俺の仕事を紹介します4
もうすっかり見慣れてしまった白い廊下を進み、【兵藤唯我】と書かれたプレートの前で立ち止まる。何でも屋の従業員が入院することになったとき、それがどんなに軽傷でも一人部屋を用意してもらう一番の理由は、病室で仕事の話をしても構わないようにだ。
荒木さんに言われた通り、またここに来てしまった。俺は唾を飲み込むと、ノックをしてドアを開けた。
「姉ちゃん……?」
そっと中に入ると、ベッドの上で本を読んでいた姉ちゃんが顔を上げたところだった。
「どうしたの?どー君、さっきも来てくれたのに……」
一日に二回も見舞いに来た俺に、姉ちゃんは少し驚いているようだった。確かに、毎回長居こそするが一日に二回来たことはない。俺は近づいてベッドの脇のパイプイスに座った。
「さっき……ちょっと聞きそびれたことがあったから……」
「なあに?仕事のお話?」
姉ちゃんは閉じた本を枕の横に置いた。
「いや……仕事じゃねぇんだけど……その……」
「?どうしたの?なんでも聞いて?」
「あのな……っ、」
なかなか言い出さない俺に姉ちゃんが心配そうな顔をする。俯いている俺の表情を覗き見ようと姉ちゃん上体を近づけてきた。
「あのな、姉ちゃん、」
俺はようやく腹をくくり、顔を上げた。こうなったらもう勢いに任すしかない!
「姉ちゃん、彼氏できた!?」
思い切ってそう聞くと、目の前にある姉ちゃんの顔に「?」が浮かんだ。
「できてないけど……どうして?」
「本当に?本当に誰とも付き合ってないの?」
「う、うん……」
俺があまりにも食い気味に尋ねるので姉ちゃんはたじろぎながら「どー君落ち着いて」と言った。
姉ちゃんが彼氏はいないと言ったので俺は正直ホッとしていたが、安心するのはまだ早い。彼氏はいないのなら、次の質問だ。
「じゃあ、好きな人ができたの!?」
「できてないけど……」
「本当!?本当に本当!?」
「うん、ほんとだよ」
俺はつい立ち上がってガッツポーズをした。ああ、おかえり俺の天使!スーパーラブリーウルトラビューティフルハイパーキューティエンジェル姉ちゃん!俺はこの数時間生きた心地がしなかった!
姉ちゃんは「どー君元気だなー」とか考えていそうな天使の微笑みを浮かべて俺を見ていたが、何かに気付いたらしく「あっ」と声を上げた。
「そういえば、聞きそびれたことって何だったの?」
「えっ。……今のだけど」
「そうだったんだぁ。でもこれくらいなら電話してくれてもよかったのに。この病院スマホ使えるよ?」
「直接聞きたかったんだよ」
今日病院に来て本当によかったと思った。悔しいが、助言してくれた荒木さんには感謝しなければならない。今日勇気を出さなければ俺はずっと姉ちゃんに彼氏が出来たと勘違いしたままだっただろう。それは死活問題だ。生きるか死ぬかの瀬戸際だ。
しかし、姉ちゃんに彼氏が出来たわけではないとなると、一つ腑に落ちない点がある。夕方見舞いに来たとき、姉ちゃんの発言がおかしかったことだ。いや、今日だけじゃない。入院してしばらく経ったくらいから前兆はあった。
俺はりんごの皮をむきながらぐるぐる思考を巡らせた。たしかに、俺の気のせいという可能性もあるだろう。だが、こと姉ちゃんのことについては、俺は間違っていない自信があった。姉ちゃんの様子は明らかにおかしい。俺にはわかるし、きっと俺にしかわからない。
俺は皮をむいたりんごを姉ちゃんの目の前の皿に置いた。……やっぱり聞こう。ちゃんと聞かないとダメだ。きっと荒木さんもそう言う。ここで聞いてスッキリさせておかないと、ずっともやもやしたままになるだろう。
「あのさ姉ちゃん。もう一つ聞いていい?」
「なあに?」
かわいらしくりんごを食べる姉ちゃんは俺を見た。うん、りんごを食べる姉ちゃんも天使だな。
「あのさ、今日夕方来た時に変なこと言ってただろ」
「変なこと?」
「ほら、いいお嫁さんになるだろうとか」
「…………」
「姉ちゃん普段そんなこと言わねーじゃん。あれ何だったの?」
姉ちゃんはりんごの最後の一口をほお張ると、フォークを皿の上に置いた。カチャリと小さな音が鳴る。
「あのねどー君、私、入院してから看護師さんやほかの患者さん達に二人とも仲がいいねってよく言われてたんだ」
「そりゃ、俺達仲いいだろ……」
「うん、私もそう思う。でも、私達もう高校生だよ?いつまでもこうしてくっついてるわけにはいかないよ」
「そんなことねぇよ!」
俺はつい大声を出してしまった。姉ちゃんは困ったように眉を下げて微笑んだだけだった。
「どー君のことが嫌いになったわけじゃないんだよ?でも、私とばっかりいたんじゃ、どー君の世界は広がらないんじゃないかと思ったの」
姉ちゃんは続けた。
「どー君の自由を私が奪ってるんじゃないかと思って」
そんなことないと大声で叫びたかった。俺は自分の意思で姉ちゃんの隣にいるんだと。でも、叫ぶだけじゃきっと姉ちゃんはまた勘違いをしてしまう。俺を優しいと思っている姉ちゃんは優しいから。きっと自分を安心させるために俺が嘘をついているんだと思わせてしまう。
「姉ちゃん、俺はホントに……」
何て言ったら姉ちゃんに伝わるんだろう。どんな言葉を並べても、姉ちゃんには伝わらない気がする。俺が姉ちゃんを中心に考えているように、姉ちゃんも俺を中心に考えているから。
「どー君、今まで気付けなくてごめんね。これからは私のことなんて気にせずに、お友達と遊んだり好きな子と付き合ったりしてもいいんだよ」
「ち、違うんだ、俺は……」
姉ちゃんは何もわかってない!姉ちゃんがいれば友達なんていらない!姉ちゃんがいれば好きな女の子なんて必要ない!そんなの姉ちゃんに比べればじゃがいもやカボチャと一緒だ!
俺はいきなり姉ちゃんに抱き着いた。姉ちゃんはビックリしたようだった。言葉で伝わらないなら行動で示すまで!
「姉ちゃん!俺は姉ちゃんが一番大事だから、そんなこと考えるな!」
「どー君……」
「俺達の間にそんな小難しい考えはいらないだろ!」
ありのままの本心を叫ぶと、姉ちゃんは優しく俺の頭を撫でた。
「そうだったね。ごめんね、私おかしなことばっかり考えてたみたい」
「姉ちゃん……!」
「きっとどー君が隣にいなくて寂しかったんだね」
うわああああああ!姉ちゃんんんんんんんん!姉ちゃん!KA☆WA☆I☆I!天使!
「うん、だから姉ちゃんは余計なこと考えずに早くケガ治せよ」
「えへへ、ありがとう、どー君」
ぎょわああああああああああ!姉ちゃんマジ姉ちゃん!スーパーラブリーエンジェル!姉ちゃんの髪いい匂いする!たとえ病院のシャンプーでも姉ちゃんが使えばたちまちフレグランスだ!
「俺今日はもう帰るよ。姉ちゃんの笑顔が見れてよかった」
「気をつけて帰ってね。私もなるべく早くケガ治すようにがんばる」
これ以上一緒にいたら精神が崩壊する恐れがあるからな!ああ姉ちゃん!なんて罪な女なんだ!俺の心をわし掴んで離さない!
「でも無理はしちゃダメだぞ。ゆっくり早く治すんだ」
「ふふ、わかった。無理したらどー君に怒られちゃうからね」
ふんわりと微笑む姉ちゃんはやはり天使で、女神で、さらに天然による小悪魔性も秘めており、外見だけでなく内面もアルプス山脈の雪解けミネラルウォーターのように澄み切っていて美しく、かわいらしいタレ目からは全ての人類を魅了する光線を放っている。
俺と姉ちゃんは約十回程「じゃあまた明日な」「気をつけてね」を繰り返し、俺はすっかり薄暗くなった外を歩いた。
今日はなんて素晴らしい一日だったんだろう!俺は今日という日を生涯忘れない!というか、抱きしめても何も言われないならもっと日常的にクンカクンカしてもいいのではないか?
あらぬ妄想を繰り広げながら電車に乗り、青龍店への道のりを歩く。店についてドアを開けると、運の悪いことに目の前に店長が立っていた。
「兵藤!貴様、白虎に行くだけに何時間かかっている!」
案の定怒声が飛んでくる。ちっ、うるせーな。せっかくいい気分だったのに。その眼鏡かち割ってやろうか。
「すみません……」
「まぁいい。報告書を書いて、さっさと店の掃除でもしていろ!」
そう吐き捨てて店長はさっさと店長室へ入っていった。
「どうせ早く帰ってきても掃除しかすることねぇじゃんか……」
至極尤もだと思うことを呟き、荷物を置きに自分のデスクへ向かう。忙しくデスクにかじりついている先輩や資料を見ながら電話をしている上司達に羨ましげな視線を向けながら、俺は掃除用具用のロッカーにほうきとちりとりを取りに行った。
「…………」
黙って店内の床を掃く。バイトで他にも暇な奴いっぱいいるのに俺だけこんなことさせられてるのは、やっぱり姉ちゃんが刺された日に店長に盾突いたのがマズかったのだろうか。大人のクセして器の小さい野郎だぜ。
「だから他の店に馬鹿にされんだよ」
ふと顔を上げると、窓ガラスにぼんやり映った自分が見えた。……俺と姉ちゃん、顔似てないよな。周りの人にも良く言われることだが。こうも似てないと姉弟だとわからないな。
別れ際の姉ちゃんのスーパーラブリーウルトラハイパーエンジェルスマイルを思い出して、鏡の中の自分がニヤついた。おっといけない、これでは危ない奴だ。
「何をニヤついているの」
ニヤニヤを押さえ込もうと奮闘していると、突然背後から声が聞こえて俺は跳び上がった。危うく口から心臓が飛び出るところだった。
「ななななな、何ですか。気配消して現れないでくださいよ!」
「そんなつもりはなかったのだけれど……。驚かせてしまったのならごめんなさい」
「い、いや、驚いてはないですけど……。それで、何の用なんですか?」
この人は青龍店の店長補佐だ。まぎらわしいのだが、店長補佐であって副店長ではない。わかりやすく言うと秘書みたいなものだ。だからなのか、どこの店でもこの役職は見た目の綺麗な女性の場合が多い。
彼女は相変わらず表情に乏しい顔で俺を見ている。たしかに表情は乏しいし何を考えているのかわからないことが多いが、俺のような下っ端にも平等に接してくれるのでいい人だ。前髪を上げておでこを出した髪型も、クールな彼女に似合っている。
「ここの掃除は佐東君と戸神君にやってもらったからもういいわ。それより、キッチンのニンジンは君の仕業?」
「ニンジン……?いえ、俺じゃないですけど。っていうか、じゃあ俺何したらいいですか?」
ニンジンが何のことなのかは気になるが、それよりここの掃除終わってるってどういうことだよクソ眼鏡。どうりでゴミが少ないと思ったよ。
俺が心の中で店長に悪態をついている間、店長補佐は俺の質問の答えを真剣に考えてくれていたらしい。白い指を白い顎にあて、少し考えて口を開いた。もうこの人が店長になったらいいのに。
「貰い物のクッキーがあるから、みんなで食べましょう」
「へ?」
「店長は抜きでね」
そう言ってすたすたと階段を上ってゆく店長補佐。前言撤回だ。あの人あんな顔してどこか抜けてるところがあるからダメだわ。ついていくのは不安すぎる。
でもまぁ、クッキーがあるというなら喜んでいただこう。貰い物ってことはきっとちょっと高いやつだぞ。こっそりキープして明日姉ちゃんに持って行ってやろう。きっと喜ぶ。
俺はほうきとちりとりを引っ掴んで階段を駆け上がった。
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