負けたわけじゃない3




南鳥駅へ向かう電車の中で、私は一人愚痴を呟いていた。今日は一日休みをもらう予定だったが、花音ちゃんと話して気が変わった。これからバイトをしに朱雀店へ行こうと思ったのだ。

電車に揺られながらぼーっとしていると、色々なことが頭に浮かぶ。そして思ったのだ。何もあんな言い方しなくても良かったんじゃないかと!

そうだ。店長があんな言い方するから悪いんだ。もっと普通に、冴さんは自分の知り合いだけど人には話したくないんだ、って言えばこんなに疑わなかったのに。なにもあんな怪しげな言い方しなくても。そうだ、全部店長が悪い!

座席で一人ぷりぷりしながら座っていた私は、後ろから近づいてきた人影に気づかなかった。

「おい」

そう言われて顔を上げると、相変わらず意味もなく不機嫌そうな顔がこちらを見ていた。

「独尊君!どうしたの?こんなところで」

私を見下ろしている兵藤独尊君は、お姉さんの唯我さんと青龍店に勤めている超シスコンの男の子だ。ちなみに唯我さんには「どー君」と呼ばれている。

「ちょっと仕事で……」

私の隣は空いているのだが、そこに座ろうとしないのは独尊君らしいというか。私の隣に立ったまま話している。それでもここで私に話しかけてきただけ進歩しているか。

そこで、私はあることに気がついた。

「あれ?そういえば唯我さんは?」

さっきも言ったが、独尊君は重度のシスコンだ。お姉さんにベた惚れだ。いつも一緒にいて、唯我さんの行くとこ行くとこ着いて回っている。なのに、今日は一人だ。この間の尾行の時みたいに、また一人での仕事なのだろうか。

「その事なんだけど……。姉ちゃんがいねぇんだ」

「は?」

「見失ったかもしんねぇ」

「君ほんと見失うの得意だね」

独尊君の話をまとめると、駅へ向かう途中時刻を確認すると、もう少しで乗るつもりの電車が発車するので、慌てて走ったそうだ。交通系ICカードで改札を抜け、電車に飛び込み一息つく。顔を上げると、すでに唯我さんはいなかったと。

「駅で置いてきたのかな?」

「置いてきたとか言うな。でも姉ちゃんはドジな所があるから……。そこが可愛いんだけど」

「ちゃんと見てないと」

「見てるよ。ほんとは手とか繋ぎたかったけど人目を気にして我慢したんだ」

「唯我さんだったら何も考えずに繋いでくれそうだけどね」

天然だから、と心の中で付け足す。口に出したら、「姉ちゃんを天然って言っていいのは俺だけだから」とか言われそうだし。ちなみに「天然」は「可愛い」とか「ドジ」とかと交換可能。

「ていうかスマホは?唯我さんに電話すれば済む話じゃないの?」

「姉ちゃん今日家にスマホ忘れたんだよ。充電してたらそのまま。俺が持ってるから大丈夫だろうって事になったんだけど」

なるほど。確かに仕事上じゃ大丈夫だけど、結局大丈夫にならなかったって事だ。兄弟だからってなんでもかんでも一つと考えるもんじゃないね。

「どこから乗ったの?」

「さっきの駅」

「じゃあ次の駅でいったん降りてもう一回戻るしかないね」

「すれ違いにならなければいいんだけど」

そうこうしているうちに、次の赤穂駅に着いた。この次の駅が朱雀店のある南鳥駅だ。

「んじゃ、俺行くな。もし姉ちゃん見かけたら連絡してくれ」

「うん、わかった」

そう答えてから、独尊君の連絡先知らないや、と気づいたが、独尊君はもうドアに向かって歩いて行ってしまった後だった。私はまぁいいかと思い、再び前を向いた。時刻はちょうど二時半になったところだった。

電車が南鳥駅について、私は改札を出た。それにしても、今回の電車代はけっこう痛かったな。でも私用で会社から配られた交通系ICカードを使うのはちょっと気が引けるし。まぁ、お給料はいっぱいもらってるからお金のことはそんなに気にしてないんだけどね。

朱雀店への道のりを歩いている途中、またもや知人に出くわした。羽織りと着流しに赤い髪、百メートル先からでもわかる自信がある。あれは神原閻魔(かんばらえんま)さんだ。

前方から歩いて来た神原さんは、私に気が付くと挨拶の代わりに右手を上げた。私は正直、あんまり会いたくない人だったので、会釈と共に浮かべた微笑みが苦笑になってしまったかもしれない。

「雅美ちゃんやん。今日は仕事休みとちゃうの?」

「そのつもりだったんですけど……」

どうやら神原さんは立ち話をするつもりのようだ。私は早く店に行きたいのに。この道を歩いて来たということは、神原さんは朱雀店に行っていたのだろうか。今は店長しかいないからなぁ。一体どんな空気だったんだろう。

「休みの日やのに店行くん?雅美ちゃんは真面目やなぁ。ボクやったら家でごろごろしてテレビ見てるわ」

「うちは基本的に休みありませんしね。店員少ないですから」

誰かに聞いたことはないが、ほかの店ではシフトというものが出ているのだろうか。とにかく、瀬川君が引きこもっている朱雀店では、私が店番をしなければ他にする人がいないのだ。店長はフラフラしていてあてにならないし。

「まぁ店も狭いしな」

「店が狭くてボロいのは気にしてるんですから言わないでくださいよ」

「趣があってええやん」

「みんなそう思ってくれればいいんですけどね」

いい加減店に行きたかったので、私はこの辺で神原さんとさよならしようと口を開いた。しかし、言葉を発したのは神原さんの方が早かった。

「雅美ちゃん、玄武店に行ってきたんやろ?」

私はその言葉にびっくりする。私の驚き顔に神原さんがちょっと笑った。

「何で知ってるんですか?」

「玄武店に知り合い居んねん。そいつから珍しいお客はんが来はったって聞いたんや」

誰だよ……。そんな余計なことしたの。神原さんばっかり私の行動を知っているのも癪なので、逆に神原さんのことを尋ねてみることにした。

「神原さんはこんなところで何してるんですか?朱雀店に行ってたんですか?」

「せやよ。まさか雅美ちゃん休みやとは思わへんたわ。店長はんは相変わらず暇そうにしてはるし。まぁ今日は毒吐かれへんただけマシやわ」

「店長機嫌よかったですか?」

「普通ちゃう?悪ぅないとは思うけど」

そう答えてから、神原さんはニヤリと笑った。今にも「はは~ん」とか言いそうだ。

「さては雅美ちゃん、店長はんと喧嘩しはったんやな?でも心配あらへんで。そんなん気にするような人ちゃうし、今日の機嫌も悪なかったし」

「別に喧嘩したとかじゃないんですけど……」

ただ私が勝手に顔合わせにくいなと思っているだけだ。いつも通りの顔でいつも通りに店に入ればいいんだろうけど……。

「喧嘩やないとなると……なんや?仕事で何か言われたん?まぁあの店長はんに仕事のこと注意されたら終わりやけどな。あとは……毎度の秘密主義か……ん?」

しまった、「毎度の秘密主義」という部分に反応したのがばれた。神原さんは「当たりなん?」と言ってクックと笑った。

「ばれたついでに一応聞いときますが、店長の隠し事、神原さんは知ってますか?」

「あの人隠し事なんてぎょうさんしてはるやん。どの隠し事かわからんわ」

私はここでもう一度白虎店で盗み聞いた話をした。それでも神原さんはわからないようだから、陸男さんとのやりとりも話してみる。すると何か思い出したようで、「ああ」と言って顔を上げた。

「思い出しましたか!?」

「思い出したは思い出したけど、これ店長はんと誰にも話さへん約束してはるんや。堪忍な」

「神原さんが約束守るような人とは思えないんですけど」

「相変わらず雅美ちゃんはボクには厳しいんやね。仕方あらへん、そこまで言わはるんなら喋るしかあらへんな。誰にも言うたらあかんで?」

結局言うのかよ。と内心呆れる。しかし、言ってくれるのなら喜んで聞こうじゃないか。確かに店長の隠し事は無理に追究しないと決めたけど、気になってはいるのだ。

「店長はんの隠し事はなぁ……、ちゅうか、雅美ちゃんもあんな信用ならへん人の下でよう働いとんなぁ。朱雀店辞めて黄龍に来ぅへん?」

「行きません。言うならさっさと言ってくださいよ」

「さっきのやっぱナシにしてええ?雅美ちゃん冷たいんやもん」

「関係ないじゃないですか!ここまで期待させたんだから言ってくださいよ!」

「それに店長はん怖いし」

それには何も言えない。きっと私にばれしたと知れたら、それはそれは恐ろしいお仕置きが待っているだろう。

「言うつもり無いなら初めから言わないでくださいよ」

「雅美ちゃんが落胆しはるのが見たかってん」

「……死ねばいいのに」

「何か言うた?」

「いいえ、何も」

「いや、今言うたよな?死ねばええのにて言うたよな?」

ちっ、聞こえてたか。まぁ聞こえてても神原さんだから全然気にしないけど。

「それにな、信じてもらえへんかもしれへんけど、ボクは店長はんのことほんまに好きやねんで。せやからあの人のこと裏切れへんわ」

「へぇ」

「あ、その目、さては信じてへんな?」

今度こそ別れようと口を開いたが、再び神原さんに邪魔されてしまった。先程と同じく、一瞬早く神原さんが先に声を出す。

「そやけど黄龍においで言うたんは本気やで。あないに隠し事ばっかしされて雅美ちゃん可哀相やもん。信用でけへん人のとこに無理に居んと、うちに来ぃ」

「信用はしてますよ」

「せやかてわざわざ陸男君のとこまで聞きに行かはったんやろ?店長はんの隠し事」

「それはそうですけど……。でも、もういいんです。そのことは」

「ええ言うてる割にはさっきボクに聞いたやん。そないの気にしとったら信用して仕事なんてでけへんよ」

「いいって言ってるじゃないですか、しつこいなぁ。それはもう私の中で解決したんですっ」

あまりのしつこさについつい本音が出た。本気でそろそろ店に行きたい。次こそは無理矢理にでも「さよなら」言って、さっさと神原さんと別れよう。

「何や、ちょっと遅かったみたいやね」

「じゃあ私もう行くんで。それじゃ」

神原さんの返事を待たずにとっとと歩き出した。意外にも神原さんは私を止めはせずに、むしろ「気ぃつけて」と返してきた。なんだ、じゃあ初めから強行突破すればよかったのか。

ようやく神原さんから解放されて、足取り軽く店へ向かう私。しかし、その軽やかな気分も店の引き戸の前まで来ると一瞬にして消え失せた。変わりに緊張が押し寄せてくる。

私、どんな顔して店に入ればいいんだろう。勝手に疑って、勝手に休み取って、勝手に秘密暴こうとして。あげくの果てに勝手に店に戻ってくる。昨日だってあんな別れ方だったし、あの時「あなたを疑っています」ってモロ顔に書いてあったじゃん、私。

神原さんの言う通り、確かに店長からしたら些細なことなのかもしれないけど。でも私が挙動不審なんだよ。どんなテンションで表情で入っていけばいいんだよ。

当然瀬川君はいないし……てことは店長と二人きりだし……それってすごく気まずいし……。やっぱりこのまま帰ろうかな……。いや、でも今帰ったら明日もっと顔合わせにくくなっちゃう!嫌なことは先に済ましておいた方がいいはず!

私は意を決して引き戸の取っ手に手をかけた。深呼吸を一つする。さぁ、開けるぞ!この時だいぶ意気込んでいたのだが、引き戸は私が手に力を込める前に勝手に開いた。もちろん内側から。

「へっ!?」

「あれ?雅美ちゃん。何してんの?」

内側から引き戸を開けた店長が、間抜け面をさらす私を見下ろしていた。

「あああああのあのあの、やっぱり今日仕事来ようと思いましてあのっ」

「ちょうどよかった。実はさっき唯我ちゃんが刺されたみたいなんだけど、ここから近いみたいだからさ。僕が行くことになって」

さっさと外に出た店長は、未だ引き戸の前に突っ立っている私の頭にヘルメットを被せながら言った。

「雅美ちゃん独尊君と仲いいでしょ?僕ちょっと嫌われてるみたいだから一緒に行こう」

「え?へ?え?」

すでにバイクのエンジンをかけている店長は、状況が掴めていない私に、バイクの後ろをポンポンと叩いて「乗れ」と合図した。何も考えずにそれに従う。

「ちょっと急ぐけど、振り落とされないようにね」

「はぃふぎゃっ」

初っ端からアクセル全開で、私の返事は豚の鳴き声のような悲鳴に変わった。恥ずかしい。

それにしても、唯我さんが刺されたとはどういう事だろう。独尊君とはぐれたあの間に、冴さんに狙われたのだろうか。今はどうしているのだろう。傷はどれくらいだろうか。病院にはもう着いているのか?独尊君は?

いろいろ聞きたい事があったが、今店長に話しかけて事故ったら怖いので黙っていた。警察に見つかれば確実に追いかけっこになるスピードだ。角を曲がる時なんて毎回死ぬかと思うーー実際私は悲鳴を上げているーー。

唯我さんの事を考えながら、もう一つ考える。あれほど悩んだのに、店長の反応は普通だった。さすがに引き戸を開けたら私がいたことには驚いたようだが。

あんなにくよくよ悩んだのに、なんだか私が馬鹿みたいだ。そりゃあ露骨に避けられるとかよりは百倍も千倍もマシだけど。

でも、店長がいつも通りに接してくれてよかったと思う。これでまた明日から普通に朱雀店に来れる。まぁ、説明もそこそこに行動させるいつも通りはちょっとは改善してほしい所だが。

あんまりぼーっとしていると振り落とされるので、思考するのを止めて店長の背中にしがみつく事に集中する。おそらく独尊君が唯我さんとはぐれたと言っていた穴戸駅がある穴戸市へ向かっているのだろう。

何度体験しても慣れる事のないだろう猛スピードで走る黒いバイクが、何台もの自動車を抜き去りながら影のように道路を駆け抜けた。



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