このまま騙し通してよ




「おはようございまー……す」

引き戸をガラガラ鳴らしながら店内に顔を覗かせる。店長は相変わらず来客用のソファに座ってテレビを見ながらノートパソコンを操作していた。

「雅美ちゃんおはよー」

店長が私に気づいて挨拶を返す。私はもう一度「おはようございます」と言って店に入った。

昨日の私の早まった行動のせいで、なんだか入りにくい。居心地も悪い。いや、自業自得なんだけれど。

でも動かずにはいられなかった。ああせずにはいられなかった。安心と信頼が欲しかった。こんなに簡単に揺らいでしまうものだとは思わなかった。

店長の後ろをすり抜けて店の奥へ向かう。昨日は結局あのまま家に帰ったから、仕事に来るのは一日ぶりだ。自室に荷物を置いて、腰にエプロンを巻いて出てくる。ポケットにスパナを入れるのも忘れない。

今考えれば本当にちっぽけな事で悩んでたと思う。それなのに本気になって、自分の命を狙っている人がいるのにウロウロして、あの行動力はいったいどこから来たのだろう。

再び店長の後ろを通ってカウンターに向かう。イスに座って「はぁ」と短いため息をついた。

「雅美ちゃん、そこにいたらダメだってこの前言ったじゃん。冴ちゃんが入ってきたら真っ先にブスリだよ」

そうだった。私は仕方なく立ち上がり、ゆっくりと店長の元へ向かった。カウンターから近い方の一人用ソファに腰掛ける。しばらく沈黙が流れた。テレビから流れる若手芸人の声がやたら大きく聞こえる。

「……何かお茶でも淹れてきましょうか」

「昨日閻魔が持ってきた安っいお茶があるからそれ持ってきてよ」

私はそそくさと台所に向かった。台所にはおそらく昨日からそのままだったであろうお茶の入った紙袋が置いてある。手に取って見てみると、本当に高価なものではないようだ。

私は神原さんに貰ったお茶を淹れつつ、次々と新しいものを開けるために微妙に残ってしまっているお茶っ葉達のことを考えた。湿気てしまったらもったいない。

お茶を淹れたコップを二つ持って店に戻ると、テレビではさっきの若手芸人が相変わらず面白くもないことを言って必死にお客さんから笑いを取ろうと頑張っていた。

店長の前にお茶を置くとき、「神原さんも手土産を持ってきたりするんですね」と言おうとしてやっぱり止めた。何となく神原さんの話はしない方がいいような気がした。変わりに「どうぞ」と言ってお茶を置く。店長は「ありがと」と言って受け取った。

「そういえば、今日玄武店から一人助っ人が来るんだって」

お茶を一口飲んで店長が言った。

「助っ人ですか?」

「うん、リッ君がいない間だけ。二人じゃ危ないからってさ」

確かに、元々三人しか店員がいないのに、今は一人怪我で入院中。そういう措置が取られるのも当たり前だろう。

「どんな人が来るんですか?」

「雅美ちゃんと年の近い女の子だって。僕も直接会ったことはないんだけど」

年の近い女の子と聞いて安心した。それなら一緒に仕事もしやすそうだ。

「十一時くらいにつくって言ってたからたぶんもうすぐ来ると思うよ」

そう言われて壁にかかった時計を見た。時刻は十時五十五分。今にも来そうで途端に緊張してきた。店長ももっと早く言ってくれればいいのに。

そのままダラダラとテレビを見続けて、再び時計を見たら十一時十五分だった。店長はバラエティー番組の芸人を見てゲラゲラ笑っている。「ほっぴーんぐ」って言ってるだけなのに何が面白いんだか。

「店長、もう十一時過ぎましたけど来ませんね。助っ人の子」

「え?ああ、そうだね。ていうかこの芸人面白くない?」

「私には全然面白さがわからないんですけど……」

店長はチラッと時計を見たが、助っ人の人が時間に遅れていることはあまり気にしていないらしい。テレビの中の芸人は相変わらず「ほっぴーんぐ」と言っていた。

その時、店の引き戸がガラガラと開いた。恐る恐る開けたわけでもなく、思い切って開けたわけでもない、いたって普通の開け方だ。こんな怪しげな店の扉を当たり前のように開けるとは、どうやら助っ人さんがようやく来たようだ。予定より二十分遅れである。

「おはようございまーす。応援に来ました田村でーす」

「いらっしゃい。雅美ちゃんお茶出してあげて」

私は「はい」と返事をして立ち上がった。こちらに近づいてくる女の子を見てみる。髪は黒いボブヘアーでセンター分け。背は花音ちゃんと同じくらいだろうか。声はそんなに高くない。

田村と名乗った助っ人が向かいのソファに座ったのを見届け、私は台所へ向かった。

台所でお茶を淹れていると、店長と田村さんの声がかすかに聞こえてくる。なにやら盛り上がっているようだ。いったい何の話をしているんだろう。

お盆にお茶を乗せて店に戻ると、店長と田村さんはテレビの芸人を見て笑っていた。芸人は相変わらず「ほっぴーんぐ」と言っているだけだった。

「やっぱり面白いですよね、飛び飛びマン!若手の中じゃ一番面白いですよ!」

「絶対これからゴールデンにも進出してくるよね」

二人揃って「ほっぴーんぐ」が持ちネタの飛び飛びマンをベタ褒めだった。

「あ、雅美ちゃん。やっぱりほっぴんぐ面白いって」

「そうですか……よかったですね」

まさか私の感覚がおかしいのか?今度学校の友達にも聞いてみよう……飛び飛びマン。

「飛び飛びマンって最初に出た番組、確か超お笑いパレードでしたよね?」

「超お笑いパレード見てるの?飛び飛びマンを初めて見たときは衝撃的だったよねぇ」

「これはすごい新人がキタ!って思いましたね」

「最近はお笑いブームはもう終わったとか言われてるからね」

私を無視してさらに話し込む二人。田村さんに一言挨拶しておきたかったが、どうやらもう少し後になりそうだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る