無限ループの回答8




翌日、五月十四日。内藤さんの命を狙っている犯人が近所に住む城島という男性だということがわかったので、さっそく内藤さんと話し合うことにする。城島さんが犯人だということは事前に内藤さんに伝えておいたが、内藤さんには店まで足を運んでもらうことになった。近くに城島さんが住んでいるため、内藤さんの家での話し合いは危険だと判断したのだ。

店長と上根さんで内藤さんを迎えに行く。二人が出て行くと、店は急に静かになった。ここからでは見えないカウンターから、久世さんが本のページをめくる音だけが聞こえる。

部屋に帰るタイミングを逃した、と思った。普段の自分ならこんなヘマはしない。店長と上根さんが出て行くと同時にさりげなく部屋に戻れただろう。だが今日は、昨日の店長の言葉が気になって少しぼーっとしていた。

仕方なく僕はソファーに腰をおろした。どうせ内藤さんとの話し合いに参加しなくてはならないのだ。店長達はすぐに帰ってくるだろうから、少しの間くらいここにいよう。

何もすることがないと、一秒が長くてしかたがない。時計の秒針の音がカチカチとうるさく耳の中で鳴っている。久世さんの本のように暇を潰すものも持っていないので、僕はただソファーに座ってじっとしていた。

永久とも思われたこの時間もようやく終わりを告げ、店長と上根さんが内藤さんを連れて帰ってきた。内藤さんの住む住宅街はここから近い。時間にしたら十数分の出来事だったのだろうが、僕には数時間にも感じられた。

店長が内藤さんをソファーに案内し、上根さんが慌ただしくお茶を淹れに行く。僕はソファーから立ち上がったが、店長にそのまま座っていろと言われた。

席順は奥から店長、内藤さん、僕。店長は上根さんのお茶を待たずに話を始めた。

「昨日も話したけど、うちにこんなメールが送られてきたんですね。で、調べたらあなたの近所に住んでる城島幸平さんのパソコンから送られてたみたいで」

店長が数枚の資料を内藤さんの前に並べた。メールの文面ならともかく、城島さんのパソコンから送られてきたという証拠を見せられてもよくわからないだろうな、と僕は相槌をうつ内藤さんを見ていた。彼には数字とアルファベットの羅列にしか見えないだろうに。

「この出来事からあなたを狙っている犯人を城島さんだと仮定したんだけど、内藤さんって死にかけた理由全部事故っぽい感じだったよね?」

「はい……」

「たしか鉄柱が落ちてきたとか、タバコのポイ捨てが原因で家がぼや騒ぎとか」

「そうです。そういうのがここひと月だけでもう五回も。もう私はいつ死んでもおかしくないですよ!」

「うんうん、わかりますよ。でもこう事故に見せかけられちゃね、ちょっと警察に突き出すには証拠が。昨今の警察は無能っていいますから」

「ならどうすれば……」

「現場近くで城島さんの目撃情報を集めるのもこう時間が経ってると無理があるし……物理的な証拠ももちろんね。だからここは手っ取り早く、」

ここで上根さんがお茶を持ってやって来た。テーブルにお茶を置く上根さんに、店長が「ありがとう」と言う。内藤さんは早く続きを話してほしそうな顔をしていた。

上根さんはソファーには座らずにーーというか内藤さんの隣しか空いてないーー、かといってカウンターの方にも行かずに、店長のナナメ後ろの壁際で背筋を伸ばして立った。しかし、その姿勢も数秒ももたずにそわそわしだす。

「話の続きだけど、手っ取り早く囮作戦でいこうと思うんだよね」

「囮ですか……」

囮という単語に、内藤さんは明らかに不安げな顔をする。そんな内藤さんに、店長は明るく言った。

「大丈夫大丈夫、囮になるのはこのリッ君だから」

そう言って店長は僕を指差した。指を差された僕はというと、初耳の情報に目が点になっていた。

「どういうことですか店長、聞いてないんですけど」

「だって内藤さんと身長似てるのリッ君しかいないじゃん」

内藤さんは僕が囮役の話を聞いていなかったことよりも、目の前にいるのがこの店の店長だということの方が驚きだったようだ。店長め、またお客さんに名乗らなかったんだな。

「大丈夫、上着に布つめれば体型ごまかせるし、知り合いの特殊メイクアーティストに頼めば顔もそっくり内藤さんだし」

「そうかもしれませんけど……」

「決行は今夜だからお願いね。内藤さんも。内藤さんは店で待機しといてくれればいいから」

自分の安全が確認できると、内藤さんは安心した様子で「はい」と返事をした。それとは反対に、僕は突然囮役を押し付けられて機嫌が悪くなる。それならそうと、昨日のうちに言ってくれればいいのに。

そう思って気が付いた。昨日は僕の発言で店長と雰囲気が悪くなったんだった。店長でも僕に話しかけにくかったのか、それともあの後では僕が話しにくいだろうと気を使ったのか。

「じゃあ、細かいところ決めてくよ」

店長の声で我に返る。雑念は振り捨てて、僕は目の前の仕事に集中した。

今日の話し合いで決定したことは、作戦の決行は今夜二時。内藤さんに変装した僕が近くのコンビニに行く為に家を出たところを犯人に狙ってもらう。僕と店長と久世さんがあらかじめ内藤さんの家で待機しておき、内藤さんと彼を警護する上根さんが店に残る。

内藤さんが店に来たのはもう夕方だったので、彼にはそのまま店に残ってもらうことにした。外から見えないように応接室に案内した。先に内藤さんに変装した僕が内藤さんの家に帰り、夜になるのを待つ。この時店長も一緒についてくるが、久世さんは夜になってから合流することになった。

店長の知り合いだという特殊メイクアーティストの手により、僕の顔は内藤さんそっくりになった。顔の皮膚に張り付いているメイクが気持ち悪い。内藤さんの上着をお借りして、タオルなどを巻き付けた身体に羽織った。足にも布を巻いているのでかなり動きにくい。内藤さんはかなり恰幅のいい男性なので、僕のひょろひょろの身体にはかなりの量のタオルが巻かれていた。

午後八時。僕と店長は内藤さん宅へ向かった。僕は内藤さんに成り済まして、さも自分の家に帰ってきたかのような素振りで家に上がった。どこで城島さんが見ているかわからないので、店長が入るには僕が中から裏の勝手口の鍵を開けておく作戦だ。ちなみに内藤さんは奥さんに一連の話をしていないらしく、彼女には一泊の旅行に行ってもらうことにした。突然旦那に「一人で旅行に行け」と言われた奥さんは当然驚いたが、「いつも世話になっている礼だ」と言うと出掛けたのだから、普段から内藤さんが奥さんの働きに感謝していないのがよくわかった。

とにもかくにも、僕と店長は内藤さん宅に上がることに成功した。内藤さんの家に上がって店長がまず始めにしたことといえばソファーに座ってテレビをつけたことなのだから、本当に飽きれ返る。店長は窓の外から見えないように、僕は定期的に窓際に現れながら、時間が来るまで慣れないリビングで過ごした。

日付が変わって午前一時半。さすがの住宅街もすっかり静まり返っている。店長のスマートフォンが鳴ったかと思うと、久世さんから連絡が入った。すぐそこで待機しているらしい。

一時五十五分。作戦を開始することにした。僕は玄関から道に出て、近くのコンビニを目指す。住宅街の中にはコンビニはなく、一番近いところで徒歩十分程度だ。往復二十分のうちに犯人が襲いにきてくれなければこの作戦は失敗だ。そもそも、過去五回事故に見せかけて殺そうとしてきた犯人が、今日に限って直接的な手段に出てくれるのかは疑問だが。

なるべく時間をかけてコンビニを目指す。近くに店長と久世さんがいるはずだ。というか、いてくれなくては困る。僕はただでさえ動きにくい格好をしているし、第一僕は喧嘩が弱い。相手が殺す気で僕に襲いかかれば、僕は一撃であの世行きだろう。

突然、ジャリッという靴底とアスファルトがこすれる音が耳に届いた。と思ったら、振り向く間もなく背後から足音が近づき、黒い影が何か棒状の物を振り上げた。

殴られる。そう思った瞬間、ガキンと鋭い音がして、どつかれた僕はアスファルトの上に膝をついた。慌てて振り向くと、僕と犯人の間に入った店長が手にしている鉄刀で、犯人の鉄パイプの一撃を受け止めたところだった。店長はそのまま鉄刀を滑らせ、横向きに振るった。その攻撃は犯人の横腹にヒットし、ドゴッと鈍い音がした。犯人は横腹を抑えながらよろよろと数歩下がり、暗がりに姿を消した。

「あれは華織ちゃんに任せよう」

そう言った店長が振り返ると、僕の後ろにはさらに二人、鉄パイプを持った人物が立っていた。先程の人物同様、全身黒い服装の上マスクと深く被ったフードで、顔どころか年齢さえも検討もつかない。

「おかしいねリッ君、城島さんって分裂するんだ」

軽口を叩きながら店長が鉄刀を構える。僕は慌てて立ち上がった。店長が喧嘩が強いかは知らないが、相手は二人。勝てるのだろうか。当初の予定では城島さん一人を捕まえればよかったのだから、まさかこちらが劣勢になるなど予想していなかった。僕はこの展開に焦っている。

二人の影は目配せし頷き合うと、僕達を挟むように別れ、鉄パイプを振りかぶりながら近づいてきた。僕は思わず頭を抱え込んで下を向く。すぐにガキン、ガキン、と鉄同士が打ち合う音が二回なり、ガゴッと鈍い音、そして男性のうめき声が聞こえた。

顔を上げると片方の影が頭から血を流し、もう片方が寄り添うように立っている。二人はほんの少しの間僕らを見ていたが、踵を返して走り出した。

「リッ君追うよ!」

「待ってくださ……」

そこで僕はとんでもないミスをやらかした。店長が走ればまだ二人に追い付ける距離だった。僕は店長より二人に近い位置にいた。僕は足にたくさんの布を巻いていた。そして僕は普段と同じ調子で走り出してしまった……。

一言で言うと、僕は盛大にすっ転んだ。踏み出した左足は右足に引っ掛かり、僕はちょうど僕の横をすり抜けた店長の背中にタックルをかました。店長と僕はそのまま折り重なるようにアスファルトに倒れ込み、後ろからやって来た久世さんが呆れた声で「何やってんの?」という言葉を僕の背中に突き刺した。死にたい。

僕と店長が顔を上げると、もちろん二人の犯人は姿を消した後だった。僕はタオルだらけの自由の効かない手足で何とか起き上がり、一足遅れて起き上がった店長に無言でバシッと頭を叩かれた。

「痛いです」

「うん、ごめん」

頭をさする僕の一歩後ろで、久世さんが「ごめん店長、私も逃げられた」と平然と言った。店長は「仕方ないね」とため息をつくと、すぐさま気を取り直して「すぐに店に戻って定秋と合流して」と指示した。久世さんは「はい」と言って走ってゆく。

店長はくるりと僕の方を向くと、苦笑混じりに言った。

「とりあえず、その変装取ろっか」

「囮はもういいんですか」

「さっきリッ君声出したからもうバレてるよ」

なるほど、そういえば転ぶ直前、逃げる犯人二人がこちらを振り返っていたような気がする。となると店にいる本物の内藤さんが危ない。メールを送ってきたのだから、犯人達は店の場所くらい知っているだろう。上根さん一人で大丈夫だろうか。

身体中にくくりつけていたタオルを全て取り去って、僕は身軽になった。頭を振って髪についていた特殊メイクを振り落とす。

「僕達も早く店に戻った方がいいね」

ゴミ袋に詰めたタオルや特殊メイクを道端に蹴り寄せながら店長が言う。

「不法投棄ですか」

「一時的に置いてるだけ。それともリッ君担いで走る?」

それには僕は何も答えなかった。すぐに店に戻ったが、僕は走ったために息が上がって喋れるどころではなかった。まぁ僕が喋ることなんてないが。僕がゼーゼーと呼吸をしている間に、ちっとも息の上がっていない店長が応接室の内藤さんの無事を確認する。幸い犯人達はまだ店に乗り込んではいなかった。すぐに店にいる内藤さんを襲いに来るだろうと思っていたが、ケガの手当てでもしているのだろうか。

「店長、これからどうします!?」

作戦が失敗したことは先に帰っていた久世さんから聞いていたのだろう。上根さんが店長に駆け寄った。内藤さんも不安そうな目で店長を見ている。

「店長!どうしましょう犯人が襲ってきたらっ!」

黙り込んで考え事をしたままの店長に、上根さんが先程よりも焦った調子で言う。しきりに外に視線を向け、そわそわしている。

「店長っ!」

「ああもううるさいなぁ、ちょっと黙ってろ」

「はいっ、すみません!」

上根さんは背筋をピンと伸ばして気をつけの姿勢をした。久世さんはというと、数歩離れた場所で腕組みをし、静かに店長の指示を待っている。

「とりあえず僕は外の様子を見に行ってくる。その間たぶん何人か乗り込んで来るだろうけど、定秋、華織、やれるな?」

「はいッ!」

「やれと言われればやるよ」

店長は二人の返事に満足したように頷いた。 

「お前ら頭は悪いけど喧嘩の強さだけは期待してるからな」

店長は鉄刀を握り直すと、今度はまだ入口近くにいた僕に声をかけた。

「リッ君は最悪の場合になる前に内藤さんを裏口から逃がして。できるね?」

「はい」

店長は僕の頭のちょうど先程叩いた場所を撫でると、大きな音を立てて引き戸を開けて出て行った。

僕は不安げな顔で応接室から首を出している内藤さんを店の裏へ続く通路に移動させた。もし上根さんと久世さんが犯人に負けそうになったら、僕が内藤さんを逃がさなければならない。僕は手の震えを内藤さんに見られないようそっと隠した。

店長が店を出て行ってからおよそ三分。黒い服に身を包んだ犯人達が乗り込んで来た。店の引き戸が乱暴に開け放たれ、三人の黒服が突撃してくる。見たところ店長に頭を殴られた人物はいないようだ。その代わり小柄な人物が新しく増えている。

一番前にいた黒服が上根さんと久世さんの前に踊り出て、腕を振り上げる。その手に握られていたのは鉄パイプではなく、何か丸いボールのようなものだった。

「同じ手を喰らうと思った?」

久世さんが素早く相手の懐に潜り込み、相手を振り回すように投げ飛ばした。おそらく相手は男だろうが、久世さんは上手く相手の力を受け流して力の差をものともしていない。

投げ飛ばされた男の手からこぼれ落ちた物を、久世さんが流れるような動きで蹴り飛ばす。開けっ放しの引き戸から弾丸のように飛び出していったボールは、向かいの家の壁に当たって信じられないほど眩しい光を放った。カウンターの後ろの壁が遮ってくれなかったら、しばらく視力が使い物にならなかっただろう。

久世さんが閃光弾の対処をしている間に、別の黒服に上根さんが殴りかかっていた。上根さんの手に握られているのは先程店長の持っていた鉄刀と同じものだったが、彼の動きは剣道のものだろうと素人の僕でもわかった。

重い踏み込みから鋭い突きを繰り出す上根さん。その突きのあまりの速さに相手は避ける暇もなく、鳩尾に技を食らった。それでも身体を少し後ろに引いたことによって直撃は回避したらしく、なんとか立ち上がると上根さんに向けて鉄パイプを振り上げた。

久世さんはというと、先程投げ飛ばした相手が立ち上がったので再び組み合いをしている。久世さんの投げ技はきちんと受け身を取ればダメージが少ないので、一撃必殺にはならないらしい。そして、上根さんと久世さんの隙間を塗って一番小柄な黒服がこちらに突撃してきた。

「あ、あわわわ……っ」

僕の後ろで内藤さんがうろたえる。相手は鉄パイプを構えながらこちらに走ってくる。そんなに広くない店内だ、もうすぐそこまで迫っている。

僕は内藤さんを通路の奥へと押し込んだ。よろめきながら奥へ進む内藤さん。僕は通路の途中で右に折れ、小さな台所から一番重そうな鍋を掴んだ。台所から飛び出すと、幸運なことに相手の長い鉄パイプが狭い通路の入口に引っ掛かって、相手を一瞬だけ足止めしていた。さらに入口にかかった汚い暖簾が相手の視界を遮っている。僕は鍋を大きく振りかぶると、投げた。

ゴスッとなんとも微妙な音がする。本当は相手の頭を狙って投げたのだが、僕にはコントロール能力が皆無だった。相手の甲高い「ぎゃっ」という声から察するに、小柄な黒服は女性らしい。僕は内藤さんの背中をぐいぐい押して裏口に案内した。

僕が投げた鍋は黒服女性の左肩に当たったらしく、彼女は左肩を抑えながら追ってくる。土足厳禁の廊下を靴を履いたまま走り抜け、裏口から駐車場へ出る。駐車場に停まっている店長の黒い車にはなぜかエンジンがかかっていた。車の影から店長が姿を現す。そして後部席のドアを開けて「乗って」と合図した。

内藤さんと僕がまだ完全に乗り込んでいないうちに、黒服女性が飛び出してくる。待ち構えていた店長に鉄パイプを振り下ろすも、簡単に受け止められてそのまま投げ飛ばされた。コンクリートに腹を打ち付けた黒服は、投げ飛ばしたそのままの動きで腕を掴んだ店長に、左腕を変な方向に曲げられる。ゴキンと嫌な音がした。

黒服女性がキンキンした悲鳴を上げ、左肩を抑えながら転げ回った。店長が運転席に乗り込みすぐさま発車させる。

「今の骨が折れたんじゃ……」 

「大丈夫、肩の関節をはずしただけ」

振り返って車庫を見てみると、先程は車の陰に隠れて見えなかったが、黒服の男が一人ロープでぐるぐる巻にされて壁にもたれていた。黒服女性の悲鳴に反応しないことから、おそらく気絶しているのだろうと推測する。店長だけは敵に回さないでおこうと僕は心に誓った。

店長は近くのコンビニの駐車場に車を停めた。運転中にスマートフォンを確認していたが、どうやら上根さんと久世さんは無事黒服達を取り押さえたらしい。車庫で悲鳴を上げながらのたうちまわっていた女性もついでにロープで縛り上げてくれたようだ。……肩の関節はちゃんとはめ直してあげただろうか。

「あのぅ……私は何で狙われていたんでしょうか……?あの人達に心当たりがないのですが……」

ようやく落ち着いた内藤さんが、店長がコンビニで買ってきたコーヒーを飲みながら尋ねる。店長は小首を傾げながら答えた。かわいらしい動きだったが、先程の殺戮ぶりを目撃した後だとなんとも言えない。

「さあ?それは本人達に聞いてみないと。大方口封じだろうね。あなたに見られたらヤバいものを目撃されたとか」

「では、城島さんは……?」

「それは犯人達のミスリードだね。城島さんの出掛けている時間を見計らって家に侵入して、うちにメールを送ったんだよ」

「じゃあ城島さんは無関係なんですね……」

「だと思うよ。五人もいれば見張りも十分、城島さんのパソコンからちょっとメールを送るくらい簡単だったと思うよ」

城島さんは犯人ではないと聞いて、内藤さんは少しホッとしたようだった。しかし僕には今そんなことを観察している余裕はなかった。自信満々に城島さんが犯人だと言ったのは誰だ?僕は今猛烈に後悔していた。まんまと犯人に騙されて城島さんを疑ったことが、あの場面で転倒するという自分の運動神経のなさが。

今回の依頼、僕は何の役にも立たなかったどころか思い切り足を引っ張っていた。店長達がいなければ今頃内藤さんは殺されていただろうし、そもそも店長は城島さんが犯人だとは思っていなかっただろう。僕のプライドを傷付けないように、犯人は城島さんではないと強く言わなかったのだ。

悔しい。

僕は気付かないうちに唇を噛み締めていた。おそらく眉間にシワも寄っていただろう。店長のスマートフォンに届いたメッセージの着信音でハッと我に返った。

「全員縛り上げ済みらしいからとりあえず戻ろうか。何で内藤さんを殺そうとしたのか聞かないとね」

隣の内藤さんが唾を飲み込んだのがわかった。いくら縛られていると言っても、自分を殺そうとしている人達の所に行くのは怖いだろう。店長はコンビニの駐車場を出ると、店に向けて車を走らせた。

店に着くと、床にロープで縛られた四人が並んで座らされていた。店長に頭を殴られた男性は、おそらく別の場所で療養しているのだろう。目の前の四人は、上根さんと久世さんによってフードとマスクは取り払われ、全員素顔があらわになっている。僕達が店に入ると四人ともビクッと肩を震わせた。

「話は聞いた?」

「まだ。なかなか話したがらなくてさぁ」

「店長が帰るの待ってました!」

店長の問いに相変わらず、久世さんはけだるそうに、上根さんは無駄に元気よく答えた。店長は真ん中に座っている、四人の中で一番リーダーっぽい男性の目の前にしゃがみ込んだ。この男性は二十代後半くらいで、黒い短髪はスポーツ選手を連想させた。

「何で内藤さんを狙ったの?ほら、正直に言ってみ?」

店長がそう尋ねるが、男性は無言で顔を反らしただけだった。店長がため息をつく。と思ったら男性の頭を両手でガッとわしづかみにし、無理矢理前を向かせた。

「いだだだだだだっ」

「無視はいけないと思うなー無視は」

あれ絶対何かのツボに入ってる。男性はただ頭を捕まれたくらいではこうはならないだろうというくらい痛がっていた。隣の二十代前半くらいの男性が、自分じゃなくて良かったというような顔でリーダー格を見ている。

「で、何で内藤さんを狙ったの?」

「は、はな、離してくれ……っ」

店長は意外にもあっさりと手を離した。男性は荒い呼吸を整えている。

「何で内藤さんを狙ったのかいい加減教えてよ。気になるからさ」

「そ、それは、言えない」

男性は絞り出すように言った。おそらく決死の回答だっただろう。身動きが取れない今、僕達にボコボコに殴られて情報を吐かされてもおかしくないのだ。彼らが持ってきた鉄パイプがすぐそこに転がっているんだから。

「ま、言いたくないならいいけどさ。どうせ警察に突き出すんだから」

店長は立ち上がるとそう言った。犯人達は明らかに面食らっている。

「ていうかどうせ死体埋めてるとこ見られたとかでしょ。内藤さんの休日の趣味は山歩きらしいから」

そんなこといつ聞き出したんだろう、と思っていたら、上根さんが過剰に反応した。おそらく護衛中に内藤さんが上根さんに話し、それが店長に伝わったのだ。上根さんは仕事をする手は鈍いけれど、口だけはぺらぺらとよく動くから。

どうやら店長の推測は図星だったようで、犯人達は明らかに顔を青くした。店長はその場で警察に通報し、犯人達と内藤さんは連れて行かれてしまった。上根さんと久世さんはその場で簡単な事情聴取を受けただけだったが、店長はより詳しく事情を話すために警察に連れて行かれたーーちなみに僕は深夜外出がばれるといけないので自室に隠れていたーー。一気に人が減った狭い店内は、がらんと寂しく感じた。

おそらく内藤さんには警察から狙われた詳しい理由が説明されるだろう。彼等が内藤さんを狙った理由は僕も気になるところだが、大方店長の予想通りだろう。小旅行から帰ってきた内藤さんの奥さんは、さぞ驚くだろうな。

警察が帰ったらもう午前四時を過ぎていて、上根さんと久世さんは家に帰った。店長からは事情聴取が終わったら帰ってもいいと言われていたが、僕はまだ店に残っていた。さすがに疲れきっていて仕事をする気にはなれず、店のソファーに座ってぼーっと時間が経つのを待っていた。

その内にガラガラと控えめに引き戸が空いて、店長が帰ってきた。時刻は午前五時を回っている。

「リッ君まだいたの?自転車あるからまさかとは思ったけど」

タオルの詰まったゴミ袋をその辺に投げ置いた店長は、こちらに近づきながらそう言った。僕はソファーから立ち上がる。テレビのついていない店内は無音に等しかった。

「店長、今日はすみませんでした」

「え、何何、どうしたの?」

店長が二人掛けのソファーに座る。僕はまだ立ったままだった。

「僕の考えが甘かったです。簡単に城島さんを犯人だと決めつけて。店長の忠告をきちんと聞き入れるべきでした」

足元を見ながらまくし立てるように言う。恥ずかしくて店長の顔が見れなかった。彼からしたら僕はなんて滑稽な奴なんだろう。笑われたって仕方ない。

「さっきだって、僕があんな所で転ばなければあの時点で二人捕まえることが出来ていたはずです。完全に僕の不注意でした。すみませんでした」

本当は悔しかった。きっと僕はこの人に一泡吹かせてやりたかったんだと思う。それが、こんな無様な姿をさらして。僕は喉元が熱くなるのをぐっと堪えた。

黙って聞いていた店長は、僕がそこまで言うと同時に笑い出した。確かに笑われても仕方ないとは思ったが、まさか本当に笑われるとは。しかし店長の笑いは僕を馬鹿にしたものではなくて、僕が転んだのを思い出して面白がっているものらしかった。

「僕もまさかあそこで転ぶとは思わなかったよ。全然予想してなかった。右足が左足に絡まったの?それとも左足が右足に絡まったの?」

そう言って店長はまた笑った。

「店長、僕は真面目に謝ってるんです」

「それで真面目にヘコんでるの?」

「…………」

今日の僕の失敗は、この人にとってはささいなことだったのかもしれない。全然気にも留めていなかったのかもしれない。

僕はこの人の懐の深さが癇に障った。自分がとてもちっぽけな存在に感じられた。そういえば姉も懐が深かったな、とふと思い出した。

「まぁまぁ、リッ君まだ十四でしょ?これくらいの失敗でへこんでちゃダメだって。これからこれから」

「はい……」

自分だってまだ十九のくせに、と内心で唇を尖らせる。……まだ十九のくせに、僕と五つしか離れていないくせに、僕にはその背中が見えないほど遠い。僕は五年後に自分がこうなれている気が全くしない。

馬鹿馬鹿しいほど、遠いなぁ。そして僕の小ささも本当に馬鹿馬鹿しい。

「そういえば、店長は城島さんが犯人じゃないって分かってたんですよね?だったらせめて上根さんと久世さんにそう言っておけば、もっとスムーズに進んだと思うんですがどうしてそうしなかったんですか?」

リモコンに手を延ばした店長に尋ねる。犯人は城島さんではないと上根さんとさんが知っていれば、作戦はもっと別のものになっていたはずだ。未知の敵に対して心構えも変わっていただろう。

店長はテレビのチャンネルをパチパチ切り替えて、次々に現れる放送終了画面に不満げな顔をしていた。一通りチャンネルを回すと、リモコンをテーブルの上に置いて僕の問いに答える。

「だって人生イージーモードって超つまんなくない?」

「そういうものですか」

「そういうもの」

この人にはこの人なりの苦悩があるということなのだろうか。その悩みは僕には一生理解できないだろうが、僕はこの人のことを少しだけ好きになれた。



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