カメロットの真ん中で2




翌日。午後三時過ぎ。私がカウンターでファイル整理をして暇を潰していると、エプロンのポケットの中のスマホが鳴り出した。ディスプレイを見ると着信相手は花音ちゃんだったので、さっそく通話ボタンを押す。

「もしもし?」

電話に出てから思い出したが、そういえば今日のドレス選び、何時からやるとかどこに集合するとか全く決めていない。もしかしたらその連絡だろうか。

《もしもし雅美さん?私ですわ》

「うん、今日のことだよね?」

《そのことなのですが、私もう南鳥駅の手前まで来てますの。突然で申し訳ないのですが、すぐに来ていただけます?》

本当に突然だなと思いながら、私は返事をして急いで店を出る。持ち物は財布とスマホだけ。案の定店長が店にいないので、瀬川君に店番を頼んで駅へ向かう。

「お待たせ、花音ちゃんっ」

駅舎のイスに座っている花音ちゃんを見つけて声をかける。花音ちゃんは「私も今来たところですわ」と微笑んだ。少なく見積もっても十分は待たせたと思うのだが。

「言ってくれれば全然黄龍の近くまで行ったのに」

「いいんですの、私今日は学校がなくて暇でしたから」

そういえば今日は水曜日だ。私はもう授業がなくて学校には行かなくてもよいのだが、花音ちゃんは何故休みなんだろう。「何かの振替休日?」と尋ねると、花音ちゃんは「創立記念日ですわ」と答えた。なるほど。

「ではさっそく行きましょうか。ドレスはたくさん置いてますのできっと雅美さん迷ってしまいますわよ」

花音ちゃんの言葉に期待が高まる。電車に乗り最寄駅の荒居駅で降り、徒歩で黄龍へ向かう。一度目は力試しの地図のおかげで歩き回り、二度目は車で行ったので、駅から黄龍への最短ルートを歩くのはこれが初めてだ。もしかしたら今後役に立つ時が来るかもしれないので、なるべく道を覚えておこうと思う。

「少し待っていていただけます?受付を済ませてきますわ」

黄龍に着くなり、花音ちゃんはそう行って大きな受付のカウンターへ近づいて行った。店長会議で来たときもそうだったが、今日も受付には綺麗な女性が座っている。年配のおじさんが受付をしていたのは説明会の日だけだったらしい。

広すぎるロビーを眺め回して花音ちゃんを待つ。見回してみるといろいろな人がいた。窓際のイスとテーブルでノートパソコンのキーボードを叩いている男性、手早く資料を分類しながらハイヒールで歩く女性、清掃用具を運びながら床を掃除するおばさん。そういえば、黄龍にはお客さんは来ないはずなのに何で受付があるんだろう。

ロビーだけでいろいろな人がいる。建物の奥は一体どうなっているんだろうか。未知の領域なので覗くのは怖いが、すごく気になる。そうやってロビーを観察していると、名札を手にした花音ちゃんがやって来る。

「お待たせいたしました。蓮太郎さんが話を通してくれていたおかげで手間取りませんでしたわ」

そう言いながら花音ちゃんは名札を私の首に下げた。名札を見てみると【通行許可書(アルバイト)】と書かれている。

「さ、参りましょうか。奥まで案内してさしあげたいのですが、アルバイトの方は基本的に立入禁止ですの。ご容赦いただけますこと?」

「何か広すぎてこのロビーだけでお腹いっぱいだよ」

苦笑混じりに答えると、花音ちゃんは「転勤直後は迷子になる人続出ですわ」と笑った。この広い建物内を把握するのは大変そうだ。

ロビーにあるエレベーターで三階に上がり、しばらく廊下を歩く。広い広いとは思っていたが、本当に広い建物だ。敷地面積もさることながら、建物自体が縦に長い。きっと同じような外観のフロアがいくつも重なっているのだろうから、一人で来たら確実に迷子になるだろう。

「ここですわ」

ひとつのドアの前で花音ちゃんが立ち止まった。受付で借りていたらしい鍵でドアを開ける。見上げると、プレートには【物置D】と書かれていた。

「本当は潜入捜査などで使う衣装なのですが……」

中に入ると、きっちりと列を成した衣装棚に大量の服がぶら下がっていた。そこそこ広いこの部屋にぎっちりと服が詰まっている。色とりどりの服は見ていると目が痛くなりそうだ。

「パーティードレスはこっちですわね」と言う花音ちゃんの後について、どんどん部屋の奥へ向かう。足を止めた花音ちゃんが指差す先を見てみると、いかにも高そうなドレスがずらりと並んでいた。

「好きなものを選ぶといいですわ」

「こんなにあると迷っちゃうね……。赤がいいと思ってたけど、この水色もかわいいし……。あ、この黄色は後ろのリボンが素敵」

「私は、雅美さんにはこちらなんか似合うと思うのですが」

花音ちゃんはサーモンピンクに黒いラインとリボンがついたドレスを手に取った。裾はまるで空気を含んだみたいにふんわりしている。

「あとこちらとか……これなんかも似合いそうですわ」

少し明るめのピンクのベアトップ型のワンピースに同色のストールがついているもの、上下で素材の違うベージュゴールドのノースリーブ、薄ピンクに大きなひらひらの衿と袖に茶色いサテンのリボンがついたもの。花音ちゃんが次々と押し付けてくるドレスに私は目をぐるぐる回した。

いつの間にやらドレスを選ぶのが私ではなく花音ちゃんになってしまっていて、私は彼女がオススメするドレスをひとつひとつ鏡の前で合わせていた。

女子二人で服選びとなると、当然雑談にも花が咲く。私と花音ちゃんは手と同じくらいのスピードで口も動かしていた。

「そういえば、花音ちゃん冴さんが店長と知り合いだったって知ってたの?玄武店で会った時妙に落ち着いてたからさ」

私は花音ちゃんからドレスを受け取りながら尋ねる。気がついたら話題は冴さんの事件が収束して安心したね、というものになっており、私はかねてから気になっていたことを尋ねてみたのだ。

先日、店長のハッキリしない言動にもやもやして何なら突き止めてやろうと玄武に行った時に、帰り際に花音ちゃんとも少し話した。その時花音ちゃんはすごく落ち着いた様子で「信じていますもの」と言っていた。だから後になってから、花音ちゃんは冴さんと店長が知り合いだということを知っていたんじゃないかと思ったのだ。しかし、花音ちゃんはちょっと困ったような微笑みを浮かべてこう答えた。

「いいえ、知りませんでしたわ。聞いたところによりますと、ずいぶん長い付き合いだったそうですわね。九年間も片思いをしていますけど、全く気がつきませんでしたわ」

花音ちゃんは水色のドレスを私に渡した。私はほとんど条件反射でそれを受け取る。

「じゃあ、自分に言ってくれなかったのってやっぱり……その、悲しい?」

「悲しいというよりは、悔しいという方が近いでしょうか」

「というと?」

「だって、言ってくれなかったということは、私が言うに値しない存在だということでしょう?信用が足りていなかったのか、力不足だったのか……。誰だって信頼のない人物にぺらぺらと自分の話なんてしませんものね」

「…………」

私が何も言えないでいると、花音ちゃんは先程よりも少し大きめの声を出した。

「だってお兄様は知ってらしたんでしょう?お兄様ごときが知っていて私が知らないなんて、悔しい以外にありませんわっ!」

「店長と陸男さんって仲いいよね」

「生まれた時からの付き合いですもの。歳も近いですし」

「だからといって蓮太郎さんとあんなに仲がいいなんて許せませんわ!」と唇をとがらせる花音ちゃん。私はそんな彼女を見て、純粋に「すごいなぁ」と思った。隠し事をされていても、あんなに真っ直ぐに「信じている」と言えるんだ。本当に、強い子だと思う。

それに、陸男さんも真面目でいい人だ。妹にポロッと漏らしてしまいそうな話を、何年も黙って胸にしまっていたのだから。約束とかちゃんと守ってくれるタイプだろう。店長の周りは素敵な人ばっかりだな。

そこで、ガチャッとドアが開く音と、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。

「誰でしょう。こんなところに」

ハッとして花音ちゃんが呟く。しかし、いくら背伸びしたって相手は見えない。天井すれすれまで服で埋め尽くされているからだ。私達は反射的に身構える。足音は比較的ゆっくりとこちらに近づいていた。

「雅美ちゃんいはる?」

服の壁から顔を出した人物に、私は意外さに驚き、花音ちゃんは露骨に顔をしかめた。全身が確認できるほどこちらに近づいてきた神原さんは、相変わらず食えない笑顔を浮かべながら私に片手を上げて挨拶をした。

「神原さんどうしたんですか?こんなところで」

「雅美ちゃんが来てはるて聞いたさかい」

「昨日会ったばっかりじゃないですか」

「何度でも会いたなんねん」

「気持ち悪いこと言わないでください」

半ば本気でそう言うが、神原さんはやはりへらへらと笑っているだけだった。この人のメンタルどうなってるんだろう。それとも、私は何を言われても痛くも痒くもない程度の存在だということだろうか。何となく、そのどっちもなような気がする。

そういえば花音ちゃんは一応神原さんと面識があるようだが。確か前にファミレスでばったり会った時に神原さんの名前を出していた気がする。私は二人の間に挟まるように立っていたのを、三人で輪になるように少し横に移動した。必然的に神原さんと花音ちゃんが面と向かい合う形になる。

「花音さんも来てはったんやな」

「当たり前ですわ。私の他に誰が雅美さんを案内するんですの?」

「店長はんに頼まれたから気張ってはるんやね」

「あなたには関係のないことですわ。邪魔なので帰っていただけます?」

目の前の神原さんをキッと睨み付けて答える花音ちゃん。どうやらそれも神原さんには効かないみたいだが。

それにしてもやっぱりというか何というか、花音ちゃんは神原さんのことがあまり好きではないらしい。先日のファミレスの時の口ぶりから何となく予想はしていたが。

「ボクに構わず服選び続けてくれてええんやで?」

「気が散りますのよ。時間なら他の場所で潰していただけますこと?」

「そんな怖い顔せんといてぇな。ボクは花音さんには用ないんやし」

「ならさっさとお帰りなさい。もちろん今後雅美さんに付き纏うのも許しませんわ」

花音ちゃんは組んでいた腕を解いたかと思うと、バキバキと指を鳴らした。

「言うことが聞けないのなら力付くでお引取いただくことになりますわよ?」

「何か暴力振るわれそうや怖いわぁ。雅美ちゃん助けてくれはる?」

「え、ええ!?うーんと、神原さんは私も邪魔だと思うので早くどっか行ってほしいです」

「雅美ちゃん正直すぎるわ。一周回って好感度アップやで」

突然ピリリリとスマホのコール音が鳴り響いた。誰の……と考えたところで、神原さんがゆっくりとした動きで袖の中からスマホを取り出す。まぁ花音ちゃんなら着信音を流行りの恋愛ソングとかにしてるだろうし、この初期設定から変えてないままのような音はどう考えても神原さんだろう。

「もしもし?……ああ、日比谷はん。……いますいますて。……はいはい……すぐ行きますわ。……ほな」

短い通話を終えると、神原さんはスマホを袖にしまいながら言った。

「堪忍な雅美ちゃん、ボク怖い先輩から呼び出されてもうたわ。また遊びにいくさかい」

「そうですか、お仕事頑張ってください。あと二度と来ていただかなくても結構です」

神原さんは次に花音ちゃんの方を振り返って言う。

「花音さんもさいなら。そないにすぐ暴力に走らはるとますます店長はんには好かれへんで?」

その言葉に花音ちゃんは顔を赤くして、無言の睨みを返した。「ほなな」と一言放り投げてあっさりと去ってゆく神原さん。きっと無理に帰そうとせずに放置しておいた方が早く帰ったんだろうな。何はともあれ、先輩さんはグッジョブだ。

「相変わらずよくわからない人だね」

苦笑混じりに花音ちゃんを見上げるが、彼女はまだ神原さんが去って行った方を睨み付けていた。

「私、あの方好きませんわ」

「うん……」

ええ、知ってましたとも。私は溜めたままだった息をこっそりと吐き出した。花音ちゃんは、神原さんが「嫌い」というよりも「苦手」って気がする。まぁそれは私もだが。神原さんといると、何というか蛇が絡み付いているような不快感があるのだ。

「さ、あんな方のことは忘れてさっさとドレスを選んでしまいましょう」

「そうだね」

とんだ邪魔が入ってしまったが、気を取り直してドレス選びを再開する。すでにいくつか候補は上がっていたが、とりあえずは全て見てみようということになった。

約三十分後、私の手にはひとつのドレスが握られていた。オレンジを混ぜたようなピンクに黒いレースがひらひらとかわいい、ヒザ下丈のスカートのドレスだ。ふわふわ広がるスカートとは反対に、ノースリーブの肩口は大人っぽい。

「迷ったけど、これにしようかな」

「私もそれがいいと思いますわ。色も雅美さんに合ってますし」

鏡の前でドレスを身体に合わせてみる。ちょ、ちょっと可愛すぎるかな。私もう十九だしな。ホントにこれでいいかな。振り返ると花音ちゃんが目をキラキラ輝かせてこちらを見ていた。

「雅美さん、とてもお似合いですわ!当日が楽しみですわね!」

「あ、ありがとう。花音ちゃんも来れたらよかったのにね」

キラキラと輝いていた花音ちゃんの瞳から一瞬で光がなくなった。しまった、地雷踏んじゃった!言わないように気をつけてたのに!

「私も……私も行きたいですわ。蓮太郎さんとパーティー……。さぞ楽しいことでしょうね……」

「げ、元気出して花音ちゃん!ほら、もしかしたら頼めば一人くらい連れてってくれるかも!」

「無理ですわよ、行くのは三人だともう伝えてしまっているようですし」

「うぅ……。じゃ、じゃあ、えー……と……」

花音ちゃんを元気づける言葉を見つけようと頭を捻るが、気の利いた言葉はひとつも浮かんでこない。第一、行ける私が行けない花音ちゃんに何を言っても、彼女からしてみたら自慢にしかならないのだ。

口をもごもごさせながら何とか言葉を探していると、花音ちゃんがそっと私の肩に手を置いた。見上げると少し眉を下げて微笑んでいる。

「大丈夫ですわよ雅美さん。今回は行けなくても、また私にも機会が巡って来ますわ」

「え、あ、そう……?」

「そうですわよ。諦めなければ、きっと」

ど、どうしたんだろう花音ちゃん。普段ならここで「蓮太郎さんと一緒なんてずるいですわ!」と叫び、悲劇のヒロイン並に嘆き悲しむはずだ。それが今日はこんなに落ち着いていて、しかも微笑みを浮かべる余裕まである。いったい彼女に何があったんだろうか。

私がア然としていると、花音ちゃんは私の手からドレスを取って「ではこちらはクリーニングに出しておきますわね」と袋にしまった。

「そういえば雅美さん、足のサイズはおいくつですの?」

「二十三点五だけど……」

「わかりましたわ、靴とアクセサリーもご用意しておきますわ。あと、室内が寒いかもしれませんので適当に羽織り物も見繕っておきますわね」

「あ、ありがとう」

「いえ、これくらいのこと、お構いなくですわ」

花音ちゃんは「ではそろそろ帰りましょうか。長居しては怒られてしまいますわ」と言って出口へ向かった。廊下を歩いている最中も鼻歌混じりでニコニコしている。さっきまで自分はパーティーに行けないと凹んでいたのに、本当にいったいどうしちゃったんだろう。

浮き沈みの激しい今日の花音ちゃんに若干恐怖を覚えながら隣を歩いていると、目の前から一人の女性が歩いて来るのが見えた。背が高くて綺麗な人だな、と思って見ていたら、突然花音ちゃんの鼻歌が止まった。隣に視線を向けると花音ちゃんは明らかに動揺している。

「あら花音さん。久しぶりね。今日はこっちに帰ってきたの?」

「いえ、少し用事で寄っただけですの。すぐに店に戻りますわ」

「そう。玄武店は忙しいでしょう。売上一位ですものね」

「あ、兄もまだまだ至らない点が多くて、私共々社員の方々に迷惑をかけてばかりですわ」

豹変した花音ちゃんの様子を伺っていると、私達の目の前まで来た女性が声をかけてきた。女性の話に花音ちゃんは視線を下げ手をもじもじさせながら応じているのを見るに、動揺の原因は間違いなくこの女性だろう。

私はさりげなく女性を観察してみた。百七十センチ程ありそうな高い身長に、ヒールのあるミュールを履いている。細身のシンプルなワンピースを纏った身体には無駄な肉は一切なく、大判のストールを肩にかけている。表情は冷たく氷のようだが、間違いなく美人だ。年齢はおそらく五十手前くらいなのだろうが、四十歳と言っても通じるくらい若々しい。腰上まで伸ばした黒髪は毛先だけふわりと巻かれており、前髪はセンター分けにして形のいい額が覗いている。

しかしこの女性、話の最中にニコリともしないし、美人も合間って怖い印象だ。花音ちゃんがこんなにおどおどしているのは、やはりこの女性を恐れているからだろうか。

「ああ陸男君。あの子もう少し何とかならないのかしら。品性に欠けるわ」

「兄によく言っておきます……」

嘆かわし気にため息をつく女性。女性には読み取れないのかもしれないが、花音ちゃんの顔には明らかに不満の色が浮かんでいた。

「そういえば花音さん、そちらは?」

女性が私を見て問う。ようやくこちらを見たと思ったら、その視線はまるでゴミを見るような冷たいものだった。その興味のなさに私は怒りではなく恐怖を覚える。

「こちらはアルバイトの方ですの。今日は仕事で使う衣装を選びに来られてて……」

「そう。なるべく早く帰ってもらってちょうだい」

上から目線で言い放つ女性に、花音ちゃんは一生懸命笑顔を取り繕っていた。この失礼極まりない態度にも花音ちゃんが食ってかからないなんて、もしかしたらそれなりの地位にいる人なのかもしれない。見たところ仕事中というよりは散歩中といった雰囲気だし。

どうやら言いたいことは言ったらしく、女性は歩き出す。が、すぐに足を止めると私を見下ろして言った。

「さすがは玄武の人間ね。馴れ合いが好きそうな顔」

私がポカンと口を開けている間に、女性はすたすたと歩いて行ってしまった。廊下には私と、苦虫をかみつぶして飲み込んで吐き出した物をまた飲み込んだような顔をした花音ちゃんが残る。

「き、綺麗だけどちょっと怖そうな人だったね」

私は抱えられる限りのオブラートで言葉を包み込む。すると花音ちゃんは吐き出した苦虫を雑巾で掃除するような、とてつもなく微妙な顔をして言った。

「実は……あの方、蓮太郎さんのお母様なんですの」

「えっ!?店長の!?」

驚きの情報につい大きな声を出してしまう。言われてみれば、顔は店長とお兄さんに似ていたかもしれない。しかし、たいていいつも表情が柔らかい店長と先程の女性を結び付けるほどの想像力は私にはなかった。店長のお母さんがあんなにキツい性格の人だなんて……。

「あの方に認められなければ蓮太郎さんと交際もできませんわ」

そう言ったあと、花音ちゃんは「まぁ駆け落ちすれば済む話ですが」と付け足した。花音ちゃんからしてみれば、あのお母さんは目の上のたんこぶどころではないだろう。

「やはり驚きました?」

「正直すごくびっくりした……。当たり前だけど、店長と親の話なんてしないから……」

「あんな方ですが、蓮太郎さんを産んでいただいたことだけは感謝いたしませんとね。まぁ、探してもそれしかいい所が見つからないのですが」

花音ちゃんあのお母さんの前ではそうとう堪えていたんだろうな。陸男さんのことも悪いように言われていたし、本当は怒鳴り散らして一発ぶん殴りたかっただろうに。

あのお母さんは店長やお兄さんのことはどう思っているんだろう。勤勉なお兄さんはともかく、怠けている店長のことはきっと良く思ってはいないだろう。さっきも陸男さんのことを品性がどうのって言っていたし、尚更だ。

「そういえば花音ちゃん、あのお母さんの名前聞いてもいい?」

「相楽桜さんですけど……またどうして?」

「まぁ二度と会うことはないだろうけど……一応」

その後、受付で鍵と名札を返して黄龍を後にした。駅までは一緒にいたが、朱雀店と玄武店では乗る電車が逆方向なので花音ちゃんとはここで別れることになった。

「花音ちゃん、今日は本当にありがとう」

「どういたしましてですわ。素敵なドレスが選べたことですし、楽しんで来てくださいませ」

「うん、またね」

「また朱雀店へ遊びに行った時は、報告お待ちしておりますわ」

手を振って別れる。私はちょうどやって来た電車に乗り込むと、朱雀店と近い南鳥駅を目指した。電車に揺られて今日のことを思い返してみたが、出てきた感想は「店長のお母さん怖かったなぁ」だけだった。あれはちょっとインパクトが強すぎたよ。

南鳥駅から自転車で朱雀店へ帰る。つい数時間前までここにいたのに、ボロボロの引き戸と古びた看板が懐かしく思えた。黄龍での体験が濃すぎたせいだろう。

「あ、雅美ちゃんおかえり。どうだった?」

店先に自転車を止めて引き戸を開けると、目の前のカウンターに座っている店長が顔を上げた。帰って来たんだなぁと思うとなんだかホッとした。

「ちゃんと選んできましたよ。花音ちゃんが張り切ってくれて」

「そっか。こっちは雅美ちゃんがいない間にお客さん来たよ」

そう言って店長はカウンターの上に置いてあった紙を私に渡した。ちゃんと印刷された明朝体が並んでいるので、これは瀬川君が書いたものだろう。その場で軽く目を通してみたが、要約すると壁をペンキで白く塗ってほしいという依頼だった。

「ペンキ塗りですか」

「うん。壁の面積大きいから一日がかりになりそう。土曜日にしようと思うんだけど空いてるよね?」

「はい、大丈夫です」

私には基本的に毎日予定がない。大学の友人には学校で会えるし、遊ぶとしても放課後だ。学校外の友人は月に一回会う程度でそんなに頻繁には会わない。バイトをしている子が多くて、そもそも相手の休日は空いていないのだ。

店長が土曜日を指定したのは私と瀬川君が学生だからだろう。一日がかりになりそうと言っていたし、休みの日じゃないとペンキ塗りなんてできない。そこで私はあることに気がついた。

「そういえば、店長今日花音ちゃんが学校休みってよく知ってましたね」

花音ちゃんの学校が今日休日なのは創立記念日だからだ。他の高校生は普通に学校へ行っているはずだ。それなのに花音ちゃんが休みだと知っていたのは、実は小まめに連絡を取り合っていたりして?と思ったのだ。休みだと事前に知っていなければ案内役なんて頼めない。

「創立記念日でしょ?だって花音僕と同じ高校行ってるもん」

「えっ、そうだったんですか!?」

花音ちゃんにどこの高校に通っているのか聞いたこともなかったし、制服姿の花音ちゃんを見たこともなかったので知らなかった。店長と同じ高校ってことは空導高校だ。あそこは素行が悪くて有名だが、花音ちゃんは上手くやっているのだろうか。

「花音の学力ならもうちょっと上狙えるんだけどね。何でわざわざあそこ選んだのかは正直考えたくないよね」

「まぁ考えなくてもわかりますしね」

五歳差じゃ同じ高校に入ったって店長はいないのに。それがわかっててもあの不良高に行くことを選んだんだ。私は花音ちゃん程一途に誰かを愛している人を見たことがない。だから彼女を応援してあげたくなる。

ん?そこで私はもうひとつ気がついた。確か店長って、前に一人で自分の高校の文化祭を見に行ったって言ってなかたっけ?確か東さんと話している時に。それってもしかして、花音ちゃんを見に行ってたとか。いや、店長に限ってそれは無いと思うが、そう考えた方が希望が沸いて来るってものだ。

「雅美ちゃん何ニヤニヤしてるの」

「え!?気のせいですよ気のせい!それよりペンキ塗りは土曜日ですよね!」

何を考えていたのかをごまかす為に慌てて仕事の話題に戻す。私はカウンターのイスに置きっぱなしにしていたエプロンのポケットから薄いスケジュール帳を取り出すと、三月十四日土曜日の枠に【ペンキ塗り】と書き込んだ。

「いやー、楽しみですねペンキ塗り!芸大生の腕が鳴りますね!」

「雅美ちゃん学校で壁にペンキ塗りたくったりとかしないでしょ。ごまかさないで何考えてたか言ってみなさい」

「いや、何も考えてませんって!あっ、私お茶淹れて来るので店長ソファーに座ってたらどうですか!」

そう言って店長の背中をぐいぐい押した。諦めたのか、さほど興味がなかったのか、店長は「怪しい~」と言いながらもあっさりとソファーへ向かった。私は宣言通りお茶を淹れに台所へ向かう。黄龍へ行っていた間何も飲んでいなかったので、喉がカラカラだ。ごまかすためじゃなくてもお茶を淹れていただろう。

「店長また新しい紅茶開けたんですか?いい加減にしてくださいよ」

「まだ前の残ってるじゃないですか」と言いながら私はテーブルにお茶を置いた。私の文句に店長は「だって同じ味ばっかり飽きるじゃん」と返す。それに「だからって次々開けたら湿気っちゃうでしょ」とおそらく無意味であろう注意をしながら私もソファーへ座った。テレビを見ると芸能人達がクイズで盛り上がっている。

「そういえばペンキ塗りの時って服どうするんですか?やっぱり汚れてもいい服持って来た方がいいですよね?」

「いや、黄龍に連絡して作業着送ってもらったから。道具とペンキは依頼人が用意してくれるらしいし、手ぶらで来て大丈夫だよ」

「そうなんですか、安心しました」

テレビの中のタレントが珍解答を連発して爆笑を誘っていた。普通あんな間違いするかなー。キャラ作ってるんじゃないのこのタレントさん。

「このタレントさん最近クイズ番組によく出てますよね。おバカキャラで売っていくつもりでしょうか」

「この人絶対バカなふりしてるよね。クイズブーム終わったら途端に頭良くなると思うよ」

「やっぱりそうですよね。私もキャラ作ってるな~って思ってました」

おバカキャラのタレントの出番が終わると、今後は最近売れ出した芸人がカメラに写った。その芸人は五問のクイズを全て正解させると、カメラに向かって大声で「故郷のお母さ~~ん!見てますか~~あ!」と叫んだ。どうやらこれが持ちネタらしい。

「この芸人のせいで最近のCM全部これだよね」

「まぁ使いやすそうなネタですしね……」

店長にはこの芸人はイマイチなのだろうか。飛び飛びマンと何が違うのか正直わからない。

でもたしかに最近のテレビCMは「故郷のお母さん見てますか」ばっかりだ。お前の故郷がどこにあるかは知らないが、電波が飛んでる限り見てるだろうよ。……ん?お母さん?

「そ、そういえば店長のお母さんってどんな人なんですか?」

少しわざとらし過ぎた気がする。でも私会話を誘導したりするの苦手なんだよなぁ……。しかも相手は店長だし。

「母親?……普通の人だと思うよ」

「そうですか……」

それは店長は本気であのお母さんを普通だと思っているのか、それとも私がお母さんと会ったことを知らないだけなのか。何はともあれ、お母さんと会ったことは今ここで言っておいた方がいいと思う。隠していると思われるのは嫌だし。私がさっそく報告をしようとした時、テレビを見たままの店長が一足早く口を開いた。

「ごめんやっぱ訂正していい?クズ人間だよ」

「やっぱりそうですか」

店長は私がお母さんと会ったことを知っていたのだろうか。それとも私が黄龍に行ったことから推測したのか。まぁ私とお母さんが会ったことを店長に報告できる人なんて花音ちゃんしかいないはずだし、たぶん後者だろうな。お母さんは私のことを玄武店の人間だと思っているだろうし。

「雅美ちゃん、なんかごめん」

「……何で謝るんですか」

「いや……、何となく」

店長の態度から察するに、きっとお母さんは誰にでもああいう態度で誰にでもああいうことを言うんだろうなぁ。私にだけキツいわけじゃないことがハッキリわかったということで、自分を無理矢理安心させよう。

「何か変なこと言われなかった?」

「変なことというか……。花音ちゃんとばっかり話してて私はほとんど何も言われてません」

「ああそうなんだ、よかった。雅美ちゃんがアルバイトで」

「花音ちゃんと一緒にいたから私のこと玄武店の人だと思ったみたいですよ」

「ならそのまま勘違いさせといた方が安全だと思う。仕事には全く干渉しない人だから言わなきゃわかんないよ」

クイズ番組がCMに切り替わる。切り替わった車のCMでは、さっきの芸人が「故郷のお母さん見てますか」と叫んでいた。



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