それを奇跡と呼ばず何と呼ぼう12




大人数で店に戻ると、ソファーで仕事をしていた店長は目を丸くした。三人もいて誰も店長に連絡を入れなかったのは、息が合っているのか合っていないのか。

ソファーには合計四人座れるが、立川さんが一人で二人掛けのソファーを占領してしまい、私達従業員は全員立って話をすることになった。誰も何も言わないので、壁にもたれてお茶を飲んでいた店長が切り出す。

「で、どういう状況?」

国見さんと花宮さんが目を合わせ、しばらく押し付けあいをしていたようだが、結局花宮さんが口を開いた。

「えっとですね……俺らが行ったら二人がもう取っ組み合いをしてて、話し合いで解決しようってなって。で、話すならうち来たらいいんじゃないかって荒木さんが」

「雅美ちゃんが?」

私を見た店長と目が合う。

「ダ、ダメでしたでしょうか……?」

「いや、ナイス判断だよ雅美ちゃん」

店長の言葉にホッとする。そして思う。私の考えを店長や先輩達に話した方がいいだろうか。間違っていたら怖い。不安もあった。しかし、その不安を跳ね退けるくらいの妙な自信があった。

「…………、」

私は口を開いて、何も言わずに閉じた。今私が言わなくても、これから中畑さんと立川さんが話すだろう。わざわざ部外者の私が言うようなことじゃない。

「で、立川さんは中畑さんにどんな話があるの?」

花宮さんの簡単な説明で状況を理解した店長は、立川さんに声をかける。どっしりとソファーに腰掛けていた立川さんは、今まで閉じきっていた口をようやく開いた。

「単刀直入に言う。これだ」

立川さんはスーツのポケットから出したものをテーブルの上に置いた。首を伸ばして見てみると、それはメモリーカードだった。私はやっぱりと思った。

「これはお前に返そう」

立川さんはそう言って中畑さんを見た。しかし中畑さんは立川さんの言葉などまるで聞こえていない風に、テーブルの上のカードを睨み付けているだけだった。

おそらく状況が飲み込めていないであろう八木さんが、恐る恐る中畑さんに声をかけようとする。しかし中畑さんはその直前で顔を上げた。

「いや、これはもともと俺のものじゃない。返すという表現はおかしい」

「ならお前にやる」

「受け取れない」

中畑さんは、先程立川さんに掴みかかっていた時とは打って変わって大人しかった。おそらくここへ来るまでの道のりで冷静さを取り戻したのだろう。

「お前の判断に任せる」

立川さんは中畑さんの目を一瞬だけ見ると、メモリーカードを手に取った。

「俺のやることは最初から決まっている。こうだ」

立川さんはそう言ってメモリーカードを足元に落とすと、思い切り踏み付けた。

「…………」

「…………」

この場にいる全員が何て言ったらよいのか悩んでいるのが手に取るようにわかった。おそらく立川さんはかっこよくメモリーカードを壊したかったのだろうが、いくら立川さんの恰幅がいいといっても踏み付けたくらいで壊れるようなものじゃない。立川さんが退けた足の下でピンピンしているメモリーカードを見て、思わずみんな無言になった。

「ふ、お前は相変わらずだな」

静寂の中、中畑さんが小さく吹き出した。

「いっつも肝心な時に格好つかないよな」

中畑さんの口元が綻ぶのを見て、立川さんも笑った。

「愛嬌があっていいだろう」

「間抜けなだけだろう馬鹿め」

ふざけ合う二人を見て八木さんが安心したような顔をした。二人が以前のようにくだけた会話をしているのが嬉しいのだろう。一瞬黙ってから中畑さんが切り出した。

「すまなかった。立川」

「いいさ、言えばわかってくれると思っていた」

「本当に馬鹿なことをしたと思っている。お前の力を借りることもできたのに、意固地になっていた」

「頑固なところもお前の一部だと思っているさ」

立川さんは足元のメモリーカードを拾い上げた。それから店長の方を振り返って「何かペンチのような物はありませんか」と尋ねた。店長の目配せを受けて、すぐに花宮さんが店の奥へ消えてゆく。

「お前の力を借りるのは負けたような気がして悔しかったんだ。そう考えている時点で負けていたのだろうが」

「そんなこと気づいていたさ。何年友人をやっていると思ってるんだ」

「何?なら俺はお前が気づいていたことに気づいていたさ」

「甘いな、俺は気づいていることを気づかれていることに気づいていたさ」

「そう返してくることにも俺は気づいていたがな」

花宮さんが戻ってきて立川さんにペンチを手渡した。立川さんは中畑さんの目の前でメモリーカードを真っ二つにした。

「これで共犯だな」

ニカッと笑う立川さんに、中畑さんは少し涙声になって言った。

「ありがとう立川。本当に、ありがとう」

それから「会社にバレたら責任は俺が取る」と付け足す中畑さんに、立川さんが「そうなったら二人でラーメン屋でも開くか」と冗談混じりに言った。

問題だった二人が和やかになったところで、八木さんが恐る恐る質問をした。

「あの……話が全く見えないんですが、いったい何の共犯なんでしょう……」

八木さんの質問に、国見さんと花宮さんがわずかに身を乗り出した。おそらく、聞きたくても聞けなかったのだろう。八木さんでさえ置いてきぼりで話が進んでいたのに、赤の他人である先輩達は自分達が聞いていいことなのか迷っていたに違いない。

八木さんの質問に中畑さんが言った。

「正直、あまり話したいことではない……。話してしまったら、君はきっと私を上司として見れなくなるどころか人間としても失望してしまうだろう」

「リーダー、私は例えどんなお話でも……」

「だが、結局それは逃げだと思う。立川に対する甘えだと思う。君がここにいるのもきっと何かの縁だ。君には話しておこうと思う」

「はいっ」

八木さんが背筋をピンと伸ばした。

「これを聞いて私を軽蔑したなら社長なり警察なりに言えばいい。私はそれを受け入れるだけだ」

「はい」

「単刀直入に言うと、私は会社の金に手をつけた。横領したんだ」

八木さんの目が見開かれた。驚きすぎて声も出ていない。それは先輩達も同じだった。中畑さんの印象は「真面目」の一言に尽きる。そんな彼が横領をしただなんて意外だったのだろう。

「ど、どうして……」

「妻の、医療費が少し足りなくてな……」

「そう……ですか……」

理由を聞くと、それきり八木さんは口を閉ざした。先輩達は「しかたないこと……なのか?」というようなアイコンタクトを飛ばし合っている。

「それだけなのか……?もっと何か他に言うことはないのか?」

「いえ……。どんなことをしてもリーダーは私が尊敬する上司ですので」

八木さんが少し俯き加減にそう答えると、中畑さんは目をパチクリとさせた。八木さんは普段からそんなに親しく会話をするような部下ではないのかもしれないと私は思った。八木さんが自分のことを見ていて、尊敬していると言ったことが彼にとって意外だったのだろう。

「私はリーダーである中畑さんではなく、中畑さんという人間に着いて行きたいんです」

八木さんのメガネの下の瞳が少し潤んでいた。立川さんは意外そうな顔で八木さんを見て、中畑さんを見て、もう一度八木さんを見た。

「ありがとう八木さん。私なんかに着いて行きたいと言ってくれて……」

中畑さんはまた涙声になった。

「私は昔から人付き合いが苦手で、仲のいいやつも立川くらいだった。立川のように、部下達と楽しげに会話することも出来ない。私みたいな仕事しかしていないような上司を、見てくれている人がいるとは思わなかった」

「違います、リーダー。リーダーにはリーダーの良さがあるのを私は知っています」

八木さんが少しだけ前のめりになって言った。そして彼女は中畑さんの顔を見て、眉をさげて微笑む。

「毎朝ちゃんと全員に挨拶するの、リーダーだけです。退勤するときのお疲れ様に本当の労いの気持ちがこもってるのも、私知ってます」

立川さんがうんうんと頷いた。そして小さく震えている中畑さんの肩をバンバンと叩く。私は中畑さんの横領の罪をなんとか無くしてあげられたらな、と思った。この人達の関係がもう壊れないように。



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