バッドエンドは好きですか?2




とくにすることも無いので時間潰しにチョコレートをつまんでいると、すぐ横をツンとした香水の香りが横切った。思わず顔を上げると、香水の主はやはり絵里香さんだった。

私は彼女のドレスの開いた背中から覗く白い肌を見て、先程の三千流さんの様子を思い出した。ほかの兄弟夫婦はみんな二人で行動しているのに、三千流さんと絵里香さんは違うんだな。それに絵里香さんは三千流さんの浮気も気にしていないように見える。失礼だが、彼女はお金や家柄目当てで三千流さんと結婚したのではないだろうかと疑ってしまう。

「ん?」

私は床に何か白いものが落ちていることに気付いた。白いハンカチだ。私はそのハンカチを拾いあげた。その瞬間強い匂いを感じる。嗅がなくてもわかる、これは今しがた絵里香さんが落としたハンカチだ。

「店長、これ絵里香さんが落としたみたいなんですけどどうしましょう」

「わたして来れば?」

「私あの人苦手です……。店長行って来てくださいよ」

「あの人香水臭いから近付きたくない」

私は小さなため息をひとつつくと、改めて手の中のハンカチを見てみた。先程は気が付かなかったが、端に金の糸で家門か何かが刺繍されている。洋風でオシャレなハンカチだ。香水臭くなければだけど。

拾ってしまったものは持ち主に届ける他はない。私は嫌々絵里香さんの方へ近づいて行った。

「あの……」

声をかけてみるが、後ろを向いているせいと、絵里香さんを含む数人の女性の話し声がうるさいせいで、彼女は私に気がつかないようだった。自然と彼女達の話に耳を傾ける。

「絵里香さん大丈夫なのー?あの旦那さん」

「あんなのほっとけばいいのよ。私あのオバサンの遺産目当てであの男と結婚したんだし」

「やぁだぁー、アンタやっぱりそうだったのー?」

「嘘、もしかしてバレてたの?」

「見てたらわかるわよぉ。きゃははっ」

ここで全員が笑い声をあげる。

「でも上手くやんなさいよぉ?長男の幸一さんなんて見るからに堅物そうじゃなぁい?」

「忠告ありがとう。でももうどうでもよくなったのよ」

「ええー?どういう意味ぃ?あのオバサンそうとう溜め込んでるわよ?」

「ちょっと、ね」

と、ここで絵里香さんと話していた女性の一人が、ようやく私の存在に気が付いた。

「あら、アンタ何?」

「あ、あのこれ、絵里香さんのハンカチじゃないですか?」

私は絵里香さんにハンカチを差し出す。絵里香さんは「あら」と言って小さな鞄の中を調べ、「ありがと」と私の手からハンカチを受け取った。私は「いいえ」と言ってすごすご店長達の所へ戻る。彼女達は全員香水をぷんぷん匂わせていて、どうも好きになれない。

「遅かったね雅美ちゃん」

「はい、まぁ……」

それから私は、特に他の話題もなかったので、店長達に先程の絵里香さん達の会話を話して聞かせた。二人とも興味を示すでもなく、話を遮るでもなく、私の話を聞いていた。

「そういえば、僕もさっきトイレに行った時にそんな会話を聞いたよ」

私か絵里香さんの話を終えると、黙ってお菓子を口へ運んでいた瀬川君がそう言った。瀬川君がトイレに行った時というと、たしか二時間前くらいだ。

「誰が話してたの?」

「長男の幸一さんと由香里さん。何か遺産がどうのって言ってたけど、三千院さんまだそんな歳じゃないのにね」

瀬川君の言葉に店長が口を挟む。

「いや、三千院さんって何か病気で結構先短いらしいよ?本人に聞いたから間違いない」

「それで親族達はみんな遺産のことを気にしているんですね……」

「嫌な話ですね。せっかくの誕生日パーティーなのに」

瀬川君は納得したというような顔をし、私は不快感をあらわにした。店長は「まぁ僕らには関係ないことだし」とこの話を打ち切った。

しかし私はまだ三千院さんの病気や遺産のことを考えていた。病気や遺産という単語を気にしはじめると、親族の人達全員がそのことを考えているように見えてくる。いや、実際そうなのだろう。先程の客室での二葉さんと拓海さんの会話も、きっと遺産のことだったんだ。

私は胸のむかつきを覚えた。三千院さんのご主人はだいぶ前に亡くなっていると聞いている。母親一人でこんなに大きくなるまで育ててもらったのに、考えることが揃いも揃って遺産のことだなんて!反吐が出るほど不愉快だ。

店長と瀬川君の会話に耳を傾けると、二人は最近発売されたチョコレート菓子の話をしていた。今更話に混じるのも面倒臭いし、その話をする気分でもない。手持ち無沙汰になった私は何の気無しに辺りを見回した。そして一人の人物に目をとめると、そちらへ近づいて行った。

「四乃さん」

私が声をかけると、三千院家の次女四乃さんは肩をビクッと跳ねさせて振り向いた。驚かせてしまったか。

「な、何でしょう……?」

「ずっと一人みたいだったので……私じゃ話し相手になりませんか?」

「いえっ、うれしいです、すごく……」

四乃さんは俯いてもじもじしながらそう答えた。私はパーティーが始まってから何度か彼女を視界の端に捕らえていたが、いつも一人だった。あまり社交的な人には見えないし、ついに声をかけてしまったのだ。

「四乃さんは何か食べました?」

「はい、サラダと、チキンを少し……」

「あのサラダのドレッシング、すごく美味しかったです」

「それはよかったです。料理人も喜ぶと思います」

それから四乃さんはキョロキョロと周りを確認した。相変わらず指をせわしなく絡めている。

「あの……」

「どうしました?」

「他の探偵の方はどちらに……?」

だから探偵じゃなくて何でも屋……。私は訂正したい気持ちを何とか堪え、にこやかに答える。

「たぶんその辺にいると思いますが……。呼んで来ましょうか?」

「いえっ、いいですっ」

四乃さんは両手と頭をぶんぶん振って私の申し出を断った。頭を振るたびに彼女の長い黒髪が揺れる。

「あの……、私、男の人が苦手なもので……。ずっと女子校に通っていたからなんですけど……」

四乃さんは恥ずかしそうにそう説明して、ちらりと私の反応を窺った。

「大丈夫です四乃さん、困ったことがあったら私に言ってくださいっ」

「は、はい……。ありがとうございます」

何て可愛らしい人なんだろう。母性本能がくすぐられるというか、守ってあげたくなる。私は胸をドンと叩いてついそう言ってしまった。

「そういえば、三千院さんの姿を見かけませんね。さっきまでそこにいたと思ったんですけど……」

私は先程までブルーのドレスがひらりひらりと動き回っていた辺りを見ながら言った。いつの間にいなくなったんだろう。

「母ならたぶん、ドレスを換えに行ったんだと思います。今日はもう一着赤いのを着ると言っていたので」

「そうだったんですか。三千院さんは赤も似合いそうですね」

「ええ、母は赤が好きなんです。青も好きですが」

ここで一瞬だけ間が空き、四乃さんが口を開く。

「本当は私が母の部屋まで付き添う予定だったんですが、昨日になって由香里さんが付き添いたいと言い出して」

「由香里さん気の利きそうな人ですよね」

「ええ、あの方はいつも私に優しくしてくれます。綺麗なお菓子を買ってきてくれたり」

それから四乃さんは少し表情を曇らせて続けた。

「でも、母はあまり好きでないみたいで……。やっぱり三千院家の人間ではないからでしょうか……?兄のお嫁さんですもんね」

「三千院さんは誰にでも親切なイメージがあったんですけど……」

「いいえ、そんなことないんです。私以外には子供達にも厳しいことを言うことがよくあります。兄や姉と歳が離れているせいか、私のことは可愛がってくれるんですけど……」

私はその話が少し意外だった。私や瀬川君にも平等に接してくれた三千院さん、そんな彼女が子供達には差別的な態度を取っているだなんて。

その時、客の隙間を縫って店長と瀬川君が近づいてきた。

「動かないでって言った雅美ちゃんが動いてどうすんの。探したよ」

二人の登場に、四乃さんがあからさまにうろたえる。彼女はまるで一回り縮んだように見えた。

「すみません、ちょっと四乃さんと話してて」

「いつの間に仲良くなったの」

店長が四乃さんの顔を覗き込むが、彼女は顔を伏せて私の後ろに隠れてしまった。

「何か知らないけど嫌われたっぽい」

「店長が四乃さんいじめたー」

調子に乗ってそう冷やかすと、店長は無言で私の両頬を引っ張った。このやり取りすら冗談のひとつなのだが、私の後ろでは四乃さんがオロオロと私の心配をしていた。冗談が通じないタイプなのだろうか。

四乃さんとはここで別れて、再び朱雀店の三人で行動する。時刻は午後三時二十分より少しだけ早い。ふと顔を上げると、三千流さんがパーティー会場に入ってくるところだった。トイレにでも行っていたのだろうか。あの白いスーツはよく目立つなと思った。私は浮かない顔の三千流さんをしばらく観察していたが、彼が客の中に紛れてしまったので目で追うのを止めた。と、今度は四乃さんがパーティー会場を出て行く姿が見えた。

そういえば、夜のダンスは何時からなのだろう。もちろん私は踊る気はないし踊れもしないのだが、色とりどりのドレスが踊る光景は圧巻だろう。自分は踊れはしないが、やはり楽しみではある。

「あ、あの人またハンカチ落としたよ」

瀬川君の一言に意識が目の前のこと戻にる。瀬川君の視線の先を見ると、出入口のドアの近くに白いハンカチが落ちているのが見えた。落とした絵里香さんは気付かない様子でパーティー会場を出て行く。

「何回落とすんでしょうね」

「鞄開けっ放しで歩いてるからだよ。まぁ見るからにだらし無い人だしハンカチなんて無くても困らないんじゃない?」

呆れたように言う瀬川君と、バッサリ切り捨てる店長。二人はそう言うが、私は思わず駆け出した。

「ちょっと拾って届けてきますっ」

後ろで店長が何か言っていたがよく聞こえなかった。ハンカチが落ちている場所までは数メートルあるので、私は急いでそこへ向かう。たくさんのお客さんをかい潜って辿り着いたが、そこにハンカチは落ちていなかった。

「あれー?おかしいな……」

誰かに拾われてしまったのだろうか。なら拾った人が、それが絵里香さんのだとちゃんと分かればいいのだが。

「どうかしました?探偵のお嬢さん」

その声に振り向くと、後ろに二葉さんが立っていた。彼女は眼鏡のつるをクイッとやって私の返事を待っていた。

「ちょっとハンカチを落としてしまいまして……」

「ハンカチですか……。なら、あそこの執事に聞いてみれば?誰かが拾ってくれたなら執事が預かってくれているでしょう」

二葉さんはドアの両側に立っている二人の執事を目でさしながらそう言った。

「そうしてみることにします。ありがとうございます、二葉さん」

「いいえ」

二葉さんにペコリと頭を下げ、私は二人のうちの近い方の執事に近づいた。近づいて気付いたが、この執事達は朝立っていた執事達と違う人のような気がする。まぁさすがにそんな長時間立っていたら疲れるから、交代したか休憩中なのだろう。

「すみません、ついさっきそこでハンカチを落としたんですけど……」

執事にそう尋ねると、彼は「ああ」というような顔をして答えた。

「白いハンカチでございますね。それでしたら、今しがた男性のお客様が拾っていかれましたよ」

「男性ですか……。誰だかわかりますか?」

「申し訳ありません……。お客様の陰に隠れてお顔が拝見できなかったものですから……。ですがあのお袖は確かに男性の御召し物にございました。グレーのスーツにございます」

グレーのスーツか。それならその辺にごろごろいる。私は絵里香さんのハンカチは諦めて店長達の所へ戻ることにした。執事にお礼を言って、お客さんの間を縫うように進む。

「雅美ちゃんおかえり。さっき何話してたの?」

「それが先に誰かにハンカチを拾われてしまってて……。二人から誰が拾ったか見えませんでした?」

この位置からなら、お客さんに遮られなかったら誰が拾ったかまる見えのはずだ。私は期待を込めて尋ねたが、二人の答えは「見ていない」というものだった。おそらく「見えなかった」というよりは「見ていなかった」のだろう。私はがっくりと肩を落としたが、ハンカチのことはすぐに忘れることにした。今はパーティーを楽しみたい。

しばらく三人でくだらない話をして過ごした。やはり、三人で固まっていると、コネ目当てで話しかけて来る人が全くいない。三人でいる時の安心感がハンパなかった。

「そういえば今何時ですか?今日時計忘れちゃって……」

私は自分の左手首を見て、遠くの壁の柱時計を見て、そして隣の店長に時間を尋ねた。店長が「もうすぐ三時半」と答えたのを、瀬川君が「三時二十二分だよ」と正確に言い直す。

「たしかパーティーが終わるのは八時でしたよね?」

「そうだね」

「じゃあダンスは七時くらいですよね……」

「その前にテーブル片付けたりするらしいよ」

たしかに考えてみれば、この部屋でダンスをするなら、部屋のあちこちにあるテーブルは邪魔になる。使用人達も大変だなと思った。店長の話を聞くと、ダンスは三千院さんが楽しみにしているから毎年やっているのだそうだ。

ふと顔を上げると、少し離れたところに四乃さんが立っていた。また一人だ。話し掛けたいが、さっきの今じゃ逆に欝陶しいだろうか。私は一人でケーキを食べている四乃さんからそっと目を離した。




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