曇り空じゃ見えない3




「というわけ」

「ただ演劇の話されただけじゃないですか……」

「一方的すぎて手も足も出なかったよ」

店長の話を聞いている間、椏月ちゃんは顔を真っ赤にして「もういいじゃないですか兄の話は……」と呟いていた。

「そういえば、椏月ちゃんは部活はしてるの?」

椏月ちゃんが可哀相になってきたため、話題を我清さんから移す。椏月ちゃんは死んでいた目をパッと輝かせた。

「いえ、あたしは部活はしてないんです。バイトしてるとどうにも……」

「あ、そっか。両立って難しいもんね」

「うちは両親がいないんで、お兄ちゃんの収入だけで生活してるんで……」

「ご、ごめん、何か余計なこと聞いちゃったかな」

まさかそんな家庭の事情があっただなんて。私が謝ると、椏月ちゃんは「いえ全然」と笑った。

「あたしが小さい頃のことなんで。あたしはほとんど覚えてません」

「そっかぁ……」

椏月ちゃんは明るく話しているが、内容が重たいので「そっかぁ」しか言葉が出てこない。今は我清さんと二人暮しをしているのかとか、それまではどうやって生活していたのかだとか、気になることは多いがそれを聞くのは野暮というものかもしれない。

私が次の話題を探すべく脳みそをフル回転させていると、今まで聞き手に回っていた店長が口を開いた。

「じゃあ田村ちゃんって今我清君と二人で暮らしてるの?」

久々に口を開いたと思ったらこの人は。いとも軽々しく他人のプライベートに足を踏み入れる。

「あ、はい。兄が就職してからは。それまでは親戚の家でお世話になってたんですけど、あまり居心地がよくなかったというか……」

「ふーん、大変だねぇ……。僕も友達に似たような境遇の子いるけど」

そのままの勢いで話し続ける店長を遮るように口を開く。

「あ、椏月ちゃん、別に話したくないことは話さなくてもいいんだよ。こんな人に」

「こんな人ってどういう意味」

「そのままの意味ですよ」

私は店長を睨みながら見上げた。まったくこの人は、余計なことしか言わない。

「荒木先輩、あたし別に大丈夫ですよ。そんなに気にしてませんし」

「そ、そう?でも嫌なことがあったらハッキリ言うんだよ?この人空気読まないから」

「雅美ちゃん僕そろそろ怒ってもいい?」

売り言葉に買い言葉で普段通りギャーギャー言いながら口喧嘩をする私と店長を、椏月ちゃんは困ったように笑いながら見ていた。

いったん言い合いが始まると椏月ちゃんの存在をすっかり忘れて店長との口論に勤しんでしまうが、これではいけない。私達にとっては日常茶飯事でも椏月ちゃんにとっては見慣れない光景だ。彼女が戸惑ってしまう。

私が内心で反省会を開いていると、店長が帰宅命令を出した。いつもより少し早いが、本日の業務は終了だ。今日は珍しく動き回って疲れたし、きっと店長も気を利かせて早く上がらせてくれたのだろう。

椏月ちゃんが迎えの車を呼んで、それを待つ間しばらく取り留めのない話をする。そうしているうちに昨日と同じ男性が来て、相変わらず泥のついたままの車に椏月ちゃんを乗せて去って行った。

「さてと、じゃあ雅美ちゃん、今日から通り魔は無期限休業らしいから安心して自転車で帰ってね」

「?はあ……」

私は最初何を言われているのかわからなかったが、すぐにその言葉の意味を理解した。と、同時に先程の神原さんの言葉も思い出す。

「そういえば、さっき神原さんに冴さんの件は片付いたって言われたんですけど、冴さん捕まっちゃったんですか?」

若干の不安とともに聞いてみる。冴さんは私が説得するんだと息巻いていたのだ。話もできないままもう会えないだなんて、そんなのはあんまりだ。

冴さんが捕まってしまって、誰か彼女の話を聞いてあげる人はいるのだろうか。だいたい、捕まえた後はどうするのだろう。警察には話せない、野放しにはできない、まさか殺すなんてことは……。

「ああ大丈夫、捕まってはいないよ」

「じゃ、じゃあ……!」

「何かもういいんだって。フクシューは」

「もういい、ですか……」

今度こそ顔に思い切りクエスチョンマークを浮かべる。もういいということは、復讐が完了したということなのだろうか。いや、でも神原さんは生きている。そもそも、冴さんは復讐相手の顔を知っているのだろうか。

「どうしちゃったんでしょうか、冴さん。あんなに恨んでたはずなのに」

「さあ、他にやりたいことが出来たんじゃない?」

冴さんはあの復讐に人生をかけていた。他にやりたいことなんて、そうそうできるものではないだろう。

私がぼーっと考えていると、店長が私の肩を掴んでくるりと反転させた。そのまま引き戸の方へ背中を押される。

「僕これから行くとこあって店閉めるから、早く帰った帰った」

「え、でも冴さんのことは……」

「また本人に詳しく聞いたら教えてあげるから」

「絶対ですよ!」

店長はガラガラと引き戸を開け、私はぽいっと外に出される。閉められないうちに私はガッと戸に手をかけた。

「店長、絶対ですよ!」

「わかったわかった」

大人しく手を離すと、引き戸はするすると閉まった。私はしばらく引き戸を睨むように見ていたが、ため息を一つつくとくるりと振り返った。今日はもう帰ろう。

そして私は気づいた。ていうか、

「自転車ないじゃん……」



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