負けたわけじゃない2




陸男さんと向かい合うようにして座って、お姉さんに出されたお茶を一口飲む。応接室のテーブルもウッド調で、玄武店は何から何までかわいかった。

ちなみに、応接室や会議室に「ラベンダー」なんて名前がついているのは、先代の玄武店長さんが植物━━特にハーブが好きなためらしい。他の部屋にもミントやアニスなどの名前がつけられているという。が、陸男さん自身は植物に興味がないし、呼びにくいし把握しにくいので、近々変更予定とのこと。なにかいい感じの名前を店のスタッフ達に募っている所らしい。

さて、本題。

私がここに来たのは他でもなく店長の隠し事を探るためだ。あんな信用ならない人の下で働けますかってんだ。教えてくれないのなら自分で調べるまで。おかげさまで、雅美は逞しい子に育ちました。

人はキレたら行動的になれる。何かリミッターが外れるのだろうか。スーパーのご意見板にクレームを書き殴る人だってその場の勢いでしょ。とにかく私は、冴さんの存在を忘れるほどの勢いで今日ここに押しかけた。

陸男さんに一昨日の店長とお兄さんの会話を説明する。わざわざ私達から離れてこそこそしていました、とも。すると陸男さんは少し悩んだ。腕を組んで「う゛~~ん」と唸る。

「何か心当たりありませんか。陸男さんが教えてくれないと、私神原さんのとこに行かなきゃならなくなるんで」

「と言われてもなぁ……。最近の話か昔の話かも分かんないんだろ?」

そういってまた唸る陸男さん。そうなのだ。店長達の会話からじゃ、

陸男さんにいつ漏らした愚痴なのかわからないのだ。これは盲点だった。

「あーでも兄貴が知ってるのが意外って言ってたんだよな。仕事のことなら兄貴だって知ってるだろうから、プライベートなことなのか?」

陸男さんは更に考え込む。私は身を乗り出して彼が答えに辿り着くのを待っていた。

「いや、でも私生活のことを兄貴に知られるとは思えねぇな。蓮太郎だもんなぁ。ん、いや、待てよ?ああそうか」

そして陸男さんは何か閃くと、一人で頷いた。私はすかさず詰め寄る。

「お、思い出したんですか!?」

「思い出した……けど……これは言っていい事なのか……」

今度は言うか言わないかで悩みはじめる陸男さん。もー!じれったいなぁ!答えが目の前にぶら下がっているのに!

「言ってください!せっかく思い出したんですから!」

「んー、いや、でもなぁ……」

「絶対誰にも言いませんからっ!私の心の中だけに留めておきますからっ!」

「ん゛~~……いや、でもやっぱ一応蓮太郎に許可を……」

「それじゃダメなんです!」

陸男さんがダルダルなジーンズのポケットから取り出したスマホを目にも留まらぬ早さで掻っ攫う私。陸男さんは本日三度目のびっくりだ。目を丸くしている。

「店長に言ったら絶対口止めされるに決まってるじゃないですかっ!」

「そりゃそうだろうけど」

「それじゃあ何のためにここまで来たのかわかりませんよ!」

「でもなぁ……。これ、今回の事件に関係あることだし……それを言わなかったってことは、蓮太郎が言いたくなかったってことだろ」

「そうかもしれませんけど……」

「あいつにも一応プライバシーあるからさ」

それはもちろんわかっている。わかっているけど……。つまらない。隠し事されていることがつまらない。

「……わかりました。今日はこれで帰ります。お忙しい中ありがとうございました」

「送ろうか?危ねぇし」

確かに、冴さんがどこにいるかはわからない。白虎店周辺で襲撃された事が多いから、おそらく白幡市周辺にいるんだろうけど。しかし私は陸男さんの気遣いをお断りした。そのかわり、違うことをお願いする。

「大丈夫です。武器もありますし。でも、花音ちゃんと話をしてもいいですか?」

どうやら陸男さんは店長の秘密を教えてくれそうにない。陸男さんと話しているうちに、私の勢いはだいぶ削がれてしまったが、それでも完全に消えたわけではなかった。

陸男さんが教えてくれないなら最終手段だ。神原さんに聞きに行こうと思う。ただ、その前に花音ちゃんを仲間にできたらな、と思ったのだ。

「それはいいけど……花音は何も知らねぇぞ?」

「いいんです。ちょっと話したい事があるだけなんで」

ここに連れて来ようかと言われたのを、外で待ちますと断る。少し露骨すぎたかとも思ったが、陸男さんは私の目的をわかっている。隠しても無駄だろう。

再度陸男さんにお礼を言い、店先で待つこと数分。Tシャツにミニ丈のスカートを履いて、ふわふわのアイボリーの上着を羽織った花音ちゃんがこちらに近づいてきた。足元は膝丈のかっちりしたブーツで全体のバランスを取っている。

「お久しぶりですわね、雅美さん」

「うん。店長会議以来だっけ」

学校関係者でもなく近所に住んでいるわけでもないこの間柄で、一ヶ月や二ヶ月会わないのなんて普通なのだが、こうして花音ちゃんの顔を見るととても懐かしいように感じた。

「今日はどのようなご用ですの?わざわざ店まで来るという事は……あまり大きな声ではできない話と受け取ってよろしいのでしょうか」

私はこくりと頷く。それから場所を変えようという事になって、私達は鈴蘭総合体育館の敷地内にあるベンチへと移動した。

ベンチに並んで座り、しばらく沈黙が流れる。先に口を開いたのは花音ちゃんだった。

「そういえば、瀬川さんはいらっしゃらないのですわね」

「あ、うん……。ここに来てる事は知ってると思うけど」

昨日あんなメッセージを送ったんだ。瀬川君は何も言わなかったが、私がここに来ているなんてことはバレバレだろう。

「今日は瀬川君にも、店長にも……秘密で来たんだ」

「危ないですわよ。今一人で出歩いちゃ」

「うん……。でもいてもたってもいられなくて」

「わかりますわ」

花音ちゃんの方を見てみた。だけど花音ちゃんは、顔を上げた真っ直ぐその先を、少しもブレない視線でじっと見つめていた。

「隠し事は、するのもされるのも辛いものですわ」

「……何でわかったの?」

店長の事なんて一口も言っていないはずだ。そりゃあ、花音ちゃんだって店長の事だとは言っていないが。でもわかる。花音ちゃんは私の考えている事がわかっている。

なぜと尋ねると、花音ちゃんはようやくこちらを向いて、ふわりと微笑んだ。

「わかりますわ。私だって隠し事をされていますもの。本当は知りたいですわ。でも、聞きませんの。私からは」

「どうして?」

「だって、信じていますもの。あの方は、悪い事なんてしないんですから」

悪い事なんてしないんですから。確かに、そうだった。どれほど怪しい事をしていても、全く何も説明してくれなくても、悪い事なんて一つもしていなかった。こそこそして私達から隠れていても、最後に知らされる答えはいつだって「何だ、そうだったのか」で許してしまえるようなものだった。

花音ちゃんと話すことで、高ぶっていた感情が落ち着いてくるのがわかる。こんな所まで来て、私は一体何をしているんだろうと馬鹿馬鹿しくなってくる。これなら、店のカウンターでファイル整理でもしていた方がまだ有意義な時間の使い方だと感じる。

私は立ち上がって花音ちゃんにお礼を言った。同じように花音ちゃんも立ち上がって、スカートのお尻をパンパンと払った。

「今日はありがとう、花音ちゃん」

「いいえ。わざわざ来ていただいて光栄ですわ」

玄武店と駅へそれぞれ向かう分かれ道までのわずかな道のりを、並んで歩きながら話した。

「ねぇ、今って忙しい?」

別に意味などない質問だった。ただ、たった一回だけ行ったことのある店長会議で、玄武店の売上はぶっちぎりの一位だったから、朱雀店なんかよりはだいぶ忙しいんだろうな、と思っただけだ。

「ええ、忙しすぎて蓮太郎さんのとこにも行けない始末ですわ。私一年程前に副店長補佐に昇格したのですけど、これは便利ですわよ。面倒臭い仕事は全部部下に押し付けることができますの。おかげで前より時間が取れるようになって、二週間に一回は必ず蓮太郎さんのお顔を見に行こうと思っていたのですけれど……ダメですわね。ここ数日の忙しさといったら!」

そう言って花音ちゃんは盛大にため息を吐いた。私はそれを、よく動く口だなとぼーっと眺めていた。

「雅美さんの所はどうですの?」

「うちは相変わらずの暇さかな……」

「でも、雅美さんの所は直接店に乗り込まれてますわよね?事情聴取などで黄龍に呼ばれたりしませんの?」

「そういえば、何もないなぁ……」

だがしかし、確かに店まで乗り込まれたのはうちだけだけれど、それ以前に犯人がわかっているのだ。事情聴取の必要もないんじゃないかと思う。

「まぁ、朱雀店は店員も少ないですものね。今は瀬川さんが入院してらっしゃるのでお二人だけなのでしょう?本当に羨ましいですわ。店員の安全を考えると、黄龍に呼んで無駄な行動をさせたりバラバラにするのは避けたいですものね」

「瀬川君が入院してること知ってるんだ」

「ええ、もちろん知ってますわ。昨日は白虎店の鈴鹿さんも入院されましたわよね。お兄様から聞きましたわ」

「そっか。そういうのって他の店舗の人に伝わってるものなの?」

「そんな細かいことは店長副店長等は把握してますわね。他の従業員は、どの店で何人怪我人が出た、くらいは知ってますけど」

花音ちゃんはそこで一息ついて、こう続けた。

「ほら、先週店長会議がありましたでしょう?蓮太郎さんはいらっしゃいませんでしたけれど。その時点で三人怪我人が出ていたのがわかっていたのですけれど、どうやら上はこの話を大事にしたくないみたいようですの。こちらとしては、早く花木さんを捕まえて身の安全を確保したいところですのに。上の人達はいいですわよね。花木さんの手の届かない所で高みの見物ですもの。たいした説明もしないで、自主防衛に努めてくれ、ですって。ふざけるなですわ」

プリプリと怒る花音ちゃん。私は機会があるなら冴さんを助けようとしている話をするつもりだったが、この話を聞いてやめた。たぶん花音ちゃんを仲間にするのは無理だろう。

それに、花音ちゃんは鳥山さんと仲が良くないから、せっかく一緒にやると言ってくれた鳥山さんの気が変わってしまうかもしれない。

「そういえば、二月の店長会議あったんだね。いつあったの?」

「店長会議は基本的に毎月二十五日ですわ。先月よりは穏やかに進みましたけど、勇人さんがまた余計なことを言うから……。というか、あの人の存在自体が余計ですわ」

「私先月思ったんだけど、店長会議っていつもあんな感じなの?なんか……口喧嘩が多いっていうか」

「先代はそんなことなかったみたいですわ。でも、ここ数年はおそらくあんな感じですわね。きっと若さのせいですわ。まぁ先月はいつにも増して酷かったですけれど」

なるほど、各店店長が孫の代になって、店長達はみんな二十代だ。年長者の勇人さんは、喧嘩を窘めるどころか逆に吹っかけている。この人達も、もう二十年くらいしたら大人しくなるのだろうか。

「では、私はここで」

駅へ向かう道まで戻ったとき、先に足を止めたのは花音ちゃんだった。つられて私も立ち止まる。

「雅美さん、蓮太郎さんをよろしくお願いしますね。本当は私が側にいたいのですけれど、雅美さんならお任せできますわ」

そう言って花音ちゃんは微笑んだ。それは、普段の花音ちゃんからは想像できない大人っぽい笑みだった。思わずドキッとしてしまう。

「う、うん。任せといて」

私は胸をドンと叩いた。決して安請け合いしたわけじゃない。花音ちゃんが本気で店長のことを考えているのが伝わってきたからだし、店長を見守ることが出来るのは私しかいないと思ったからだ。

今日花音ちゃんに会ってよかったと思う。花音ちゃんと話して、店長の隠し事について冷静に考えることができた。

だいたい、店長の秘密主義なんていつもの事だし、人間人に言いたくないことの一つや二つ持っているものだ。そんなしょうもない隠し事のせいで、店長への信頼を失うところだった。

「花音ちゃん、ありがとう」

「いいえ、どういたしましてですわ」



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