バッドエンドは好きですか?3
「すごい音ですね。外」
午後四時半頃。私はガタガタと激しく揺れる窓を見てそう呟いた。窓の外は真っ暗で、庭の木や花壇の花が強風に煽られているのがぼんやり見える。屋敷の中にいると忘れがちになってしまうが、今台風が上陸しているのだ。
「今日帰れるのか心配だよね。こんな山の中だし」
「帰れなかったらどうしましょう。さすがにこの人数じゃここに泊ませんよね」
「この建物の隣に客室があるって聞いたから、泊まれないことはないんじゃない?まぁぎゅうぎゅうに詰めればだろうけど」
なるほど、玄関ホールの左の廊下は客室へ向かう通路か。さすがにこの山の中だし、帰れなくなった時にお客さんを泊める部屋は用意してあるらしい。それでも部屋数は圧倒的に足りないだろう。
「店長何でも屋なんですから何とかしてくださいよ」
「雅美ちゃんだって何でも屋でしょ。何とかしてよ」
店長と不毛な言い合いをしていると、瀬川君が呆れた顔をしているのが見えた。私はそれに気付かなかったふりをして口を閉じる。
「よお、お三方。楽しんでるかい?」
その声に振り向くと、三千流さんが片手を上げて近づいてくる所だった。隣には絵里香さんもいる。私も瀬川君も何も答えなかったので、仕方なく店長が返事をした。
「まぁまぁかな。そっちは?」
「ぼちぼちだな。そういや、お袋見かけなかったか?」
「僕は見てないけど」
そう答えて店長は瀬川君に顔を向けた。瀬川君は「僕も見てないですよ」と店長に答える。私は次に自分が聞かれることを予想して、一足早く「私も見てません」と答えた。しかし四乃さんとの会話を思い出して、またすぐに口を開く。
「そういえば、ドレスを代えに行くって言ってた気がします」
私の言葉に三千流さんは笑って答えた。
「ああ、その後なら一回会ったよ。まぁそん時はまだ青いやつだったけどな」
三千流さんの言葉に今度は絵里香さんが口を開く。
「そういえば由香里さんが着替えに付き合うって言ってなかった?」
「なら由香里に聞きゃわかるか」
今度は店長が口を挟んだ。
「三千院さんと出てった後に由香里さんすぐ戻って来てたけど」
「ああ、コーヒーを淹れに行ったんだと思うぜ。俺が部屋から出るときぶつかりそうになってよ。危うくコーヒーが飛ぶところだったぜ」
三千流さんが三千院さんの部屋に行ったのは、三千院さんがドレスを代えに行ったすぐ後だろうか。もしかしたらドレスを代える時間はあらかじめ予定されていたのかもしれない。だとしたら、四乃さんと会話したタイミングから予想するに、その時間は三時だろう。
「まぁそのうち出てくんだろ。ド派手な赤いドレスだから目立つはずだぜ」
「私達もう行くわ。残りも楽しんでってね」
絵里香さんがひらひらと手を振りながら踵を返し、三千流さんがその腰を抱いて歩いて行った。
「いったい何しに来たんでしょうね」
「追従するをおべっかといいしが近世胡麻を摺るとはやりことばに変名しけり」
「どういう意味ですか?」
「いや、何でも」
私が「どういう意味ですか」と言った時に店長の隣の瀬川君が何か呟いた気がしたが気のせいだっただろうか。瀬川君の声は本当に小さかったし、自分の声でよく聞こえなかった。
三千流さんと絵里香さんが去った後三十分程ダラダラと三人で話していたが、お客さんの間を抜けて真っ直ぐこちらにやって来る人影が見えて顔を上げた。愛想の良さそうな笑顔を浮かべながら私達の前にやって来たのは、長女二葉さんの旦那の拓海さんだ。
「こんにちは。探偵の皆さん」
「探偵じゃなくて何でも屋ね。何か用?」
店長が訂正してくれたので、私は開いた口をそっと閉じた。
「景子お義母さんを見かけませんでした?」
「まだ戻ってないの?さっき三千流さん達も探してたけど」
「三千流義兄さん達が……なるほど」
拓海さんは口の中で小さく呟いたかと思うと、顔を上げた。
「もしかしたら四乃ちゃんと一緒かもしれませんね。四乃ちゃんは見かけませんでしたか?」
「あ、四乃さんならさっき向こうの方にいたのを見ましたよ」
私は入口から見て真正面から少し左辺りの壁を指差して言った。今は四乃さんの姿は確認できないが、私が彼女を見たのはつい五分程前だ。私が言うのも何だが、彼女は小柄だから人影に隠れて見えないだけで、まだあの辺りにいるだろう。
「ありがとう、ちょっと聞いてみるよ」
拓海さんはそう言うとお客さん達の中に消えて行った。
先程トイレに行った時に盗み聞きしてしまった会話からは、二葉さんは四乃さんの存在を疎ましく思っているようだったが、拓海さんは違うように見えた。二葉さんがいたら四乃さんの居場所を教えはしなかったが、拓海さんなら大丈夫だろう。
拓海さんが去って再び三人になった私達。少し小腹が減ってきたのでお菓子でも食べようかということになり、私達三人は再び部屋の中央の方へ移動した。空いているテーブルを見つけ、テーブルの上の皿からトリュフやマカロンをつまむ。するとすぐ背後から数時間前に聞いた声が聞こえてきた。
「そういえば、母さんはまだ戻らないのか?」
私がそっと振り向くと、それはやはり長男の幸一さんの声だった。隣に立っている妻の由香里さんがそれに答える。
「あら、本当。いくらなんでも遅すぎますね。私ちょっと行って見て来ましょうか」
「いや、きっと疲れているんだろう。もしかしたら部屋で居眠りでもしているのかもしれないぞ」
「お義母様、お元気そうに見えますけれどもう五十歳ですものね」
「夜のダンス以外は予定はないし、それまでゆっくりさせてあげよう」
幸一さんはそう言って、手に持っていたポートワインを一口飲んだ。
「そういえば幸一さん、今夜ダンスの後ですけれど……」
「ああ、どうやらお客様をお帰ししてからのつもりらしい」
「でもこの天気ですし、お帰りにならないお客様も何人か出てくるのではないでしょうか?」
由香里さんの顔にはうっすらと不安の色が伺えた。お客さんが帰らないと何か心配なことがあるのだろうか。
「そこは使用人達が上手くやってくれるだろう。僕らは今夜どうするかを考えよう」
「まぁ……。そうですよね……。本当によく出来た使用人達ですものね」
口ではそう言ったが、由香里さんの不安は全然拭えていないようだ。幸一さんはそれに気づいているだろうか。よほど喉が渇いているのか、幸一さんは先程からしきりにワインに口を付けている。
そのうち、由香里さんがグラスを近くの執事に渡して、幸一さんにこう言った。
「私、料理人達に残りの食材の量を聞いてきます。もしかしたら今夜泊まるお客様に明日の朝食を用意しなければなりませんし」
それを聞いた幸一さんは、まだ半分も飲んでいないポートワインのグラスを執事に押し付けた。
「なら僕も行こう」
「あら、いいんですよ。私一人で事足りますから」
「いや、会場の雰囲気に少し酔ってしまったみたいだから、気晴らしだ」
由香里さんが頷くと、二人は連れだってパーティー会場を出て行った。あの二人は仲の良さそうな夫婦だ。二人とも真面目で穏やかな雰囲気だし、親切そうな人達だ。
それからどれくらいの時間が経っただろうか。私の感覚では十五分くらいだと思うが、何せ時計を確認したわけではないから正確な時間はわからない。ただ、現在の時刻は午後五時四十五分だということは間違いない。たった今私は目を凝らして柱時計の針を確認したのだから。
とくに現在の時刻が気になったわけではないのだが、ふと顔を上げるとパーティー会場に入ってくる四乃さんの長い黒髪が見えたのだ。その後ろ姿を何となく目で追っていると、彼女が柱時計の側を通ったので、そこで私は視線を柱時計に移したというわけである。
また一人で行動している四乃さんの、そんな背中をつい目で追っていたら、今度は私が背後から声をかけられた。いや、正確には私の隣にいる店長に声をかけたのだろう。
「あ、あの、何でも屋朱雀店様」
振り返ると、執事が一人立っていた。先程見た時には毅然とした態度で胸を張って立っていたのだが、今はひどくうろたえていて、執拗に辺りを伺っている。
「少し、お話があるのですが」
「話?」
店長が手にしていたチョコレート菓子を皿の上に置く。私も執事の次の言葉を待った。
「ええ、全く、予期していない事態でして。本当に全く」
「いいから、落ち着いて話して」
「どうしてこうなったのか……。何せこの嵐で外部との連絡手段が断たれておりますから、もうどなた様にお話したらよいのかと私どもでも悩んだ次第でございます」
「で、いったい何があったの?」
執事の話は一向に核心までたどり着かない。店長は再び先を促した。
「聞けば、あなた様方はいわゆる探偵のような仕事をなさってるいのでしょう?一番奥様と無関係な立場でもございますし、まずはあなた方に見ていただくのが良いと判断いたしまして」
「見るって何を」
「奥様のお部屋を、でございます」
私にはまだ執事が何を言いたいのかちんぷんかんぷんだったが、店長にはピンときたものがあったようで、その顔に驚きの表情が浮かんだ。瀬川君の顔を窺うと彼も話についていけてないみたいで私は少し安心する。
「え、マジで?冗談じゃなくて?」
「このような時に冗談など申しません」
「すぐ行こう。三千院さんの部屋はどこ?」
「ご案内いたします」
執事と店長が早足に歩き出したのを見て、私と瀬川君もその後に続く。パーティー会場を出るなり二人は走り出したので、私はドレスとヒールを懸命に動かしなんとかついて行った。
一階の三千院さんの部屋の前には、二人の執事が立っていた。二人共顔を青くしていて、一人は苦しそうに頭を押さえている。彼らは私達が来たのを見るとひどく安心した顔をした。
「中の様子は?」
店長が尋ねる。
「私以外は誰も入れておりません。初めに見つけたのは私です。私が離れた間は彼らに見張りを任せました」
私達を案内した執事はそう答えて、ドアの前の二人を目で指した。執事がたくさん出て来たので、この執事を仮に執事Aと呼ぶことにしよう。さらに、ドアの前にいた背の高い方を執事B、低い方を執事Cと呼ぶことにする。
「開けるよ」
店長がそう言ってドアノブに手を伸ばすと、執事Aは頷いた。
店長がドアを開けて部屋の中を見た。私はちょうど店長の真後ろにいたので、彼がどんな表情をしたのかはわからなかった。ただ、店長の隣にいた瀬川君が無表情を動かしたのが見えた。瀬川君は眉を寄せ口をへの字に曲げた。私も部屋の中を覗こうと店長の背中から顔を出すように動いたが、ちょうど店長が私と同じ方向に少しズレたせいで、私は部屋の中が見れなかった。店長はすぐにドアを閉めて、瀬川君に言った。
「僕は三千院さんの様子を見てくるから、リッ君は雅美ちゃんとここにいて」
瀬川君は無言で頷く。店長はドアを少し開くと、その間に身体を滑り込ませるように中に入っていった。それに執事Aも続く。
部屋の前には四人もの人間がいるのに、気味が悪いくらい静かだった。部屋の中で何が起こっていたのか瀬川君に尋ねたかったが、とても聞ける雰囲気ではない。数分すると店長と執事Aが出て来た。
部屋から出た店長はまず瀬川君に「二時間ってところかな」と言い、次に執事達にこう尋ねる。
「客の中に医者は?」
「しかし、こうなってしまってからは医者は手遅れでは……」
「死亡推定時刻を確認してもらうだけだから」
それを聞くと執事Aは「たしかお客様の中に一人いらっしゃったかと思います」と答え、「呼んでまいります」と言って廊下を走って行った。それを見届けた店長は、執事BとCに尋ねる。
「僕らが来るまでに誰かここに来た?」
「はい、お一人だけ、四乃様がいらっしゃいました。すぐにお帰り願いましたが」
「その時の様子は?」
「主人に会わせないのを不審に思っておられましたが、すぐに帰られました」
「君達は中に入ってはいないの?」
「はい、私どもはここから部屋の中をちょっと見ただけにございます」
店長はひとつ頷いて「そっか、ありがと」と言った。
私はそんな店長と執事の会話をぼーっとした頭で聞いていた。先程の店長の「死亡推定時刻」という言葉。そうなのだ、三千院さんは死んだのだ!この部屋の中で!
執事達と会話を終えた店長に、瀬川君が話しかけている。私はショックのあまりまだぼーっとしていた。
「店長よくあんな状態の触れましたね」
「もっと酷いの見たことあるからね」
店長の答えを聞いた瀬川君はしばらく何も言わなかったが、何かに気付いたような顔をして「花木咲さんですか」と言った。店長はそれには答えなかった。
すぐに四十代くらいの、少し白髪混じりの背の低い男性が、執事の後について廊下を走ってきた。おそらく彼が医者なのだろう。医者は「何故彼らはここにいるんだろう」と言う顔で私達何でも屋の面々を見た。
「簡単に事情は説明してあります」
執事Aが店長に言う。店長は医者を連れてまた部屋の中に入って行った。
私はようやく気を持ち直してきて、周りを見回した。この中で部屋の中の光景を見ていないのは私だけだが、さすがに聞ける雰囲気ではない。
数分して店長と医者が出て来た。医者は顔を真っ青にしたまま、私達に向けて口を開いた。
「死斑が出始めたところなんで、まぁ、ちょうど死後二時間くらいですかな。……それにしても酷い有様で、その……ご愁傷様でございます」
いったい三千院さんはどんな状態で今部屋の中にいるんだろう。周りの反応を見ると、おそらく私が想像しているような綺麗な状態ではないのだろう。血が飛び散ったりしているのだろうか。私はそう考えて、眉をしかめる。頭を振って考えを追いやった。
店長、瀬川君、私、三人の執事、医者の七人で輪になるように立つ。店長がみんなの顔を見回して言った。
「あの傷口じゃどう考えても殺人だから。つまり今この屋敷の中に殺人犯がいるってことになる」
医者は無言で頷き、ノッポとチビの執事は身震いをした。執事Aは堅い表情で床を凝視している。
「さっき外と連絡が取れないって言ってたけど、電話が使えないってこと?」
「さようにございます。この大雨が原因と考えておりますが……。おそらく皆様の携帯電話もこの場所では圏外でございましょう」
店長の問いに執事Aが堅い表情のまま答えた。
「なら警察に連絡するのは無理か」
「それに、この大雨ですと土砂崩れで屋敷への道が塞がれていると考えられます」
「連絡できても警察は来れないってことだね」
一同は黙り込んだ。一、二分、誰も何も言わなかった。しかし執事Aがパッと顔を上げると、店長に向かってこう言った。
「あなた方は探偵でいらっしゃいましたね」
「正確には何でも屋だけど、まぁ似たようなものかな」
執事Aは何かを心に決めたようで、緊張した面持ちで言った。その顔は眉は上がり、眼光は鋭く、頬の筋肉は強張っていた。
「それでは、私が奥様を殺した犯人を見つけてくださいと依頼するのは、何もおかしい事ではありませんね?」
その言葉に全員が驚いた。若い二人の執事は目玉が飛び出しそうな程目を見開いて執事Aを見ているし、医者は喘ぐように口をぱくぱくと動かした。
「本気で言ってるの?僕らは推理小説の名探偵じゃないよ?」
「私は二十五年間奥様に仕えて参りました。私には犯人を許すことができません。少しでも可能性があるなら、私はあなた方にお願いしたい」
執事Aの握り締められた手がわなわなと震えていることに気づいた。だがそれは未知の殺人犯にたいする恐怖ではなく、主を殺されたことによる従順な使用人の怒りの現れだ。
「……わかったよ。もともとうちは依頼を断らない主義だしね。でも捜査は明日警察が来るまでだからね」
「ありがとうございます。私などの我が儘を聞いていただいて……」
執事Aの目には怒りの炎が爛々と輝いていた。店長は視線を執事Aから外し、ぐるりと全員を見回した。
「とりあえず、三千院さんの死を知っているのはここにいる七人だけだから。僕がいいと言うまでは絶対に誰にも、親族達にもこのことを言わないこと」
その言葉には皆顔を見合わせた。ノッポの執事Bが怖ず怖ずと店長に尋ねる。
「何故言ってはいけないのですか?」
「まだ言う時じゃないから。言う前と言った後じゃ反応が違うでしょ」
「それは、誰の反応でございましょう」
「決まってるじゃん。容疑者達のだよ」
店長の答えに若い二人の執事は目をぱちぱちと瞬いた。医者は声を上ずらせながら店長に尋ねる。
「き、君には犯人の目星がついているのかね?」
「そんな簡単につくわけないよ。でも怪しい人達はだいたいわかるでしょ?ねぇ」
店長が私と瀬川君に同意を求める。瀬川君が頷いたから私もそうしたが、私には正直自信がなかった。
「とりあえず、この部屋の鍵はある?」
店長が執事Aに尋ねる。
「はい、一つはおそらく奥様のお部屋に。もう一つはマスターキーで、私が肌身離さず持っております」
「ならその鍵借りていい?この部屋のだけでいいから」
執事Aは素直に店長の言葉に従った。懐から取り出した鍵束から鍵を一つ取ると店長に手渡す。
店長はみんなにここに居るように言うと、執事Aを連れて部屋の中に入って行った。今度は出て来るまでに十五分程かかった。店長は部屋に鍵をかけ、三千院さんの部屋を完全に封鎖した。
「とりあえず戻ろうか。執事がこんなに居ないのは怪しいしね」
店長は鍵をポケットにしまうと、振り返ってそう言った。若い二人の執事と医者はパーティー会場へ戻った。廊下に残った執事Aは、私達三人を客室の一つに案内してからパーティー会場に戻って行った。
廊下の奥で小さくなってゆく執事Aの背中を眺めながら私は不安になった。私達は推理小説の名探偵ではない。本当に私達にこの殺人事件の犯人を見つけることができるのだろうか。
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