世界はとても窮屈だ2




帰ると言っても帰る場所は普通の一軒家ではない。俺が住んでいるのは祖父である一郎が社長を勤める会社「何でも屋」の本部であるビルの一部だ。この仕事は基本的に一郎の親族がでかい顔をしているので、血が繋がっているほとんどの人間は何でも屋の社員だ。一家全員社員である場合が多いので、俺達以外の世帯も同じ建物に住んでいる。毎日毎日親戚の顔を拝める環境というのは、普通の家に住んでいる奴らにとっては想像しがたい状況だろう。

電車を利用し本部の最寄駅まで移動する。最寄と言ってもこの荒居駅から本部までは結構歩く。十五分くらいだろうか。もっと近くに建てりゃよかったのにと心の中で一郎に文句を言った。

ほぼ毎日歩いているもう見飽きた道を進むと、何でも屋の本部である「黄龍店」が見える。この辺りでは一番大きな建物で、表向きには「琵琶湖環境保護団体」と名乗っているらしいがそんなことはどうでもいい。俺はこの建物の上から数えて四番目の階に父、母、兄と住んでいる。ちなみに下から数えると三十七番目だ。

黄龍の広い庭園を突っ切り、入口の自動ドアを抜ける。そのまま真っ直ぐ進むと、目の前にある無駄にでかい受付で書類を整理していた受付嬢がこちらに気づく。「おかえり」と言う二人に適当に返事を返して近くのドアを開けた。ドアの外側にも内側にも従業員達がせかせかと働いていて、これじゃあ家なんて呼べねーよなと思いながら広い廊下を歩いた。

受付のあるロビーに大きなエレベーターが四つもあるにも関わらず、長い廊下を奥まで歩いて建物の反対側にあるエレベーターを使う。三十四階のボタンを押し、エレベーターが到着するのを大人しく待つ。エレベーターが到着すると、まず周囲を伺ってから慎重に廊下へ出て階段へ向かった。わざわざ三階分を階段で上がり、ようやく住居として使用しているフロアへたどり着く。どうやら今日はあいつに出くわさずに済んだようで一安心する。

階段をのぼり切り角を曲がる。自分の部屋へ向かおうと廊下を歩いていると、ちょうど目の前のエレベーターが開いて黒いスーツとハットが出てきた。向こうも俺に気づいて一瞬表情を強張らせる。

俺は内心で舌打ちをした。せっかく花音に会わずに部屋までたどり着けそうだったのに、まさか兄に出くわすとは。ついてない。

俺とすれ違う一歩手間で、兄は視線をそらした。無言でお互いの横をすり抜け、何も見なかったふりをして歩く。俺には二つ年上の兄がいるが、こいつは現在県外の大学に通っている。わりとここから遠い場所にあるのだが、毎日長い時間をかけて家から通っているらしい。この家のどこに離れたくない理由があるのか。下宿でもしてくれればこっちも気が楽なのに。

俺と兄貴だって昔からこんなに仲が悪かったわけではない。子供の頃━━まぁせいぜい小学校低学年くらいまでだが、よく二人で遊んでいたものだ。それが十年後にはこうなってしまうらしい。あの頃誰が今この状況を予想しただろうか。昔はともかく、どうやら今の兄は俺のことがお嫌いらしいのでこちらも関わらないようにするだけだ。

自分の部屋のドアを開けて中に入る。部屋の適当な場所に鞄を置き、制服を脱いで部屋着に着替えた。

兄はそこそこレベルの高い大学に進学したようだが、母は首席合格じゃないと嘆いた。「どうやら」なんて曖昧な言い方をしたが、兄貴が俺を避ける理由がこういう所にあるということはわかっている。

「……面倒くせー奴らだな」

スマホを開くとリュウからメッセージが来ていた。【明日バイトで生徒会出れません】だそうだ。これじゃ結局また深夜と二人じゃないか。さっさと新学期になって新入生が入ってこればいいのに。

ベッドでごろごろしながらスマホをいじっていると、部屋のドアが鋭くノックされた。この叩き方は十中八九母親だ。返事をしないと部屋に特攻してくるだろうから、仕方なくドアを開けて顔を出す。

「何」

「帰ってきたなら挨拶くらいしなさい。ご飯できてるわよ」

挨拶と言われても、母と父のいたリビングと俺の部屋は完全に独立した別の場所にある。親の顔見るためだけにわざわざリビングに寄るかよ面倒臭い。まぁ先程の進行方向だと兄は寄ったのだろうが。ついでに言うと、両親と兄の部屋も完全に別の場所にある。一軒家の庭に家族一人一人専用の建物を建てたと想像したらわかりやすいだろうか。

「何作ったの」

「カレー」

ため息が出そうだった。

「そのうち行く」と言ってとりあえず母を追い返す。母はぶつぶつと文句を言いながらも、リビングを含む家族兼用の部屋へ帰って行った。おそらく父はまだ仕事中だろうが、夕飯には兄が付き合ってくれるだろう。俺はなるべく家族の顔を見たくないのでこのフロアから出ることにする。

三十四階にある談話室のドアを開くと、予想通り教科書とノートを広げた陸男がいた。教科書の数式を睨み付けながらうんうん唸っている。妹の花音がうるさく付き纏ってくる時、こいつはいつもここで宿題をしているのだ。

「よう」

「蓮太郎か。見たらわかるだろうが勉強中だ」

「宿題だろ?俺がやってやるから構え」

教科書を見たまま答える陸男の前に回り込んで、ソファーに座る。ノートを覗き込むとあくびが出るほど簡単な問題ばかりだった。

「いいか、いっつもお前がやっちまうせいで俺は頭が悪いんだ」

「違うね。それは単に陸男の脳みその問題だよ」

ぶつぶつ言う陸男を尻目にさっさと宿題を終わらせる。陸男は一郎の直接の孫ではないせいか、俺や兄のように名門中学に行かずに済んだ。この成績ではあの中学ではやっていけないだろう。まぁこんなんでも一応高校は受かったらしいから一安心だが。

「暇だからゲームしようぜ」

「しょうがねぇなあ……」

ソファーに仰向けになりながら携帯ゲーム機のディスプレイを眺める。こうしていると、毎日本当に暇だなと思う。何もすることがなく、何もせず、今日が終わる。明日も明後日もその繰り返し。退屈だ。

「うわー、死んだー」

陸男がゲーム機を投げ出す。あそこで死ぬか普通。今日も一ミリも進まなかったストーリーをセーブして、俺もゲーム機を手放す。陸男は足を引っ張ってくれるから一緒にゲームをするのは楽しい。俺が一人でやったらたぶんすぐにクリアしてしまうから。

その時、カチャッと小さくドアが開いた。俺と陸男は顔を上げてそちらを振り向く。するとそこには、陸男の妹の来夢がいた。確か小学四年生だったはずだ。

「お兄、宿題終わった?お母さんがご飯だって」

「今日の飯何?」

「カレーだったよ」

陸男は俺に一言告げると来夢と共に去って行った。カレーという単語を聞きすぎて逆にカレーが食べたくなってきた俺は、カレーを手に入れるべく近くのコンビニへと向かった。ちなみに言うと、母の料理レベルは志歩のそれと同じだ。




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