負けたわけじゃない




皆さんこんにちは。荒木雅美(あらきみやこ)です。現在時刻は午前十一時三十分。私は今、電車に揺られております。

バイトは、昨日の夜の絶対起きてないだろうな、という時刻に【休みます】と店長にメッセージを送っておいた。まぁ、ものの一分で返事が返ってきましたが。

電車に揺られ、目指すは琵琶湖を挟んで野洲市と正反対の位置にある玄妙市玄妙駅。今私は玄妙市にある玄武店に、店長にも瀬川君にも、他の誰にも何も言わずに一人で向かっている。

そうか……。いや、お前の事は信じているが。そういえば、まさか陸男辺りに言ったりなんかしていないよな?

え?言った言った、当たり前じゃん。むしろあの時にぃぽんが知ってたことの方が驚いたくらいだよ。

一昨日の、お兄さんと店長の会話を思い出したからだ。ちなみに、その直後の会話から神原さんも何か知っているという事がわかっているのだが、神原さんと陸男さんを比べたらそりゃあ陸男さんを選ぶだろう。それに事件が事件だし、正直神原さんにはあまり会いたくない。

一時間ほど電車に揺られ、玄妙駅につく。初めて来た駅なので、勝手がわからない。私は鞄からパソコンで調べた地図をプリントアウトしたものを取り出した。

「……とりあえず北口から出るか」

地図を探すとき、最初は【何でも屋玄武店】で調べたが、何もヒットしなかった。仕方がないので瀬川君に玄武店の近くに何か目印になる建物はないかメッセージで尋ねた。返事はすぐに返ってきて、玄武店は「鈴蘭総合体育館」という建物のすぐ隣にあることを教えてくれた。

地図を見ても道がわからなければ、街の人に鈴蘭総合体育館の場所を聞けば大丈夫と歩き出したが、その心配は無用だった。どうやら鈴蘭総合体育館は私が知らないだけでかなり大きな公共施設らしく、いたる所に地図が載った看板を見つけた。

「これなら迷わず着きそう」

鈴蘭総合体育館は玄妙駅から徒歩十分もかからない。アポも何も取ってないが、私は十二時頃玄武店に着くことを予定していた。

玄妙駅から七、八分歩いた所に、鈴蘭総合体育館と大きな看板がかけられた建物を発見した。周りを見回すと、ある一つの建物の他にはこれといって何もない場所だった。というか、鈴蘭総合体育館のグラウンドやテニスコートが広すぎて何もなく見えるだけなのだが。

私は唯一視界に入る場所にあるその建物に近づいた。建物の周りには植物が多く植えられ、木製の外壁は何というか、癒しというか、アロマとか売っていそうな感じだ。しかし立てられた看板を見るかぎり、ここが何でも屋玄武店で間違いなさそうだ。

店先に置かれた店名が書かれた看板も、黒板にチョークで書かれたようなかわいらしい作りで、うちのボロボロの外見と比べたらとても羨ましくなった。

とにかく、店に入ることにする。

「こ、こんにちは~……」

厚めの木製のドアを開けて中を覗くと、内装も観葉植物や小さな油絵などが飾られたりしていて、とても凝っていた。やば、私ここで働きたい。

「いらっしゃいませー」

茶髪をふわりと巻いた大学生くらいのお姉さんが顔を出した。このお姉さんを一言で説明するなら「森ガール」だろう。淡い色のロングスカートがよく似合っている。

店内もかわいらしいデザインだし、自然とこういう人が集まるのだろうか。それと、白虎店に行ったときも思ったが、あんなに大きくて目立つカウンターがあるのはうちだけなのか?

「ご依頼ですかー。奥の部屋でお伺いしますね」

慣れた様子で応接室に私を案内しようとするお姉さん。しかし、私はそれを遮って言った。私がここに来たのは、依頼のためじゃないのだ。

「あの、私朱雀店の荒木雅美という者なんですが、店長さんは今いらっしゃいますか」

そう言うと、お姉さんは接客用の笑顔を砕けた笑みに変えた。私に「そうだったんだっ」と言って、店の奥を振り返って陸男さんを呼んだ。

「てんちょ━━!お客さんですよー!」

しばらく待っても出て来ないので、お姉さんはレース素材の紐で首にかけられたスマホを手に取った。ちょこちょこと操作して、耳にあてる。ちなみに、お姉さんの首には可愛くデコレーションされた名札もかかっていて、そこには【たまき】と書かれていた。玉木さんというのだろうか。

「あ、店長?今下にお客さんが来てるんだけど。すぐ来てくださーい」

お姉さんがスマホを手放して待つこと数秒。遠くの方で微かにトントントンと、階段を降りる音が聞こえた。音がした方に目を向けると、店内の一番奥にあるドアから陸男さんが出てきた。……右手に菓子パンを持って。

「荒木さんじゃねーか。どうしたんだ?」

びっくりした顔をしながらこちらに近づいてくる。というか、なんで菓子パン持ってるんだろう。そう思った瞬間、その謎は解決した。

「また花音ちゃんがお昼作ったのー?コンビニで何か買ってこればいいのに」

「……コンビニ遠いだろ」

確かに近くにコンビニは無かったなと思う。それにしても、花音ちゃんの作ったお昼ご飯があまりにもアレだったから仕方なく菓子パンを食べているという事か。花音ちゃん……花嫁修行でもしてるのかな。

「とりあえずラベンダーにお茶持ってきてくれ」

「はーい」

お茶を淹れに行くのか、私達から離れてゆくお姉さん。陸男さんは「こっち」と言って私を部屋に案内した。その部屋のドアの上に書かれた【ラベンダー畑】というプレートに、思わず苦笑が漏れる。

「俺蓮太郎から何も聞いてねぇんだけど……仕事か?」

「あ、いえ。今日は個人的に陸男さんに聞きたいことがあって来ました」

そう言うと、陸男さんはまたびっくりした顔をした。

「とりあえず、一つ聞いていいですか?」

「……俺に答えられることなら」

部屋の中は静かだ。私は陸男さんを真っすぐに見つめて言った。

「何でラベンダーなんですか?」




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