俺の仕事を紹介します3
俺は青龍店には帰らずに、南鳥駅へ来ていた。無記名ICOCA万歳、これさえあれば自分で金を払わずにどこへでも行ける。まぁ、許されてるのは基本県内限定だけどな。
俺は仕事でしか使ってはいけないはずの無記名ICOCAで改札を抜け、電工掲示板で時刻を確認した。この時間なら、急げばぎりぎり間に合うだろう。俺は早足で目的地へと向かった。
目的地は大通りから少し逸れた道端、日当たりのいい低めの石垣。俺はその石垣に腰掛け、間に合っていてくれと祈りながらあいつが来るのを待っていた。
俺がこの場所を陣取り始めて三十分、あいつが現れる気配は一向にない。いつもだったらとっくにここを通っている時間だ。まさか間に合わなかったのか。諦めて帰ろうとした時、ようやくあいつがやってきた。
「独尊君また来たの?」
「……遅かったな」
「学校に残ってちょっと課題やってたんだ。今大きな絵書いててさ、家じゃ絵の具広げられないから」
そう言って荒木さんは当たり前のように俺の隣に座った。いつもは自転車なのに、今日は徒歩で来たようだ。荒木さんは首に巻いていたマフラーを膝の上に置いた。歩いて暑くなったんだなと、俺は先程の経験から予想した。
「だから手に絵の具ついてるのか」
「えっ?嘘」
荒木さんは手をくるくるとひっくり返して、右手の付け根に青い絵の具がついているのを見つけた。「ちゃんと洗ったんだけどなぁ」とぼやきながらゴシゴシこするが、これは石鹸がなきゃ取れないだろう。
「そういえば今日は何の用事で来たの?今日瀬川君遅れるらしいから私早く店に来いって言われてるんだけど」
「瀬川?」
俺はそいつの顔を思い出そうとしたが、モヤがかかったように思い出せなかった。きっと存在感がない奴なんだろう。
「お前のところの店長はどうせサボりたいだけだろ。うんと遅く行ってやればいんだ」
「まぁそうなんだけど……。独尊君も、いつもこんな所で待ってないで店で待ってたらいいのに」
「……それは嫌だ」
あの店長と店で二人きりなんて死んでも嫌だ。気まずいなんてもんじゃない。
「この前助けてもらったくせに」
「んな昔のことは忘れた」
荒木さんは鞄をごそごそして小振りの水筒を取り出した。フタを開けるとほんの少しだけ湯気が出ているのが見えたので、おそらく保温性のある水筒に温かいお茶を入れて持ち歩いているのだろうと思った。意外に家庭的だな。
「そういや今日来た理由だけど、姉ちゃんのことで相談があって来たんだ」
「独尊君いつ来ても唯我さんの話しかしてないじゃん」
「今日はすっげー大事な相談をしにきたんだ!ガチなやつ!」
「はぁ……。まぁ聞くだけなら聞くけど」
うわ、こいつため息つきやがった。あからさまに面倒臭そうな顔しやがって。
「落ち着いて聞いてくれ。姉ちゃんに……彼氏が出来たかもしれないんだ」
「へぇーおめでとう」
「おめでとうじゃねぇよフザけてんのか!」
「よかったね唯我さん、これで欝陶しいシスコンの弟から逃げられるね」
「てめーいい加減にしとけよ怒るぞ!」
「ごめんごめん。で、独尊君はその彼氏さんと会ったの?どんな人だった?」
その言葉に俺は言葉がつまる。笑いすぎて出た涙を拭っていた荒木さんは始め「?」を浮かべていたが、すぐに理解したという顔をした。
「わかった、まだ会ったことないんでしょ。そりゃそうだよね、シスコンの弟に自分の彼氏会わせないよね」
「ち、ちげぇよ」
「違ったら何?まさか彼氏ができたことも教えてもらえなくて偶然自分で気付いたとか」
「そ、それは……」
「えっ、嘘、当たり?なんか……ごめん……」
言い返してこない俺を見て、荒木さんは途端に気まずそうな顔をする。どうやら必死に次の言葉を探している最中らしく、「えーっと」だの「あの……」だの言っている。
「で、でもあれだよね。直接言われたわけじゃないんだったら、もしかしたらただの男友達かもしれないよねっ」
「…………」
「いや、むしろ友達ですらないかもしれないし!」
「…………」
「ていうかもう他人レベルかもよ?道聞かれただけとか!」
おそらく荒木さんは、俺が外で偶然姉ちゃんと彼氏を見てしまったのだと思っているらしい。訂正しなければいけないが、ここまで思い込まれると訂正するのが少し恥ずかしい。
「いや、あの、実はな。別に男といるとこ見たわけじゃないんだ。ただ、姉ちゃんの様子がおかしかったから、俺の予想で……」
反応が返ってこないので顔を上げてみると、荒木さんは眉をハの字にし眉間にシワをよせ、今にも「はぁ?」と言いそうな冷たい目で俺を見ていた。
「それって予想じゃなくて妄想でしょ?」
「いや、違……」
「唯我さんに彼氏ができたかもっていう妄想だよね?」
「仮に、仮に妄想だとしても!姉ちゃんの様子がおかしいのは事実だ!」
「はいはいわかったわかった。それで相談って唯我さんの様子がおかしい理由?」
「姉ちゃんと彼氏を別れさせる方法だ!」
グッと拳を握りしめる俺に、荒木さんは呆れ顔で言った。
「だから絶対彼氏なんていないって。だって独尊君に隠すの無理だもん。いつもストーカーしてるんだから」
「ストーカーじゃねぇ!一番近くで見守ってるだけだ!」
「だからそれまんまストーカーのセリフだって」
思わず立ち上がって叫ぶ俺。荒木さんはそんな俺を見上げて続けた。先程までとは打って変わってやけに真剣な表情だ。
「それに、もし本当に唯我さんに彼氏ができてもそうするの?唯我さんに幸せになってほしくはないの?」
「そりゃ、俺だって一瞬そう思ったけど……。でももしそいつがどうしようもないクズ野郎だったらどうすんだよ!ニートだったら?DV男だったら?小汚いオッサンだったら?もし姉ちゃんとそいつが結婚しちまったら?」
「つまり、まずは自分を認めさせてみろってこと?」
「姉ちゃんに彼氏ができるのが嫌だ」
俺はキッパリハッキリと言い切って胸を張った。なんだかんだと御託を並べてきたが、つまり俺は姉ちゃんに彼氏が出来るのが嫌なのだ。姉ちゃんの幸せ?そんなもん俺が用意してやんよ!どんなに辛いことがあってもな!
「姉ちゃんの隣は俺のもんだ!」
「独尊君もう高校生でしょ……?そろそろ独り立ちした方がいいと思うなぁ……」
「どんな虫が寄ってきても姉ちゃんには指一本触れさせねぇ!」
「まぁ独尊君からシスコンを取ったら何も残らないしね」
それから一呼吸置いて荒木さんはこう続けた。
「でも唯我さんにちゃんと確認した方がいいよ。勘違いしたままなんて……」
「お前……」
「独尊君のストーカーが悪化しそうで気持ち悪いもん」
「てめぇぇええ!もういっぺん言ってみろぉぉおおっ!」
「ちょっと止めてよ服が汚れちゃうでしょ」
俺と姉ちゃんの仲を心配して言ってくれたのかと思ったら、やっぱりそれか!一瞬感激して損した!
俺は立ち上がって荒木さんの袖につかみ掛かる。すると荒木さんも膝の上のマフラーを振り回して反撃してきた。
「痛っ、ちょ、目、目に入ってるって!」
「独尊君が降伏したら止めてあげる!」
「てめー!いい度胸だ!」
「十秒以内に止めないと次は水筒で殴るよ!」
宣言通りカウントを始める荒木さん。ついには荒木さんも立ち上がって本格的なつかみ合いを始めた時、聞き覚えのない声が飛んできた。
「何してるの?」
その声に荒木さんと同時に振り向くと、すぐ側にグレーのブレザーを着た男が立っていた。そいつはステンレス製の水筒を振りかぶる荒木さんと、荒木さんのマフラーで顔が半分隠れた俺を冷めた目で見ている。
「瀬川君、自転車は?」
「昨日パンクしたから修理に出してる」
俺の頭からマフラーを回収しつつ荒木さんが尋ねる。荒木さんが名前を呼んで俺はようやくこいつの顔を思い出した。朱雀店の三人しかいない従業員の顔くらい何となくは覚えている。こいつは朱雀店でなんかいつも裏の方に引っ込んでる奴だ。
「荒木さんこそもう店についてると思ってたけど」
「ちょっと独尊君に捕まっちゃって」
「また待ち伏せされてたの?」
「ね。店で待ってればいいのに」
「でもそれは嫌なんだよねー」と言って俺を見る荒木さん。俺はそれには答えず、とりあえず隣の瀬川とかいう奴に突っ掛かることにした。
「そういえばお前何で今日仕事遅れたんだよ。店員三人しかいないんだろ」
「補修だけど」
無表情に面倒臭さを滲ませて答える瀬川。俺が何か言うより先に荒木さんが「補修なんて珍しいね」と言った。
「授業態度が悪かったからだって」
「また授業中に仕事してたの?」
「授業はつまらないから……」
ここで荒木さんがわなわなと震えている俺に気付いた。「どうしたの?独尊君」と言う荒木さんを無視して、俺は瀬川に人差し指を突き付け言ってやった。
「不真面目だ━━ッ!」
「は?」
眉を潜めて明らかに先程より不機嫌になる瀬川。荒木さんの「またか」と言いたげな苦笑はこの際見なかったことにする。
「授業態度が悪くて補修になるだなんて不真面目の極みだろ!どうせ席を立って教室を徘徊してたんだろ!」
「そんな小学生みたいなことしないよ」
「じゃあ何で補修に呼ばれるんだよ!」
「スマホいじってたからだと思う」
「ほら見たことか!理由もなく授業中にスマホいじっていいと思ってんのか!」
「君はいじったことないの?」
「あるに決まってるだろ!姉ちゃんからメッセージが来てないか逐一チェックしなきゃなんねーからな!」
「それじゃあ僕のこと言えないと思うけど……」
「お前の理由と俺の理由じゃ重大さが全然違うんだよ!だいたいその頭の色はなんだよ!高校生が髪染めんな!」
「これ地毛なんだけど」
「嘘つけ!」
「というか、髪染めてる君に言われたくない」
「俺はいいんだよ!姉ちゃんに似合うって言われたから!」
「君の世界はお姉さんを中心に回ってるの?」
「当たり前だろ!姉ちゃんがいない世界なんて何の価値もねぇ!燃えカス同然だ!」
「何でそんなに姉という生き物に心酔してるの?正直理解できない。気持ち悪い」
「な、に、をぉおう?」
ついに俺が拳を握りしめた瞬間、今まで成り行きを見守っていた荒木さんが割って入ってきた。
「ストップストップ!二人共ケンカしないでよ!」
それから俺ではなく瀬川に向かって言う。
「そろそろ店に行かないと店長が文句言うからさ、ほら早く行こう!ね!」
荒木さんは引きつった笑顔で瀬川の背中をぐいぐい押す。何とか俺と引き離そうとしているようだが、瀬川はまだ何か言いたげな顔をしていた。最後に、荒木さんがくるりと振り返って言う。
「とにかく、独尊君は一回ちゃんと唯我さんと話しなよ!」
俺がはいともいいえとも言わないうちに、荒木さんは瀬川を引っ張って行ってしまった。瀬川とまともに話したのは今日が初めてだが、意外によく喋る奴なんだな。もっと大人しい奴かと思っていた。
俺はしばらく考えてから鞄を引っつかみ駅に向かって歩き出した。
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