誰かがやらなければいけないのなら
穴戸市には穴戸病院という少し大きめの病院があった。唯我さんは通行人に助けられ、この病院に搬送された。今は治療室で手術を受けている。
唯我さんが襲われたのは、駅から近い人通りの多い道だった。目撃者の話によると、冴さんと思われる人物がすれ違い樣に唯我さんの脇腹を刺したのだそうだ。通行人達が我に返ったころには冴さんはすでに走り去った後だったらしい。
私達が病院に着くと、治療室の前の長椅子にはもう独尊君が座っていた。唯我さんを探して駅の近くをうろついていた所、青龍店の店長さんから連絡をもらったらしい。独尊君は可哀相なくらい憔悴しきっていた。
私は黙って独尊君の隣に座った。かける言葉が見付からなかった。おそらく、自分を責めているだろう。店長は私の隣で壁に背を預けていた。私達が来ても、独尊君は何も言わなかった。
店長は青龍店から連絡を受けてここに来ることになったらしい。恐らく先に独尊君が着いているだろうが、一人で放っておいたらどうなるかわからないので、青龍店の人が来るまで彼を見ておく為だそうだ。まぁこんなことを直接独尊には言わないが。
私は顔をあげて廊下の曲がり角に視線を移した。青龍店の人が来るということは、店長の勇人さんが来るのだろうか。私は勇人さんと直接話したことは無いが、前に独尊君が「店長は怖い」と言っていたような気がする。私の店長会議での勇人さんに対する印象も良くないが、直接話してみるとまた変わるかもしれない。
程なくして、治療室のランプが消えた。ドアが開いてベットに横たわった唯我さんが出てくる。どうやらまだ意識がないようだ。手術のために薬で眠らされているのだろうか。聞いたところによると、刺された時は意識はハッキリしていたらしい。
「姉ちゃん!」
独尊君が立ち上がってベットに縋り付く。それを医師が優しく引きはがした。
「絶対安静ですから」
しかしその言葉は独尊君の耳には入っておらず、独尊君は「姉ちゃん!姉ちゃん!」と叫びながら唯我さんに近づこうとする。
あまりにも大きな声で騒ぐので、独尊君は医師に押さえ付けられてしまった。唯我さんはそのまま病室に運ばれてゆく。独尊君は今度はうずくまって、「姉ちゃんごめん、俺のせいで……」と呟き続けた。
その時、廊下の奥から数人の足音が聞こえた。顔を上げると、勇人さんとその後ろに二人の部下がこちらへ歩いて来るところだった。
「兵藤は?」
勇人さんは、私でもなく、店長でもなく、うずくまって顔を上げない独尊君に聞いた。独尊君の肩がビクリと跳ねる。
「……唯我さんなら今病室に運ばれましたよ」
独尊君が答えられそうにないので、代わりに私が答えた。思ったより低い声が出て自分でもビックリする。そして、めでたく勇人さんは私の中で「カンジ悪い人ベストワン」に認定された。
勇人さんは特に表情を変えることなく、私の答えを聞くと「そうか」と言って踵を返した。唯我さんの病室に向かうのだろう。二人の取り巻きも勇人さんについてゆく。
「独尊君、いいの?先に唯我さんのとこ行かれちゃうよ?」
私は、唯我さんが目を覚ましたときに目の前にいるのが独尊君ではなく、あのカンジの悪い勇人さんだと思うと、なんだか悔しく思った。うずくまる独尊君に声をかける。
「独尊君が行かないなら私達先行くよ?いい?」
さっきよりも少し強めに言う。独尊君には大きなショックだというのはわかっているけれど、私はどうしても独尊君に立ち上がってほしかった。それに、勇人さんが眠っている唯我さんを無理矢理揺り起こしそうで、早く唯我さんの側へ行ってほしかったのだ。
「独尊君、起きて。早くしないと唯我さんが」
その時、独尊君が何か呟いた。独尊君は未だうずくまったままなので、何て言っているのか全く聞き取れない。
「え?」
「……すぐ追い付くから先に行ってろ」
耳を近づけて問い返すと、確かに独尊君はそう言った。
私は立ち上がって店長に「先に行きましょう」と言った。たぶん、情けない顔を見られたくないから人払いしたいのだろう。私と店長は独尊君を残して唯我さんの病室に向かった。
唯我さんの病室には、すでに勇人さん達が到着していた。唯我さんはすでに目覚め、横になったまま勇人さんと話していた。
「あ、あなたは……」
私の顔を見て少し驚いた顔をする唯我さん。唯我さんは、私が何でも屋の関係者だと知らなかったのだ。
「唯我さん、身体は大丈夫?言ってなかったけど、私朱雀店で働いてるんだ」
勇人さんを押しのけるようにして前へ出る。勇人さんは露骨に嫌そうな顔をした。
唯我さんの傷はかなり深いようだ。今は麻酔で痛みは無いが、麻酔が切れたら苦しいだろうと思う。
私は背後で見下ろしている勇人さんを少し睨みつけた。こんな状
態の唯我さんを無理矢理たたき起こして話をさせるなんて、人間性を疑うどころじゃない。私、本気で勇人さんが嫌いかもしれない。
そこへ、独尊君がやって来た。目はまだ赤いが、もう涙はない。唯我さんはその姿を見て、「どー君……」と呟いた。そしてふにゃりと笑う。
「ごめんね、どー君。私がはぐれたから……」
独尊君はまた少し目を潤ませたが、なんとか涙を堪えた。ベットの側までやって来て、唯我さんの手を優しく握る。
「姉ちゃんごめんな、俺がしっかりしてれば……」
しょぼくれる独尊君に唯我さんは「ふふ」と微笑んだ。
「どー君がしっかりしてないのなんて昔からだよ……」
独尊君はその言葉にぶつぶつと小さな声で反論したが、唯我さんは優しく微笑んでいるだけだった。
と、ここで、今まで黙って二人を見ていた勇人さんが口を開いた。腕を組み、イライラと貧乏ゆすりをしていた勇人さんは、冷たい目で二人を見下ろしている。
「いつまで待たせるつもりだ。さっさと続きを話せ。あいにく使えない部下達のおかげで忙しいんでね」
入口の側の壁に背を預けていた店長が「自分こそ使えないくせによく言うよ」と呟いたが、勇人さんがそれに食ってかかる前に独尊君に飛び付かれたので、そっちを相手することとなった。
「お前ッ、姉ちゃんはこんな目に合ってんのに、仕事もクソもねぇだろ!お前には思いやりってもんがねぇのか!仕事仕事って、仕事がそんなに大事かよ!」
独尊君が怒鳴ってくれたので、私はだいぶスッキリした。独尊君が黙っていたら、もしかしたら私がキレていたかもしれない。
「貴様はバイトの分際でそんな事を言うのか?クビにするぞ」
「したきゃ勝手にしろよ!お前の自己チューにはもううんざりなんだよ!」
「俺は店を第一に考えているだけだ。貴様程度のバイトなら掃いて捨てるほどいる。店に利さない役立たずなどいらん」
「そんなこと言ってるから皆長続きしねぇんだよ!俺らも辞めるからな!」
私は勇人さんと独尊君の間でオロオロしていた。まさか辞める辞めないなんて話になるなんて。さすがにこの辺で止めた方がいいだろうと一歩踏み出した時、唯我さんが独尊君の上着の裾を引っ張った。
「どー君、怒っちゃダメだよ」
唯我さんは困ったように笑いながら独尊君を見上げている。独尊君は何も言えずに唯我さんを見つめていた。なぜなら独尊君は、ほかの誰でもない唯我さんの為に怒っていたのだから。
「店長、どー君を許してあげてください」
独尊君が何も言えないうちに、次は勇人さんに視線を向ける唯我さん。いったいどこまでいい人なんだ。勇人さんは「それは兵藤次第だ……」と口をモゴモゴさせた。
独尊君の怒りがおさまりーーというか、毒気を抜かれただけだがーー、ようやく勇人さんに襲われた時の説明をしてもらう事にした。途中までは私達が病室に来る前までしていたようだが、唯我さんの話をまとめると、独尊君を探して歩き回っていたら突然前から歩いてきた冴さんに脇腹を刺されたらしい。冴さんはそのまま例の駿足で逃げ、唯我さんは通行人の通報で病院に運ばれたという。
説明を聞くと、勇人さんは部下を引き連れてさっさと病室を出て行ってしまった。本当に最低な人だ。気遣いの言葉の一つもかけられないのか。でもまぁ、独尊君は冴さんの愚痴を言うのに忙しいみたいなので、第二ラウンドが始まらなくてよかったと思う。
勇人さんが去って平和になった病室。唯我さんも独尊君も、勇人さんが苦手なのかどこかホッとした顔をしている。私もここで和みたいところだが、しかし勇人さんを追いかけて廊下に出た。さすがにあの態度は私の気に障ったので、一言物申してやろうと思ったのだ。
廊下を駆け足で進むと、一つ角を曲がったところですぐに勇人さんの背中を見つけた。
「勇人さん!」
名前を呼ぶと、勇人さんは面倒臭そうに振り返った。そこで私は言うことを何も考えずに呼んでしまったことに気づいた。さて、何を言おう。
「何だ?用が無いなら行くぞ」
あくまで面倒臭そうな態度を貫く勇人さん。どうせ忙しくも何ともないくせに。そう思ったら、それがそのまま言葉になって口から飛び出していた。
「たいした仕事もないくせに無理して忙しがらなくてもいいですよ」
私が口から出た言葉の意味に気づいて勇人さんの顔を見ると、勇人さんは口をポカンと開けて固まっていた。おそらく私にこんなことを言われるとは思ってもみなかったのだろう。つまり勇人さんは私を見くびっていたのだ。ムカつくことに!
「仕事仕事って、それでカッコつけてるつもりですか。ダッサいですね。仕事なんて出来なくたって人を思いやる事ができる人の方があなたなんかより百倍も千倍もカッコイイですよ」
いったん喋りだしたら止まらなく、言葉が水のように溢れて流れてゆく。勇人さんの顔は怒りでどんどん赤くなっていった。
「貴様~……っ。会議で初めて顔を合わせた時から思っていたが、私を誰だと思っているんだ!口答えするな!」
「口答え?そんなのこの前も今もしてませんけど!私は当たり前の事を言っているだけです!」
一月の店長会議の時、私は一言も言葉を発しなかった。口答えもあったものじゃない。この人の記憶は自分の都合のいいように勝手に作り替えられるのか!?
「何が当たり前の事だ。仕事が出来ないヤツはクズだ。社会のゴミだ!」
「思いやりが持てない出来損ないの人間こそ社会のクズです!」
「だったら貴様は思いやりだけで食って行けるのか?思いやりで社会の役に立てるのか!?」
「思いやりだけで仕事をしろとは言ってませんっ!仕事を覚える前にまず思いやりを持ったらどうかって言ってるんです!そんな事も分からないんですか?馬鹿なんですか!?」
「馬鹿ではない!断じて馬鹿などではない!貴様もやはり蓮太郎の犬だな!どうせ根も葉も無い私の悪口を吹き込まれているのだろう」
「そんな事ありませーん。あなたじゃあるまいし、店長がそんなセコい事するわけないじゃないですか!私はこの目で確かめて、あなたを馬鹿だと判断したんです!」
今の勇人さんの言葉を聞いて思った。この人絶対部下に朱雀店の悪口言ってる!自分がやってるからそんな疑念が湧くんじゃん!
「私のどこをどう見たら馬鹿だと思えるんだ!貴様の方がよっぽど頭の悪そうな顔をしているじゃないか!」
「人を見た目で判断するのってサイテー!それに自分のこと頭いいと思ってるんですか?気持ちわる。ナルシストですか」
「貴様だって私の事をよく知りもしないくせに馬鹿だと決め付けているじゃないか!」
「よく知らなくたってあなたが馬鹿な事くらいわかります。それにあなたの事なんてこれ以上知りたくないですし。アリの種類とか覚えた方がまだ有意義ですよ!」
ああ言えばこう返してくるし、こう言われればああ返したくなる。オロオロと顔を見合わせる勇人さんの部下の存在も忘れるくらい、私は全力で喧嘩を売っていた。
「あなたみたいな人が店長してるなんて、ホンット信じらんないです!そんなんでよく店長なんて務まりますね!」
どうしてこんな思いやりのカケラも持たない人が今までやってこれたんだろう。不思議でしかたないよ!
「私は真面目に働いている!その言葉、そっくりそのまま貴様の店長に言ってやったらどうだ」
「そういう意味じゃありませんっ。まだ分からないんですか!?本気で馬鹿なんですね!」
サボりとか、だらけてるとか、そういう意味じゃないだろう。私は他人の気持ちが分からない人は、人の上に立つ資格どころか隣に立つ資格だって無いってことが言いたいんだ!
「私が言いたいのは……っ」
「雅美ちゃん?」
それを言ってやろうとしたら、廊下の角からひょっこり顔を出した店長の声と被ってしまった。おそらく私がいない事に気がついて探しに来たのだろう。店長は勇人さんを見てあからさまに嫌な顔をしながらこちらに近づいてきた。
「何してるの。馬鹿と話すと馬鹿が伝染るよ」
店長の「馬鹿」という言葉にいちいち反応する勇人さん。人差し指をビシッと突き出した。この人相変わらず指さすの好きだなぁ……。
「また言ったな貴様!あれほど言うなと言っただろう!馬鹿は貴様だ!」
「はいはい、ていうか忙しいなら早く帰れば?」
「きっ、貴様のところのそいつが引き留めたんだろう!」
「そうやってまた人のせいにするー」
理不尽すぎる店長の言葉に真っ赤になって反論する勇人さん。後ろのパーマ頭の部下の人も勇人さんをなだめればいいのに、「そうだそうだ」とか「ごもっともです」と逆にはやしたてる始末。一緒になってどうするんだ。もう一人のオデコを出している部下の人は無言無表情で成り行きを見守っているし。あなたたちは勇人さんの子守り係じゃないのか。
ワーワー騒ぐ勇人さん達だったが、そこに騒ぎに気づいた看護師さんが来てしまった。私と店長は黙っていたため、どうやら悪いのは勇人さん達だけだと思ってくれたようだ。
「ちょっと、あなたたち!ここは病院よ?静かにしなさい!」
看護師さんはまだ二十代だと思うが、かなり強気で叱りつけた。勇人さんは看護師さんに「悪いのはあいつらだ」とかなんとか言い訳を始めた。看護師さんは腰に手をあてて注意を続けている。
と、小さく腕を引かれた。どうやらこのままトンズラするつもりのようだ。店長に腕を引かれるまま唯我さんの病室に向かった。廊下の角で振り向くと、まだお説教を受けている勇人さんとパーマ頭の女性の隣で、こちらをじっと見ているデコ出しヘアーのお姉さんと目が合った。何となくパッと目を反らす。廊下の角を曲がると、もう視線は感じなかった。
「雅美ちゃん、何であんなこと言ったの」
唯我さんの病室のドアを開けながら店長が言った。いきなりだったので、「だって……」という言い訳臭い言葉しか出なかった。続けて「むかつくからに決まってるじゃないですか」と言おうとしたが、店長はもう部屋の中に入ってしまっていて、私は仕方なくその言葉を飲み込んだ。
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