冷たい部屋2




温かいスープを胃袋におさめ、つかの間の休息を味わう。このスープを作ったのは料理長だが、店長いわく作るところをちゃんと見ていたから大丈夫、らしい。ちなみに米は炊き直すのに時間がかかる為無理だったようだ。私としてはスープだけでも有り難い。ドレスで薄着だし、外は大雨で寒いのだ。スープは身体が温まっていい。

三人のお腹がいっぱいになると、店長は私達が広げていたメモ帳に目をやった。

「何、事件について考えてたの?」

「ええまあ」

「犯人わかった?」

「そんな簡単にわかったら苦労しませんよ」

店長は回収した皿を窓際のテーブルに置いて、再びソファーに腰掛けた。この部屋の中じゃ、窓際のテーブルとドレッサーくらいしか物を置ける場所がない。サイドテーブルの上はランプが陣取っているし。

「実は僕も何個か話しとくことがあるんだけど」

店長の言葉に、私と瀬川君は話を聞く態勢になった。

「まず、料理長の証言で由香里さんがすぐに部屋を追い出されてたことは証明されたよ。三時五分頃厨房にコーヒーを淹れに来たことを料理長が覚えてた」

私と瀬川君はふむふむと頷いた。この話は特に大事だと思わなかったのか、店長はすぐに次に話に移る。

「次に、途中で藤さんに会って、他の執事達もハンカチは拾ってないし見てもいないってことを聞いた」

「じゃあ拓海さんのハンカチはどこに行ったんでしょうね。やっぱり部屋に落ちてたハンカチが拓海さんのなのか……」

「それは追い追い考えるとして、次に、一階の客室に拓海さんと二葉さんがいたから話し掛けた」

「どっちにですか?」

「個人的には拓海さんにだけど、別に二葉さんに聞かれても僕は構わなかったから二人の前で話したよ」

「何を聞いたんですか?」

と、瀬川君が店長が喋り始めてから初めて口を開いた。

「四乃ちゃんに部屋に行くように勧めた理由。自分は血縁的には他人だし三千院さんにはあまり好かれてないような気がするから、だって」

「三千院さんには好かれてない気がする、ですか」

「うさん臭さそうな顔してるもんね」

「そうですかね?そりゃ今となってはそう見えますけど、初めて見た時は優しそうな人だなと思いましたよ」

「そうかなあ?最初から性格悪そうなクソガキに見えたけど」

私と店長は同時に瀬川君に視線を移した。瀬川君は私達が何を言いたいのかがわかったのか、ちょっと考えてこう言った。

「正直、あんまり気にして見てませんでした」

私と店長は明らかに落胆の色を浮かべた。そんな私達にお構いなしに瀬川君はこう続ける。

「あと、拓海さんって店長とそんなに年変わらないと思いますよ」

「それを言うなら四乃ちゃんってたぶん雅美ちゃんと同い年だよね」

「え?そうなんですか?」

「大学受験で二年前から勉強って言ってたし……試験間際に勉強会始めるのもおかしいしね」

「あ、そっか。てっきり一つ年上だと思ってました。……だったら私も四乃ちゃんって呼んでもいいんですかね?いきなり呼び方変えたらおかしいですかね?」

「好きな風に呼んだらいいんじゃない?」

店長はそれから「僕と違って雅美ちゃんは嫌われてないんだしー?」と付け加えた。

その後、しばらく私達は事件について話し合ったが、あまり進展はなかった。私と瀬川君が作ったメモを店長に見せてみたが、彼は「いいんじゃない」と言っただけだった。

「やっぱり怪しいのは幸一さんか拓海さんですよね。生きている三千院さんに最後に会った幸一さんか、二葉さんが庇ったという可能性を考えて拓海さんか」

先程の瀬川君との話し合いで、私の中の犯人候補は幸一さんと拓海さんになっていた。特に幸一さんには今日の九時までに三千院さんを殺さなければ遺産が手に入らないという動機がある。ただ、幸一さんは人を殺すような━━ましてや頭を何度も殴るようなタイプには見えないという問題点もある。

「まあ幸一さんと拓海さんは怪しいよね。でもそれより遺産の話をどこまでの人が知ってたのかが気になるなぁ」

「今日の九時に遺産分配に関する親族会議があるっていうあれですか?」

「そう」

「それってみんな知ってるんじゃないんですか?家族の人は」

「三千院さんの性格を聞いていると、全員にきちんと伝えたとは思えないんだよね。むしろ幸一さんにしか言ってないような」

「幸一さんがその話を伝えてない人がいるってことですか?」

と瀬川君が質問を挟んだ。

「というか、幸一さんは誰にも伝えてないんじゃないかな」

「どうしてですか?兄弟ならそんな大事な話……」

「もし他の兄弟に話してるんなら、事情聴取をした時に言うはずだと思うよ。他の兄弟の口からこの話が出たら隠し事をしたことになって余計に怪しい。でも他の兄弟に言ってないなら、遺産の話を知ってるのは幸一さん一人だから喋ると自分一人に明確な動機があることになる。あと、たぶんあの兄弟達の間にそんなきれいな兄弟愛はないと思うよ」

なるほど、そうやって説明されると幸一さんは他の兄弟達には話していないのだと思えてくる。他の兄弟達も遺産が気になっていることはわかっているはずなのに、何故話さなかったのだろう。店長の言う通り、そんなに仲のいい兄弟ではないからだろうか。

「ということは、他の兄弟達はこの遺産分配の話を知らなかったんでしょうか」

「あ、それは違うと思うよ。少なくとも二葉さんと拓海さんは知ってたはずだよ」

私は昼頃トイレに行った際に盗み聞きしてしまった客室での二葉さんと拓海さんの会話を詳しく説明した。

「これって遺産の話だと思うんです。四乃さんの一人占め状態になることを知ってたから、彼女が邪魔だって言ったんだと思います」

「それなら、絵里香さんは知っていて三千流さんは知らないってことになるね。それと拓海さんの予想では四乃ちゃんも知らない」

私は頷いた。さらに、幸一さんの妻である由香里さんは当然知っているだろう。

「実は雅美ちゃんの後に僕もちょっと立ち聞きしてたんだけどさ、まあ簡単にまとめると、そのあと二人は四乃ちゃんを三千院家から追い出せないかって話をしてたよ」

「それってやっぱり拓海さんがですか?」

「どっちかというと二葉さんの方がノリノリだったよ」

私が口を閉じると、代わりに少し考え込んでいた瀬川君が口を開いた。

「今日四乃さん贔屓の遺言書が作成されても、三千院さんが死ぬまでに四乃さんを排除できたらいいという考えだったのでしょうか」

「できれば今日中に四乃ちゃんがぽっくり逝けばいいのにって感じだったけどね」

そこで私はハッと閃いた。思いつきをまとめるのもそこそこに口を開く。

「思ったんですけど、何で殺されたのは四乃さんじゃなくて三千院さんだったんでしょう。だって四乃さんが死ねば遺産は全部他の兄弟にあげるしかないのに」

「確かにそうだね。四乃さんを狙うんならわざわざ今日三千院さんを殺す必要はなくなるし……三千院さんが病気で死ぬまでに四乃さんを始末すればいいんだから。時間をかければもっと完璧なトリックやアリバイが作れるはずなのに」

瀬川君が賛成してくれたので、私は更に声を大きくして続けた。

「だったら、犯人は三千院さんに恨みを持ってる人ってことなのかな?遺産目当てって考えは元々間違ってたのかな」

店長と瀬川君に目で意見を求めた。先に口を開いたのは店長だったが、これは瀬川君が喋る気配を見せなかったからだろう。

「その可能性は十分にあると思う。けど、遺産目当ての可能性も完全に捨て切れないと思う」

「じゃあ、遺産目当てなのに四乃さんじゃなくて三千院さんを殺すのは、どんな場合だと思います?」

「冷静じゃなかったときかな。慌ててたり」

「冷静じゃなかったときですか……」

と言われても、人を一人殺すんだから、どんな場合でも冷静ではない気がするんだが。と、ここで、部屋のドアが控えめにノックされた。私達は全員そちらを振り返る。

「だ、誰でしょう……」

「執事長かな」

つい不安げな声を出す私にそう返して、店長は立ち上がった。ドアを半分ほど開けると、執事長の声が聞こえてきた。二人とも小さな声で話しているので会話の内容はわからない。すぐに会話は終わり、執事長はドアの向こうに消え、店長はこちらに戻ってきた。

「何の用だったんですか?」

「それ何ですか」

私の質問と瀬川君の質問が見事に被る。店長はどっちの質問もちゃんと聞いていたらしく、手に持っていた雑誌をよく見えるように掲げ、二つの質問に一度に答えた。

「この雑誌、見つかったら持って来てって言ってあったんだ」

私が手を伸ばすと、店長はその手に雑誌を乗せた。私はさっそくパラパラとめくってみる。

「旅雑誌ですね。ずいぶん古いやつですけど」

表紙からもわかったが、中を開いてみてもどう見ても九州地方の旅雑誌だ。だが見た目も中身の情報も古く、発行年数を確かめてみたら七年も前の物だった。

「これどこにあったんですか?」

「一階の客室だって。このほかにも似たようなのが何冊かあるらしいけど」

「誰にでも取れる場所ですね」

「そうだね。それに人目にもつきにくい」

私は雑誌から顔を上げて二人の会話に入った。

「この雑誌が何なんですか?」

「切り抜かれてる所がない?それで四乃ちゃんの手紙作ったんだよ」

そう教えられて、私は慌てて注意深くページをめくった。雑誌の前半と後半はカラーだが、真ん中はモノクロだ。見落とさないように気をつけて見ていると、確かに文字が切り抜かれているページが何ページかあった。

「あっ、ほんとだ!ありました!」

私はそのページを開いて二人に見せた。

「白黒だったんで新聞の切り抜きかと思ってました」

「ここは別荘だから新聞はないしね。パーティーに新聞持ち込む人もそういないだろうし」

言われてみれば確かに。犯人はいつ四乃さんへの手紙を作ったのだろう。短い文章だったが、切り抜きで作るとなるとそこそこの時間がかかるだろう。それに、手紙に使った紙やのり、ハサミなどはどこで手に入れたのか……。

「店長、四乃さんがもらった手紙見せてくれませんか?」

店長はスーツのポケットから手紙を取り出すと私に手渡した。もう一度よく見れば、何か閃くかもしれない。

「あれ?これ、部屋のメモ帳かと思ってましたけど、結構しっかりした紙なんですね」

「そうだね。それに形もちょっと歪んでるし」

「え?」

店長にそう言われて四辺をよく見てみると、確かに右上の二辺にハサミで切ったような痕跡があった。きれいに切り取られていたし、文字の方にばかり目がいっていたので気づかなかった。

「元々はもっと大きな紙だったってことですか?」

「たぶん。その紙の感じだと本の遊びとかかな……。まぁ仮にその本が見つかったとしても手掛かりにはなりそうにないけどね」

「ぶっつけ本番感があるのにこれといった証拠は残してくれませんね」

「無計画にしては冷静だよね」

凶器が部屋にあった置物だったり、屋敷内の物を使って手紙を作ったところを見ると、この殺人は計画的なものではないように思う。準備なく行った犯行にしては目立った証拠は残していない。そのくせハンカチだのビニールだの変な証拠は置いていくのだ。

その後約二十分程話し合ったが、これといって前進はなかった。話の途中から私はトイレに行きたくなってきて、話が途切れたのを見計らって立ち上がった。

「すみません、トイレ行ってきていいですか?」

「大丈夫?一人で行ける?」

「はい、すぐ戻ります」

正直一人で部屋の外をうろつくのは怖かったが、トイレまで付き添ってもらうのは気が引けた。トイレはそんなに遠くはないし、さっと行ってさっと戻ってこれば大丈夫だろう。私はハンカチを持つと部屋を出て、トイレを目指して廊下を歩き始めた。

トイレへの道中誰にも出会わなかった。用を済ませて手を洗い、トイレのドアから顔を覗かせて辺りを窺う。見たところ誰もいない。先程まで執事が何人か慌ただしく片付けをしていたが、もう宿に戻ったのだろうか。

ハンカチで手を拭きながらトイレから出る。数歩歩いたところで右側頭部に衝撃が走った。何が起きたのかまるでわからなかった。右を向いて何があるのか確かめようと思ったが、私の視界は近づいてくる床で埋め尽くされていた。

階段室の奥にあるトイレはただでさえ見通しが悪いのに、角や仕切りが多く死角がたくさんある。そんなところをぼんやり歩くなんて私は馬鹿かと思った。

カーペットのちくちくとした感触を頬に感じながら、薄れてゆく意識の中で自分が殴られたのだとわかった。頭はじんじん熱いし身体は動かない。もしかしたら私は死んでしまうのかもしれない……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る