長女と次男
二葉さんと拓海さんはちょっとの間だけ互いの顔色を伺っていたが、やがて拓海さんが口を開いた。
「利益という理由でなら、僕ら親族は全員動機があると思いますよ。景子さんはかなり溜め込んでるってみんな噂してましたから」
「つまり莫大な遺産が貰えるってことだね」
これに返事をしたのは二葉さんだった。
「ええ。ただ、三千流兄さん以外はそんなにお金に困ってなかったのも事実ではあります。現に私達だって、母を殺してまで遺産が欲しいかと言われたらそうではありませんし……」
「普通に生活できるだけの収入はあるしね。幸一義兄さんのところもそうなんじゃないかな?」
二人の言い分に私はなるほどと頷いた。確かに、死ぬほどお金に困っていなければ人殺しなんてしないだろう。でもそれなら三千流さんだって同じだ。彼は確かにお金に困っていたが、人を殺すほどお金が欲しかっただろうか?
「じゃあ遺産の他に動機になりそうなの何かない?例えば三千院さんがいると精神的に苦痛だとか」
店長が出した例に二葉さんが反応した。彼女は急にはきはきとした口調になって話しだした。
「それなら、末の四乃がそうだと思います。彼女は母のお人形状態でしたから」
「でも四乃さんは、お母さんは自分を可愛がってくていれるって言ってましたよ」
私の反論に二葉さんは静かに首を横に振った。
「いいえ、あの子は母の言いなりなんです。学校だって四乃は共学に行きたいって言っていたのに、母が勝手に今のところに決めて。服だって、由香里さんが若い子が着ているような流行りのものを買ってくるんですけど、母はそれを全部捨てるんです。自分が買ってきたびらびらのワンピースの方が似合うからって」
「拓海さんもそれに気づいてたの?」
「もちろんですよ。四乃ちゃんがゴミ袋から捨てられた服を拾っているところを見たこともありますし。自分の部屋に隠してるんですよ。景子さんに見つかったらまた捨てられちゃうから」
「あの子由香里さんから貰った服を見てすごく喜んでました。やっぱり流行りの服を着て歩きたいんだと思います。大学でも浮いてるんじゃないでしょうか」
「なるほどね。つまり四乃ちゃんはそれをずっと我慢してきたわけだ」
二葉さんと拓海さんは店長の言葉に頷いた。
二人はこう言っているが、私は四乃さんが犯人だとは思えない。少ししか話たことはないが、彼女は虫も殺せないような人に見えた。私は四乃さんは真っ先に容疑者から外したのだが、みんなは彼女のことを疑っているのだろうか。
「他に、使用人とかで怪しい人いない?三千院さんと口論してたとか」
店長の質問に、二葉さんと拓海さんは少し悩んだ。しばらくして二葉さんが口を開く。
「母は気が強い人でしたから……。使用人達を屈服させる力を持っていたんです」
「使用人達はいつもちょっとの失敗でものすごく怒鳴られてましたよ」
二葉さんの言葉にに拓海さんも同意する。
「その中でも特に恨みを持ってそうな人は?」
「う~~……ん。最近入った執事の藤さんとかは?」
「確かに、毎日のように怒鳴られていたわね」
「特にこの間のあれはすごかったよね。カーペットに躓いてお茶こぼしたやつ」
「晩餐会の時のことね。私もあれは怒鳴りすぎだと思ったわ。まぁ客人の前であんな失態、恥ずかしいのもわかるけど……」
この藤という執事は先程幸一さんと由香里さんの会話に出てきた執事と同一人物だろう。幸一さん達だけでなく二葉さん達の記憶にも残っているということは、ずいぶん強い調子で叱られたのだろう。それに「毎日のように怒鳴られていた」というのも新しい情報だ。
「でも一番動機がありそうなのはメイドの七窪さんじゃないかな?」
「あら、どうして?まぁ勤務態度は特別いいというわけではないけれど、あの人に動機なんてあるかしら」
「あれ?二葉知らないの?七窪さんこの前景子さんの指輪盗んだって専らの噂だよ」
「ええ!?あの指輪お母様が無くしたんじゃなかったの?」
「ううん、景子さんが部屋を掃除したメイドが臭いって言って七窪さんの部屋探したら出てきたらしいよ。ほら、噂好きの料理長がメイドに話してるの聞いちゃったんだ」
「お母様って本当にそういうところ鼻が効くわよね」
「というか、自分が無くしたなんて信じられなかったんじゃないかな。景子さんしっかりしてる人だったから」
「でもその盗みの話私初耳だわ。どうして言ってくれなかったの?」
「もう知ってると思ったんだよ。けっこう噂になってたからさ」
「でも七窪さんはまだ仕事を続けているじゃない」
「辞めたいって言ったけど景子さんが許してくれなかったんだってさ」
「お母様って本当に性格が悪いわね。逃げ場のない七窪さんを見て楽しんでたんだわ」
「メイドといえば明石さんもよく怒られてたよね」
「ああ、あの子はそそっかしいところがあるから」
「元気があっていいと思うんだけど」
「単に落ち着きがないだけだわ」
「うん、僕も落ち着いてる人の方がいいと思うよ。元気がありすぎても慌ただしいだけだもんね」
拓海さんの言葉に二葉さんはちょっと顔を赤くしながら「あんなにバタバタと動かれたら埃が立ってしょうがないもの」と返した。
二人の会話が途切れたところで、店長が口を挟んだ。
「この屋敷にはたくさん使用人がいるみたいだね」
「この屋敷っていうか、久能木にある普段住んでる屋敷から使用人が出張してるんですよ。この屋敷はパーティーとか開く時しか使いませんから」
店長の言葉にそう拓海さんが答えた。久能木というのは、滋賀県の久能木市のことだろう。どうやら三千院家は久能木市にあるらしい。拓海さんはさらに「久能木にある屋敷にはもうちょっと使用人がいますよ」と続けた。
「君達も三千院さんと同じ家に住んでるの?」
「四乃ちゃん以外は週末に泊まるくらいです。僕らにはそれぞれ家庭がありますからね」
「四乃はお母様と一緒に住んでいるから、朝から晩までお母様に付きっきりなんです。さっきも言った通り、お人形さん状態で」
「週末帰った時に見た限りじゃ、怪しい人はいなかった?」
店長の質問に拓海さんはちょっと上を見て考えた。二葉さんは考えてすらいないのか、まるで表情を変えなかった。
「うーん……。みんな普段通りでしたね。まぁ各々不満を抱えているのが普段通りなんですけど」
「不満って?」
「例えば、さっき二葉が言った通り、四乃ちゃんだったらお人形状態への不満とか。三千流義兄さんは誰が見てもお金に困ってるし、絵里香さんはブランド物の服とか鞄とかすごい好きだから今よりもっとお金が欲しいだろうし。幸一義兄さんだって、景子さんから会社継いだって自分の力じゃ切り盛りできないのわかってるだろうし」
「それってどういうことですか?」
私は思わずそう尋ねた。今までほとんど何も言わずに話を聞いているだけだった私が突然口を開いたので、拓海さんは少しびっくりしたようだった。
「それって幸一義兄さんの話?」
「はい、それです」
「えーっと、どこから説明したものか……。幸一義兄さんは近々景子さんが社長をやってる会社を全部引き継ぐ予定らしかったんだけど、幸一義兄さんの能力じゃ会社はすぐ赤字だろうなって、親族の人はみんな言ってるよ。もちろんひそひそとだけど」
「なんで幸一さんじゃ赤字なんですか?」
「だって誰がどう見ても才能不足だもん。というか、景子さんが才能だけで会社をここまで大きくしたようなものだからさ、それを凡人の幸一義兄さんが受け継いでもねぇ……」
拓海さんの言葉に二葉さんも頷き、口を開いた。
「特に、一つならまだしも四つもある会社を一気に幸一兄さんに任せようっていうんですから……」
「一つでも景子さんの跡を継ぐなんて大変なのに、四つもなんて無理だよねぇ」
「だから子供達に一人一つの会社を継がせたらって何度も説得したんですけど……」
二葉さんがため息をついた。おそらく二葉さんは三千院さんの持つ会社を一つ欲しかったのだろう。三千院さんが死んだ今、会社が誰のものになるかは遺言書次第だ。
「でも、なら幸一さんには力不足だって三千院さんはわからなかったんですか?」
私は再び二人に質問した。親族達がみんなして噂していたくらいだ、もちろん三千院さんだって幸一さんには無理なことに気が付いていたはずだ。なのに何故全ての会社を幸一さんに継がせようとしたのか。これではせっかく大きくした会社が潰れてしまう。
「たぶん、どうでもよかったからだと思います」
二葉さんの答えに、私は理解が追いつかなくて「?」を浮かべた。
「実を言うと、母は心臓の病気でもってあと数年だと医師に言われていたんです。だから、会社が潰れようがどうなろうがどうでもよかったんだと思います」
「たぶん隠居して残りの人生を自由に暮らしたかったんだろうね」
二葉さんの意見に拓海さんも同意した。
「そんな理由で……。庶民の私にはちょっと理解できない考えです」
私が正直な感想を言うと、二葉さんが少し笑って「本当そうよね」と言った。おそらくこの二人もここまで大きくなった会社を潰してしまうのはもったいないと思っているのだろう。だが三千院さんは会社は全部長男の幸一さんにくれてやると言っているし、二葉さん達が説得したところで彼女はその考えを変えなかったのだろう。
でも、この話を聞くと幸一さんが可哀相だなと思う。明らかに力不足なのに会社を四つも押し付けられて、その未来は「倒産」の二文字だ。私が彼の立場だったらいっそのこと逃げてしまうだろう。自分の力じゃ経営が無理だとわかっている会社をもらうよりは、庶民の暮らしを選んでしまう気がする。それは私が庶民だからだろうか?
「長居しちゃったし僕らはそろそろお暇させてもらうことにするよ。最後に、雅美ちゃん何か質問ない?」
「え、私ですか?」
私はさっき幸一さんのことについて質問したので、今回は聞かれないかと思ったのに。でもせっかく機会があるなら何か聞いておかないと損だと思い、私は必死に脳みそを回転させた。
「えっと、じゃあ……。二人には何か夢はありますか?」
私の質問に二葉さんと拓海さんは目を丸くして押し黙った。あまりに突拍子もない質問に言葉が出ないのだろう。パーティの最中に、何か将来について語り合っていた記憶があるので、それに引っ張られてつい聞いてしまった。
「雅美ちゃんさっきの質問よりもぶっ飛んでるね」
「すみませんやっぱり今のナシにしてもらってもいいですか」
「いや、すごくいい質問だと思うよ。せっかくだから答えてもらおう」
店長が答えを促すように二人に視線を向ける。先に答えたのは拓海さんの方だったが、彼の笑顔は少々引きつっていた気がした。
「夢だよね。うーん、そうだなぁ。とりあえず犬が飼いたいかな」
「あ、いいですよね犬。私も飼いたいです」
拓海さんは「大型犬を庭に放し飼いにしてみたいんだ」と笑った。拓海さんが答えたのを見て、続けて二葉さんが口を開く。
「私は自分がデザインした服を売る店を作りたいです」
「二葉さん服のデザインとかするんですか?」
「ええ、好きなんです。自分では着ないんですけど、絵里香さんみたいな綺麗な人に着てもらいたくて」
「へぇー、叶うといいですね!私応援します」
二葉さんは今日のドレスもほとんどスーツのようなシンプルなデザインだし、髪も引っ詰めていて化粧っ気もない。てっきり服などのオシャレには全く興味がない人なのかと思っていたのだが、まさか服のデザインが趣味だったとは。自分が着るより人に着せる方が好きなのだろうか。
「じゃあ僕らはこれで。次は三千流さん達のところに行かなきゃいけないし」
「貴重なお話ありがとうございました」
店長がドアの方へ歩いて行ったので、私は二人に頭を下げて店長の後に続いた。途中で振り返ると、二葉さんは私に会釈をし、拓海さんは人懐っこそうな笑顔で手を振っていた。
部屋から出るなり、店長が幸一さん達の時と同じ質問を私にした。
「あの二人どう思う?」
私は今さっきまでの会話を思い出しながら考えをまとめた。
「うーん、普通の人達って感じですね……。特別いい人でも悪い人でもなくて、感覚も普通で……」
「なるほど、普通の人ね。まぁ確かにそうかもしれないけど、それを言うなら僕は幸一さん達も普通の人に見えたなぁ」
「幸一さん達はいい人ですよ。あれは典型的ないい人タイプの人達ですよ。あ、でも、会社の話……幸一さん達にも動機が出来ちゃったってことでしょうか?」
「まぁ三千院さんの遺産が入ればしばらくは安泰だろうね」
「でも三千院さんのお子さんは四人もいるんですよ?一人辺りそんなに貰えますかね?」
「四つに分けても莫大な金額だったってことじゃない?何せ四つの会社の社長で、そのうえ三千院さんには株で儲ける才能もあったらしいし」
「三千院さん株もやってたんですか」
「うん。三千院さんが店に来た時に長々と株での成功の仕方を聞かされたよ。とにかく、遺産が入れば親族達は大喜びだっただろうね」
四つの会社の社長である上、株でも大儲けしていたなんて。どうやら三千院さんの遺産は私が想像していたよりもっとずっと大きい額らしい。さすが滋賀県で二番目にお金持ちだと言われているだけはある。
「そういえば、指輪を盗んだっていうメイドの七窪さんはどう思います?」
「この人は動機はあると思うけど、どうかな……。後で本人にも話を聞きに行こうか」
「この指輪の話、拓海さんの作り話って可能性はないですかね?二葉さんは知らなかったみたいですし、幸一さん達は話しませんでしたし……」
「その可能性ももちろんあるけど、それは他の人の話を聞けばわかることだと思うよ」
私は頭の中のメモの七窪さんの名前の隣に「最有力人物」と書き込んだ。彼女の動機ははっきりしている。七窪さんは三千院さんから精神的な苦痛を受けていた。しかも彼女は自分の犯した罪が枷になり、三千院さんから逃げられない。我慢の限界に達した彼女はついに三千院さんを殺してしまったかもしれない。
「やっぱり親族だけじゃなくて、使用人達も怪しいですかね?」
「話を聞いてる限りじゃいい主人ではなかったみたいだね。僕はまだ親族の方が怪しいと思ってるけど、正直犯人が使用人の誰かでも驚きはしないだろうね」
二葉さんと拓海さんから聞いた話の整理もついたので、次男三千流さんとその妻絵里香さんの部屋に行くことにした。
三千流さん達の部屋は二葉さん達の部屋の左隣。番号は二〇五だ。店長がドアをノックすると、先の二部屋とは違いすぐに返事が返ってきた。
「空いてるから勝手に入れや」
三千流さんの返事を聞き、私達はドアを開けて部屋の奥へ進んだ。窓に近い方のベッドに三千流さんと絵里香さんが並んで腰掛けていた。絵里香さんは三千流さんの腕に自分の腕を絡め、三千流さんは絵里香さんの腰に手を回している。
「こんなにあっさり部屋に入れたの初めてだよ」
「渋った方が疑われるだろ?」
店長は三千流さん達の向かいのベッドに腰を下ろした。私はどうしようか少し迷ったが、一人だけ立っているのも変なので店長の隣にそっと腰を下ろす。
私が座るとすぐに絵里香さんが口を開いた。
「あなた達探偵ごっこしてるんですって?」
彼女は赤い口紅が塗りたくられた口をちょっと歪ませて笑った。何だか小馬鹿にされているようで嫌な気分になった。
「ねぇ、あなた達に犯人探し頼んだのってあの執事でしょ。執事長の條島さん」
「何でわかったの?」
「だってぇ。あの人くらいしかそんなことする人いないもの。ねぇあんた」
絵里香さんはそう言って声を上げて笑い、三千流さんもそれに釣られた。私は店長が依頼人は執事長だと簡単にばらしてしまったことに眉をひそめた。
「で、俺らから何を聞きたいんだ?」
「何でも聞いていいわよぉ?答えるかどうかはわかんないけど」
人が一人死んだというのに、この二人はどうしてこんなにヘラヘラと笑っていられるのだろう。三千流さんに至っては、死んだのは自分の母親だ。この二人の精神が信じられない。
三千流さんと絵里香さんは、殺人事件の容疑者というこの状況を楽しんでいるように見える。このスリルを楽しんでいるのだ!彼らからは自分の無実を証明しようという意思が感じられない。ゲーム感覚なのだ。
私が黙って二人を観察していると、店長が口を開いた。この二人にはまず始めに何を聞くんだろうと、私は店長の放つ言葉に意識を傾けた。
「実を言うと、僕は二人のことは全く疑ってないんだよね。だからとりあえず三千院さんの部屋に行ったかどうかと、動機がありそうな人のことだけ適当に話してくれる?」
私は店長の言葉に耳を疑う。一瞬驚いて隣を振り返ってしまったが、三千流さんと絵里香さんに感づかれてはいけないと思いすぐにポーカーフェイスを貼り付けた。
正直に言うと、親族の中では私は三千流さんが一番怪しいと思っていた。私だって三千流さんが遺産目当てに母親を殺したなんて思いたくない。でも、考えれば考えるほど、親族の中では犯人は三千流さんとしか考えられないのだ。ぶっちゃけ根拠はない。ただ、三千流さん以外の人が人殺しをする姿が想像できないのだ。
しかし店長はどういう意図で「全く疑ってない」なんて言ったのだろう。本当は疑っているけれど二人を油断させるために言ったのだろうか。もしそうだったら私が過剰に反応するのはおかしい。いや、今だけでなくずっと私達は澄まし顔でいなければならないのだ。何せ目の前の相手は殺人犯かもしれないのだから。少しも緊張を緩めてはいけない。
店長の言葉に三千流さんは笑顔を作った。いや、彼はもともと笑っていたのだが。それにしても、私は三千流さんの笑顔をどうにも好きになれない。すごく小物臭い笑顔なのだ。腹の奥がムカムカしてくる。
「それを聞いて安心したぜ。だがな、俺は三時過ぎお袋の部屋に行ったんだ。それを聞いてもさっきと同じことが言えるのか?」
「っていうか三千流さんが三千院さんの部屋行ったこと知ってるし。夕方僕らのとこに来たとき言ってたでしょ」
「あれ?そうだったか?」
「まさかホントに忘れてたの?たった五時間前くらいの話だよ?」
店長が呆れたという顔をし、三千流さんは少し照れ臭そうにもともとオールバックにしている前髪を撫で付けた。
「だが俺が行った時お袋はまだ生きてた。これは本当だぜ」
「わかってるよ。由香里さんも証言してくれてるしね。でも一応部屋に行ったなるべく正確な時間教えてくれる?」
「さぁなぁ……。三時を十分くらい過ぎた時だったかなぁ……。気づいたら会場にお袋がいなくてよ。部屋に戻ったのかと思って慌てて向かったんだ」
「ちなみに退室した時間は?」
「五、六分しかいなかったからな。三時二十分より後ってことはないと思うぜ」
三千流さんの証言は一応正しいと思う。入室時間は正確にはわからないが、退室し会場に帰ってきた三千流さんを私は見ている。確かあの時三千流さんは浮かない顔をしていたはずだ。その表情は由香里さんが盗み聞きした会話の内容と一致する。
それに三千流さんが部屋を出た後に、由香里さんと幸一さんが生きている三千院さんに会っている。やはり三千流さんは無実なのか……?いや、まだ幸一夫妻が嘘をついている可能性も残っている。だがそれなら何のために嘘をつく?まさか親族全員がグルなのか?いやいや、そんな馬鹿な。ここはオリエント急行ではない。
「ついでに聞くけどその時どんな話した?」
「それも言わなきゃダメなのか?」
三千流さんは「勘弁してくれよ」という風にヘラヘラと笑った。私は三千流さんの返答に集中しようと無意識に少しだけ身を乗り出した。
「まぁ言わなくても知ってるけどね。金の無心でもしてたんでしょ」
「おいおい、何でわかるんだよ。あ、さては由香里だな?」
三千流さんはここでようやく由香里さんと鉢合わせたことを思い出したようで、納得したという顔をした。
「由香里のやつ盗み聞きしてやがったな?」
「本人はたまたま聞こえてきただけって言ってたけどね」
三千流さんは由香里さんが会話を盗み聞きしていたことがかなり嫌だったようで、苦々しげな顔をした。そんな三千流さんに、今まで自分の髪の毛先を手持ち無沙汰に指でいじっていた絵里香さんが、ニヤリと笑いながら言った。
「女っていうのはね、話声が聞こえてきたらとりあえず鍵穴を覗き込むように出来てるのよ」
「まったく、やな生き物だぜ」
不機嫌そうに吐き捨てる三千流さんを見て、絵里香さんはケタケタと笑った。
「そういえば、絵里香さんも部屋に行ったんじゃない?」
しかし店長の言葉に絵里香さんの笑い声は途絶えた。彼女はゆっくりと店長に視線を向ける。
「私?私が部屋に行ったって?う~~ん、ふふふ……」
絵里香さんは不敵な笑みを浮かべたが、店長が「で、何で行ったの?」と追い打ちをかけると、素直に白状した。
「何でバレちゃったのかしら。実を言うとね、私も行っちゃったのよ。景子さんの部屋に」
「何でってコーヒーカップにべったり口紅つけてたじゃん。毒味でも頼まれた?」
「あら、あれやっぱり毒味だったの?断るのもおかしいと思って一口飲んだんだけど。毒が入ってなくてよかったわ」
絵里香さんはそう言うとまたケタケタと笑った。何がそんなに楽しいのだろうか。一歩間違えれば死んでいたという話だと思ったのだが、私の勘違いだったのだろうか?
私は「あー馬鹿馬鹿しい」と言いながら笑う絵里香さんの唇に注目した。真っ赤な口紅が塗られている。どう見ても三千院さんのテーブルの上にあったコーヒーカップについていた口紅と同じ色だった。
「で、絵里香さんが部屋に行ったのは三時二十分頃で合ってる?」
「あらそんな細かいことまで知ってるの?探偵ってすごいのね」
「君が出てくところ見たからね。帰って来たのは何分後?」
「私もこの人と同じで五分くらいしかいなかったわ。でも五分で人一人殺せるかしら?」
「やろうと思えばやれないこともないよ。でもコーヒー飲んでるような暇はないだろうね」
店長が絵里香さんを見たと言っているのは、ハンカチを落とした時の彼女だろうか。絵里香さんが会場を出たのが三時二十分頃。彼女がハンカチを落として、それに気づかず出て行ったのもちょうどそれくらいだったはずだ。
私は店長と絵里香さんの会話が途切れたのを見計らって尋ねた。
「あの、絵里香さん、ハンカチは見付かりましたか?」
「ハンカチ?」
絵里香さんはベッドの上に投げ出されていたハンドバッグを引き寄せると、中身を確認し始めた。
「あら、ないわね。ハンカチ。どこやったのかしら」
不思議そうな顔をする絵里香さんに三千流さんが話し掛ける。
「よかったな絵里香。あのハンカチ無くしたなんて、お袋が生きてたら大目玉だぜ」
「本当。景子さんハンカチ一枚にこだわりすぎなんだから」
絵里香さんにとってはハンカチなんてどうでもよかったらしく、彼女はハンカチを探すのを早々に止めてハンドバッグを放り出した。
どうやら絵里香さんのハンカチは現在もこの屋敷のどこかをうろうろしているらしい。まだハンカチを拾ったグレーのスーツの男性客が持っているのだろうか?それとも使用人が預かっているのか?こんな騒ぎが起きてしまったのだから、預かったまま返すのを忘れている可能性は大いに有り得る。
「二人から見て怪しい人はいない?動機がありそうな人なら誰でもいいんだけど」
犯行時間の行動の確認が終わり、次に動機がありそうな人物を二人に話してもらうことにする。店長の質問に三千流さんは考える素振りもなく答えた。
「それなら兄貴が怪しいぜ。というか、俺は兄貴がやったもんだと思ってるくらいだ」
「何で?」
「何でってわかるだろ?切羽詰まってんだよ兄貴は。一、二年以内にはお袋から会社押し付けられる予定だからな。これで兄貴が上手く店を回したんなら、俺は今までクソみたいにけなしてきた罪を償って、裸で逆立ちして町内一周するぜ。とにかく、兄貴は喉から手が出るほど金が欲しいんだよ。お袋の遺産がな」
「三千院さんの遺産ってどれくらい効果あんの?」
「まぁうまーくやれば十年は安泰だろうな。十年ありゃ四つもある会社を一つに絞ってでっかくすることも出来るだろうし」
「じゃあ絵里香さんは誰が怪しいと思う?」
店長の言葉に絵里香さんが顔を上げた。ぼーっと髪をいじっていたみたいだが、ちゃんと店長と三千流さんの会話を聞いていたのだろうか?殺人事件についてという大事な話をしているのに、いい加減しっかりと集中してほしい。
「私?私はねぇ……。まぁ由香里さんでもいいけど……やっぱり七窪さんかしら?七窪さんってメイドのあの太った人なんだけど、知ってる?」
「三千院さんの指輪盗んだ人でしょ?なら理由は恨みだと思う?」
「そうねぇ。だってあんな環境で仕事なんて。私だったら耐えられないわ」
「絵里香さんだったらすぐ殺しちゃう?」
「うふふ、そうかもね。まぁ実際にその立場にならなきゃどうするかはわからないけど」
私は絵里香さんの言葉で一つ気になったところがあったので、さっそく尋ねてみることにした。
「絵里香さん今由香里さんも怪しいけどって言いましたよね?何でなんですか?」
「あら?だって由香里さん、どう見たって遺産目当てじゃない?」
「遺産目当てで幸一さんと結婚したと思ってるんですか?」
遺産目当ては絵里香さん自身だろう。あの優しそうな由香里さんがそんなどす黒い感情で幸一さんと結婚しただなんて、私は思いたくない。由香里さんは幸一さんをよく支えているように見える。
「遺産目当てっていうか、社長夫人になりたいのよ由香里さんは。まぁ本人から聞いたわけじゃないけど、一目瞭然だわ」
「一目瞭然ですか……」
納得はいかないが、とりあえず話を打ち切ろうと私は頷いた。すると私が納得していないのを感じ取ったのか、絵里香さんがズイッと顔を近付けてきた。あまりの香水臭さに顔を逸らしそうになるのを何とか堪える。
「あなたホントに女?女のカンっていうのは無いの?」
「持ってなくても生きてこれたといいますか……」
「言っとくけどそんなの今までが奇跡だっただけよ?そんな調子じゃすぐに悪い男に騙されるわよ」
「気をつけます……」
絵里香さんがようやく顔を離してくれた。彼女は三千流さんの隣に座り直し、長い足を優雅に組んだ。
「それで?聞きたいことはまだあるの?」
「まぁ今はこれくらいかな。また何かあったら来るよ」
「おう、いつでも来いや。隠すことなんてねーしな」
店長が立ち上がったので私もそれに続く。三千流さんと絵里香さんの部屋を出ると、店長は例によってこの質問をした。
「あの二人どう思う?」
「すっごく怪しいと思います」
その質問に私は間髪入れずに答える。店長がちょっと苦笑を浮かべた。
「でもあの二人嘘はついてなかったじゃん」
「親族の中では一番怪しいですよ」
「そうかな?僕はあの二人はシロだと思うけど」
どうやら店長があの二人から感じたものは私と正反対のものらしい。私は二人からは胡散臭さしか感じなかったのだが、店長は何を見てそう断言しているのだろうか。
「何でですか?三千流さんなんていかにもやりそうですけど」
「だってあの二人、四時半頃僕らに話しかけてきたでしょ?」
三千流さんと絵里香さんが三千院さんの居場所を聞いてきたのは確か四時半だったはずだ。あの時の会話で、三千流さんはコーヒーを持って来た由香里さんとぶつかりそうになったと言っていた。
「そうでしたけど……でもそれが何なんですか?」
「あれはね、僕らに媚びを売りに来たんだよ。今まで何の関係もなかった奴が突然パーティーに呼ばれたら、誰だって三千院さんのお気に入りだと思うでしょ?三千院さんは子供達に僕らのことを紹介までしてるし」
「つまり、私達が三千院さんに三千流さん達のことを良く言ったら、三千院さんの三千流さん達に対する好感度が上がるってことですか?」
「そういうこと。僕らが三千院さんに三千流さん達の話なんてするかはわからないけど、まぁやらないよりはやっといた方がいいよね」
「でもだからって、それとこれと何の関係があるんですか?」
あの時二人が声をかけてきたのは、そういう意図があったのか。しかし、それのどこが二人の無実と繋がるのだろうか。
「だってあれは三千院さんが殺された後だよ?もし二人が犯人なら、あそこで僕らに媚びる理由がないでしょ」
「あ、そっか」
「あの二人は意味のないことはやらないだろうしね。そのかわり、少しでも金になりそうなことには全力で取り組むだろうけど」
なるほど……、なら本当に三千流さんと絵里香さんは犯人じゃないのか?遺産目当ての犯行なら、金に汚そうなあの二人が犯人だと思っていたのに。
「でもだとしたら、一体誰が犯人なんでしょう……」
「それはまだわからないね」
店長はちらっと腕時計を見た。今は何時だろう。十時半頃だろうか。
「じゃあ今の話を踏まえて、あの二人どう思う?」
「う~ん……今の話を踏まえてしまうと、あの二人は無実にしか見えなくなってしまいました」
「でもなにもかも完全に話したわけじゃないと思うよ?」
「嘘をついている部分もあるってことですか?」
「いや、本人達は些細なことだと思ってるけど、事件に関係あることかもってこと。重大な何かを目撃してるのに、本人達はその重大さに気付いていなかったり」
「でもそんなのどうやって話させるんですか?本人達も気付いてないってことですよね?」
「本人達が気付く前に僕らが気付いて聞いてあげるしかないね。でもほぼシロが確定してるあの二人の証言なら、とりあえず信用することができるよ」
本人達も気付いていないことを知るなんて……そんなこと私達にできるのかな?素人探偵の私達に。
浮かない気持ちが顔に出ていたのか、店長が私の頭をぽんぽんと撫でて笑った。
「まぁ、三人寄れば文殊の知恵っていうじゃん。何とかなるって」
そうは言うが、文殊菩薩だって殺人事件の犯人探しなんてしたことないんじゃないだろうか。それにタイムリミットだってある。明日の昼にでもなれば、土砂は撤去されて警察がこの屋敷に到着するだろう。執事長さんの想いには答えてあげたいが、実力不足は否めない。
「考えるのは後にして、とりあえず親族の事情聴取終わらせちゃおっか」
「はい。最後は四乃さんですね」
店長は左隣の部屋のドアをノックした。ドアのプレートには二〇三号室と書かれている。三千院家の次女四乃さんはここに一人で泊まっているはずだ。
ノックをしたあとしばらく何の反応もなかったが、少し待つとトテトテと小さな足音が近づいてきて、控えめにドアが開いた。数十センチ程の隙間から四乃さんが顔を覗かせる。
「ちょっと話あるんだけど今いい?」
四乃さんはまず店長の顔を見上げ、次に私の顔を見て、再び店長の顔を見上げると、そっとドアを閉めた。二人きりの廊下に沈黙が流れる。
「……何で僕嫌われてるの?」
「四乃さん男の人が苦手なんですって」
不可解そうな表情をする店長にそう説明するが、彼はそれでも納得がいかないようだった。まぁにこやかに話し掛けたのに無言でドア閉められちゃったしね。四乃さんもどうしていいかわからずについ閉めちゃったんだと思うけど。
「ここは私がいきます。任せてください」
私は一歩踏み出して店長の前に立った。なるべく軽い音でドアをノックし、優しい声に気をつけて話し掛ける。
「四乃さん?ちょっとだけでいいんでお話できませんか?三千院さんのことで教えてほしいことがあるんです」
辛抱強く待つと、すっとドアが開いて再び四乃さんが顔を出した。私を見て安心したような顔をする。
「す、すみません……ついドアを閉めてしまって……」
「いいんですよ、そんなの。それより、今大丈夫ですか?一応親族の人全員に話を聞いて回ってるんですけど」
「あ、大丈夫です。でも、部屋がちょっと散らかっていて……」
「気にしませんよ。それとも片付けるまで待ちましょうか?」
そう提案すると四乃さんは恥ずかしそうに小さく頷いて、パタパタと部屋の奥に駆けて行った。
「どうやって手なずけたの?」
「純粋な心で向かい合っただけですよ、純粋な心で」
「僕も純粋な心で接したつもりだったんだけど」
「そんな取り繕った純粋さじゃダメですよ。四乃さんはピュアなんですから」
くだらない話をしながら待つこと五分。パタパタと足音が聞こえたと思ったら、ガチャリとドアが開いた。きっちりと切り揃えた前髪を少し乱した四乃さんが、部屋の中を手で指して言った。
「ど、どうぞ……っ」
私はなるべく警戒心を与えないように笑顔を作って「お邪魔します」と言った。店長は無言で私の後に続く。四乃さんはドアを閉めてから、ひょこひょこと私達の後に続いた。
部屋に入ると、四乃さんは私と店長に窓際のソファーを勧めた。それからポットのお湯で紅茶を淹れた。紅茶をテーブルに置くと、四乃さんは化粧台からイスを引きずってきて、そこにちょこんと座った。
「あのね、四乃さん、私達三千院さんを殺害した犯人の手掛かりが欲しくてお話しに来たんだけど……」
「はい、條島さんから聞いてます」
「そうですか。ではさっそく、三千院さんを殺した人に心当たりはありませんか?」
私はなるべく友達と話す時のような声で言った。まずは私達にたいする警戒心をといてリラックスしてもらった方がいいだろう。
三千院家の四番目、次女四乃さんの事情聴取が今始まった。
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