世界はとても窮屈だ4




結局この日一郎は店姿を現さず、欝陶しい小言もないまま俺は帰宅した。今日も談話室で宿題をしている陸男に突撃して昨日のゲームの続きをする。陸男が何度目かもわからないゲームオーバーに匙を投げた所で、談話室のドアがコンコンとノックされた。

「誰だ……?」

ドアを見ながら陸男が慌ててテーブルの上を片付ける。この談話室はそこそこ広いし、テーブルも他にあるのだが、陸男は散らかっているのを見られたくなかったのだろう。相手が堅物だったら注意されて面倒だろうし。

二人で見守っていると、ゆっくり開いたドアから現れたのは意外にも祖父の一郎だった。驚く俺達を横目に、一郎は室内を軽く見回し他に人がいないことを確認する。

「何しに来たんだよ」

とりあえずここに来た理由を尋ねると、一郎は「大事な話をしに」と答え、こちらに近づいて来た。そして俺ではなく陸男に言う。

「陸男君、悪いんですが少し席を外してもらえませんかな。蓮太郎と話がしたいのです」

「は、はぁ……。いいっすけど」

陸男は手早く勉強道具をまとめると、不安げにこちらを見ながら談話室を出て行った。一瞬、部屋が静まり返る。

「陸男君に勉強を教えていたのですか?」

「それより話って何だよ」

一郎は俺の目の前の、先程まで陸男が座っていたソファーに腰掛ける。まさか冴を匿っていることがバレたか?

「蓮太郎、私が今いくつだか覚えてますか」 

「六十八だろ?何だ、誕生日プレゼントでも期待してんのか?」

一郎の誕生日は確か四月二十二日だったはずだ。まだ一ヶ月程早い。

「いえ、私もだいぶ年を取ったなと思ったのですよ」

「何がしたいのかはっきり言えよ」

一郎は杖の上で組んだシワの刻まれた手を眺めていたと思ったら、唐突に顔を上げて言った。

「蓮太郎、そろそろ朱雀店を継ぎませんか」

「は」

思わず目が点になった。一郎の言った言葉の意味を理解するのに、さすがに少しばかり時間がかかった。

「そろそろって、俺まだ高校生なんだけど」

「私がお前くらいの年にはもう仕事をしていましたよ」

「お前の少年時代と一緒にすんなよ。だいたい学校はどうすんだよ」

「学校なんてたいして出席してないでしょう……と言いたいところですが、高校を卒業するまでは夕方まで私が店を守りましょう」

つまり学校が終わったら店長として仕事をしろと言うことか。冗談じゃない。

「本気かよ」

「本気ですとも。私は朱雀はお前に継いでほしい」

「だとしても何で今なんだよ。早過ぎんだろ」

一郎の真意はわかっていた。こいつは俺が逃げてしまうのが怖いんだ。高校を卒業したら、もうこの場所にいる必要はない。俺がこの家や家庭を嫌っているのは見ていればわかるし、俺が大学に進学しそうにないのも見ていればわかる。高校を卒業したらこの県を出て他の仕事をして暮らして行けばいいのだ。つまり、一郎は俺が高校生のうちに店に縛り付けておきたい。

「何でも早いに越したことはありませんよ」

「……もう決まったことなのか?」

「各店の店長達には今日話しました。皆さん納得してくれましたよ。お前の才能は知れ渡っていますからね」

最悪だ。本当に。別に、この家を出て行くあてがあったわけではない。やりたいことがあったわけではない。ただ理由もなく、俺はこの家が嫌だった。

唐突に、夕方の志歩の言葉を思い出した。彼女はきっと知っていたんだ、この話を。

「就任は四月五日を予定しています。日曜日ですから、必ず空けておいてくださいね。明日からの仕事もますます励むように」

長く話すほど不利だと思ったのだろう、一郎は話は終わりとばかりに立ち上がった。すでにドアの近くまで歩いた一郎を、俺は立ち上がって呼び止める。

「待てよ」

俺の声に振り返る一郎。

「まだ何か?」

「俺が朱雀を取ったら、荷太郎はどうすんだよ」

自然と目が吊り上がる。お前に認められたくて兄は頑張っていたんじゃないのか?お前が認めてやったらあんなに虚しくなることはなかったんじゃないか?

「荷太郎にはまだ早いでしょう。それに言ったはずですよ。私は朱雀はお前に継いでほしいと」

「あいつだって頑張ってるだろ。大学卒業したら継がせてやりゃいいじゃねぇか」

「頑張ればその全てが報われると?大事なのは過程ですか?」

一郎はやれやれと言わんばかりにゆっくりと首を振った。

「努力をしても手に入らないものがあるのです。それをお前は持っていて、荷太郎は持っていない。それだけのことです」

それだけ言うと、一郎は今度こそ部屋を出て行った。俺が呼び止めたら、もう一度立ち止まっただろうか。

「いや、それはねぇな」

あいつは俺なんか見てないから。だったら何を見ているんだろう。こんなに会社を大きくして。お前は朱雀を守れたらそれでいいんじゃなかったのか?

ソファーに倒れ込んだ。そのまま瞳を閉じる。

腹が立った。なぜ俺がこんなことをしなければならない?馬鹿馬鹿しい。俺にとっては顔も見たことないような人間だ。いつまでも過去に縋り付きやがって見苦しい。ならとっとと同じ場所に逝けばいい。糞食らえだ。先程は上手く言葉にならなかった気持ちが次々に溢れてくる。

俺をお前の駒にするんじゃねぇ。




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