捜査開始
私達が案内された部屋は、三千院さんの部屋の三つ隣の部屋で、部屋の番号は一〇六号室だった。
屋敷が立っている場所が山の上なので泊まっていく客も多いのだろう。客室はたくさん用意されていた。それでも、今日のバースデーパーティーに来ているあの大勢のお客さんが全員泊まるとなったら、部屋の数は圧倒的に足りないだろう。
執事Aには、私は女性なので店長と瀬川君とは別の部屋を用意しましょうかと言われたが、お断りしておいた。ただでさえ部屋数が足りないのはわかっているし、それに殺人犯と缶詰の屋敷で一人で泊まるなんて恐ろし過ぎる。とくに、私達が犯人を見つけようとしていると公開すれば、一人でいる時に襲ってくるかもしれない。
他のお客さん達は三千院さんが殺されたことをまだ知らない。主役がなかなか現れないのを不審に思いながらも、銘々楽しんでいるだろう。使用人ですら知らない者の方が多いくらいだ。
今私達が一足先に部屋をもらっているのは、この事件の調査をするためだ。他のお客さんの目の前で事件の話をするわけにもいかない。他のお客さん達も、三千院さんが殺されたことが公開されれば部屋に案内されるだろう。そしてなるべく部屋から出ないように言い付けられるはずだ。
執事Aの背中を見送って、私は一番最後に部屋に入った。部屋の中にはベッドが二つと、小さなテーブルに二つの一人掛けソファー、ランプとランプが乗っているサイドテーブル、化粧机があった。壁紙は落ち着いたクリーム色で、フローリングの床に敷いてあるグレーのカーペットも暖かい印象だ。
瀬川君が部屋のドアに近い方のベッドに腰掛けたので、私はその向かいのベッドに腰を下ろした。二つのベッドには五、六十センチ程の間が空いている。店長は窓際からソファーを一つ持って来ると、私とセガワ君の間に座った。
「とりあえず、店長」
意外にも真っ先に口を開いたのは瀬川君だった。
「どうしてこんな依頼受けたんですか。まさか本当に犯人を見つけるつもりですか」
やはり瀬川君も犯人を見つけるなんて不可能だと思っているのだろうか。そう思うのが当たり前だ。これは小説の中ではない、現実の殺人事件なのだから。そして私達はシャーロック・ホームズではない、普通で普通の殺人事件とは縁の無い一般人なのだ。
「あそこまで必死に頼まれたら断れないよねぇ」
私は執事Aの目を思い出した。彼は本気で犯人が許せないでいるのだ。仮に犯人を見つけ出したとして執事Aがどうするのかはわからないが、彼の為にも何としてでも犯人を見つけてあげたい。
「まぁ店長がやると言うんなら僕は何も言いませんけど」
乗り気ではないが、瀬川君も手伝ってくれる気はあるらしい。しかし素人探偵が三人集まったところでどうにかなる問題だろうか。
瀬川君が完全に口を閉じたので、今後は私が口を開くことにした。
「さっき言ってた容疑者って、その……親族の皆さんのことですよね?」
「そうだよ。目的はやっぱり遺産だろうからね。三千院さんが死んだって他のお客さんは何も得しないし」
つまり、他のお客さん達には動機がない。それだけで完全に容疑者から外すのも考えものだが、ほぼシロと決め付けても大丈夫だろう。
「誰が怪しいかは一先ず置いておいて、とりあえず三千院さんの部屋の状態を説明するよ。写真も何枚か撮っといたから」
店長はポケットからスマホを取り出すと、殺人現場の説明を始めた。
店長がまず始めに見せたのは凶器の画像だった。天使を象った高さ三十センチ程の銅製の置物。天使の部分もかなり重たそうだが、天使が乗っている立方体の台座はかなりの重量だろう。持ち上げてみた店長の感想では、頭を狙えば一撃で人を殺せるだろうとのことだ。ただかなり重たいので、非力なタイプの女性が振りかぶるのは難しいかもしれないとのことだった。
店長の話だと、三千院さんの死因は左側頭部を何度も殴打されたことによる撲死。凶器はこの天使の置物でまず間違いないだろう。置物の台座の角には血がべったりついている。
何度も撲ったにしては凶器にあまり血がついていませんねと私が指摘すると、店長は次の画像を見せた。机のすぐ横に置いてあるごみ箱の画像だ。中には真っ赤になったティッシュが何枚も突っ込まれている。おそらく置物についた指紋をティッシュで拭き取った時に、血もほとんど拭われてしまったのだろうと店長は言った。ちなみにティッシュは三千院さんが座っていた机の端に置いてあったらしい。
凶器が置物なら犯人はかなりの返り血を浴びたのではないかと瀬川君が意見した。店長は次の画像を見せる。机のすぐ後ろのカーテンの写真だ。片方のカーテンからは血が飛び散った跡がはっきりと確認できた。
「犯人はカーテンに隠れて返り血を防いだってことですか?」
「撲はそうだと思うんだけど。犯人は着替えてる暇も無かっただろうしね」
瀬川君が納得したのを見ると、店長は次の画像を見せる。今度は机の正面の写真だ。机に倒れ伏している三千院さんの左手の先がちらっと映っていて、私は少し身震いした。机からは真っ赤な血が流れ落ちていて、机の真ん前の床に大きな血溜まりを作っていた。
次に店長が見せたのは窓際の棚の写真。この写真については、並んでいるたくさんの置物の間にぽっかり空いた部分があったから、犯人はここに置いてあった天使の置物を使ったのだろうということだけだった。置物が三千院さんの部屋にあった物だとすると、凶器から犯人を見つけるのは無理そうだ。
「その場にあったものを凶器に使ったということは、計画的な犯行ではないということでしょうか」
とまた瀬川君が意見した。店長は「かもしれないね」と言っただけだった。
次に店長はハンカチの写真を見せた。白い絹のハンカチの端に、金の糸で紋様が刺繍してある。一目でわかった。これは絵里香さんのハンカチだ。確か彼女が落としたのをグレーのスーツの男性客が持って行ってしまったはすだが、それが何故三千院さんの部屋にあるのだろう。
「店長、このハンカチどこにあったんですか?」
「机の近くに落ちてたんだ。三千院さんの鞄の中には一つ入ってたし、まぁ予備で二つ持ってたとも考えられるけど、たぶん三千院さんのじゃないと思うよ」
「これ、絵里香さんのハンカチですよ。私見ましたもん」
「それがそうとも言い切れないんだなぁ」
私は少し眉を寄せながら、店長に「どうしてですか?」と尋ねた。
「これは三千院さんがデザインしたハンカチで、親族は全員持ってるらしい。特にこういうパーティーの時は持ってくるのを義務付けられていて、一言で言うなら三千院家の証みたいなやつだね」
瀬川君が「それ誰に聞いたんですか」とボソッと言い、店長は「執事長」と答えた。私は自分の持つ情報が何の意味もなかったと知ってがっかりした。別に絵里香さんを犯人にしたいわけじゃないが、容疑者が絞れるかと思ったのに。
次に店長が見せたのは机の引き出しの写真だった。三千院さんの右脇の引き出しだ。その三段の引き出しは全て開け放たれていて、中の書類などが掘り返された跡があった。まさか三千院さんがこんなしまい方をしたわけではないだろう。おそらく犯人が何かを探したのだ。
「一応執事長に確認してもらったけど、足りない書類は無かったよ。他の文房具類はわからないけど」
「えっ、あの人執事長だったんですか?」
「そうだよ。自分で言ってたから間違いない」
私が内心で執事Aと呼んでいたあの四十代半ばくらいの執事さんは、三千院さんに仕える数人の使用人を取りまとめる執事長だったらしい。
店長は画像を次のものにした。机の上のコーヒーカップが写っている。コーヒーはおそらく一口か二口程度しか飲まれていない。私達が注目したのはコーヒーカップの縁に付いている真っ赤な口紅だった。カップの向きからして、この口紅の主は右利きだろう。私は三千院さんのメイクを思い出したが、彼女の口紅はベージュだったはずだ。
店長が画像を変える。次の写真はごみ箱とは逆側の机の横だ。開け放たれた引き出しの一部も映り込んでいる。机の横には机の上に乗っていたと思われる筆記用具やメモ帳などが散乱していた。おそらく左側から撲られた三千院さんが右側に倒れ込んだ時、右腕に当たって床に落ちたのだろう。
店長が最後に見せたのは赤いドレスの写真だった。ドレスは部屋のドアのすぐ右の角にハンガーにかかった状態であった。誰もドレスに触れていないのだろう、薄手の透明のビニールで覆われたままだった。そこで、私はある点に気づく。
「あれ?ちょっとここの部分アップにできませんか?」
そう言うと、店長は拡大はせずに次の画像に切り替えた。その画像は、私が指摘した部分を近くから撮った写真だった。
「何でこの部分切り取られてるんでしょう?」
「すぐ下にハサミも落ちてたよ」
ドレスにかかったビニールが一部切り取られている。真四角ではなくいびつな形だ。慌てて切り取ったのだろう。切り取られたビニールは縦横およそ四十センチと推測できる。店長が次に見せた画像はドレスの足元の床の写真で、その辺によくあるようなハサミが落ちていた。店長に聞くと、このハサミは三千院さんの机の引き出しで見た覚えがあると執事長が言っていたらしい。
殺害現場の状況説明が終わると、私達は次に殺害時刻の話をした。まず三千院さんが自分の部屋に戻った理由だが、私は四乃さんから聞いたドレスの着替えの話をした。三千院さんはブルーのドレスから赤のドレスに着替える為に自分の部屋へ戻ったのだ。
「四乃さんは着替えには由香里さんが付き添ったと言っていました」
「なら由香里さんが怪しいでしょうか」
「いや、由香里さんの他にも会場を出てく人何人か見たよ。三千院さんの部屋は会場から離れてるし、人目を忍んで誰でも行けたと思う」
「私も三千流さんと絵里香さんが会場から出てくの見ました」
「僕は三千院さんと由香里さんが出て行くの見たよ。三時くらいだったと思う」
「あ、じゃあそれドレス代えに行った時ですよ」
私は四乃さんとの会話を更に細かく説明した。私の証言で、三千院さんが殺害されたのは、ドレスを代えに行った三時から、執事長が死体を発見した五時四十分の二時間四十分の間に絞られた。これは医者が計算した死亡推定時刻の四時前後を含んでいる。
医者の話だと死亡推定時刻は死体発見の約二時間程前で、二時間より後だということはまず無いとのことだ。つまり三千院さんが殺されたのは三時から四時の間だと断定できる。
次に殺害動機を考えてみる。これは間違いなく遺産が目的だろう。犯人が親族以外の人間だとするなら話は違ってくるが、その可能性はゼロに近いと私達は考えた。三千院さんは自分の部屋に犯人を招き入れているのだ。しかも彼女は椅子に座って犯人と話している。犯人は間違いなく三千院さんと親しい人間だろう。この点から考えて、お客さん達は容疑者から外してもいい。
この屋敷に来た時から遺産の二文字を感じていた。親族達は皆三千院さんの持つ多額の財産を狙っている。彼らがどれくらいお金に困っているかはわからないが、三千院さんの残す遺産は大金で、彼らにとって魅力的なものに違いない。
「あと変なのは三千院さんのイヤリングかな……」
「イヤリングが何かあったんですか?」という私の声と、「それ僕も思ってました。片方しかつけてませんでしたよね」という瀬川君の声が被った。店長と瀬川君はちらっと私の方を見たが、私はすっと目を反らした。まさか気づいていないの私だけだったなんて。
「そうなんだよね。部屋に行くまでは右しかつけてなかったのに、さっき見たら両方つけててさ」
「単になくしてたのが見つかったんじゃないですか?」
「でもなくしてたんなら普通別のやつつけない?」
店長と瀬川君が私をスルーして会話を続ける。二人の優しさ痛み入るよ。
「まぁ今はこんなもんかな。後は親族達に事情聴取したいけど……」
一通りの説明を終え、店長が少し背を伸ばした。私は事情聴取という言葉に顔を上げる。話をしている本人達の顔を直接見た方が何か気付けることがあるかもしれない。それに聞いた話を説明されただけじゃイメージもわきにくいだろう。
「店長、その事情聴取私も付いて行っていいですか?」
「っていうか、事情聴取には撲と雅美ちゃんで行こうと思うんだけど」
店長の言葉に私はびっくりしてぱちぱちと瞬きし、瀬川君は驚いたようなホッとしたような微妙な表情をした。
「何で瀬川君は行かないんですか?」
「あんまり大人数で行くのもあれだし……。リッ君はこの部屋にいて欲しいんだよね。まぁ留守番係かな」
確かに、私達が犯人探しをしていると知って焦った犯人が、私達を殺しに来るかもしれない。もちろん部屋に鍵はついているが、この部屋に誰も入れないように見張っておくに越したことはないだろう。
「でもそれだと瀬川君が危険じゃないですか?」
「って意見が出たけど、リッ君どう?」
私の言葉をそのまま瀬川君に受け流す店長。瀬川君は「大丈夫です」と即答した。私だったら一人で残るなんて絶対にお断りだが、彼は不安ではないのだろうか。瀬川君の返事を聞くと店長はソファーから立ち上がった。
「じゃあ早速行こっか」
私もベッドから立ち上がり、店長の後に続いて部屋を出る。ドアを閉める直前に瀬川君に「気をつけてね」と言うと、彼は「荒木さんも」と返した。
店長と共に廊下を歩く。三千院さんの部屋の前を通り、玄関ホールで足を止めた。
「まず誰から行く?」
「そうですね……。やっぱり幸一さんからじゃないですか?まだ誰が怪しいかもわからないし、とりあえず長男から……」
「そうだね。撲もそれがいいと思うよ。ただ……」
「ただ?」
「ちょっとゆっくり話し過ぎたみたいだね」
店長は腕時計を見てそう言うと、階段を上がった。店長の言葉の意味がわからない私はただその後について行くしかなかった。しかし二階のパーティー会場に入って、私はすぐに先程の言葉の意味を理解することとなる。
私達が会場に入るとまず飛び込んで来たのは、広々とした空間だった。つい一時間前まで並んでいたテーブルが綺麗さっぱり片付けられているのだ。私は「あっ」と声を上げる。
「もしかしてダンスですか?」
「うん。さすがに三千院さんがいないのは怪しい」
壁の柱時計に目を凝らすと、時刻は午後七時五分だった。ダンスはおそらく7時からの予定なのだろう。なかなか現れない三千院さんにお客さん達はざわざわと動揺していた。
「どうする?本当は親族達に言う前に話聞きたかったけど、三千院さんが殺されたこと発表した方がいいかな?」
「そうですね……。どっちにしろ、このままじゃ三千院さんの部屋に様子を見に行けっていう人が出て来るでしょうし……」
私達が相談していると、会場の真ん中辺りから執事長が駆け足で寄ってきた。どうやら他のお客さんに散々問い詰められていたらしい。
「相楽様、どういたしましょう。ダンスは七時からの予定でございまして……」
それからちらっと振り返って会場の様子を確認する。お客さん達は何か言いたげに私達三人を見ていた。
「仕方ないね。こうなったら言うしかないよ。客室の準備は出来てる?」
「はい、すでにメイド達が整えております」
「三千院さんに秘書は?」
「秘書の仕事も私がさせていただいておりました」
「じゃあ君が前に立って発表して。死体を発見したのはついさっきって言ってね。発表したらすぐにお客さんを部屋に案内するように」
「承知いたしました」
執事長は私達に軽く一礼すると、再びお客さん達の中に消えた。二、三分して、朝三千院さんがパーティー開始の挨拶をした場所に執事長が立った。彼がとんとんと叩いてマイクの調子を確認すると、お客さん達は皆一斉に前を見た。
「お客様方に大変重大なお知らせがございます。どうか落ち着いて拝聴いただきますようお願い申しあげます」
マイクで拡散された執事長の言葉に、お客さん達は集中する。私は固唾を飲んで彼の次の言葉を待った。
「先程、この屋敷の主人である三千院景子が自室で遺体となって発見されました。繰り返します。この屋敷の主人である三千院景子が遺体となって発見されました」
会場はほんの一瞬だけ水を打ったかのように静まり返った。しかしすぐに悲鳴や叫び声で充満する。
「皆様、落ち着いてください。もうひとつ大変重大な発表がございます。落ち着いてください」
執事長は声を少し大きくして言った。それでも会場が静かになるにはたっぷり五分はかかった。
「とても重大な知らせです。三千院景子は自然死ではありません。何者かの手によって殺害されました。よって皆様には……」
今度こそどうにもならなかった。執事長は十回は「落ち着いてください」と言ったが、お客さん達はそんな言葉は聞いてはいなかった。
今まで開け放たれていた会場のドアはあらかじめ閉めてあった。執事が二人、ドアの見張りをしている。お客さん達は皆ドアに押し寄せたが、ドアと二人の執事は何とか踏ん張った。
ようやく声が通るようになったころ、執事長は再び口を開いた。「殺人事件」という四文字が漂う会場で、お客さん達は皆顔を青くして頭や口を押さえている。中には恐怖で泣き出す者までいた。
「この部屋の中に殺人犯が潜んでいるのは確実でございます。この天気でございます、皆様をお帰しする事ができません。皆様には台風が過ぎ去るまで客室で篭城していただきます。使用人の指示に従って速やかにお部屋の方へ移動いただきますようお願い申しあげます」
お客さんを一人残らず客室へ案内するのに一時間弱かかった。彼らは家族や友人というグループに分けられた。誰も文句を言う者はいなかった。知らない人に囲まれたパーティー会場よりも、信頼できる人達と閉じこもる部屋の方が圧倒的に安心できたからだ。
広いパーティー会場には、現在私と店長、そして数人の使用人しかいない。親族の皆は前日以前からこの屋敷に泊まっているので、各々自分の部屋へ帰った。彼らは夫婦毎に部屋をあてがわれているらしい。事情聴取をするにはおあつらえ向きだ。
執事長が私達に近づいてきて声をかけた。
「これからどうなさいますか?」
「とりあえず親族達に話を聞いて回ることにするよ」
「かしこまりました。幸一様方には先程お話しておきました。それでも部屋のドアをお開けにならない場合はこちらをご使用ください」
そう言って執事長は店長に鍵の束をわたした。おそらくマスターキーだろう。輪に鍵が四つついている。
私と店長はさっそく親族達の部屋に向かった。まず始めに向かったのは長男の幸一さんとその妻由香里さんの部屋だ。部屋の番号は二〇九号室。親族達の部屋は私達の部屋の二階部分にあり、見た感じ造りは同じだった。この二階部分の客室は身内用で普段は使われていないらしいが、今日に限ってはお客さんでいっぱいだった。
店長が二〇九号室のドアをノックする。返事はない。「幸一さん、いますかー」と言いながら店長がもう一度ノックするが、結果は同じ。二人が中にいることは確実なのだが、やはりそう簡単にドアを開けはしないだろう。私も何か声をかけようかと口を開いたところで、店長が何の迷いもなく鍵穴にマスターキーを突きさした。
ドアを開けると、窓際のソファーに座ってこちらを見ている幸一さんと由香里さんの顔が目に入った。当たり前だが、二人共驚いている。呆気にとられて何も言えないようだ。
「ちょっと邪魔するね。聞きたいことがあるんだけど。ああ、立たなくていいよ」
ずかずかと部屋に入り込む店長を見て、幸一さんが反射的に腰を浮かす。私は店長の遠慮の無さに申し訳なくなりながら、部屋の中に入った。
幸一さんと由香里さんは窓際のソファーに腰を下ろし、私と店長はその側に立って話をすることになった。まず店長は何を聞くだろうかとどきどきしたが、店長は私に向けてこう言った。
「雅美ちゃん、二人に何か聞きたいことある?」
「え゛っ!」
何故私にそんなことを言うのだろう。てっきり店長が先頭に立って質問をしてくれるのだと思っていた。私は「えーっと、その……あの……」と口をもごもごさせた。店長はそんな私を見てちょっとだけ笑うと、結局自分で喋り始めた。
「三千院さんが紹介してくれた通り、僕らは探偵みたいな仕事をしてるんだけど、実は三千院さんを殺した犯人を見つけてくれって依頼してきた人がいるんだよね。だから僕らはその調査をしてるんだけど、二人は犯人に心当たりはないかな?三千院さんを殺す動機を持っている人が知りたいんだけど」
店長が幸一さんと由香里さんは疑っていないとアピールする。本当は親族全員まるっと疑っているのだが、店長の言葉に二人は表情を少し緩めた。
「さぁ……。母の死を喜ぶ人なんていないと思いますよ。母は恨まれるような人ではなかったから」
幸一さんの言葉に由香里さんが頷く。幸一さん達はまだ私達に心を開いていない。彼の言っていることは当たり障りがなさすぎて本心ではないと一発でわかった。
「三千院さんは気さくな人だったしね。ちょっと会っただけの僕らもパーティーに呼ばれたくらいなんだから」
「ええ、母は本当に社交的で。友人も多かったけれど、喧嘩をしたなんて話は聞いたことがありません。なぁ、由香里」
「はい。お義母様は私にも良くしてくれて」
「そっか、でも三千院さんを恨んでいる人がいないんじゃ容疑者が絞れないなぁ」
店長が「これは困ったぞ」という雰囲気を醸し出しつつ言う。その言葉に、幸一さんと由香里さんの表情が少し強張った。しかし二人はすぐにその表情を崩す。
「そういえば、恨みとは違いますが……」
幸一さんが思い付いたように言う。
「知っての通り、母はだいぶお金を持っていましたから。次男の三千流はずいぶん金に困っていたようですし、遺産目当てになんてことも……。いえ、別に三千流を疑っているわけではないんですが」
「なるほど、遺産目当てか。それは有り得る話だね。他に三千院さんが死んで得をする人は?」
「基本的に私達子供はみんな得をしますよ。金銭面でね。あとは使用人達にも少しばかり金が入るかな」
「執事長の條島さんはもう二十五年も仕えてますから、ずいぶんと遺産が貰えるのではありません?」
と、由香里さんが口を挟んだ。
「そういえばメイドの明石さんはよく母に叱られていたなぁ。掃除の仕方がなってないって」
「給仕の仕方も毎日のように注意されていましたよ」
「庭師の大東さんはどうかな」
「あの方は五年も家の庭を手入れをしているのに、お義母様のお花の趣味をちっとも覚えませんものね」
「職人気質すぎるんだよ。主の好きな花より、その庭にあった花を植えたがるんだ」
「庭師なんて、主人の言う花を枯らさずにいればそれでいいものですのにね」
「そういえば執事の藤さんはこの前酷かったね」
「ええ、一ヶ月くらい前の晩餐会ですよね?」
「ああ、そうだ、それだ。お客様方の目の前で罵声を浴びせられて」
「ちょっとカーペットに躓いただけなのに、あんなに怒られたんですからね」
「そのあと彼はずっと手元が震えていたよ」
「まぁ可哀相に」
幸一さんと由香里さんの話がようやく途絶えた。その隙を付いて店長が口を挟む。
「二人のおかげで貴重な話が聞けたよ。その人達は怪しいから、後で話を聞きに行ってみるよ」
「お役に立てたかどうかはわかりませんが、君達の仕事を私達も応援しています」
「ええ、その通りです。何度も言いますが、お義母様は私達に本当に優しくしてくださったんですよ」
「私は母を殺した者が許せません。母がいったい何をしたって言うんだ」
幸一さんの言葉に由香里さんは大きく頷いた。店長は「最後に」と前置きして二人に言う。
「二人は三千院さんが殺された時、どこで何を?あ、一応形式で聞いてるだけだから」
店長の質問に、和やかになった二人の表情が堅いものに戻る。数秒間が空いた。先に口を開いたのは由香里さんの方だった。
「殺された時と言われましても……お義母様が亡くなったのはだいたい何時くらいだかはっきりしているのですか?」
「ああ、ごめんごめん、そうだよね。まぁ状況から考えてドレスを代えに行った時だと思うんだけど」
店長が仕掛けた罠に引っ掛からなかったということは、二人はシロだろうか。そもそも、この二人がやったとは私にはどうも考えられない。二人共温厚なタイプで、置物で何度も頭を撲るなんて殺し方は似合わないのだ。まず、私はこの二人が人殺しだと考えたくない。
それに、三千院さんはあと数年で自分の仕切る会社を幸一さんに譲ると言っていた。幸一さんが遺産を目当てに三千院さんを殺すのはおかしい。大きな会社の社長になることが決まっている幸一さんとその妻の由香里さんの未来は明るいのだ。わざわざ危険を冒して三千院さんを殺す理由がない。
先に答えたのは由香里さんの方だった。彼女は少し困ったような微笑みを取り繕って言った。
「お義母様ドレスのお着替えには私が付き添ったんですけど、必要ないからってすぐに帰されてしまいました」
「それからは一回も部屋に入ってないの?」
「一度コーヒーをお持ちして、それからは一度も」
そう答えて、由香里さんは何かを思い出したように「あ」と言った。
「そういえば、コーヒーをお持ちした時三千流さんがお義母様のお部屋にいたようです。部屋のドアをノックしようとした時に、中から話し声が聞こえたものですから、三千流さんの用が終わるのを待っていたんです」
「部屋の前で?」
「ええ」
「その時中の会話は聞こえなかった?」
店長の問いに由香里さんはほんの少し、本当にほんの少しだけ背筋を伸ばした。
「何か、遺言書の話をしていたみたいですけど……」
「詳しく思い出せない?」
「私も聞き耳を立てていたわけではありませんから……。でも、確か……」
ここで由香里さんはちょっと考えるふりをした。
「確か、三千流さんが"ちょっと小遣いをくれるだけでいいんだ、たんまり溜め込んでるんだろ"と言って、それにお義母様が"どうせもうすぐ私の遺産が入るんだから焦らなくてもいいでしょう"とお答えになって。そしたら三千流さんが"俺は今金が必要なんだよ、頼むよお袋"と懇願なされて。でもお義母様は"遊んでばっかりで貯金のひとつもしないのが悪いんでしょう。私はあなたに小遣いなどやりませんよ"と一蹴なされました。そしたら三千流さんが"少し財布の口を緩めないと、そのうち背中から刺されるぞ"というような言葉でお義母様を脅して。でもお義母様は全然気になされていないようで、"ご忠告どうも。なら背中にも目をつけておこうかしら"と答えていらしたと思います。でも、おわかりでしょうが、私も聞き耳を立てていたわけではございませんから、正確なところは何とも」
「うんうん、わかってるよ。それにしても重要な証言だよそれは。ねぇ雅美ちゃん」
こちらを向いた店長の顔には「聞き耳立ててたわけじゃないのに、よくこんなに詳細に聞き取れたものだね」と書いてあった。私はそれに同意するつもりで、だけど容疑者の二人にはわからないように、ただ一言「はい」と答えた。
「幸一さんは?行ってないなら行ってない証拠が欲しいんだけど」
店長の問いに幸一さんは「いや、私も行きました」と答えた。
「母に呼ばれていたので。パーティー後の片付けの段取りの話をしました」
「何分くらいいたの?」
「さあ……十分もいなかったと思うけれど……。三時半に行って、三時四十五分にはパーティー会場に帰ってきていました」
店長はその答えに納得したようで、それ以上は何も聞かなかった。
二人への質問は一通り終わった。あまりあれこれ聞き過ぎると疑われていると思われて警戒されるだろうし、さっさと切り上げた方がいいだろう。
それに、別に今じゃなくても聞きたい時に聞けばいいのだ。親族達には屋敷をうろついても良い許可が出ている。さすがに執事長の力じゃ彼らを部屋に閉じ込めておく事はできなかったらしい。他のお客さんはトイレなどの用がない限り部屋から出ないように言われているし、部屋を出ようとする物好きもいないだろうが、親族達……特に三千流さんや絵里香さん辺りは朝が来るまで部屋でじっとしているのは耐えられないだろう。
隣に立っている店長が私に「雅美ちゃんは何か聞きたいことある?」と言った。私は少し考えてみたが、手掛かりになりそうな質問は思いつかなかった。
「えっと……じゃあ、お二人は四乃さんのことをどう思ってます?」
店長が二回も私に質問させようとしたんだから、きっと何か質問させたいんだと思って無理矢理言葉を捻り出した。私のとんちんかんな質問に、幸一さんと由香里さんはもちろん驚く。二人は肩をビクッと跳ねさせた。
「四乃のことが事件に関係があるとは思えないのですが……」
幸一さんの言葉に由香里さんは笑って頷く。私は「ですよね」と同意してこの馬鹿馬鹿しい質問を流してしまおうと思ったが、一歩早く店長が口を開いた。彼は笑顔で「嫌なら答えてくれなくてもいいんだけど」と言った。
「いや、別に嫌だとは思っていないんですが……。事件に関係があるのかなと思って」
「四乃ちゃんはとてもかわいらしい子ですよ。それにとても素直で」
「ええ、由香里はよく四乃にお菓子をあげたり、洋服を見繕ってやったりしているんです」
「幸一さんも四乃ちゃんを可愛がってあげてますよね。貴重なお休みに勉強を教えてあげたり」
「年が離れているせいか、どうしても特別扱いしてしまうんですよ」
二人の答えを聞くと、店長は「なるほどね」と呟いて、私に「雅美ちゃん、これで満足?」と尋ねた。私は何度も首を縦に振った。
「じゃあ僕らはそろそろ帰るよ。次は二葉さんのところに行かなきゃならないし」
店長が帰る意思を見せると、二人はホッとしたように微笑んだ。
「大変でしょうけど頑張ってください。母のためにも」
「また何かあったらいつでもいらしてください。力になれるかどうかはわかりませんが……」
店長がドアの方に向かったので、私は二人にペコッと頭を下げて店長に続いた。二人は私が部屋から出るまで暖かい笑顔を向けていた。
部屋から出るなり店長は口を開いた。
「あの二人どう思う?」
「私は特に怪しいところはなかったと思いますけど……」
というか、殺人事件に出くわし、その調査をすること自体私は初めてだ。怪しいところがあってもわからないかもしれないし、怪しくないところを怪しんだりしてしまうかもしれない。
「でも、二人共三千院さんの部屋に行っていたのは気になりますね」
「そうだね。三千流さんも行ったみたいだし」
「由香里さんが行ったのは三時と、コーヒーを持って行った時。三千流さんが行ったのは由香里さんがコーヒーを持って行った時。幸一さんは三時半頃。だとすると、由香里さん、三千流さん、幸一さんの順に三千院さんの部屋へ行ったんですね」
「幸一さんが嘘をついていなければ、由香里さんと三千流さんは犯人じゃないってことになるね。幸一さんが行った時までは生きてたことになるから」
「幸一さんの後に三千院さんに会った人がいたら、幸一さんの無罪も証明されますね」
「まぁ誰かが嘘をついているって可能性も十分にあるけどね」
「その場合はやっぱり嘘をついている人が犯人でしょうか?」
「ほぼそうなるだろうけど……誰かを庇ってるってことも有り得るしね」
確かに、愛する旦那や妻が三千院さんを殺した犯人だと知ったら、嘘をついて庇うかもしれない。それは幸一さんと由香里さんの夫婦がやりそうなタイプだ。三千流さんの浮気性と絵里香さんの遺産目当て発言を考えると次男夫婦はやらないだろう。二葉さんと拓海さんはまだよくわからないが、長男夫婦程互いを思い合っているだろうか?拓海さんは二葉さんを愛していそうだが、二葉さんは顔立ちと雰囲気のせいか冷たい印象を受ける。次女の四乃さんに至ってはまだ独り身だ。
それに、庇う相手は旦那や妻とは限らない。何か自分の利益のために犯人を庇っているかもしれない。もしくは兄弟愛という感情とか。
「そういえば、幸一さん達の話に出て来た使用人達はどうします?私は一応調べてみるべきだと思うんですけど」
「僕も話は聞いた方がいいと思うよ。でもまぁ、まずは親族達からかな」
「じゃあもう次の事情聴取に行きますか?」
「そうだね。あんまり待たせるのも悪いし」
幸一さんと由香里さんがいた二〇九号室の左隣の部屋の前に立った。部屋の番号は二〇七号室。ここが長女二葉さんとその旦那拓海さんの部屋だ。
店長が部屋のドアをノックする。返事は無かった。店長は幸一さんの時と同じように「二葉さんいますかー」といいながら再びノックするが、やはり返事は無かった。私が黙って見守っていると、店長はすぐにマスターキーを取り出した。鍵を鍵穴に突っ込みガチャガチャと回すと、慌てたような拓海さんの声が飛んできた。
「ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って!」
「ちょっとだからね」
店長が少し呆れ気味に答えると、中からはバタバタと忙しい音がした。私はちらっと隣の店長を見上げる。突入しなくていいのだろうか?もしかしたら犯人である証拠を隠滅しようとしているのかもしれないのに。
五分程待つと、ドアが開いて拓海さんが顔を出した。顔が少し赤いようだが、そんなに必死になって部屋の片付けをしたのだろうか。少しくらい散らかっていても気にしないのに。まさか本当に証拠の隠滅を……?
「忙しいとこごめんね。邪魔するよ」
「いえいえ」
店長の言葉に拓海さんは笑顔を返したが、その笑顔はちょっと引きつっていたような気もする。
拓海さんと店長の後に続いて部屋の中に入った。窓際のソファーのすぐ横のベッドに二葉さんが腰掛けている。朝はきちんと結われていた髪が少し乱れている上に、布団のシワを手で伸ばしているが、まさか今の今まで寝ていたのだろうか。母親が死んだこんな時に昼寝なんて信じられない。いや、それとも、ショックで気分が悪くなって横になっていただけかもしれない。そうだと思いたい。
「あんまり時間は取らせないから。とりあえず二人は三千院さんの部屋に行ったかどうか教えてくれる?」
さっきとは質問の順序が違うんだな、と私は思った。この質問を先にしてもよかったのだろうか?もっと二人の信用を得てからの方がいいような気がするのだが。
店長の質問に、窓際のソファーに座っている拓海さんが答えた。
「それって何時くらいのことですか?僕は昼以降は一回も行ってないから関係ありませんけど、二葉は?」
拓海さんは最後の一言だけ二葉さんに当てた。二葉さんは静かに首を横に振る。
「私は今日は一度も母の部屋に行っていません。母には部屋の外でいくらでも会う機会がありましたから……」
「そっか。一応死亡推定時刻は三時から四時なんだけど、この時間は二人とも部屋に行かなかったんだね?」
店長の再確認に拓海さんは「はい」と答え、二葉さんは無言で頷いた。
「じゃあ次の質問。二人は三千院さんを殺す動機がある人物を知らない?理由は恨みでもいいし、利益があるからでもいいし」
店長の質問に、拓海さんと二葉さんは顔を見合わせた。
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