冷たい部屋3




目を覚ましてまず初めに思ったことは、暗いということだった。まだ痛む頭を押さえながら上体を起こす。中途半端な体勢で横になっていたので身体の右半分がじんじんする。

どうやら床はコンクリートのようだ。手の平と足がひんやりとする。というか、この部屋自体がかなり寒い。それでなくともドレスでかなりの薄着なので、このままでは凍り付いてしまいそうだ。

現状を把握するためにとりあえず立ち上がる。殴られた頭はまだ痛むが、他に怪我もない。幸い血が出た様子もないので、たんこぶで済んだようだ。身体も動く。しんとした部屋の中には自分の他に人の気配はない。

だんだん暗闇に目が慣れてきた。辺りの様子がぼんやりと見えてくる。あまり広い部屋ではない。いや、大きさは私の家のリビングと同じくらいあるが、物が多くて狭く感じるのだ。どうやらここは物置らしい。

すぐ側にあった棚をよく見てみる。汚くなった段ボール箱やファイルなどが乱雑に置かれている。棚には分厚い埃が被っていた。この部屋は何年も使われていないようだ。誰かが来るのを待っていたら凍え死んでしまうだろう。

とりあえずこの部屋の入口を探すことにした。床に置かれた物を避けながら視線をさ迷わせる。入口はすぐに見つかった。半分梯子のような階段が天井に延びている。私はその短い階段を上がると、拳で天井を叩いてみた。

「誰かいませんか!」

天井は私が思っているより厚みがあるようで、叩いた衝撃は全て吸収されてしまった。何度叩いても低い音が鳴るだけだ。声も出してみたが、この声が天井の向こう側に届いているのかも正直疑問だ。それにもし犯人がこの天井のドアの近くにいたらと思うとあまり大きな声も出ない。

私は振り返って部屋全体を見下ろした。私が目を覚ました場所はすぐそこだ。どうやら犯人は私を放り込んでさっさと立ち去ったらしい。手足を縛られていなくて本当によかった。犯人にも時間的余裕がなかったのか?

スマホも持っていないから今が何時なのかもわからない。私は何時間くらい気を失っていたのだろう。店長と瀬川君は心配しているだろうな。早くここから出ないと。

絶対にここから出てやると気合いを入れ直すが、そもそもここが屋敷のどの辺なのかもわからない。窓がないから地下だということは察しがつくが……。地下だとしたら、尚更この天井のドアしか出口がない。

私はもう一度天井を叩きながら、今度はできるかぎり大きな声で叫んでみた。まさか犯人もドアの前で見張っていたりはしないだろう。

「すみません!誰かいませんか!」

やはり何の反応もない。静かな部屋に私の声が反響するだけだ。私はもっと大きな、おそらく十九年間の人生で一番大きな声で叫んだ。

「誰か!ここから出してください!店長!瀬川君!」

しばらく叫んだがドアの向こう側には何の反応もなく、私はついに腕を下ろした。危機的状況なので疲れたという感覚はない。ただ右拳が鈍く痛んだ。

こうなったら自力で脱出するしかない。もしかしたらこのドアの上には何かが乗っているのかもしれない。例えば本棚とか。ここが隠し部屋なのかはわからないが、地下へのドアってたいてい隠されているイメージだ。

私は飛び下りるように階段を下りた。もっとよく、部屋の奥まで見回してみる。何か脱出に使えそうな物はないか……。だがこの部屋にあるのは何の資料か知らないが紙類ばかりだ。たくさんあっても紙では何の役にも立たない。

「他に出口は……」

無駄かもしれないと思いながらも、壁や床を丁寧にチェックしてゆく。もしかしたら隠し通路とかあるかも。隠し部屋に隠し通路を作るものかはわからないが。

「ん?」

乱雑に並ぶ棚を避けて最奥まで行ってみると、角にはまるように小さなテーブルがちょこんと置いてあった。座りにくそうな椅子つきだ。テーブルの上に広がっている紙にもどっさりと埃が被っていた。文面を覗き込んでみるが、どうやら会社の経営関係の資料らしく意味がよくわからない。

他に何かないかとテーブルの引き出しを開けてみる。重くて使いにくい木製の引き出しだ。一段目は筆記用具類だった。二段目も資料。三段目はファイリングされた資料。この部屋はどこを見ても資料だらけだ。

私は一番下の引き出しからファイルをひとつ取り出して開いてみた。見出しは【199X年】。適当なページを開くと、他のページのすき間から何か小さい紙がひらりと落ちた。

「あっ」

慌てて掴もうとするが、そんなに上手いことキャッチできるわけもなく。落ちた紙はテーブルの下に入り込んでしまった。

「もう……」

私は一人文句を言いながら椅子を引く。手を延ばして気がついた。テーブルの下の床に何か切れ目がある。埃が被っいてわかりにくいが、床下収納のような正方形のフタがついているのだ。

「なんだろう……」

まさか地下の更に地下?私は上方向を目指しているのだが、まぁフタを見つけたからには開けない理由はない。この部屋から出る手掛かりが見つかるかもしれないし。私はさっそく埃まみれの取っ手を引っ張ってみた。

「ふん……っ、ぎぎぎぎ……」

長い間開けていなかったから錆び付いてるのだろうか?かなりの力を要したが、体重を後ろへかけて引っ張ると何とかフタを開けることができた。さっそく中を覗き込んでみる。

「?これは……」

入っているものを確認して、両手でそっと引っ張り出してみる。半分ほど姿を現したそれを見て、私は更にクエスチョンマークを浮かべた。やっぱりこれはどう見ても、梯子だ。

梯子なんて何に使うんだろう。部屋の逆側にある出入り口にはちゃんと階段がついていた。この穴は梯子を収納しておくだけのものらしく、下に通じている気配はない。この梯子はてっぺんに引っ掛けるフックのような物がついているが、いったいどこに引っ掛けるというのだろう。

とにかく一回完全に出してみよう。テーブルの下から取り出すのはけっこう大変だ。角度に気をつけなければテーブルに突っ掛かってしまう。残り少しというところで、私は思い切り梯子を引っ張った。

「あっ」

尻餅をついて、ドレスが埃まみれになったことを気にしたのはほんの一瞬だった。尻餅をついて始めて視界に入った天井の隅。テーブルのちょうど真上。そこに、この梯子があった穴と同じような正方形のフタがついている。この梯子を使ってあの穴から出ろということか?

私は椅子を踏み台にして、梯子を持ってテーブルに上がった。この梯子は折りたたみ式だ。全部のばして接続部を金具で固定すると、天井のフタちょうどの長さになった。梯子の先のフックを上手い具合に天井のフタ付近の金具にセットし、ぐらつかないように気をつけながら梯子を上ってゆく。

やった、何とか出られそうだ。梯子の頂上で片手でフタの状態を確かめる。やはり長年使っていなかったせいかフタが固い。片手で開けるのは難しそうなので、恐る恐る梯子から手を離して、全身を使って両手で押し開けた。

「あ……」

「あっ」

明るい、そう思った次の瞬間、目の前に人がいるのを認識した。その人物は私の顔を見るなりこの部屋のドアの方へ駆けていった。

「い、いましたー!ここです!こっちです!」

私は部屋の外に向かってそう叫ぶ執事の藤さんの背中をぼーっと見ていたが、近づいてくるたくさんの足音を聞いてはっと我に返った。慌てて半分しか出してなかった身体を引きずり上げる。

ここはどの部屋だろう。私は部屋の中をぐるりと見回してみた。ここはおそらく一階玄関ホームから入れる客室だ。玄関から入って真っすぐ行ったところの。この部屋に実際に入ったことはなかったが、テーブルとソファーの様子でわかる。ここは私が二時過ぎにトイレへ行った時二葉さんと拓海さんの会話を盗み聞きした、あの客室だ。

「荒木さん!」

「荒木さん、無事ですか!」

名前を呼ばれてドアの方を向くと、何人かの使用人が駆け込んできた。メイドの三雲さんと明石さん、死体の第二発見者の執事の二人、料理人の立木さんと中村さん。彼らは私の周りに寄ると、私に怪我がないか確かめた。

「ここから出てきたんです!」

藤さんが客室の隅を指差した。そこに置いてあった小さなテーブルは倒れ、きっちり敷かれていたカーペットはめくれている。私がついさっき地下から出て来た場所だ。人々は物珍しそうにその空洞を見下ろした。

「こんなところに隠し部屋があったなんて……」

「いったい中に何があるんだ?」

「ご主人が隠していたのでしょうか……」

背の高い執事、立木さん、明石さんが口々に言う。他の人達も何か似たようなことを口にした。どうやら使用人達はこの地下室の存在を知らなかったらしい。

みんな部屋の隅っこにある地下室への入口に気を取られていたので、背後から来た人物に気が付かなかった。謎の地下室にすっかり話題性を取られてしまった私は、集団の一歩後ろにいたので、いち早く部屋に瀬川君が入ってきたことに気が付くことができた。

「荒木さん、よかった。無事だったんだね」

「うん、突然いなくなっちゃってごめん」

「それより怪我は?」

「たんこぶが出来てるけど……他は大丈夫」

私が殴られたヵ所に手をあてながら言うと、瀬川君はホッと息を吐いた。

「何があったかは部屋に帰ってから聞くよ。とりあえず休んだ方がいい」

瀬川君の言葉に頷いた時、三度部屋に誰かが入ってきた。私と瀬川君がそちらを向くと、服や髪からぼたぼた水を垂らしながらやって来た店長は足を止めた。

「あ、店長、お騒がせしま……何でそんなにびしょ濡れなんですか?」

「は?誰のせいだと……いや、無事だったんならもういいけどさ」

店長は自分の格好を見下ろすと、ため息をついて濡れた前髪をかき上げた。瀬川君は自分の服に水が跳ねるのを避ける為か、露骨に一歩下がった。

「怪我は?」

「大丈夫です、頭にたんこぶがあるだけなんで」

「そっか。でも一応滋賀に帰ったら医者に見せに行ってね」

「はあい」

ここで慌てて近くの部屋にタオルを取りに行った明石さんが戻ってきた。彼女は真っ白なバスタオルを店長に差し出す。

「これ使ってください」

「ありがと」

「着替えを用意致しましょうか?……できるかどうかはわかりませんけれど」

「このままでいいよ」

「ですが、このままでは風邪を引いてしまうのでは……」と引き下がらない明石さんを、店長は「すぐ乾くから」と言って退かせた。店長のスーツはバケツの水を被ったようにずぶ濡れで、どう考えてもすぐには乾かないと思うのだが。

「それにしても雅美ちゃん、まさか自力で出て来るなんてね」

店長がタオルで服を拭きながらそう言った。私はその言葉にちょっとムッとしてこう返す。

「私だって何でも屋の端くれなんですから!馬鹿にしないでください!」

「はいはいごめんごめん」

心配してくれたのは有り難いが、私一人でだって脱出できるのだ。何でも屋で働いてから出来ることも増えたし度胸もついた。いつまでも新人扱いは止めていただきたい。

使用人の方々とはこの場で解散することになった。みんないなくなった私を探してくれたらしい。私は使用人達に何度も頭を下げた。彼らは私の無事を喜ぶ言葉を残して帰って行った。

私達も自分達の部屋へ帰ることにした。私の身に起こった出来事を詳しく話すためだ。とは言っても、私だって突然殴られただけで、話せるようなことなど無いのだが。

部屋に戻った私達はこの短期間で指定の席となった場所に各々腰を下ろした。店長は頭からタオルを被っている。三人とも喉が渇いていたが、私を探すためにこの部屋を一度無人にしてしまった。念には念をいれてこの部屋の物には手を付けないことに決めた。

「じゃあ殴られた時犯人の顔は見てないんだね?」

「はい……。すみません」

せめて靴の先でも見ていれば、誰が犯人だかすぐにわかったのに。

「そういえば、何で犯人は荒木さんを気絶させただけだったんでしょう」

会話が途切れたタイミングをついて瀬川君が発言した。私はその言葉に頷く。

「そうだよね。殴られた時私も死んだと思ったもん」

「その気があるなら荒木さんが気を失った後に殺せたはずなのに、それをしなかったってことは殺すつもりはなかったってことですよね?」

「じゃあ何が目的だったんだろう?」

私と瀬川君はそう言いながら店長を見た。店長は何やら考え込んでいるようだったが、しばらくすると口を開いた。

「んー……、考えられるのは時間稼ぎとアリバイ作りくらいかなぁ」

「台風が過ぎて僕らが帰るまでの時間稼ぎですか?」

「そう。でもそうすると警察が来ちゃうんだよね。僕らにいられるのも厄介だけど警察が来るのはもっと厄介そうなのに」

「警察に捕まらない自信があるのかもしれませんよ?この事件指紋とかあんまり関係なさそうですし。だって拓海さん以外の全員が三千院さんの部屋に行ってるんですから、指紋がついてて当たり前ですもん」

「今日じゃなくても昨日ついた指紋ってことも考えられますしね。親族の人達は昨日からここに泊まってるんですよね?」

「そうだね。だからこの理由はあんまりしっくりこないんだよね」

「じゃあアリバイ作りっていうのはどういうことですか?」

「雅美ちゃんが出て行った時間は僕らが知ってるはずだから、その時間にアリバイがあれば犯人候補から外れるって考え。でも時間をごまかす方法がないからこれもしっくりこない」

「じゃあ他にどんな理由がありますかね……」

「他には……調査を打ち切れっていう単なる脅しとか」

「それが一番有り得そうかも……。もしかしたら警察が来て他のお客さんでざわざわしてるうちに証拠を消したりするつもりかもしれませんよ」

それから十分程話し合って、親族や怪しい使用人達にもう少し話を聞きに行くことになった。台風の雨風もだんだん弱まってきている。もう数時間もすれば電話も回復し警察が来るだろう。執事長の想いを無駄にはしたくない。

とうに日付は変わって三月二十二日。七時十分。私達朱雀店の三人は一〇六号室を後にした。




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