冷たい部屋




しばらくページをめくる音だけが部屋に響いていた。しかしそれももう終わりだ。瀬川君が本の最後のページまで読み終わったのだ。このままでは完全に無音になってしまう。私は本をサイドテーブルの元あった場所に片付けている瀬川君に声をかけた。

「その本面白かった?」

「あんまり」

どうやら本当に暇をつぶすためだけに読んでいたらしい。それにしても、他に人がいるときも暇つぶしに本を読むのか。暇なら、私もいるんだから会話をすればいいのに。

「ねぇ瀬川君、瀬川君って三千院さんの部屋の中見えたんだよね?どんな感じだった?」

「荒木さんは見なかったの?」

「ちょうど店長の背中で見えなくて」

「ああそうなんだ」

瀬川君は何かを理解したように頷いたが、私は彼が何をわかったのかがわからなかった。

「酷かったよ。見なくてよかったと思う」

「どんな風に酷かったの?」

「頭の左半分が原形を留めてなかった。たぶん何回も殴ったんだろうね」

それを聞いて私は思わず顔をしかめた。事件の調査をするなら直に現場を見ておきたいと思っていたが、どうやら本当に見えなくてラッキーだったようだ。むしろ、その現場を見たのに店長と瀬川君がいつも通りに振る舞えているのがすごいと思う。

「この事件、本当に私達で犯人見つけられるのかなあ」

「どうだろう。僕ら素人だからね」

「瀬川君は誰が犯人だと思う?」

「さあ。みんな疑わしく思えてくるから」

「でも執事長さんの気持ちには答えなくちゃね」

私はサイドテーブルの上の置き時計に視線を向けた。午前三時三十分。店長が出て行ってから三十分が経っている。

「店長遅いね」

「今から料理してるならこんなものじゃないかな」

「瀬川君はこの部屋に一人でいて不安にならなかった?」

私は今店長がいないだけで心細くなっているのだが。殺人犯と缶詰というこの状況で、三人のうち一人でも欠けていると不安になってくる。

「あんまり。誰も訪ねて来なかったし。それよりも荒木さん達の安全の方が気掛かりだったよ」

「いざとなったら店長を盾にして逃げるから安心して」

「それがいいと思うよ」

本も読み終えてしまって瀬川君も暇なようだし、店長が戻って来るまでの間、私は彼と様々な人達の証言から得た情報を時系列順にまとめることにした。私はサイドテーブルに置いてあったメモ帳とボールペンを手に取る。

「えっとまず、三時に三千院さんが部屋に行ったんだよね」

私はメモ帳に【15:00、三千院さんが部屋に行く】と書き込んだ。

「それに由香里さんが付き添った」

「そうだった」

私は【三千院さんと由香里さんが部屋に行く】と書き換えた。

「由香里さんは付き添いで部屋まで行ったけど、すぐに追い返された」

「コーヒーをいれて部屋に戻ったら部屋の中に三千流さんがいた」

「三千流さんは確か三時十分に部屋に行ったって言っていたんだよね」

「うん、そう。ってことは由香里さんが部屋に戻ったのは三時十分過ぎか」

「由香里さんはコーヒーを置いたらすぐに会場に戻ったのかな」

「たぶんそうだと思う。絵里香さんが三時二十分に部屋に行ったって言ってるし……あんまり長居したら鉢合わせしちゃうから」

「絵里香さんが三時半前まで部屋にいたとして、次に来たのは幸一さんだね」

「うん、幸一さんは三時三十分に会場を出て、三時四十五分には戻って来てたって言ってた」

「その次に部屋に行ったのは二葉さん。三時四十五分」

「二葉さんが部屋に行ったときは三千院さんはもう死んでた。ってことは、犯人は幸一さん?」

「そう考えるのが一番簡単だろうね。でも七窪さんの話によると、幸一さんはトイレにも寄っている。もしトイレに寄ったのが部屋に行った後なら、幸一さんと二葉さんの間に誰かがもう一人部屋へ行ける時間があったはずだ」

「なるほど、じゃあ状況的には幸一さんが一番怪しいけど、他の人が犯人だという可能性も十分にあるということで」

「二葉さんが来た後は、五時半過ぎ執事長が死体を発見する」

「それで私達が呼ばれたんだよね」

「二葉さんが帰ってから死体が発見されるまでかなり間が空いているね」

「そっか、この間に四乃さんも来たんだっけ。確か四時ちょっと過ぎ」

「この時部屋の中からノックが返ってきたんだよね?」

「四乃さんはそう言ってた。これって部屋の中に誰かがいたってことだよね?犯人かな?」

「でも二葉さんが来た時には三千院さんはもう死んでいたんだよね。四乃さんが部屋に行ったのは二葉さんの後だ」

「犯人が戻って来たのかな?犯人は現場に戻るっていうし」

「だとしたら何のために戻ってきたのかな」

「うーん……、証拠隠滅?何か証拠を残してしまったことに後から気付いたとか」

「その可能性はあるね」

「あ、ハンカチは?たまたま拾った拓海さんのハンカチを、自分以外の人を犯人にするために現場に置いたとか。自分はハンカチを持っているから疑われないし」

「その考え方はありかもしれない。自分以外の人も三千院さんの部屋に行くことは想像できたと思うし」

「みんな遺産が四乃さん一人の手にわたるのは阻止したかったはずだよね」

「一つ気になるのは、四乃さんが聞いたビニールの音だね」

「ドレスのカバーのビニールが切り取られてたあれじゃないかなって思うんだけど」

「僕もそう思うよ。でも何のために切り取ったのかな。現場に戻った犯人が」

「そうだよね……。切り取ったビニールなんて何に使ったんだろう」

「ビニールが欲しいなら現場に戻る時に持って行けばいい。現場で調達しなければならなかった理由があるはずだ」

「う~……ん、思い付かないなあ……。ビニールじゃ返り血も拭けないし……」

「現場にはティッシュもあったしね」

「犯人だって一刻も早く現場を離れたいはずだよね?そんな状況でわざわざビニールを切り取るなんて……」

「じゃあもうひとつの可能性を考えてみる?」

「もうひとつの可能性?」

「犯人は現場に戻らなかった可能性」

「どういうこと?四乃さんにノックを返した人物は犯人じゃなかったってこと?だとしたらビニールを切り取るなんて怪しい行動……」

「ノックを返したのは犯人で、二葉さんが嘘をついている可能性は?」

「二葉さんが嘘?三千院さんは死んでなかったのに死んでるって言ったってこと?だとしたらどうして?」

「あの状況で二葉さんが嘘をつくとしたら、犯人が拓海さんだった場合だけだよ」

「二葉さんは拓海さんを庇ったってこと?」

「二葉さんが庇うような人はこの屋敷には拓海さんだけだからね。何かしらの方法で拓海さんが犯人だと知ったら、二葉さんなら嘘をつく。自分が来た後に行われた犯行を、自分が行く前に行われたと思わせることができる」

「でもそんな嘘ついたら……というか、死体を見たなんて言ったら二葉さんだって疑われちゃうのに」

「二葉さんは拓海さんが捕まるくらいなら自分が捕まった方がマシくらいに思ってるはずだよ。四乃さんも二葉さんは世界一拓海さんのことを愛していて頭が悪くて純粋だって言ってたんでしょ?」

「そっか……。拓海さんのためなら、二葉さんは自分が疑われてもいいってことだよね」

瀬川君は私の言葉に小さく頷いた。

「そういえば、四乃さんのスカートについた血ってどうなるんだろう」

「もし拓海さんが犯人なら、拓海さんが付けたことになる。スカートの血に気付いたのも確か拓海さんだよね?」

「なるほど、だから店長あんな言い方したんだ」

私は拓海さんにたいする店長の「つまり君は、廊下に一人でいた四乃ちゃんのスカートをわざわざじっくり眺めて血がついているのを発見したんだね?」という言葉を思い出した。店長はあの時すでに拓海さんを疑っていたのかな?

「でも拓海さんが犯人だと決め付けるのはまだ早いかもしれないね。もしノックを返したのが拓海さんでも、目の前に死体があって部屋には自分しかいない状況で入ってこられたら困るだろうし、疑われたくないから部屋に行ったことは言わないだろうし。ビニールの件だけは説明がつかないけど。スカートの血だって本当にたまたま気付いただけかもしれない。幸一さんと二葉さんの間に一人分部屋に行く時間がある限り、まだ誰が犯人とも言える状況だよ」

「じゃあ次に幸一さんに会った時、トイレに行ったタイミングを聞いてみるよ。三千院さんの部屋に行く前なのか行った後なのか」

「それを聞くなら早めにした方がいいかもね。もし二葉さんが三時四十五分に死体を発見したって情報が洩れたら、幸一さんは部屋に行った後って答えるに決まってる」

「そっか。じゃあ店長が戻ってきたらすぐにでも……」

ここで私のお腹が再びグウ~と鳴った。

「……店長が戻って来てご飯を食べたらすぐにでも聞きに行こう!」

その五分後、料理の乗ったお盆を手にした店長が部屋に戻ってきた。店長が出て行ってから一時間後のことだった。これには私だけでなく、さすがの瀬川君も不満を口にした。



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