曇り空じゃ見えない4




「はあ……寒い……」

はあっと息を吐くと、私の口から白い霧が発生して、すぐに空気中に溶けて消えた。私はマフラーをグッと鼻下まで上げて、なるべく体温を逃がさないようにと縮こまった。

店先で今日は車で迎えに来てもらったことを思い出し、現在は家に向かって元気に歩いている最中である。幸い私の家は店からそんなに遠くはない。市境いを跨ぐことにはなるが、徒歩で三十分程度である。それでも運動不足で鈍った私の身体には十分堪えるのだが。

「ん」

かすかに着信音が聞こえて、私はコートのポケットに手を突っ込んだ。スマホの光るディスプレイを見てみると、鳥山さんからメッセージを受信したところだった。

鳥山さんが何の用だろう。もしかしたら冴さんが復讐を止めた話を聞いて、私に相談するためにメッセージを寄越したのかもしれない。彼女は冴さんの説得に協力してくれると言ってくれていたから。

私は手袋の先の方だけ指から外すと、スマホを開いてメッセージを確認した。この手袋は指先のカバーを外すと指だけ出すことができて、スマホをいじる時などにとても便利だ。まあ、もちろん指先は寒いのだが。

【今どこ?朱雀店の近くに花木冴がいる】

「!」

私はメッセージの文面にビックリして、思わず二回読み直してしまった。そのあとすぐに自分がまだ朱雀店の近くにいる旨を返信した。

鳥山さんからの返事はすぐに返ってきて、自分は今冴さんの後をつけていると書いてあった。どうやら鳥山さんは冴さんが復讐を止めたことを知らないらしく、今も冴さんが誰かを傷付けるために出歩いていると思っているのだろう。とにもかくにも私は鳥山さんのところへ向かうことにした。

「鳥山さん……っ」

さっき私がいた場所からそんなに離れていないところで鳥山さんの後ろ姿を見つけた。金髪のツインテールが今日も輝いている。

「荒木。早かったじゃない」

私の声に気づいた鳥山さんがこちらを振り返った。コートのせいでよく見えないが制服を着ているし、肩には学生鞄を提げている。どうやら学校帰りのようだ。

「冴さんは?」

「あそこ」

鳥山さんが指さした方を見てみると、二十メートル程先にいつものパーカーとジーンズ姿にマフラーを巻いた冴さんの後ろ姿が見えた。

「けっこう離れてるね」

「あいつ逃げ足速いからね」

「…………」

私はしばらく考えたら、思い切ってこう言った。

「鳥山さん、冴さんと話をしてみよう」

「えっ?」

「元々そういうつもりだったし、それに、冴さんもう私達を襲うのは止めたらしんだ」

私は鳥山さんに冴さんが復讐を止めた話をした。止めた理由は私も知らないので鳥山さんはなかなか信じられない様子だったが、店長と冴さんが知り合いで店長自身から聞いたと説明したら何とか信じてもらえた。

「でも話しかけたとして逃げられるんじゃない?向こうは私達のこと警戒してるわけだし」

「それは、う~……ん、挟みうちするとか?」

「挟みうちか……。いいかもね。なら私はあっちから行くから、あんたはこっちから行きなさい」

鳥山さんはそれだけ言うと、さっさと走って行ってしまった。鳥山さんが冴さんの前方から回り込んで、私が後方で逃げられないように挟みうつ。私はもう少し冴さんに近づくために歩く速度を上げた。

鳥山さんはものの一、二分で冴さんの前方に回り込み、フラフラと歩く彼女の前に姿を現した。

「こんばんは。私のこと覚えてるかしら?」

「!」

目の前に現れた鳥山さんを見て冴さんがこちらに振り返る。逃げようとアスファルトを蹴ろうとしたところで、振り返った先にいた私の目が合った。

「待って、冴さん」

後ろでは鳥山さんが睨みを利かせている。住宅街のこの細い道じゃいくら冴さんの足が速くても私達の横をすり抜けるのは無理だろう。冴さんは観念したように身体の力を抜いた。

「ボクに何の用だい?生憎悲劇の復讐劇は公演中止だよ」

「私達冴さんと話がしたくて来たの」

「話?」

冴さんがあからさまに眉をひそめる。

「ボクと君達は真っ赤な他人なのに一体何を話すことがあるんだい?それとも、復讐の復讐に恨みの一つでも言いにきたかい?」

冴さんはまるで劇でもしているかのような動きで両手を大きく動かし、ふぅとため息をついた。さらにはやれやれと首を振るオマケつきだ。

「違うの、私達はそんなことを言いに来たんじゃなくて……」

冴さんが私の言葉の続きを待っている。私は一生懸命頭の中を整理して続きを捻り出した。

「冴さんがもう人を傷付けるのを止めたって聞いて、私安心した」

「ふ~ん」

冴さんが疑いの色を含んだ目で私を見る。私はその視線に少しびくつきながらも言葉を続けた。

「冴さんのこと心配してた。たった一度きりの人生を復讐に費やしていいのか、復讐を終えた先のあなたには何も残らないんじゃないかって」

「…………」

冴さんは黙って私の言葉に耳を傾けている。重心を片足に移してけだるそうに立っているところを見ると、どうやら逃げるという意思は無いようだ。反対に、鳥山さんは未だ警戒を解かずに道の真ん中に立っている。

「もう復讐は止めたんだよね」

「……うん」

「だ、だったらさ」

冴さんの五年間は復讐の二文字しかなかった。私はさっき復讐を終えた冴さんには何も残らないと言った。なら、復讐を止めた冴さんには何が残る?

私はそれに気づいた時、一つの決心をした。復讐以外の居場所を彼女に提供する決心を。

「あの……、その……。もし行くとこなかったら、その……。うちに……おいでよ」

言ってみたものの下っ端のくせに何を大層なことを言うんだと恥ずかしくなり、知り合いならきっと店長も二つ返事でオーケーしてくれるだろうとか、瀬川君とは居心地が悪いかもしれないけどきっと怒ってないよとか、しどろもどろにぼそぼそと言い訳を並べていると、

「ははっ、はははははっ」

冴さんが吹き出した。

呆気にとられて冴さんを見ると、彼女は涙を拭いながらまだ笑っていた。

「いや、ごめんごめん。そしてありがとう。でもその誘いはお断りさせてもらうよ」

ようやく落ち着いた冴さんは、今度は柔らかい笑顔を浮かべて言った。

「行きたい所ができたんだ」

「居場所が見つかったの?」

「うん、たぶんね」

「そっか……。よかったね」

心からそう言うと、冴さんは照れ臭そうに笑った。話が終わったと感じた鳥山さんが道を譲ると、冴さんは手を振って家々の向こうに消えていった。

「あれで良かったのかしら」

こちらに近づいてきた鳥山さんが少し不安を含んだ呟きを漏らす。

「きっと大丈夫だよ。さっきの冴さん、この前会った時とは別人みたいだった」

私が確信を持ってそう答えると、鳥山さんは「そう」とだけ呟いて、肩の荷をおろしたかのように伸び伸びとしたのびをした。

「それにしても、誰があいつをあそこまで変えたのかしら」

「そうだよね……。店長が何か言ったのかな?」

店長という二文字に鳥山さんがあからさまに嫌な顔をする。この反応にも慣れたものだなあと思いながら、私は彼女に苦笑を返した。

しかし、鳥山さんの言う通り冴さんを改心させたのが誰なのかが気になる。あんなにも復讐に固執していた冴さんが、朗らかな笑みを浮かべて「行きたい場所ができた」と言ったのだ。荒んでいた彼女を変えたのは誰なのだろう。

冴さんと何でも屋の間にあった確執を知っているのは、その当事者しかいない。冴さんは姉の死にまつわる顛末を話す人などいなかったし、何でも屋が外部に一片の情報も漏らすはずがないのだ。

そう考えると、冴さんを改心させたのはやはり何でも屋の人間ということになるだろう。一体誰がどうやって彼女の心を動かしたのか謎は沢山残ったが、どうせ店長に聞けばわかることだろう。冴さんが心を改めてくれたので一先ずはよしとする。

「鳥山さんありがとう。私の無理に付き合ってくれて」

「べ、別にこれくらいどうってことないわよ」

素直にお礼を言うと、鳥山さんは照れてそっぽを向いた。うーん、いい子なのはわかるんだけど、どうにも打ち解けてくれないなあ。白虎店の人達や学校の友達にもこんな感じなのか?

それとも私の歩み寄りが足りないのか、などと考えていたところで、鳥山さんの声で我に返った。彼女は手にスマホを持っている。

「もう八時だし、あんたもさっさと帰りなさい」

「あ、もうそんな時間だっけ。鳥山さんは?帰り道大丈夫?」

「わ、私はまだ用事が残ってるから……」

「そっか、用事があって南鳥に来たんだよね。ごめんね。今日は本当にありがとう」

鳥山さんの家は白虎店の近くにあるはずだし、用事がない限りこんなところをうろうろしないだろう。おそらく何か用があってこの市に来たところ、冴さんを発見したのだ。そしてその用事が何なのか私が聞くときっと鳥山さんはまた不機嫌になってしまうのだろう。

私は鳥山さんに再度感謝と労いの言葉をかけ、その場で彼女と別れた。私は真っ直ぐ家へと帰ることにする。

帰り道歩きながら考えた。今回の冴さんの件はこれで終了したと言っていいのだろうか。

冴さんは改心したようだが、喜ぶのは黄龍の判断を待ってからだろう。口封じのために冴さんを殺すなどと言い出すかもしれない。そこは店長の尻を叩いて何とかしてもらわないといけないだろう。私や鳥山さんみたいなアルバイトが何を言ってもどうせ聞いてくれないのだから、もう頼れるのは店長しかいないのだ。

ふと空を見上げると、星が綺麗だった。冴さんのことを考えると、上手く生きてほしいと願わずにはいられない。




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