四乃の話




私はなるべく固さを取り除いた柔らかい声で話すように努めた。

「そうですか。ではさっそく、三千院さんを殺した人に心当たりはありませんか?その……こんなことを聞いてしまって申し訳ないんですが……」

「いえ、大丈夫です。それに……、実を言うと少しほっとしているくらいなんです。これからのことは、もちろん不安ですが……」

そう言った四乃さんの目は、しかし少し赤くなっていた。やっぱり母親の突然の死に涙したのだろう。他の息子娘達は泣いた様子なんてなかったが、四乃さんは純粋な子のようで安心した。彼女は絶対に犯人ではないと思う。

「すみません、心当たりの話でしたね。でも、私、そういうのよくわからなくて……」

「誰かが三千院さんの悪口を言ったりしていませんでしたか?」

「いえ。みんな心が優しい人ばかりですから。お兄様方も、使用人の方々も」

「そうですか……」

もしかしたら彼女の目にはみんな天使に映るのかもしれない。きっと彼女の目のフィルターは、汚い物を除去してしまうのだろう。この子に他人の悪いところを聞いても、きっと何も答えられないだろう。

と、ここで今まで黙って私達のやり取りを見ていた店長が口を開いた。

「そういえば五時半過ぎに三千院さんの部屋に行ったみたいだけど、あれって何で行ったの?」

店長が言っているのは、執事長が私達を呼びに行く為に部屋の前を離れた時のことだろう。たしかのっぽとちびの執事がそのような証言をしていたはずだ。私も彼女が会場を出て行く所を見ている。

「何言ってるんですか店長。そんなの三千院さんが出て来ないから様子見に行ったに決まってるじゃないですか」

「あ、いえ、違うんです。もちろんそれもあったんですが……」

自信満々にそう言ったがすぐに四乃さん本人に否定されて、私は思わず「えっ」と呟いてしまった。店長のジトッとした視線はこの際気が付かないことにする。

「実は、拓海さんに言われたんです。母の様子を見に行ったらって」

「拓海さんがですか?」

「ええ、拓海さんも母が遅いことを気にしていたらしくて……。でも自分が行くよりは私が行った方がいいだろうって」

「自分から行こうとは思わなかったの?」

そういえば五時頃に拓海さんに四乃さんの居場所を教えたな、と思い出した。まぁ教えたと言っても、会場内のあの辺にいましたよってくらいだったが。と私が考えていると、店長が質問を投げかけた。四乃さんは店長が口を開く度に緊張して小動物のようになっている。

「それは……思いましたけど、私は母に呼ばれた時だけ隣にいたらいいので……」

「じゃあ聞くけど、お母さんと一緒にいる時と一人でいる時、どっちが好き?」

店長の不躾な質問に私はハラハラと状況を見守る。四乃さんはしばらく黙っていたが、そのうち小さな声で反論した。

「……その質問の答えは、事件の解決に関係あるのでしょうか……っ」

「あるかもしれないし、ないかもしれないね」

四乃さんはまたしばらく黙ったが、今度は先程より大きく、はっきりとした口調で答えた。

「事件に関係があることが明瞭でないのなら、私はその質問に答えたくありません」

四乃さんは顔を上げて真っ直ぐに店長を見たが、その表情は今にも泣きそうだった。まるで店長がいじめっ子みたいに見える。

きっぱりと断られた店長は、ちょっと笑うと「うん、嫌なら答えなくてもいいよ」と言った。店長にとっては些細な質問だったのだろうか?だが、これでは店長への印象がますます悪くなっただけなような気がする。

「じゃあ雅美ちゃん、」

店長は私の方を見たと思ったら、全て私に丸投げした。

「他の人のこと適当に聞いといて。犯人かどうかじゃなくて、どんな人だと思ってるのかね」

私はその他力本願っぷりについ呆れ顔を返したが、相手が四乃さんならばこの方がいいだろうと思い直した。四乃さんは四乃さんで、先程の答えで良かったのだろうかとオロオロしている。一瞬だが、さっきはあんなに堂々としていたのに。

「えっとじゃあ……とりあえず一人一人聞いていきますね。犯人っぽいとかじゃなくて、その人がどんな人なのか教えて欲しいんです。ではまず、長男の幸一さんから」

「幸一兄様は……とても真面目な人です。よく私に勉強を教えてくれます」

「幸一さんは三千院さんの会社を全部継ぐって聞いたんですが」

「ええ、その予定です。それは前から決まっていたことでした」

「前から?」

「そうですね……母がそう言い出したのは、だいたい二年くらい前だったと思います」

「では、次に由香里さんはどんな人でしょう?」

「由香里さんは優しい人です。私のことを妹のように可愛がってくれます」

「そういえば、由香里さんに服を買ってもらったこともあるみたいですね」

「はい。たまにプレゼントしてくれるんです。英語のロゴがプリントされたTシャツとか、鮮やかな色のスカートとか……。みんなかわいい服ばかりですけれど、私はセンスがないからどうやって着たらいいかわからなくて……」

「そうですか……。では、二葉さんは?」

「二葉姉様はとても仕事熱心な人です。要領も良くて……、私はドジなので羨ましいです」

「二葉さんの夢を知ってますか?」

「はい、お洋服のブランドを立ち上げることですよね。二葉姉様のデザインした服はみんな綺麗ですよ。キラキラしたドレスなんです」

「じゃあ次は、夫の拓海さんはどうでしょう?」

「拓海さんはとても親切な人です。私にもいつも気を配ってくれて……。ちょっとしたことに気がつく人なんです」

「じゃあ次は三千流さん……って店長、やる気あるんですか?」

ぼーっと四乃さんの話を聞いていた店長は、ついにあくびをかました。その態度にはさすがの私も一言言わずにはいられない。

「だってずっと上っ面のことしか言わないじゃん。別にそういうの求めてないんだけど」

店長の言い草に私は眉を吊り上げた。他の人のこと聞いてって言ったのは店長なのに、四乃さんの答えに満足できないと言うの?

「四乃さんはちゃんと答えてるじゃないですか。わがまま言わないでください」

「ちゃんと答えてないじゃん。ねぇ?」

と言って店長は四乃さんに目を向けるが、四乃さんはたじろいで視線をそらしただけだった。

「ちょっと、四乃さん怖がらせるの止めてくださいよ」

「僕何もしてないのに。向こうが勝手に怖がってるだけで」

「店長の言い方が悪いんですよ」

「別に脅してるわけじゃないじゃん。普通に聞いてるだけでしょ」

私は四乃さんの方に向き直った。店長なんて放っておいて話の続きをしよう。こんな嫌な話はさっさとと終わらせて、そっとしてあげなければ。

「すみません四乃さん、こんな人放っておいて話の続きをしましょう」

しかし、再開しようとした会話に店長が割り込んで来る。一度は私に丸投げしたくせに、私のやり方じゃ不満だって言うの?

「続きじゃなくて最初から話して。本当はもっとよく周りのこと見えてるでしょ?」

「み、見えてません。私はそんなにしっかりした人間じゃないので……」

「だからこそ見えてると思うんだけど。君はいつも一番安全な道を選んできたんじゃない?」

「そんなこと……。私はいつも失敗ばっかりで……」

「別に君が猫被ってるって言ってるわけじゃないよ。でも知ってることは全部言ってくれないと、僕らも探偵ごっこしてるわけじゃないんだしさ。それに隠してると犯人だと疑っちゃうよ?」

四乃さんは俯いて黙った。私はもう何も言わないでいた。一、二分見守っていると、四乃さんはゆっくりと顔を上げた。

「すみません……その通りです。ちゃんと全部話します……」

四乃さんの言葉に店長は満足げに頷いた。私は顔に力を込めて、悔しさが顔に出ないように努めた。

「でも、これは私が勝手に思っているだけで、本当は全然違うのかもしれません……」

「いいんだよそれで。僕らは君の意見が聞きたいんだから」

店長の答えを聞いて、四乃さんはほっと息を吐いた。それから背筋をちょっと伸ばして私と店長の顔を交互に見た。

「まず……幸一兄様は……とても厳しい人です。自分にも、他人にも。そして型にはまっているんです。常識的であることに強いこだわりがあるんです」

「それは何か理由があるの?」

「小さい頃、母を反面教師にしたのではないでしょうか。母は自由奔放で、人に迷惑をかけてもあまり気にしない人でしたから……。自分はそうなりたくないという思いと、長男としての重圧が兄様の性格を作ったんだと思います」

そこで四乃さんは一息ついた。

「でも、幸一兄様は由香里さんと出会ってずいぶんとお変わりになられました。根本的なところは昔のままですが、性格を表に出さなくなったんです。兄弟や家族にもすごく優しくなられて。きっと、由香里さんに良く見られたいのだと思います。兄様は由香里さんのことを本当に愛してらっしゃいますから」

「じゃあ幸一さんは四乃ちゃんにも優しくなったの?」

「……そうですね。でも、これは、他の場合と少し違うと思います。私は母に特別可愛がられてきました。幸一兄様は母に気に入られたくて、私に優しく振る舞うんです。休日に勉強を教えてくれるようになったのもその一貫です。兄様の勉強会は二年前、私の大学受験を理由に始まりましたが、仮に私に勉強ができなくても、三千院家の財力を考えれば私立の大学に落ちるなんてことはないはずなんです」

「三千院さんに気に入られると、何か得があるの?」

四乃さんは一旦黙ったが、すぐにまた口を開いた。

「遺産です。幸一兄様は……いえ、二葉姉様も三千流兄様も、自分の遺産の取り分を増やしたかったんだと思います。きっと母は、兄弟皆に均等に配ることはしなかったはずです。自分の気に入った者に多く遺したでしょう。……そして母は心臓の病気で、もってあと数年でした。兄様方は焦っておられたと思います」

「四乃ちゃんは焦ってなかったの?」

「私は……自分で言うのは何ですが、母に気に入られていましたから。母の言葉に逆らったことはありません。それが一番楽に生きれる方法でしたから」

私はじっと四乃さんを見つめた。しかし四乃さんは膝の上で絡めた両手を見続けていて、私の視線になどまるで気がつかないようだった。

「じゃあ次は、妻の由香里さんは?」

「由香里さんは……私はあまりいい人だとは思っていません。あの人はきっと幸一兄様を愛してなんかいませんから」

「それはどういうこと?」

「由香里さんが兄様と結婚したのは、きっとお金目当てです。兄様はそれを知りません。兄様は本当に由香里さんを愛しています。でも由香里さんが愛しているのは、兄様のお金だけです。私は兄様が憐れに見えます」

「どうしてそれがわかったの?」

「それは……勘でしょうか。幸一兄様と由香里さんは私と同じ家に住んでいますから、二人をよく見る機会はたくさんあります。由香里さんは兄様にブランド物のお洋服やバッグをたくさん買ってもらっていました。ですが、それを兄様や母の前で身につけようとはしないんです。兄様や母の前では慎まやかな妻を演じているのです。ですが私は、由香里さんがよく近所の奥様方とご飯を食べに行っているのを知っています。あれは自分の持っているブランド品を見せびらかして楽しむ会なんです」

「由香里さんは幸一さんが会社を継いだら嬉しいかな?」

「一概にそうとはいえないと思います。ご存知かもしれませんが母は会社を四つ持っていて、その全てを幸一兄様が運営するのは少し無理がある気がします。幸一兄様は昔から努力家で自分にも厳しくしてらっしゃいましたが、社長の椅子に座れるような器ではないように思います。幸一兄様に人の上立つ能力はありません。兄様は努力しかできないお人ですから」

「じゃあ三千院さんの遺産が入ったら会社は大丈夫かな?」

「どうでしょうか……。五、六年は大丈夫かもしれませんが、私はそもそも幸一兄様に社長は無理だと思っています。マニュアル通りの運営では会社は衰退する一方です」

「それを由香里さんは感じてる?」

「そう……だと思います。由香里さんは兄様を切り捨てるべきかどうか悩んでいるのではないでしょうか?由香里さんは兄様と離婚するタイミングを逃しました。兄様の実力不足はもっと早く気付いていたはずなのに、もしかしたらと思ってしまったんです。由香里さんはもう三十です。乗り換えるのなら早めに決断しないと、次の相手が見つからないかもしれません。今別れて新しい旦那さんが見つかるかどうか、一生独身を恐れて幸一兄様の未来に賭けるか……由香里さんは悩んでいるはずです。お金さえあれば、由香里さんにとって愛情なんてどうでもいいことでしょうから」

「じゃあ次、長女の二葉さんは?」

「二葉姉様は、あまり頭の良くない人です。姉様は不器用なんです。勉強はとても出来ます。今まで勉強しかして来なかったので、悪い旦那さんにコロッと騙されてしまったのです」

「それって拓海さん?」

「はい。私、あの方は好きません。拓海さんはきっと姉様を愛してなんかいません。お金を吸い取れるだけ吸い取ったら、姉様を捨てる気でいるに決まっています。だって拓海さんはまだ二十一歳で、由香里さんと違って次がありますものね」

「二葉さんは拓海さんにベタ惚れみたいだけど?」

「そうなんです。姉様には人を見る目というものが全く無いのです。私、散々考え直すように言いましたのに、姉様は結局あの人と結婚してしまいました。姉様は本当に純粋な人なんです。だから、拓海さんの甘言に簡単に転がされてしまったのです。それに、姉様は勉強一筋であまり男性と仲良くしたことはありませんし、拓海さんはお若いですから特に魅力的に見えたのではないでしょうか」

「これは僕の想像だけど、拓海さんって最初は四乃ちゃんに言い寄ってきたんじゃない?」

「ええ、そうです。私に脈がないと分かるとすぐに姉様に標的を変えました。拓海さんにとっては、お金持ちの三千院家の人間であれば私でも姉様でもどっちでも良かったのです。私は男性が苦手なところがありましたから、警戒している間にあの人の本心を見抜くことができました。でも姉様は……」

「二葉さんはどれくらい拓海さんのことが好きなの?」

「それはもう、世界で一番だと思います。顔には出しませんが。姉様は、拓海さん程素敵な人は世界に二人といないと思っているはずですよ。お金が貯まったら二人だけのお城を建てようと、夢を語っているのです。二葉姉様は、拓海さんといる時はお姫様なんです」

「なるほどね。じゃあ次男の三千流さんは?」

「三千流兄様は面白い方です。お金には汚いですが、あの人は馬鹿ではありません。それに、お金さえわたしておけば害の無い人です」

「三千流さんはよく三千院さんにお金を借りに行っていたみたいだけど?」

「ええ、ですが母はお金をやったことは一度もありません。母はだらしの無い人が好きではなかったのです。母自身、生活にはだらし無かったですが、その反面金銭の管理はきちんとしていましたから。幸一兄様と二葉姉様は真面目な性格で見栄えがしますが、母は、三千流兄様を自分の周りに置いておくことを余りよく思ってなかったのではないでしょうか。そのくせ、母が一番期待していたのは三千流兄様だったのです」

「というと?」

「貴方にはわかっているように感じますけれど……。簡単に言うと、何かしでかしてくれるのではと、母は三千流兄様に期待していたのです」

「三千院さんの生活は往々にして退屈だっただろうね」

「ええ、全くもってその通りなんです。お母様は自身の才能を持て余しておりました。だから三千流兄様は、自分の予想を超える何かをやらかしてくれるのではとひそかに期待していたのです」

「それで、三千流さんはその期待にこたえたの?」

「いいえ。先程も申し上げた通り、三千流兄様は馬鹿ではありません。兄様は失敗して遺産の取り分が減ることを恐れたのです」

「何かして三千院さんからの評価が上がるか、失敗して評価が下がるかの賭けだったんだね」

「そうです。三千流兄様は賭け事にも積極的なタイプですが、いつも大金は張らないのです」

「じゃあ妻の絵里香さんは?どう見ても遺産目当ての」

「絵里香さんは確かに遺産目当てです。しかし三千流兄様はそれに気付いておいでですよ。三千流兄様はただ側に綺麗な女性を置いておきたいだけなのです」

「単に化粧が濃いだけだと思うけど。香水臭いし」

「瞼の粉が濃い程素敵なようです、ああいうタイプの方は。絵里香さんは自分を着飾るのが好きで、自身の美しさはちゃんとわかっている人です。男性のお友達も多いようです」

「三千流さんは絵里香さんの浮気には何も言わないの?」

「ええ、というのも、兄様自身も他の女性と遊んでいますから。相手の浮気を問い詰めることは自身の首を絞めることなんです、お互いに。それに、兄様も絵里香さんも浮気を気にするタイプではありません。二人とも精神が若いのです」

「絵里香さんは遺産目当てで結婚したことが三千流さんにバレてないと思ってるみたいだけど?」

「そうですね。絵里香さんは頭の悪い女性を演じていますけれど、三千流兄様も頭の悪い男性を演じているんです。その部分は三千流兄様の方が少し上手でした」

「でもなんだかんだ言ってこの二人はお似合いだね」

「そうですね」

四乃さんはふっと柔らかく微笑んだ。

「三千流兄様と絵里香さんがお互いのことをもっと愛していれば、どんなに良かったかと思います」

「じゃあ最後に、」

親族全員についての話が終わって、まだ何かあるのかと一瞬考えた。しかし店長の言葉の続きは当たり前のことだった。

「一応四乃ちゃんのアリバイと、犯行時刻何か怪しいものを見なかったかだけ教えてくれるかな?」

そう言って店長は犯行時刻が三時から四時であることを四乃さんに説明した。完全に忘れていたが、そういえば四乃さんも容疑者の一人なんだった。正直あまり疑ってはいないが、犯行時刻時の行動はちゃんと聞いておかなければ。

「その時間は……私は、一度母の部屋へ行きました。四時ちょうどだったはずです」

「何の用事で行ったの?」

「母の二つ目のドレスのお披露目は四時の予定でした。ですから、母を迎えに行ったのです。私が行かないと、母は機嫌を悪くすると思ったので」

「着替えの付き添いは本当は四乃ちゃんが行く予定だったって聞いたけど?」

「はい。ですが昨日になって由香里さんが自分が行くと申し出たのです。母もそれを了承なさいました」

「何で突然自分が行くって言い出したんだろうね?」

「おそらく、会社の後継ぎや遺産のことで話をするつもりだったのでしょう。母もそれに受けて立たれたのです。そうとなれば私は引っ込む他ありません。私はそういう━━金銭的な話はなるべく聞かないように気をつけていましたから」

「じゃあとにかく、四時の時点で三千院さんは生きてたんだね?」

「はい。私がドアをノックすると、ちゃんとノックが返ってきましたから」

その言葉に店長は顔を上げた。

「ノックが返ってきただけ?三千院さん自身は返事をしなかったの?」

「はい……。きっとまだ誰かと話をしているのだと思い、私はすぐに引き返しました」

「中から何か話し声は聞こえなかった?」

「ええ……それは……もちろん」

四乃さんが少し言葉を濁したので、店長はさらに問い詰めた。

「本当に?」

「いえ……あの、実は……」

すると四乃さんはちょっと赤面して、本当のことを話し始めた。

「実は、ノックが返ってきた後、しばらくドアに耳をあててみたんです。その……そういうところを知って、自分の立ち位置を調整していくのが私の昔からの生き方といいますか……」

「うん、わかってるよ。で、どうだった?」

「それが、一、二分耳を澄ましていたのですが、声は一つも聞こえなかったのです。もしかしたら私がこうして……その、ドアに耳を押し付けているのがばれているのかと思って、その場はすぐに立ち去りました。急に恥ずかしくなりまして……」

「なるほどね……。他に何か気付いたことは?」

そう聞かれて四乃さんは少し悩んだようだったが、やがて怖ず怖ずと話し出した。

「事件とは関係のないことかもしれませんが……。薄いビニールが擦れ合うような音が聞こえました。母はドアのすぐ横の角にドレスを置いていたでしょうから、母がドレスを見ているのだと思いましたけど……」

「ビニールの音か……それは重要な話だよ。ねぇ雅美ちゃん」

「えっ!?は、はい、もちろんです」

突然話を振られて、私の声は半分裏返った。ぼーっとしていたわけではないが、ここまで店長と四乃さんだけで話が進んでいたので、私の気持ちは蚊帳の外だったのだ。

四乃さんは自分の話が役立つと言われて、嬉しそうに少し頬を染めた。

「他には何も見なかった?三千院さんの部屋に誰かが行く姿とか」

「そういえば、絵里香さんの後ろ姿を見ました。母の部屋へ行くところのようでしたけど……」

「それは何時くらい?」

「私がお手洗いへ行った時ですから……三時二十分くらいでしょうか……。三時半より後ということはないと思います」

四乃さんへの事情聴取が終わり、店長がソファーから立ち上がった。私もそれに続く。

「じゃあ僕らはそろそろ行くね。ちゃんと鍵かけて部屋でじっとしてるんだよ」

「はい」

「それでは四乃さん、詳しいお話ありがとうございました。また何かあったら来ますね」

「はい、お役に立てたら光栄です」

四乃さんも立ち上がってドアのところまで私達を送り出した。私はもう一度会釈をし、ドアの向こうに四乃さんは消えた。少し廊下を歩いてから店長が口を開く。

「あの人どう思う?」

「天使っていないんだなって思いました」

もう恒例となった店長の問いに、私は素直な気持ちを答えた。私の落胆ぶりが伝わったのか、店長が苦笑いで言う。

「大人しい人程周りをよく見てるものだよ」

「でもー……」

「他人に期待しすぎるの良くないよ」

店長の言葉に私はただ唇を尖らせただけだった。

「で、四乃ちゃんの話を聞いて、雅美ちゃんは誰が怪しいと思った?」

「う~ん……まだ何とも……」

私は四乃さんの証言を頭の中で繰り返しながら考えた。

「とりあえず三千流さんと絵里香さんは私の中では完全に除外されましたね。あと、あれほどの話をしてくれたんだから、四乃さんも外していいと思います」

「そうかな?自分以外を疑ってほしいから詳しい話をしたのかも。それに、四乃ちゃんは母親が死んで正直安心したって言ってたよ」

「四乃さんが犯人だって言うんですか」

「容疑者から除外するのはまだ早いってこと」

私は何とか四乃さんがシロである可能性を考えて、閃いた。

「でも、四乃さんが犯人だとしたら犯行時刻に三千院さんの部屋まで行ってないとダメですよね?私ずっと見てたからわかりますけど、四乃さんは一人で会場にいましたよ」

「雅美ちゃんだって四六時中視界に入れてたわけじゃないでしょ。それに一人でいたんならそっと抜け出すくらいわけないよ。十分もあれば行って帰ってこれるだろうからね」

「むぅ~~」

「まぁまぁ、四乃ちゃんだけを疑ってるわけじゃないんだからさ」

隣を歩く店長に無意識について行っていたが、店長がどこに向かっているのかようやくわかった。私達の部屋である一〇六号室に戻っているのだ。店長はドアノブを捻りながら言った。

「使用人に話聞きに行く前に、とりあえずリッ君に報告しようか」

店長がドアを開けると、ベッドの端に腰をかけて読書をしていた瀬川君が顔を上げた。

「ただいまリッ君」

「結構遅かったですね」

「四乃ちゃんの話が長引いちゃって」

私も店長に続いて部屋に入り、瀬川君に「ただいま」と挨拶をした。ドアに内側から鍵をかけることも忘れない。

「リッ君はどうだった?」

「誰も来なかったので暇でした」

瀬川君は本に栞を挟むと、サイドテーブルに置いた。どうやらそこに置いてあった本を、暇つぶしに勝手に読んでいたようだ。店長がベッドの間に置きっぱなしになっていたソファーに座り、私も瀬川君の向かいに腰を下ろした。先程部屋にいた時と同じ状態だ。

「とりあえず、親族達の話そっくりそのまま話すね」

店長はそう前置きすると、親族達から聞いたことを瀬川君に話した。これは事情聴取の復習になって私にも良いことだった。

一通り聞き終わると、瀬川君は「ならこれから使用人達に話を聞きに行くんですか?」と質問した。店長はそれに頷いた。私は他に気になったことはないのかと不思議に思った。

「瀬川君は今の話で気になったこととかなかった?」

「別に……」

もしかして事件を解決する気はないのだろうか。確かに、明日警察が来るまで身を守れたら、犯人なんて探さなくても安全に帰れるのだ。でも何でも屋朱雀の従業員なら、本気でこの依頼に取り組んでほしい。

私は立ち上がると、ポットのお湯を使って紅茶を淹れた。この部屋にあったお湯と茶葉なら、仮に犯人が私達の命を狙っていても毒が入っていることはないだろう。私達は自分でこの部屋を選んだんだから。

「とりあえずお茶でも飲みましょう。喉渇きましたし」

私はそう言って二人にお茶を手わたした。死体を発見した時から何も飲んでいないので喉がカラカラだ。ついでに言うとお腹もちょっと空いている。

「このあと使用人達に話聞きに行くけど、どの順番がいいと思う?僕は一番目は料理長がいいと思うんだけど」

「それでいいと思いますよ。個人的には七窪さんという使用人が気になりますけれど」

「まぁそれは本人に聞いてみないとね」

私は紅茶を一口飲んでから話の中に入った。

「何を聞くんですか?」

「本当に指輪を盗んだのかどうか」

店長の答えに私はつい「えっ」と驚いてしまう。

「七窪さんは犯人じゃないんですか!?」

「それがわからないから聞きに行くんじゃん」

「でも七窪さんの部屋から指輪が出てきて、七窪さんも罪を認めたって……」

「認めたとは言ってないよ。本当は盗んでないけど誰も信じてくれなかっただけかもしれないし」

「ってことは、誰かが盗みの罪を七窪さんになすりつけたってことですか?もしかして犯人が?」

「今回の事件と指輪の話を簡単に結び付けるのは良くないよ。ただ、もし冤罪だったら容疑者を一人減らせるよね」

店長の言葉に私は「なるほど」と頷いた。親族の話を聞いて、私は完全に七窪さんは指輪泥棒だと思っていた。親族達が嘘をついているにせよしないにせよ、それは真実ではないかもしれないのに、私は頭から真に受けていたのだ。もっと疑り深く、些細なことから考察していかなければ。

「あと一つ不思議に思ったことがあるんですが……」

私と店長のやり取りが一息つくと瀬川君が口を開いた。私と店長は顔をそちらに向けて先を促す。

「何故拓海さんは四乃さんに部屋に行くよう勧めたことを言わなかったんでしょうか。話していない事があれば疑われてしまうのに」

「そうだね。知られると自分に不都合なことがあるのかな?」

「他の人ではなく四乃さんに行かせた理由は何かあるんでしょうか」

二人の話に、私はタイミングを見計らって口を挟んだ。

「四乃さんが嘘をついている可能性は……っ」

私は思い切って四乃さんを疑ってみたのだが、店長はそれをあっさりと否定した。

「それは無いよ。そんな嘘ついても拓海さんに確認すればすぐにバレちゃうんだから」

「そっか……確かに……」

「まぁそれは後で拓海さんに聞いておくよ」

店長は残りの紅茶を飲み干した。瀬川君の紅茶も残りあと一口だが、彼は大量に角砂糖を入れていたのであれはものすごく甘いだろう。

「そういえば、長女夫婦だけ三千院さんの部屋に行ってないんですね」

親族達の話を頭の中で整理していた私は気付いたことを声に出してみた。それに店長が頷く。

「そうだね。嘘ついてるのか本当に行ってないのかはまだわからないけど、証拠がないんじゃどうしようもないね」

「二葉さんと拓海さんもお金が欲しいですよね……?だったら三千院さんが一人になったあの時、二人も行ってそうなものですけどね。その、遺産の分け前の説得に」

「僕はそれより何でみんな揃いも揃って今日話をしに行ったのかが気になるけど」

「というと?」

「だって今日パーティー当日だよ?わざわざこんな日に遺産の話するのも何か変だし、そもそも親族達だって自分の客の相手で忙しいんじゃないかな?それにこんなに大勢他人がいる日に遺産の話なんて、うっかり聞かれる恐れもあるのに」

「確かに……。言われてみれば、それもそうですよね」

「単純にみんな毎日のようにその話をしていたのでは?」

「だとしても、今日くらいは避けてもいいと思うよ。いつでも話をする機会があったんなら尚更ね」

店長の言っていることは確かにその通りだ。何故みんなわざわざ今日遺産の話をしに行ったんだ?次男夫婦と違って長男夫婦は明言したわけではないが、四乃さんの話を踏まえるとおそらく遺産が目当てで部屋を訪れたはずだ。遺産の話をするなら別に明日以降でもいいし、普段同じ屋敷に住んでいたり週末泊まりにきたりするなら、その時で十分のはずだ。特に今日なんて周りの目も気にしなければならないし……。

「あとハンカチも気になりますね。絵里香さんのハンカチの行方」

「雅美ちゃんハンカチの話好きだね」

「三千院さんの部屋にあったあのハンカチ、あれって絵里香さんのじゃなかったんですか?」

「匂いしなかったからね。あの香水臭い匂い」

私はその答えに納得した。確かに、あんなに匂いのキツいハンカチなら、一瞬で判別がつくだろう。でもだとしたら、三千院さんの部屋に落ちていたハンカチは誰のものだろう?

「そのハンカチ、どこに落ちてたんでしたっけ?」

「机の前だよ。床の血のちょっと右側」

「何で落としたんだろう……」

私の素朴な疑問に、瀬川君がたいして興味もなさそうに答えた。

「ポケットから何か取る時に一緒に落ちたんじゃない?」

「だとしたらたぶん男性だね。ドレスにはポケットがついてないから」

店長の言葉に私はなるほどと思った。ということは、幸一さんか三千流さん?まだ拓海さんが部屋に行っていないことは完全に証明されたわけではないけど……。

「だとしたら幸一さんっぽい気がしますね。何となく」

「三千流さんだってハンカチくらい持ち歩くでしょ。使うかどうかはともかくとして」

「じゃあ後で二人に会った時にハンカチ持ってるか聞いてみましょう」

私は脳内のやることメモに項目をひとつ追加した。

話も一段落ついたようだし、私は時計を見てから言った。時刻はちょうど十一時半だった。

「そろそろ使用人の人達にも話聞きに行きますか?」

「そうだね。結構遅くなっちゃったけど大丈夫かな」

店長は同意して立ち上がった。ベッドに腰掛けたままの瀬川君を見て、私は店長に尋ねる。

「今度も瀬川君は留守番ですか?」

「リッ君が行きたいって言うなら連れてくけど」

店長はそう言って瀬川君に視線を向けた。瀬川君はサイドテーブルの上の小説に手を伸ばしながら答える。

「僕は結構です。店長が行くなら心配はしてませんから」

「じゃあ今回も二人で行こっか」

店長は私に向けてそう言うと、ドアの方に歩いて行った。私は瀬川君に「気をつけてね」と言うとその後を追った。

店長は先程料理長から話を聞きに行くと言っていた。どうやら厨房に向かっているようだ。親族だけでなく、使用人達にも執事長が説明しておいてくれているだろう。

親族達から得られなかった情報が、使用人達の口から聞ければいいのだが。私は調査が進展することを祈りつつ、駆け足で店長の隣に追い付いた。




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