曇り空じゃ見えない
「トイプードル?ああ、うちで預かってるよ!お腹すかしてうちの商品見てたからね。少し食べさせてやったのさ」
そう答えてから八百屋のおばちゃんは店の奥へ向かって叫んだ。
「おーいアンター!あのワンちゃん連れてきな!飼い主が迎えにきたよ!」
午後四時半。私達は南鳥市に戻って商店街の八百屋に来ていた。店先に立って大きな声で呼び込みをしているおばちゃんになんとか用件を伝え、今に至るというわけだ。しかしこのおばちゃん、自分の声が大きすぎて私達がいくら話しかけてもスルーしてくるので、話をするまでが大変だった。
おばちゃんが店の奥に声をかけると、すぐに返事が返ってきて、旦那さんであろうおじさんがトイプードルを抱えて姿を現した。そういえばこのおじさんは、前に瀬川君と犬探しに来たときにお客さんの呼び込みで大根斬りをやっていたっけ。まぁそのパフォーマンスで野菜が売れることはなかったようだが。
「ほら、このワンちゃんだろう?」
「はい、ありがとうございます!」
お礼を言っておじさんからさくらを受け取ろうとするが、案の定私の腕に抱かれた途端さくらが暴れ出した。私は慌てて隣にいた椏月ちゃんにさくらをパスする。さくらはビックリしたようだったが、すぐに椏月ちゃんの腕の中に落ち着いた。
「はっはっはっ、お嬢さんは犬には好かれないみてぇだなあ!」
「ははは……昔からなんです」
犬どころか基本的に動物全般に好かれにくい体質だ。私はこの体質は実はけっこうショックで、目の前にかわいい犬や猫がいるのに撫でられないのはとてつもなくジレンマだ。
私と椏月ちゃんは八百屋のご夫妻に再びお礼を言って店を離れた。商店街は人が多くて危ないので、さくらは椏月ちゃんに任せて私は自転車を押して歩いた。だが日本人の回避スキルは素晴らしいもので、私がちょっとよそ見をしても相手がヒラリと避けていくものだ。もしかしたら日本人の先祖は全員忍者だったのかもしれない。
くだらないことを考えながら朱雀店までの道のりを歩く。ようやく朱雀店のボロボロの看板が見えてきたのと同時に、店から出て来る神原さんも私の瞳に映った。
「神原さん!」
どうやら向こうもこちらに気がついたようだったので、私は数メートルの距離を小走りで神原さんに近づいた。さくらを抱えた椏月ちゃんもついてくる。神原さんもこちらに近づいてきたので、店との距離は約五歩だ。
「雅美ちゃん、犬探ししてたんやてなぁ。ご苦労さん」
「神原さんは何しに来たんですか?」
このタイミングだと、やはり冴さんのことで店長と話していたのだろうか。椏月ちゃんはどうやら神原さんのことは知らないようで、一歩後ろで私達の会話を聞いている。
「この辺まで来たさかいついでに寄ってん。あの子のことも聞きたかったしなぁ」
「冴さんですか?店長何て言ってました?」
「何かもう解決したんやて。せやから雅美ちゃんも安心しぃ」
神原さんはそう言うとひらひらと手を振って帰って行ってしまった。神原さんが見えなくなるのと同時に、ずっとうずうずとしていた椏月ちゃんがさっそく話しかけてきた。
「荒木先輩、今の人誰ですか?」
「黄龍に勤めてる人だよ」
あまり神原さんと関わってほしくないので、一言だけ答えて店に入ろうとしたが、荒木ちゃんが片手でガシッと私の手を掴んだ。
「すごいじゃないですか先輩!黄龍に知り合いがいるなんて!何がペット探しばっかりですか。全然すごいですよ!」
「いや、たまたま知り合っただけだから……」
その後もなんとか説明しようとするが、椏月ちゃんは目をキラキラさせて「すごいすごい」と言っていた。確かにすごい先輩だとは思われたかったが、こういう尊敬のされかたはどうなのだろうか。何か理想と違う……と心の中でため息をつきながら、逃げるように店の中に入った。
「二人ともおかえりー」
店に入ると、店長は相変わらずソファーでテレビを見ながらノートパソコンのキーボードを叩いていた。私達は必死になってさくらを探していたのに……といつも通りの不満を覚える。
「見つかったの?早かったね」
店長は椏月ちゃんの腕の中にいるさくらを見て言った。店長が手を伸ばすので椏月ちゃんはさくらを彼に渡す。さくらは抵抗なく店長の膝の上に収まった。
「雅美ちゃんもペット探しのプロになったってことかな」
「そんな称号いりませんよ」
椏月ちゃんがお茶を淹れた方がいいのかとあわあわしていたので、彼女をソファーに座らせて台所に向かった。適当なところにあった紅茶を淹れる。店長が次から次へと新しいものを開封するので、中途半端に余っている紅茶やコーヒーが沢山あるのだ。何とかして使ってしまわなければ、湿気てしまってもったいない。
余ってしまっているお茶っ葉の利用法を考えながら二人のところに戻ると、二人はさくらにちょっかいを出して遊んでいた。動物に好かれない体質の私にとっては羨ましすぎる光景で、お盆を持つ手がわなわなと震えた。
「二人ともずるい!私も触りたいのに!」
「あっ、ちょっと雅美ちゃん!」
私がさくらを撫でようと手を伸ばすと、さくらはビックリしたように跳びはねて店長の膝の上から逃げてしまった。そのままカウンターの方まで走ってゆき、低い声で「う~う~」と唸っている。
「そんなぁ……」
「さくらかわいそー。雅美ちゃんにイジメられて」
「私だってさくら撫でたいんですよ!」
店長は立ち上がってさくらの方へ歩いて行った。店長が手を伸ばすとさくらは簡単にその腕の中に収まる。この光景を椏月ちゃんはすまなさそうに見ていた。おそらく私に何と声をかけたらいいか戸惑っているのだろう。
三人プラス一匹でソファーに落ち着き、紅茶を飲む。一応飼い主の佐藤さんからゲージをもらっていたが、さくらはそれに入りたがらなかった。まぁゲージは持ち運び用なので狭いし、店の中は締め切っているので外には出ないだろうと放しておくことになった。佐藤さんには連絡済みだが、引き取りに来るにはしばらくかかるそうだ。
「それにしても早かったね。リッ君もいないのに」
始めに口を開いたのは店長だった。どうやら想像以上に私達がさくらを見つけて来るのが早かったので、本当に驚いているようだ。
こんなに早くさくらが見つかったのは偶然会った椏月ちゃんのお兄さんがさくらの居場所を知っていたからなのだが、店長がそれを知るよしもない。椏月ちゃんはそのことを説明しようか迷っているようだ。きっと身内の話をしてもつまらないと思っているのだろう。それならと私は口を開いた。
「実は途中で椏月ちゃんのお兄さんに会ったんです。お兄さんがさくらの居場所を知っていて」
私がそう言うと、椏月ちゃんはそれを補足した。
「兄は市役所で働いていて、いろんな所に行くせいで顔が広いんです。たぶん、さくらのこともそうやって誰かに聞いたんだと思います」
「市役所で働いてるなんてすごいよね」
「そんなにすごくないですよ。フツーですフツー」
椏月ちゃんは両手をぶんぶん振って否定する。そこで、今まで黙っていた店長が口を開いた。
「あ、僕田村ちゃんのお兄さん知ってるよ?」
「えっ!?知り合いだったんですか!?」
店長の一言に椏月ちゃんがビックリした顔で聞き返す。しかし本当に交遊関係広いな。百人どころか友達千人で富士山の上でおにぎり食えるんじゃないかこの人。
「知り合いって程仲良くもないし最近は全然顔見てないんだけど」
「同じ学校だったとかですか?」
「そういえば椏月ちゃんのお兄さんと店長って歳同じだよね」
椏月ちゃんがサラっと紹介した彼女の兄の年齢を思い出す。店長と同い年とは思えないくらい子供っぽい顔立ちで、椏月ちゃんと同じ歳くらい若く見えたけれど。一方で椏月ちゃんは大学生って言っても通じるくらい大人びた顔をしているから、兄妹だって言っても兄と妹を間違えられそうだ。
「同じ学校ではなかったけど、高校の通学路でよく出くわして話してた」
「何か兄が変なことを言わなかったでしょうか……」
「というか、初対面から変だったよ我清君は」
店長は昔を思い出しているのかしみじみとした雰囲気で言う。一方椏月ちゃんは、その答えに顔を青くしたり赤くしたりしていた。
「店長と椏月ちゃんのお兄さんの話聞かせてくださいよ」
どうせ「秘密♪」で終わるだろうが、他に会話のネタもないので聞いてみる。が、私の予想を大幅に反して店長は「いいよ」と答えた。私はその返事に耳を疑い一瞬キョトンとしてしまう。
「我清君と初めて会ったのは高三の五月くらいで、僕は学校に行く前にコンビニでお弁当を買ったんだ」
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