裏切られるべき期待3




ソファーに座って待っていた鳥山さんの前に温かい紅茶の入ったカップを置いて、私もソファーに腰掛けた。鳥山さんは腕と脚を組んで背もたれに背を預けていた。

「それで、あんたがあいつに言いたい事って何なのよ」

カップに手を伸ばしながら鳥山さんが言う。私はまだ言おうか言うまいか悩んでいたが、鳥山さんの有無を言わさぬ視線に渋々口を開いた。

「えーと……その……なんていうか……。冴さんを助けられないかな━━と思ってたりなんかして……なんて」

チラッと目だけを動かして鳥山さんの様子を伺う。カップを持ったままの鳥山さんは、驚きと呆れが入り混じった顔で私を見ていた。

「あんた……一体どこまでお人よしなのよ!」

お人よしかな?私。確かに人がいいとはよく言われるけれど、どちらかというと自己主張が少ないだけな気がしている。

鳥山さんは「はぁ~……」と長いため息をついて、私に問い掛けた。

「で?具体的にはどうするわけ?」

「え?」

「だ!か!ら!アイツを助けるのに、あんたはどんな作戦を考えてんのか、って聞いてんのよ!」

えっ?それって……。私の顔に自然と笑みが浮かんだ。

「手伝ってくれるの!?」

すると鳥山さんはプイッとそっぽを向く。そんな態度ももう慣れっこだ。

「べ、別にそんなんじゃないわよ。ただあんたを巻き込んだのは私だし、付き合ってやらないこともない……?ってうわッ!」

私は思わず鳥山さんにダイビングジャンプで突っ込んでいた。鳥山さんは私の肩を掴んでグイッと引きはがす。

「何なのよあんたは!」

「だってだって、絶対反対されると思ってたから!誰にもわかってもらえないと思ってたから!」

私はズビビと鼻水をすすった。眼鏡を取って涙を拭う。

「わかったから、その情けない顔を今すぐやめなさい」

「う゛う゛……ごめん」

鳥山さんが私の頭をぽんぽんと撫でた。突然の優しい行動に、私は少しビックリする。

「別に責めてないわよ。あんたのお人よしは出会った時からだったしね。私だって助けられるなら助けたいわ。あいつは年も近いし、少しくらいは気持ちもわかってるつもり。こんな事止めさせて、きちんと学校行かせて、友達と馬鹿みたいな話して笑えるようにしてやりたい。間違ってるなんてあいつもわかってんのよ。きっと、止めてくれる人がいなかっただけ。だったら、私達で止めてやりましょう。普通の女の子に戻してやりましょう」

鳥山さんの言葉に、止まっていた涙がまた溢れ出してきた。鳥山さんは「仕方ない奴ね」と悪態をつきながらも、私にハンカチを差し出してくれた。

鳥山さんが私の気持ちをわかってくれたこと、冴さんをわかろうとしてくれたこと、全部嬉しかった。冴さんを助けたいなんて自分しか考えていないと思って、心細かった。でも鳥山さんが「私も」と言ってくれて、とても勇気が出た。一人じゃないと思えた。冴さんにもわかってほしかった。世界には自分を認めてくれる人がいること。お姉さんがいなくても生きてゆけること。

「でも、」

私が泣き止むまで待って、鳥山さんが口を開いた。

「あんまり周りには言わない方がいいわね。あのメールが来たって事は、こっちはあいつを敵と見なしたって事だから……」

私は「要注意人物」という文字と、固い表情でカメラを見据える冴さんの写真を思い出した。

「店長には……言わない方がいいかな」

そう呟くと、鳥山さんは口をへの字にした。何て返したらいいか迷っているのだろうか。そんな所に気を使うなんて、鳥山さんらしくないと思った。それから、こんな事を呟いたことに後悔した。

「で、でも、二人で説得すればいい話だもんね。むしろ大人がいたら警戒するかもしれないし!」

「……あれが大人っていうんなら私はとっくに大人だわ」

鳥山さんはそう言って、もうぬるくなってしまった紅茶を一口飲んだ。店長に対する厳しい評価は相変わらずだ。

私がぼーっと鳥山さんを観察していると、彼女はフイと顔を上げた。ビックリしつつも視線をそらす。

「考えたけど、やっぱり店長に言うのは止めた方がいいわ。うちのお人よしマフィアならともかく、あんたのとこのはその……何ていうか、怪しいじゃない」

「怪しい、かぁ」

「何考えてんのか読めないっていうか。何か信用ならない感じがするのよね。それに、うちのと違って勘が良さそうだし」

鳥山さん、黙ってると思ったらそんなこと考えていたのか。

鳥山さんに倣って、私も店長のことを考えてみた。確かに、私にも何を考えているのかわからない人だと思う。だが信用はしている。出会ってから二年経たないくらいだが、店長が私や瀬川君を大事に思ってくれているのは知っている。

店長は隠し事が多いと思う。私が聞いても教えてくれない。だからといって怪しいとはもう思わない。結局店長も人がいいから、外道畜生のような事はしないってわかっているから。

私が一番気にしているのは、「反対されるかも」という事だ。それは店長に限らず、良識のある人間なら誰だって反対するだろう。反抗期の子供ではないが、私はこう思っていた。大人は頼れない。

「そうだ、瀬川君は?」

言ってからしまったと思った。瀬川君は冴さんに大怪我をさせられている。私は「しまった」という顔をしてしまっていたのか、鳥山さんは苦笑を浮かべた。

「まぁ瀬川君はまだ怪我も治ってないしね」

説得は鳥山さんと二人で行うことになった。私は最初、冴さんと戦闘になったときのために、人数は多い方がいいと思っていたが、警戒されて話を聞いてもらえないのなら元も子もない。私達は争いに行くんじゃない、話し合いに行くんだ。

話が一段落してゆっくり紅茶を飲んでいたとき、カウンターの前の引き戸がガラガラと開いた。鳥山さんと同時に振り返る。

「あら、遅かったじゃない」

「ありがとうの一つくらい言えないのかお前は」

鳥山さんの素っ気ない反応に不満を言いながらこちらに近づいてくるのは、白虎店でアルバイトをしている藍本さんだ。藍本さんは私達の座るソファーまで歩いてくる。

「鳥山は怪我してないのな」

「当たり前でしょ。あんな雑魚相手に怪我なんてするわけ……」

言葉が尻すぼみになる鳥山さん。どうやら鈴鹿さんの怪我に責任を感じているらしい。そのまま口を閉じて黙り込んでしまう。

と、藍本さんはなぐさめるようにポンと鳥山さんの頭を撫でた。

「お前のせいじゃねーって。そんな落ち込むな」

しかし優しい言葉の代わりに返ってきたのは、強烈なアッパーだった。藍本さんの顎を物凄い勢いで下から殴り上げた鳥山さんは、仁王立ちで、顎を押さえて床を転げ回る藍本さんを見下ろした。

「馴れ馴れしくすんじゃないわよ、このヘタレ!」

「お前……ッ、人の親切を~……!しかもヘタレてもねーから!」

確かに藍本さんは見た目ヘタレだけど、鳥山さんと花音ちゃんの喧嘩に割って入ったあの姿は紛れも無く勇者だと思う。

そして私には、そんな二人のやり取りなんてどうでもよく、藍本さんが来た時からずっと考えている心配事があった。

「あの~……、ちょっといいですか」

取っ組み合いの喧嘩をしている二人に声をかける。二人はそのままの姿勢で顔をこちらに向けた。

「何よ」

「思ったんですけど、鳥山さん連れて帰ったら、私ここに一人ですよね?」

藍本さんは「確かに」という顔をした。鳥山さんは明らかに面倒臭そうな顔をしている。

「それは困るなぁと思いまして」

「だからまだ帰らないで」という思いを視線にこめて二人を見る。鳥山さんは藍本さんの上から立ち上がって、スカートをはらいながら言った。

「なら三人で病院でも行く?私も鈴鹿さんの怪我気になるし」

なるほど、それは名案だ。私も早く店長の所に行って安全を確保したい。私は鳥山さんの提案に迷わず賛成して、三人で病院に行くことになった。

病院に到着し、受付で鈴鹿さんの病室の場所を聞く。どうやらちょうど手術が終わった所らしい。私達は二階にある鈴鹿さんの病室へ向かった。……というか、

「瀬川君と同じ部屋だね」

「そ、そうね」

受付の人に言われた二一五号室に来てみると、扉の横のプレートに【瀬川陸(昼)】【鈴鹿遊宇火】という名前が書いてあった。どうやら瀬川君はこちらの相部屋に移動したらしい。それにしても、瀬川君の名前の後に付いている(昼)とは何だろう。

トントンと軽くノックをして部屋に入る。すると、店長と白衣を着た医者らしきおじさんが立ち話をしていた。店長が私達に気がつく。

「店長!鈴鹿さん大丈夫ですか?」

そう言って近寄ると、店長は「寝てるよ」と言ってカーテンの引いてあるベッドを指差した。麻酔でも打っているのだろうか。

店長と話していた医者は、一言二言鈴鹿さんに関することを言うと、「安静にお願いします」と言って病室を出て行った。

とりあえず、現状の説明をすると、鈴鹿さんは部屋の奥のカーテンの引かれているベッドで寝ている。この病室にはベッドが二つ置かれており、もう一つのベッドには瀬川君が文庫本片手に座っていた。窓からは柔らかい日差しが差し込むいい部屋である。

「雅美ちゃん達来ると思った」

「当たり前ですよ。あんな所に一人でいれますかっ」

一応病院なので、小さめの声で話す。私が店長と話しているうちに、鳥山さんは私達の脇をすり抜けると、鈴鹿さんの寝ているベッドのカーテンをチラリと開けて中を覗いた。藍本さんはドアの脇に突っ立っている。

「あの怪我じゃ当分仕事は無理そうね」

「僕もにぃぽんに怒られそうで嫌だなぁ……」

誰に言うでもない鳥山さんの呟きに、店長も呟きで答える。何で店長がお兄さんに怒られるんだろう、と一瞬考えたが、少しわかったような気がして、結局私は何も言わなかった。藍本さんが後ろの方で「あの~俺仕事残してるんだけど~……」と小さく意見している。

「ていうか白虎店って被害者多いよね。にぃぽんメンタル弱いからなー、落ち込んだりしたら面倒だなー」

藍本さんの言葉をガン無視して店長が喋り続ける。それに瀬川君が「四人目ですね」と答える。振り返ると、瀬川君は文庫本に視線を落としたままだった。

「私も二回目だし……。あんた兄弟ならちょっと店長を元気づけて来なさいよ」

何故みんな藍本さんのこと無視するのだろうか。藍本さんは半泣きで「早く店に戻りたいような気がします」と訴えている。

「いや、ここで優しくしたら付け上がる。にぃぽんの為にも心を鬼にして放置しよう」

「あんた面倒臭いだけでしょ」

「だって白虎店って遠いし」

結局それが本音か。店長もたまにはお兄さんを大切にしてあげたらいいのに。そんな事を考えながら二人の話を聞いていると、ついに痺れを切らした藍本さんがこちらに歩いてきた。

「ちょっと店長さん!?聞こえてますよね!?」

「うん、聞こえてるけど」

ケロリとした顔でそう言ってのける店長。藍本さんは開いた口がふさがらない。

「だったら何で無視するんスか……」

「気分?」

酷い。ここでようやく帰宅ーー帰店?ーーの許可が下りた藍本さんは、鳥山さんを連れて病室を出て行った。白い病室には、私、店長、瀬川君、眠っている鈴鹿さんが残される。

「ていうか深夜はどこ行ったの?全然帰ってくる気配がないんだけど」

「お昼買いに出て行ったきりですね」

店長の問いに瀬川君が答える。

「お昼って……どこまで昼買いに行ってんだよあの馬鹿は」

スマートフォンで時刻を確認すると、すでに四時半を回った所だった。確かに遅すぎる。どこかで道草を食っているとしか思えない。店長は「深夜に電話してくる」と言って病室を出て行った。

「…………」

「…………」

とりあえず、見舞に来た人用の丸椅子に腰を下ろす。瀬川君が文庫本のページをめくる音がやたらよく響いた。

というか、非戦闘員を三人も残して出て行くなよなー、店長め。今気づいたが、私は今日は朝から何も食べていない。お腹が鳴りそうだ。こんな静寂の中、腹なんか鳴らしたら恥ずかしくて死んでしまいそうだ。……おそらく瀬川君は何のリアクションも取ってくれないだろうし。

息が詰まりそうな無音に堪えながら店長の帰りを待つ。店長に聞きたいこともあるし。先程、鳥山さんはそれには触れなかったが。

三十分ほどして店長が帰ってきた。が、隣にいるのは深夜さんではなく、青みがかった真っすぐな黒髪の、私より年下の女の子だった。

「……店長、あんまり若すぎると犯罪になりますよ」

「違うって」

私の冗談を軽く流しながら、店長は病室に入ってくる。「鈴鹿ちゃん起きた?」と聞かれたので「まだです」と答える。一方女の子は、緊張しているのか扉の前から動こうとしなかった。

「店長、あの子は誰ですか?」

特に説明がなさそうだったので、そう聞いてみる。店長はまだ扉の前に突っ立っている女の子に、こちらへ来るよう促すように振り返った。

「深夜の代わり」

こんな小さな子が深夜さんの代わりなのか……。店長の答えは相変わらずイマイチ答えになっていなかったが、私は特に追究しなかった。目の前の女の子よりも、気になる女の子がいる。

店長は一言二言瀬川君に何か伝えると、クルリと私の方に振り返って言った。

「よし、雅美ちゃん。帰ろう」

「え!?いいんですか?」

そしたらこの部屋には怪我人二人と女の子だけ。そりゃあ深夜さんの代わり、っていうんだから、この女の子は私なんかより全然強いんだと思うけれど、心配だ。

「大丈夫大丈夫。とりあえず今家に誰かいる?」

「え……っと、たぶんお母さんがいると思いますけど」

私は今日の家族のスケジュールを思い出しながら答えた。お母さんは専業主婦なので、買い物や何か特別な用事がない限り家にいるはずだ。店長は「一応確認しといて」と言いながらさっさと病室を出て行った。私も慌ててそれについて行く。

「じゃあ瀬川君、また」

瀬川君は相変わらずの無表情で「気をつけてね」とだけ言った。病院を出て店長の車に乗り込む。お母さんにメッセージを送ると、【いるけど、どうしたの?】という返信がきた。私はそれには何も返さずスマホを閉じる。

「そういえば、深夜さんはどうしたんですか?」

「ああ、深夜は何か仕事なんだって。それで代わりにさっきの子寄越したんだけど深夜の説明がいい加減だから道に迷ってて」

突然仕事か。まだ夜じゃないのになぁ。深夜さんの方でも色々あるのだろう。私が「そうなんですか」と返すのと同時に、店長のスマホが鳴り出した。道路交通法を完全無視して通話に出る。

「何?」

第一声は「もしもし」じゃないんだ、などとくだらない事を考えながら、ぼーっと店長の会話に耳を傾けた。

「ああ、さっき聞いた……いや、本人に。そっちはまだ。……どうしようもないけど誤魔化すしかないでしょ。……何とかしてよ」

「ごまかす」という言葉に、意識を完全に店長の通話に集中させる。

何考えてんのか読めない、っていうか。何か信用ならない感じがするのよね。鳥山さんの声が浮かんできた。店長、その電話まさか冴さん絡みじゃないでしょうね。

「つうか今どこにいんの?……いや、お前じゃなくて。……ああそう。……もうそれでいいよ。どうせうちのから話聞くんだろうし」

うち……朱雀店?朱雀店の何から?何の話を?肝心なところは言わないなぁ……。せめて誰と電話しているのか分かれば……。

電話の相手はおそらくボソボソした声で話しているのだろう。スマホの向こう側はほとんど無音だった。

「まぁ今すでに嫌われてるし、あんま気にならないよ。にぃぽんじゃあるまいし。……はいはい、あんまり余計な事言わないでね。……りょーかい」

通話を終えて、店長はスマホをポケットに片付けた。

会話の途中でお兄さんの名前が出てきたな。電話相手がお兄さんなのか……ただ名前が出ただけなのか。でもこれだけは分かる。電話相手はお兄さんの事を知っている。つまり、仕事関係者である可能性が大きい。

店長が通話を終えて、私達はしばらく無言だった。会話が電話によって途切れてしまい、聞きたかったことがあるのに話を切り出しにくい。車内は、妙な居心地の悪さが充満していた。

その沈黙を破る勇気は私には無く、先に口を開いたのはやはり店長だった。

「そういえば荷物店だね。寄った方がいい?」

「あ、じゃあ……。財布とかもあるので」

ある時唐突に、何の前触れもなく喋りはじめる事ができる人って、うらやましいと思う。私は雰囲気を入念に読み取ってからじゃないと無理なタイプだ。

正直、店長にいつ聞こうかと機会を伺うのに必死で、財布とか荷物とかすっかり忘れていた。

でも、直接家に向かうより店に寄った方がこちらとしても好都合だ。店長といる時間が長いほど、話をするチャンスが多い。今日聞かなかったら、きっとズルズルといつまでも聞けない。

店に着くまで、店長は他愛ない話ばかりした。いつものことなのだが、私はその話に少し苛々しながら相槌を打っていた。

タイミングを見計らっているうちに、ついに店について、店長は自分は車に自転車を乗せておくから荷物を取りに行くよう私に言った。

鍵が開けっ放しの引き戸を開いて、店に入る。電灯がついていない店内は薄暗かったが、私は慣れた足取りで自室へ向かう。荷物を手早くまとめて車に戻った。

引き戸を閉めるのと同時に、気も引き締める。よしっ、車に乗ったら店長に聞こう!どんな答えが返ってきても驚かないぞ、と心に決める。

相変わらずピカピカな黒い車の助手席のドアを開け、中に乗り込む。私がシートベルトをしたのを確認して、店長は車を発進させた。

「て、店長……」

「ん?」

恐る恐る声をかける。店長があまりにも普段通りに返すので、なんだか緊張しているのが馬鹿らしく思う。

「あのー……大変聞きにくい事なんですけど……そのー……」

「何」

怖じけづくな私!言え!チャンスは今しかない!

「さっき店に冴さんが居たんですけど……何でなんでしょうねぇ?」

何だかすごく間抜けな聞き方になってしまった。もっとバシッと言えたらよかったのに。

でも、言ってみてわかった。きっと私は今の平穏が壊れるのが怖かった。店長がどっちの答えを返しても……嘘で誤魔化しても、正直に本当のことを言っても、今のこの均衡が崩れるような気がして。それは、信頼とか、疑心とかだったかもしれない。

「へぇ、そうなんだ。何してた?」

「えっと……。ソファーで寛いでました」

嘘。だと思った。直感で。

何で冴さんは朱雀店に来たのか。何で平然とソファーで寛いでいたのか。何で私の顔を見て驚いたのか。

ソファーに背中を預ける冴さんは、私達を殺しにきた敵の顔ではなかった。例えるなら、例えるならそれは友達の家に遊びにきたような顔で。想像していた人物と違う人間が部屋に入ってきた時のような顔で。

瀬川君は入院中だよ。冴さんも知ってるでしょう。私は、あなたの名前くらいしか知らない。だから、消去法だけど、もう一人しか残ってないんだよ。冴さんは、店長に会いに来たんでしょう?

二人は知り合いなんでしょう?

それを言わないのは、知らないふりをするのは、嘘つきだよ。

「何しに来たんだと思いますか、冴さん」

私の声は緊張で少し震えた。それに答える店長の声はいつもと同じだった。私の声の震えには気づいているはずなのに。

「さぁ、ついに店長の首でも取りに来たんじゃない?」

私は「そうですか」と呟いた。そうですか。やっぱり何も言いませんか。何も教えてくれませんか。

黒い車が住宅の角を曲がる。もう目の前に、私の家が見えた。停車した車から降りて、店長の方を振り返った。やっぱり最後に聞いておこう。

「店長、あの子って冴さんですか?」

どうせ何も言ってはくれない。そう思ったが、店長はニコッと口の端を上げて一言だけ言った。

「正解」

私があっけに取られているうちに、発進した黒い車はみるみる小さくなって見えなくなった。



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