そんな近くで見てたわけじゃねぇからなあ。だが、一目でわかるようなもんは持ってなかったぞ」

由香里さんがドアの前で盗み聞き、ということは三千流さんの話を聞いてるときか?と一瞬思ったが、それでは少し時間が合わない三千流さんが三千院さんの部屋へ行ったのは、三時十分から三時二十分だったはずだ。三時三十五分に部屋にいたのはおそらく幸一さんだろう。

「たったこんだけだが、話し相手になってもらった礼にもならねぇな」

「いえ、お話聞かせてくれてありがとうございました!調査が進展しそうです」

私はペコリと頭を下げた。

「あとなぁ、あの糞餓鬼にちゃんと言葉遣い覚えろって言っとけ。俺だってな、癪だが景子様にはちゃあんと敬語使ってたんだぞ」

「はい、すみません……叱っておきます」

最後にもう一度お礼を言うと、大東さんは「早く屋敷ん中入りな。そんな格好じゃ風邪ひくぞ」と言って追い払うようにしっしと手を動かした。どうやらもう少し花壇の様子を見ていくらしい。

駆け足で玄関に戻り屋敷の中に入ると、壁に背中を預けていた店長があくびをかましたところだった。私が戻ってきたことに気づいた瀬川君が「おかえり」と言う。

「遅かったね。何話してたの?」

私は瀬川君に挨拶を返し、店長には上着を返した。

「植物の話してました。それより聞いてくださいよ。新しい情報です」

私はまくし立てるように大東さんに聞いたことをそっくりそのまま説明した。

「由香里さんが三千流さんの会話とは別のことを立ち聞きしてたってこと?」

「そうなんです。それに、由香里さん三時三十五分にも部屋に行ったこと教えてくれませんでしたよね」

「本人に直接聞いてみるしかないね」

店長の言葉に私は大きく頷いた。さっそく幸一さんと由香里さんの部屋である二〇九号室へ向かう。ドアを叩いてみるも、返事は無かった。

「久しぶりにこれの出番だね」

店長がポケットから取り出したマスターキーで解錠しドアを開けるが、部屋の中は無人だった。どうやら二人ともどこかへ行っているらしい。

「どこ行ったんだろ」

「探すしかないようですね」

瀬川君が面倒臭そうに呟き、私達は由香里さんを探すべく屋敷の方へ向かった。パーティー会場、書斎と覗いてみたが由香里さんはいない。一階の客室は幸一さんはいたが由香里さんはいなかった。幸一さんの助言で配膳室と直通の食堂へ向かう。この時幸一さんが自分もついて行くと言ったが、ここに居てくれと少し強めに断った。

幸一さんの言う通り、由香里さんは食堂にいた。テーブルの一つに座り、コーヒーを傍らに本を読んでいる。都合よく他には誰もいなかったので、私達はさっそく彼女に声をかけた。

「由香里さん、探しましたよ」

由香里さんは声の主である私を見上げて「私を?」と言った。「何のご用でしょう?」と続ける。

「ごめんね、聞きたいことがもう一つ出来たからさ」

「そうでしたか。お座りになります?」

由香里さんは本を閉じ、私達に空いている席を薦めた。しかし私達は「すぐ済むから」と立ったまま話すことを選んだ。

「実は、三時三十五分頃由香里さんが三千院さんの部屋の前にいたのを見た人がいるんですけど、その時は何をしに行ったんですか?」

由香里さんがちょうど私の方を向いていたので、代表して私が尋ねる。私の質問を聞いて由香里さんは一瞬表情を曇らせたが、すぐにいつもの優しげな微笑みを取り繕った。

「それはお義母様にコーヒーをお持ちした時のことじゃないでしょうか?」

「違いますよ。コーヒーを持って行ったのは三時十分から三時二十分の出来事です。これは三千流さんの証言と一致してます」

「なら、その私を見た人が時間を勘違いしているのですね」

由香里さんはそっと本の表紙を撫でた。その本は、各部屋に置いてある本だということが雰囲気からわかった。

「いいえ、その人は確かに三時三十五分だったと言っています。直前に時計を見ていたんです」

「でしたら、誰か他の人と見間違えたのでは?私と同じような背格好の女性は多いですし」

「それは……」

確かに、由香里さんは良くも悪くも目立たない外見だ。ドレスも探せば同じような物がいくらでもありそうなありきたりな色と形だし……。

「見間違えることは無いと思うよ。あそこは屋敷とはドアで区別されてるし」

黙って様子を見ていた店長がここで助け舟を出した。由香里さんの視線が私から店長に移る。

「第一、普通のお客さんが三千院さんの部屋に行くのは考えにくい。親族の中で背格好が似てるのは絵里香さんだけだけど、さすがにあのドレスは見間違えないよね」

緩い弧を描いていた由香里さんの口が横一文字に変わる。目つきも少し険しくなった。二葉さんは由香里さんより背が低いし、絵里香さんはヒールを履いているから由香里さんと同じくらいの身長をしているが彼女のドレスは派手過ぎる。私は気を取り直してこう言った。

「由香里さん、何故あの時間部屋に行ったのか教えてください。調査に必要なんです」

すると由香里さんはごまかし切れないと思ったのか、ふっとため息をつくとこう答えた。

「お義母様のドレスのお着替えを手伝おうと思ったのですが、誰かとお話し中だったみたいなので引き返したのです。やはり呼ばれるまで待とうと思いまして」

「どうしてそれをすぐに教えてくれなかったんですか?」

「特に事件に関係あるとは思えませんでしたし……余計に疑われたくありませんでしたから」

由香里さんは元の平静さと余裕を取り戻して、味わうようにコーヒーを一口飲んだ。

「じゃあ次は正直に答えてね」

由香里さんがカップをソーサーに置いたカチャッという音がやけに大きく聞こえた。

「部屋の前でどんな話を聞いたのか教えてくれる?」

由香里さんはわずかに侮蔑のこもった目で店長を見上げた。冷静な口調で答える。

「何も聞いてはいません。私、ドアの前で聞き耳を立てるような女ではないので」

「でも三千流さんの会話は聞いてたじゃん」

「あれはたまたま耳に入ってきたのです。コーヒーをお届けするために、どうしてもドアの前を動けませんでしたし」

「知ってると思うけどあのドアってけっこう分厚くて、よく耳を澄まさないとあんなにハッキリ中の会話を聞き取れないはずだよ」

由香里さんはテーブルにバンッと手をつくと立ち上がった。

「お話になりません。私は部屋に帰ります」

「お話にならないのはこっちの台詞だよ。由香里さんは三千流さんの会話を盗み聞きした。なら他の人の会話だって盗み聞きするはずだ。というか、盗み聞きするために部屋に行ったんでしょ?小遣いねだる会話よりもっと聞きたい話だったはずだよ」

「おっしゃっている意味がわかりません」

「あの時間に部屋にいたのは幸一さんだ。それは認めるよね。由香里さんの目の前で本人が証言したんだから」

「…………」

由香里さんは身体を半分こちらに向けたまま店長を睨み付けていた。私はもし由香里さんがこの部屋を出て行こうものなら、飛び付いてその腕を掴んでやろうと構えていた。

「幸一さんは三千院さんと何の話をしてたの?」

「私が自分の旦那の会話を盗み聞きするとでも?そんなの、後でいくらでも本人に聞けばいい話じゃないですか」

「本人に聞いても教えてくれないと思ったからわざわざ盗み聞きしに行ったんでしょ?夜の親族会議で遺産が全部四乃ちゃんのものになるって遺言書のことも聞かされてなかったみたいだし」

由香里さんの顔に驚きの色が現れた。どうやら私達が遺言書の内容を知っていることが意外だったらしい。先程部屋で話した時うまくごまかせたて思っていたのだろう。彼女は大きく息を吸い込み、その肩がクッと上がった。

「遺言書の内容まで知っているなんて驚きました」

「お喋りな人がいてくれたおかげでね」

「こそこそ嗅ぎ回るのがお上手なんですね。本当に探偵って気持ち悪い方々」

「探偵じゃなくて何でも屋ね」

「どちらでも一緒ですわ」

由香里さんは鼻から短い息を吐くと、ツカツカとテーブルまで戻り、置きっぱなしだった本を引ったくるように手に取った。

「部屋の中で幸一さん何話してたの?」

「パーティーの片付けの話です」

「本当に?」

「本当です。幸一さんもそう言っていたでしょう?」

今まで身に纏っていた温かい雰囲気を完全に剥ぎ取り、イライラとした感情をあらわにする由香里さん。これが彼女の本当の姿なんだなと、少しがっかりした。

「わかった、この際会話の内容はどうでもいいや。どうせ遺産の話だろうし。それより、何で途中で帰ったの?」

「何のことですか?話してほしいならわかるように言っていただけないと」

由香里さんは苛立たしげに前髪をかき上げた。

「何で話の途中で帰ったかってこと。幸一さんの証言では、確か"会場に戻ってきた時刻は三時四十五分にはなっていない"だったよね。途中でトイレに寄ったとしても、三時三十五分に会話を終えたんじゃちょっと時間が合わない気がするんだけど」

店長の説明を聞いて、由香里さんは失笑した。それから、呆れたとばかりの表情でこう返す。

「あなた何を言っているの?誰も会話が終わったのは三時三十五分なんて言ってないじゃない。もちろん、私が帰った後も幸一さんはお義母様と話してたのよ」

「それは少し考えにくいんだよね」

由香里さんは「まだ何か言うのかしら、いい加減にしてほしいわ」という顔をした。そして、彼女は店長にわかるようにその顔をしていただろう。

「由香里さんが最後まで盗み聞きせずに立ち去るっていうのがさ、どうにも考えにくくて」

「…………」

「三千流さんのくっだらない会話でさえ最後まで聞いたのに、夫が母親とこそこそして話したことは途中でほったらかして帰るなんて。一番気になる会話だったはずなのに」

「……そういう気分だったのよ」

「気になる会話は聞かない気分?」

「何が言いたいの?」

由香里さんは低い声で脅すように言った。だが、彼女の顔の筋肉が緊張しているのが見てわかった。心拍数が上がっているのも感じられる。

「由香里さんは会話が終わったと思ったから帰ったんじゃないかってこと」

「…………」

「そして、後になってあることに気が付いた。よく考えてみるとますます自分の想像がピッタリ当て嵌まる」

「……やめなさい。それ以上言うのは」

由香里さんはバッと背後を振り返った。私は思わず飛び掛かりそうになったが、彼女は背後を確認しただけだった。私は飛び掛かる代わりに、店長に一歩近寄る。

「店長、どういうことなんですか?話が見えてこないんですけど」

「じゃあ一度由香里さんの立場になって考えてごらん」

「由香里さんの立場になって……」

私はちらっと由香里さんに目を向けた。彼女は逃げようとも反論しようともせず、ただこちらを見て立っていた。

「ええと……、幸一さんの会話が気になったから盗み聞きしてみた。会話が終わったからパーティー会場に帰った……?」

「違うよ。会話が終わったと思ったから帰ったんだよ」

「何が違うんですか?」

「じゃあ会話が終わったと思うときってどんなとき?」

「そりゃ、幸一さんと三千院さんが会話を終えたときで……」

「もう一回由香里さんの立場になって考えてみて。今雅美ちゃんは盗み聞きをしています。ドアは分厚くて一生懸命耳をくっつけています」

ここで瀬川君がハッと顔を上げてこう呟いた。

「会話が聞こえなくなったとき」

「リッ君正解。会話が途絶えたから、二人の会話は終わったんだと思って由香里さんは帰った。そうだよね」

店長が由香里さんに同意を求めるが、彼女は何も言わなかった。相変わらず黙って私達を見ている。

「由香里さんが答えてくれないから、続きを僕らで考えてみよう。パーティーに戻ってしばらくしたら三千院さんが殺害されたことが知らされた。最初は驚いたけど部屋で休んでいるうちに落ち着いてきてあることに気が付いた」

「あること……?」

私は由香里さんになったつもりで考えてみた。私達に事情聴取されて、ようやくゆっくりできる。きっとベッドに横になっただろう。夜お腹が空いてスープを飲む。満腹になって今度こそ眠ろうとベッドで目をつむる。いろいろなことが頭に浮かんでくる……。

「あっ」

私は突拍子もない答えにたどり着き、思わず声を上げた。

「もしかして、由香里さんは犯人がわかったんですか……?」

顔を上げると、店長は由香里さんを見ていた。その視線を辿って私も彼女に目を向ける。由香里さんは先程までの敵意のこもった目ではなく、何かを諦めた顔をしていた。ぶらりと下げた手が掴んでいる本が今にも滑り落ちそうだ。

私は慎重に声を出して、自分の考えた答えを発表した。

「由香里さんは……会話が聞こえなくなった理由に気づいたんですか?会話を止めたんじゃなくて、三千院さんが会話ができない状態になったんだって……」

由香里さんは何も表情が浮かんでいない顔で私を眺めると、ふっと視線をそらして椅子に座った。彼女は一気に十歳も老いたように見えた。

「でも、何でなんですか?由香里さんは心からは幸一さんを愛していないって。……えっと、誰かが言ってるのを聞きましたけど……、なのに!幸一さんを庇うなんて。嘘ついたら自分だって疑われるのに」

私が由香里さんにそう言った直後、一歩後ろで瀬川君が「遺産」と呟いた。そして私も自らが出した問題の答えに気づく。

「あっ、そっか……。幸一さんが捕まると、やっぱり妻の由香里さんに遺産は入らないんだよね?」

恐る恐る由香里さんの反応を伺うと、彼女は「はあ~」と今までで一番大きなため息をついた。

「そうよ。遺産が手に入らないならあの人に価値はないわ……。あの人が捕まらないように、私が上手くごまかすしかなかったのよ。ぶっつけ本番でやるんだから、本当に低脳。やるって言ってくれれば入れ知恵の一つくらいしたのに。後先考えずにカッとなってやったのよあの人は」

由香里さんはテーブルに両肘をつき、手の甲に額を乗せてうなだれている。励ましたつもりなのか、店長がちょっと明るめの声でこう言う。

「でもまぁ、何の相談もされなかったおかげで自分は犯罪者にならなくて済んだじゃん。入れ知恵なんてしてたら共犯で前科つくよ?これから金持ち相手に婚活すればいいじゃん。その猫被りっぷりなら馬鹿な男がたくさん釣れると思うよ」

「前向きね……」

「お金は入らなかったけど、幸一さんが勝手に全部被ってくれたんだからラッキーと思おうよ。ついでに先の無い上に粘着質な夫と別れられるし」

「ありがとう、そう考えることにするわ」

由香里さんは顔を上げて頬杖をついたポーズに変えた。由香里さんの顔が上がったところで、私は一つ言ってやりたかったことを口にする。

「あの……てことは、私を殴ったのも幸一さんなんですよね?実際あれけっこう痛かったというか……」

私がこぶをさすりながら訴えると、由香里さんはこちらを向いてぱちくりと瞬きをした。そして戸惑った声を出す。

「え……?あなたを襲ったのは幸一じゃないわよ……?これは本当よ。確か四時四十分だったわよね?」

由香里さんは店長に私が殴られた時刻を確認する。店長はそれに同意した。

「その時間は私も幸一も部屋にいたわ。寝れないから何度も時計を確認して……間違いないわ。だから私も、ちょっとだけ犯人は幸一じゃないのかしらって思ったりしたんだけど……」

困惑しながらそう説明する由香里さん。どうやら嘘はついていないようだ。彼女は本気で戸惑っている。と、隣の店長が私の肩をぽんぽんと叩いた。

「まずは執事長に犯人を報告しに行こうか。雅美ちゃんを閉じ込めた人はきっとこれからわかるよ」

「はあ……そうですかね……」

私は半信半疑で店長の言葉に頷く。執事長と話をするために、私達は食堂を後にした。由香里さんはもう少しゆっくりしていくと言っていた。みんなの前に出るとなると、やっぱり猫を被り直す必要があるのだろうか。なんて、きっと気持ちの整理をつけたいのだろう。

探すと執事長は二階の廊下の窓を拭いていた。彼に事情を話して、もう少ししたら親族の七人を食堂へ集めてもらうようお願いした。もちろん執事長にも出席してもらう。

窓の外を見ると、雨はすっかり止んでいた。この様子なら、すでに土砂の撤去が始まっており、警察が到着するのも時間の問題だろう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る